十之十四
碧は善珠たち三人組を殺めたくはなかった。幾度か任務のなかで刀刃を交えたが、碧自身は彼女たちに恨みがあるわけでもない。
だが、振りかかる火の粉は払わねばならない。こちらに恨みはなくても、むこうが恨みを向けてくるなら、倒さなくてはならない。
突然、碧のもたれかかっていた松の幹が音を立てて折られた。
トロハチが怪力でへし折ったのである。
「おとなしくするだよ、お嬢ちゃん」
ひと抱えもある大木を脇に放りなげ、トロハチは碧につかみかかった。
碧は跳んで距離をとった。善珠の鉄砲を警戒して、トロハチの陰になるように移動せねばならない。だが、それではいつまでたってもことが進まぬ。
さらにトロハチが迫り来る。
「旋律の律動」
碧の瞳がきらりと光る。
そこへトロハチがふたたびつかみかかった。
が、
「なんじゃあ!?」
すっとんきょうな声をあげて巨体がよろめいた。
左に碧の姿を見つけ、身体をひねりつつ肩をつかむが、またよろめいた。
「なにやってんだい!」
善珠の叱声が飛んだが、トロハチはなにがなんだかわからない。
確実に碧をつかんだはずなのに、つかんだそこには何もないのである。
次には右手に碧があらわれたのをつかむが、やはり何もつかめない。
最初に気がついたのは間合いをとって観察していたゼニヤスで、
「分身だっ、トロハチ!」
碧は、トロハチの周りを跳ねまわりつつ、旋律の律動によって作り出した霊気の残像を残しているのだ。
ゼニヤスに仕掛けを教えられても、トロハチは完全に術中にはまっている。術のためにパニックを起こしている。彼はもう太い腕をむやみにふりまわして、碧の残像をつぎつぎに攻撃しているだけだ。
埒があかないとみて、ゼニヤスが加勢に入った。
ふたりで本体とも残像ともわからない碧の姿を手当たりしだいにつかんだり殴ったり。やがて、ふたり同時に同じ残像につかみかかった。ふたりは正面から頭と頭がぶつかって脳震盪を起こして、すっとんきょうな悲鳴をあげながら仰向けにぶっ倒れてしまった。
轟音とともに善珠の銃から弾丸が発射されたが、それも空を切った。
弾丸を装填しなおしつつ、油断なく碧をにらむその眼が、一瞬立ちどまった碧の姿をとらえた。ふたりの視線がからみ合った。鋭い刃の切っ先がぶつかったような睨み合いだった。
「この黄金の左眼は、すべてお見通しさ」
善珠の左眼が鈍く光ったようだ。
碧が残像を残しつつふたたび走り始めたが、善珠には本体と残像を確実に見分けられた。
だが、碧の動きが俊敏すぎる。
広い庭園のいたるところに残像を刻みつつ、碧はこちらに迫ってくる。が、標的を見分けられてもあまりの動きの早さに、照準を合わせる暇がない。下手に威嚇射撃でもしようものなら、次弾を装填する間に間合いを詰められてしまうだろう。
しかし、善珠は百戦錬磨と云っていい戦歴を持っている。すぐに気持ちを落ち着けた。
――ようは、動きの先を読めばいいのさ。
その練達の勘を持って、善珠は碧の動きを見切った。
走る本体の、ごくわずか前を目がけて照準を合わせ、構えた銃から弾丸を放った。
が、弾丸は庭石にあたって、乾いた音をたてた。
はっと気づいた時には軒の天井に碧の姿があった。
銃の銃口につけられた剣を、その姿に向けて振り上げた。
だが手応えは、ない。
「残像!?」
叫んだ瞬間、碧の姿が真横にあった。
はっと気づいた時には、善珠は蹴り飛ばされていた。飛んだ身体は広間の奥の襖を突き破って倒れた。
もうすでに火の手は碧の周囲まで伸びていた。
善珠が突っ込んだ襖も柱も、真っ赤な舌を幾筋も出していて、肌をなめ甲冑を焦がした。
「この小娘っ!」
あらんかぎりの憎悪の叫びをあげ、善珠は立ちあがった。
刹那、天井が音をたてて割れ落ち、柱が倒れ込んだ。
悲鳴とともに、彼女の身体は燃える瓦礫の中に沈んでいった。
善珠の生死を見極める暇などなかった。
碧は、炎に包まれる縁側から飛びだし、後ろを振り返ることもなく、天守閣に向けて走り始めた。




