十之十一
「もう、あなたは私に勝てない」
そう云って鶫は、短刀を持つ右手を大きく振りかぶった。
「忍法空刃連斬」
右腕が振られ、短刀が祥馬に向かって弾丸のように飛んでいく。
しかも、祥馬の直前まで迫った瞬間、一本の短刀がいくつにも分裂した。
それでも祥馬は、かっと唸りながら凄まじい速さで両手を動かし、いくつもの短刀を弾きかえしていく。
その無数の短刀は一本の短刀が分裂したわけではなく、鶫が旋律の律動を使って鎖を操り、放っては戻し、戻しては放つ、ことを凄まじい速度で繰り返している。
その驚異的速度の攻撃をはじいていく妖狐祥馬もまた驚異的だ。
短刀の連続突きをさばいている祥馬が、突然仰向けに倒れた。まるで雪の降る日に滑って転ぶように、すとんと無様に背から地面に転がった。
「ぬうう」
とうなった祥馬の白い毛に包まれた脚に、錘のついた鎖が巻きついている。
鶫が叫んだ。裂帛の気合いである。
そして、鎖をつかんだまま身体を独楽のように回転させはじめる。
妖狐の二メートルを超す巨体が宙に舞い、小さな女を中心点に、遠心力でぐるぐる回転しはじめた。
さらに気合いの叫びを放ち、鶫の手から鎖が放たれた。
ハンマー投げ競技のようなもので、投げられた祥馬は遠心力の勢いで上空高く舞いあがり、弧を描いて落下し、地面をえぐって広場の隅に墜落した。
鶫は即座に転がる短刀まで走り寄り拾い、鎖をたぐり寄せる。即座に飛びのいて、祥馬から距離をとる。
もうもうと立ち込める土煙のなかから、狐の遠吠えのような叫声とともに、白い巨影が飛びだし狂奔したように鶫に走り迫る。
鶫はふところから十字手裏剣を取り出す。ぐんぐん近づいてくる白狐に向けて、同時に六、七個ほども投げた。手裏剣は旋律の律動で操られ、いくつかは直進し、いくつかは上空に弧を描き、残りのいくつかは左右から祥馬を包み込むように向かっていく。
だが、祥馬は避けようともしない、払うこともしない。数個はそれたが、それでも四つもの手裏剣が肩や胸に突き刺さった。
だが、祥馬は痛みを感じる様子もなく、突進してくる。
そして鶫に近接すると、やみくもに両腕を振り回す。
怒りと興奮が極まり、完全に我を失っていた。
鶫は星雲結界によって、その凶刃と化した爪のひと振りひと振りを、難なく防いでいく。
「この裏切り者めっ」大きく裂けた口から祥馬の呪詛が走った。「お前は二度も俺を裏切った、狡猾な牝狐めっ」
「憐れな人」
「なんだとっ」
「あなたはあのまま京にいるべきだった。花神のような奸物の陰謀に加担せず、京で静かに暮らすべきだった。それが、私に袖にされたくらいで将来に絶望し、世界のすべてを憎み、邪道に落ちた。あなたは憐れな人間よ」
「ほざくなっ!」
渾身の力を込めて放った祥馬の拳であったが、渦をまく鎖に飲み込まれるようにしてとまった。そして、鎖は腕から胴へと絡みつき、瞬く間に妖狐の全身をしばりあげてしまった。
気合いとともに、鶫は鎖に祥馬の霊気と反発する霊気を流し込む。
緊縛の強烈な締め付けと霊気の電流に、祥馬は叫び、身体をのけぞらせる。
「さようなら、祥馬さん」
鶫の逆手に持った短刀の切っ先が、のけぞってあらわになった狐の喉に吸い込まれるように入っていった。
祥馬の身体が光輝く。
妖狐が依代たる祥馬と分離し、縛りつける鎖をすり抜けて祥馬の後背へとさがり、闇に溶けるように消えていった。
鎖の緊縛が解け喉から短刀が抜け、崩れ落ちる祥馬の身体を、鶫は受けとめた。想像以上に重いその身体をささえながら、彼の頭を膝のうえにのせてゆっくりと地に横たえた。
いつしか、流れる涙が鶫の頬をぬらしている。
「つ、ぐみ」
ふさがった喉から漏れ出るように、小さく祥馬はつぶやいた。
「私はあなたを愛していました」鶫はそのつぶやきに答えた。「今も、愛しています」
その言葉が届いたのかどうかはわからない。
ただ祥馬は安堵したように、静かに眼を閉じた。快い夢の中にいるような、不思議なほど穏やかな顔をしていた。
その閉じられたまぶたに、涙のしずくがこぼれ落ちた。




