九之六
山の木々を縫うようにつづく細道は、踏みならされて歩きやすくはあったのだが、空を仰ぎみると樹木の梢どうしが絡みあっていて、隧道のように覆っていた。始終薄暗く、数刻も歩いていると、ともすると世界に生きている人間は自分ひとりなのではなかろうかと思えてくるほど寂然とした風景が続いていた。
洲本で集めた情報をもとに、碧はひたすら淡路を北へとむかって歩いてきた。
道々、真聖神惶教の在所がどこかとたずねながらの道行きだったが、その場所を正確に知っている者は誰もいなかった。
――妙見山の森のなかにあるっちゅうて聞いたことがあるだが……。
そんなふうに云うのであった。みな、判で押したような云いかただった。
それでもわずかな手がかりをたよりに、妙見山のふもとまで来て、杣道のような細い山路を歩き、想定よりもずっと時間がかかり、気がつけばもう陽が沈みかけていて、ひょっとするとこのまま遭難するのではないかと心細くなったころ、ふとひらけた場所にでた。
眼にうつった景色に、碧はその眼をうたがった。
碧の立つのは、集落の東にある崖の上であった。いつのまにか本道からそれてしまっていたようだ。
眼下に広がる集落は、直径十町(一キロ)ほどの丸い山あいの土地で、臼の底みたいな地形である。
その臼の底に広がる集落の中心には、古式ゆかしい神宮とくらべても見劣りしない、荘厳といっていい様式の社があった。それは高床式の建物で、屋根には千木(X字の部材)が置かれていて、その本殿を囲んで同様の造作の大小の建物が建っている。それらの神殿とでもいうべき区域を取り巻いているのは、数百に及ぶ竪穴式住居であった。
――噂に聞く邪馬台国というのはこんな風景だったのではないかしら。
そう思ったほどで、碧は自分がいつのまにか時代をさかのぼってしまったのではないかと、本気で疑ったくらいであった。
その異様な風景が、濃紺の空のもと夕日に赤く染まって、神秘的で幻想的な印象をあたえてくる。
いや……、赤く染まっているのは、はたして夕日のせいばかりではないようだ。
神殿前の二町四方ほどの敷地には、いま数十の篝火がたかれ、その空間を不気味に浮かび上がらせている。
火明かりのなかにもぞもぞと寄り集まっているのは、集落の人々であろう。碧のいる崖からみると、まるで無数の虫が集まって蠢いているようにみえる。
人々はみな神殿のほうに向いていて、その視線の先には長方形の巨大な舞台のような櫓が組まれていた。
櫓の前では、先日に洲本でみたような踊りを踊り、太鼓や笛を合奏する人々の姿もみえた。
――なにか儀式でもしているのだろうか。
おそらくそうであろう。
碧はためらわずに崖をすべりおりて、集落へと忍び込んだ。忍び込む、というほど後ろ暗いものでもない。ひとけは、まったくといっていいほどない。おそらく歩哨であろう、長い棒をもって住居の間を行ったり来たりしている男たちが所々にいて、その眼をかわして、人々の集う広場へと足を進めていった。ひとけと云えるのはそれくらいなもので、住民のほとんどは広場へと集まっているとみるべきであろう。
もし誰かに発見されて誰何されたところでいいわけの言葉はとうに決まっている。
――入信したくてまいりました。
それですむ話だろう。
広場のすぐそばまで近づいて、竪穴式住居のお椀を伏せたような壁にかくれて様子をうかがったが、予想外に見晴らしがよくない。
見渡すと、西のほうに高床式の倉庫であろう木造の建物が三軒並んでいるのが眼に入った。それにそっと近づいて、するするとのぼって、茅葺きの屋根に埋もれるように身をかくして、碧は集会の模様を観察した。
ほどなく、数人の巫女らしい同じ服装の娘たちが神殿のほうからあらわれいでて舞台の両端に並んだ。彼女らは一様に髪は垂髪で、日陰の蔓(シダ植物)を頭に巻いて、領巾(細長い布)を肩にかけている。その巫女たちのなかには鶫の姿もあったのだが、距離があったのと皆が同じような格好をしているものだから、碧は気がつかなかった。
つづいて数人の、年齢が様々な男女が舞台のうえに居並んだ。彼らは位の高い神官であろうか威厳を感じさせる態度であった。
そのなかに……。
頭の切れそうな鋭い目つきの青年がいる。
能面のように無表情だが近づきがたい雰囲気の壮年の男がいる。
天真爛漫そうな笑顔を浮かべる少女がいる。
この三人が妙に碧の眼をひきつけた。ただの信者ではない特異な気配を身にまとっているようだ。
奏でられる音楽が、のぼり調子に高鳴っていって、高鳴る音調が頂点に達したころ、ぷつりと途切れた。
と思ったらすぐに太鼓だけが連打されはじめ、その音に合わせるように、ひとりの男が台上に姿をみせた。
「マホシヒコさま。マホシヒコさま」
集まった二千人くらいの信者たちが、声をそろえて彼の名を、呪文のように唱えた。




