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第48話 拒絶の線引き、新生の誓い

 額が石床にぶつかる鈍い音が地下牢の冷たい空気に重く響いた。 

 シエルは涙を流し、血が滲むほどの勢いで額を床に押し付けたままでいる。


「殺してくれ……っ。私の無知が、貴方をどれほど傷つけたか……! もう、私には生きている資格もない……!」


 喉を掻き毟るような悲痛な叫びが魔導鉄の格子の向こうから降ってくる。

 この男は本当に何も知らなかったのだ。レナトゥリアの王族として、ただ純粋に国の掲げる『正義』を信じ、俺の背中を追いかけていただけだった。


 だからこそ、その足元を支えていた大前提がすべて偽物であり、身内こそが俺を縛り付けた元凶だったという事実は彼の心を内側から破壊してしまったのだろう。


 石床へ擦り付けられた額から流れる血が冷たい岩肌に広がっていく。


 俺はゆっくりとその場にしゃがみ込み、視線をシエルと同じ高さに合わせた。

 鉄格子の冷たい感触が、肌に微かに伝わる。

 後ろでハルクが片手を剣の柄にかけた気配がした。だが俺は片手を軽く上げ、それを制した。


「主……」


 ハルクが低く呟き、息を呑む。

 だが俺の意図を察した彼は、それ以上は何も言わずに静かに気配を収めた。


 俺は格子の向こうで震え続けるシエルへ届くよう静かに、しかし明確な声を落とした。


「シエル、顔を上げろ。――死んで逃げるなよ」


 シエルの身体がびくりと跳ねる。


「お前たちの国に使い潰された十年間は消えないし、俺はお前を簡単に許したわけじゃない。だけど……お前が信じていた『正義』がクソだったと気づいたなら、ここからどうするかはお前次第だ」


 シエルは恐る恐る涙と血に汚れた顔を上げた。

 魔眼の光は完全に濁り、激しい自己嫌悪と混乱でその瞳は泳いでいる。


 そんな彼へ、俺は感傷を挟まずはっきりと境界線を突きつけた。


「俺の居場所は、もうここだ。お前の国には二度と戻らない。それを理解した上で、お前はどうする?」


 二度と戻らない。


 その言葉はシエルから『コノエを救い出す』という独りよがりな大義名分を完全に奪い去った。


 国を裏切ることもできず、コノエを連れ戻す大義もない。完全な暗闇。

 だが同時に与えられた『お前次第』という問いが、虚ろだった瞳の奥にギラリとした別の光を宿らせた。


 絶望の底で彼の魂が溶け、全く別の形へと再構築されていくのが、空気の震えで分かった。


 シエルは床に両手をついたまま、ゆっくりと視線を動かし、俺の背後に立つセルガを真っ直ぐに見据えた。

 己を縛る檻の主へ、縋るように、しかし凄まじい執念を込めて声を絞り出す。


「……魔王セルガ。我が身の処遇を決めるのは、貴方だ。……だが、もし一度だけ選択の余地をくれると言うのなら、私を、レナトゥリアへ送り返してほしい」


 格子の隙間から、シエルは狂気すら孕んだ目でセルガへ訴える。

 声には先ほどまでの絶望ではなく、身内へと向けられた刃のような昏い輝きが宿っていた。


「貴方を道具として使い潰し、この世界に歪んだ正義を敷いた我が父――レナトゥリア国王と、あの国を……私は内側からすべて叩き潰したい。二度と、コノエ様にその手を伸ばさせないために。そのために、私を利用してくれ……!」


 英雄を連れ戻すための白銀の騎士は、ここに完全に死んだ。


 俺の平穏を守るため、血筋も、祖国も、かつての誓いすらも裏切って、レナトゥリアを内側から壊す『爆弾』になることを自ら魔王に願い出る。


 彼の中にあった『正義』が、憎悪と執着によって完全に反転した瞬間だった。


 囚われの身でありながらへりくだるのではなく、己を都合の良い道具として使えと剥き出しの意志を示した王子を見て、セルガが冷徹に口元を緩めた。

 黄金の瞳には、獲物を品定めするような獰猛な光が灯っている。


「フン……いい面構えになったな、王子」


 セルガは一歩前に出ると、俺の肩をぐっと抱き寄せた。


 首筋の紋章へ、これでもかとばかりにセルガの魔力が流れ込み、馴染んでいく。

 俺が誰のものか示すように、セルガは檻の中のシエルを見下ろした。


「『国王との交渉が始まるまでここで噛み締めろ』と言い渡してあったが……ただ腐るだけの時間は終わりにしたらしいな」


 低い声が地下牢の壁に反響する。

 セルガはシエルの願いを哀れみではなく、王として冷徹にその価値を値踏みしていた。


「お前がどう動こうと俺の知ったことではないが、その反逆の意志が我が国にどれだけ『利益』をもたらすか……精々証明してみせろ。利用価値がある間は、俺の特権で生かしておいてやる」


 突き放すような、だが明確に利用価値を認めた言葉にシエルは、格子を血が滲むほどの力で掴み鋭い眼光で応じた。


「……感謝する。交渉が妥結し、あの国へ戻るその日まで、私は爪を研ぎ続けてみせる」


 かつての純真さは消え、復讐者の毒を宿した王子の態度を確認し、セルガはライゼルへと視線を向けた。


「ライゼル。こいつは予定通り国王との交渉が始まるまでここに留め置く。だが廃人にされては困る。最低限の治療と魔力の反動ケアは手配しておけ。人間領へ送り返す、最高に都合のいい『爆弾』だからな」


「御意」


 ライゼルが手元の書類を静かに閉じ、深く一礼する。


「王子が恭順と祖国への反逆を誓った以上、外交の切り札としての価値は跳ね上がりました。直ちにレナトゥリア国王を交渉の席へ引き摺り出すための抗議書を作成いたします」


 シエルの魂が変質していく様を見届け、俺たちは地下牢を後にした。


 背後で重々しい魔導鉄の扉が閉まる音が響く。

 肩を抱くセルガの体温と、絶え間なく流れ込む彼の魔力を感じながら、俺は複雑な——けれどどこか救われたような気持ちで暗い階段を上っていった。


 かつて俺を苦しめた人間が、今度は敵国の内通者として自らの王へと牙を剥く。

 人間領の欺瞞に対する、魔王領の冷徹で容赦のない反撃の歯車が、本格的に回り始めていた。

大変お待たせしました、お久しぶりの更新となります!

まだしばらくはゆっくりペースの更新となりますが、どうぞよろしくお願いいたします。


完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。

もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!


次回もよろしくお願いいたします。

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