十之十五
エミリオ・エンシーナは天守台の前に立ち、燃え盛る炎に包まれた天守閣を仰ぎ見た。
「美しいものだ」
わずかに唇を動かして、つぶやいた。
しかし、その賛辞は感嘆ではなく、まったく無機質で感情の含みのない、冷淡な言葉であった。
祭服の胸にぶらさがる、欠けた十字架のロザリオが炎にきらめいている。
――村を燃やし尽くした時も、美しかった。
エミリオは、バレンシア地方の、小さな漁村にある小さな教会の神父であった。妹とふたり、バレアレス海に抱かれたような村で、質朴な漁師たちとともに穏やかに暮らしていた。
だが、幸せは突如として崩壊の激流に飲み込まれた。
妹は、地方領主の息子に見初められ、求婚を受けた。
それを知った村の名主の娘は嫉妬し、根拠のまったくないうわさを流した。
――あの女は魔女だ。
と。
噂はまたたくまに村じゅうに広がった。
そうして村人たちの不安は急激な憎悪にかわり、魔女狩りという事象に変じた。
それまで、魔女狩りなどとは全く無縁の、異世界の出来事とさえ思っていたものが、唐突にエミリオの生活を崩壊させたのだった。
妹は裁判もなにもなく、暴徒と化した村人たちの私刑にあって殺された。
それでも村人たちのヒステリーはおさまらず、数百人の集団が教会を取り囲み、火を放った。
エミリオは燃える炎の中で主に問うた。
――なぜ私はこのような憂き目にあわねばならないのですか。
滂沱と流れる血の涙と火煙にむせびながら、エミリオは問い続けた。妹はなぜ、あのような無惨な死を迎えねばならなかったのですか。教えてください主よ。答えてください主よ――。
絶望が憎しみへと変わるのに、時間はかからなかった。
その絶望と憎しみに手を差し伸べたのは、神ではなく、彼がいつも肌身はなさず身に着けていた、深紅の宝石のネックレスであった。
真っ赤な火炎は蒼紫の地獄の炎へと変貌し、教会を燃やし、村人たちを焼いた。炎は村のすべてを灰燼に帰すまで、いや灰さえも残らぬまで燃やし続けた。
その酸鼻極まる光景を見、エミリオは美しいと思った。紫の炎が胸のなかにも灯ったようだった。邪念に満ちた暗い炎だった。そうして自分は悪に堕ちたのだと感悟したのだった。
「そしてまた、私は炎のなかにいる」
まるで一抹の情すらこもらない、虚無の眼で炎の天守を見つめてつぶやいた。
「おやおや」
と後ろで女の声がする。
振り向いたエミリオの眼に、紺色の忍服に最低限の防具を身に着けた女が映った。
「誰かと思えば、似非神父じゃねえか」
――たしか、嵐と云ったな。この女がここにいるということは、鬼巌坊はもうこの世にはいないということか。
エミリオは仲間の顔を無感動に思い浮かべた。
「なんか、迷路みたいな城のなかを、むやみやたらに走って来たけど、気がつけば天守閣に到着だ。私が一番乗りみたいだな」
――そうでもないさ。
似非神父とののしられた男は口の端をわずかにゆがめる。
さきほど、本丸御殿から屋根づたいに男が走っていったのは、おそらく猿飛という忍者であろう。あれひとりくらいなら、花神がなんとでもするだろうが、この娘たちを見過ごすわけにはいかないな――。
両脇にたらしていた手を、エミリオはちょっと持ちあげた。そうして手のひらに黒い炎の塊を、ぽっと灯した。
嵐が腰を落として、身構える。
「この炎が、周りの炎とは違うものだということは、説明するまでもないな」
「まあ、以前ほど怖くもないがな」
「ふふふ、面白い」
「あたしにそんな火は、蝋燭の火ほども通じないぜ」
「そうだといいな」
静かに云って、エミリオは手を振った。
黒い炎が嵐に向かって放射状に放たれた。
嵐は軽く飛んで避けつつ、同時に間合いを狭めた。
さらにエミリオは手を振った。繰り返し手を振り、振るたびに炎の弾丸が撃たれる。
嵐はひょいひょいと軽快に躱し、徐々にエミリオへと向かう。
撃ち、躱し、数呼吸する間に、彼女は敵の至近に達した。
間合いに入った刹那、嵐の身体が回転し、蹴りがエミリオに襲来した。
エミリオは躱しもしない。
鉄の臑当を着けた脚が、まともに彼の右腕を打ちつけた。
だが、ぎゃっと悲鳴をあげて、地面に転がったのは、嵐であった。
彼女の全身が、いつの間にか蒼紫の炎で包まれている。
エミリオは攻撃を受ける瞬間に、炎のバリアをまとっていたのだ。
「塵も残さず燃えて死ね」
そう云うエミリオの眼は、やはりうつろである。




