九之五
その屋敷の一室は男ひとりが使うにしては異常と思えるほど広く、隅に置かれた燭台のかすかに揺れる蝋燭の火明かりも、鶫の座った部屋のなかほどまでは、ほとんど届かない。
まだ三十にも満たないようにみえる男は周りに燭台をいくつもおいて、自分の存在を誇示するように、その顔を煌々と照らしていた。鶫から二間ほども離れたその高座だけは畳が敷いてあって、御簾が少しだけ天井からおろされ、純白の綿雲のような垂れ絹がまわりにさげられ、金屏風を巡らし、鶫の座る空虚で冷暗な板敷きが夜とすれば、彼の周囲だけはまぶしいほどに陽の照る真昼のような空間であった。
「助勢を送るといって、送ってきたのがこんな小娘とは、大野修理の計略がどこまで本当か疑わしいものだな」
男は脇息に身体をあずけて、ずいぶん尊大に構えていて、鶫を値踏みするように全身に眼を這わせて、整った顔立ちにいやらしい笑みを浮かべている。
「お言葉ではございますが、教主猊下のお役にたつ才覚を持っていると自負いたしております」
「自負で終わらねばよいな」
世間知らずの小娘がおごるでない、とでもいうような侮蔑の色が優男の瞳に滲んだ。
「ご懸念にはおよびませぬ」鶫はわずかに頭をさげた。
教主猊下――アマソラノマホシヒコと名乗るこの男こそは真聖神惶教の開祖である。
名前と同様に装束がまた異様である。髪は耳の脇で美豆良に束ねて、白い筒袖の衣に袴は膝のあたりで紐で結んで、首には勾玉のネックレスをかけている。まるで古墳時代の衣装であるが、鶫にはその時代の服飾知識が欠如しているため、ただ、奇妙な格好だ、という印象であった。
「無礼なものよ」とマホシヒコの云ったのは、大坂にいる大野治長に向けてであった。「もはや黄泉へとみまかった太閤の威にすがる息子の、その佞臣ふぜいが、神の託宣によって神意を成就せんとする我らを見下し、大坂城に烏集せしはぐれ武将どもと同等に扱うなど、不快極まりなし」
鶫はふっと眼をふせた。わずか四、五千人の信者しかいない新興宗教の教祖ふぜいが、と思ったその思いが、この男には見透かされるのではないかという気がした。驕慢の具現化したような男ではあったが、けっして侮ってはならない。彼の眼の奥には、なにか得体の知れない不気味な光が宿っているようだ。
「徳川を駆逐したのちは、淡路一国を進呈すると云うが、この淡路に我らが拠在するは、神話発祥の地であるからだ。イザナキ、イザナミの両神が高天原より降臨され、国産みの儀によって初めて造りたもうた大地がこの淡路島だ。ゆえにこの島は神聖でなければならぬ。この島を人の立ち入れぬ禁忌の地とし、神のみ住まいたもう楽園となすことこそ我らの念願するところである」
「はい」
と同意しつつ、鶫は内心ではばかばかしいと失笑せざるをえない。そんな絵空事を、この男は心底から渇望しているのだろうか。
「我らが神の降臨せし暁には、徳川も豊臣も、京の帝さえも、あまねく神の威光の前にひれ伏し、我らが教理によって日ノ本は満たされ、真の安寧が民草にもたらされるであろう」
「若輩ではございますが、猊下のご念願の成就をお助けせんがため、微力を尽くすことをお約束いたします」
「うむ、はげめ」
教主猊下の御前を辞して、案内された部屋は神殿の片隅の、巫女たちが寝泊まりに使う長屋の一室であった。六畳ほどのひと間を三人で使うことになっていて、鶫は自分を新しく入信したものだと自己紹介をした。同室のふたりは同年代の娘たちであったが、閑談に花を咲かせるでもなく、淡々と名乗りあっただけであった。
このころ徳川家康は大坂方の軍備拡張を口実に、諸国の大名に出陣の命を発している。豊臣征討の総仕上げに移らんとするわけだ。再び戦端が切っておとされかねない情勢下で、諸事に多忙を極める大野治長は、花神に泣きついたようなものであった。
――紀州を混乱させるだけでは、いささか心もとない。淡路の新興宗教を後援しているので、日下(花神の変名)よ、そのほうの手下を派遣してもらいたい。
各務は淀の方の侍女として大坂方の内情を探っているし、エミリオ神父は(かつての)信仰の関係でこの任務にはまったく不向きだし、鬼巌坊などはどこでなにをしているのか、三日に一度くらいしか屋敷に戻ってこない。幸徳井祥馬はまだ紀州で百姓たちに蟲を寄生させるのに余念がない。それで伊賀を足抜けした鶫が派遣されるあたり、鶫が信用されていると思うべきか、さほどには淡路の活動に期待をかけていないと、見るべきか。
なんにせよマホシヒコが強力な妖術を使うとすれば、彼の語る夢想が夢想でなくなる可能性もある。
――ともかく情報を集めよう、何をするかはそれから考えよう。
夜具のなかで、まんじりともせず、鶫は考えつづけた。
夜半のしじまに隣で寝ているふたりが寝息を奏でている。




