第47話 盲信の果て、地下牢に響く王子の懺悔
深い眠りから覚め、俺は天蓋付きベッドからゆっくりと体を起こした。
魔王セルガの『王妃候補』としての肩書きを事実上受け入れたことで、これまで頑なに拒んできた豪奢な寝台を使う羽目になったのだ。
広すぎるベッドの居心地の悪さに内心でため息を吐きながら身支度を整えると、部屋の入り口から賑やかな声が飛び込んできた。
「コノエ様、おはようございます!わあ、やっぱりそのお寝間着もとってもお似合いです!」
「おはようございます、コノエ様。……よくお休みになれましたでしょうか」
いつものように一歩下がって彫像のように控えるハルクと、パタパタと忙しなく動き回りながらお茶の準備を始めるリリィ。
二人の息の合った、けれどどこか噛み合っていないやり取りに、俺は「ああ、よく眠れたよ」と小さく苦笑した。
王妃候補という仰々しい立場になっても、変わらぬ態度で傍にいてくれる二人の存在が、今の俺にはひどくありがたかった。
◇
今日は、昨夜セルガが口にしていた城内の管理権限の一部を譲渡される手続きを進めるため、執務室へと向かうことになっていた。
「いってらっしゃいませ!」と元気に見送るリリィを部屋に残し、一歩遅れて静かに背後を追うハルクの気配を感じながら長い廊下を歩く。
だが重厚な扉の前に辿り着いた瞬間、中から漏れ聞こえてきた会話に俺の足は自然と止まった。
「――地下牢に留置しているレナトゥリアの王子、シエルについてですが」
ライゼルの声だ。
「己の国の欺瞞を知り、精神的に追い詰められています。魔力強化の反動もあり、このままでは廃人になりかねませんが……どうなさいますか」
「……生かしておく価値があるかどうかだな」
地を這うようなセルガの低い声。その言葉に胸がズキリと疼いた。
かつて血生臭い戦場でボロボロの自分を『英雄』呼び、キラキラとした瞳で追いかけてきたあの少年の姿が脳裏を過る。
俺は躊躇うことなく扉をノックし、そのまま部屋へと足を踏み入れた。
後ろでハルクが音もなく扉を閉め、いつもの定位置へと下がる。
「ごめん、聞こえちゃった。……シエルのことだよな」
机を挟んで冷徹に事務作業を進めていた二人の視線が俺へと集まった。
セルガの金色の瞳が、わずかに細められる。
「あいつ、今後どうなるんだ?……できたらあまり酷い扱いはしないで欲しいんだけど」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、執務室の空気が目に見えて冷え切った。
セルガはあからさまに眉を寄せ、不機嫌そのものの気配を周囲に漂わせる。
「コノエ、お前は甘すぎる。あいつはお前を再び縛り付けようとした人間の王子だぞ。庇う必要なんてないだろ」
黄金の瞳にあるのは、強烈な独占欲と未だに過去の人間を気にかける俺への苦々しさだ。
「庇ってるわけじゃない。あいつらのやったことは勝手だし、怒ってもいる。だけど……あいつは本当に何も知らなかったんだ。あの『救いたい』って眼だけは、偽物じゃなかったから」
真っ直ぐに見つめ返す俺の視線に、セルガは忌々しげに舌打ちをした。
二人の間に流れる不穏な空気を断ち切るように、ライゼルが淡々と眼鏡を押し上げる。
「陛下、コノエ様の仰ることも一理あります。あの王子が今後、我が国にとって牙を剥く存在であり続けるか、利用価値があるかは、本人の『態度次第』かと」
「……フン。なら、俺が直接確かめる」
セルガが椅子から立ち上がると、俺を鋭く一瞥した。
「コノエ、お前はここで待っていろ」
「嫌だ、俺も行く」
俺は即座に食い下がった。
「シエルを現実に引き戻したのは俺たちだ。あいつがこれからどうするのか、俺にも見届ける責任がある」
頑なな俺の態度にセルガは大きな溜め息を吐き、一歩踏み出して俺との距離をゼロにした。
大きな影が俺を覆い尽くす。
「……分かった。だが、俺から離れるなよ」
低い声が耳元で鼓膜を揺らす。
「またあの紋章がうずいた時、お前の魔力を安定させられるのは――俺だけなんだからな」
有無を言わせぬ条件。首筋の紋章が、セルガの魔力に呼応するようにトク、と深く脈打つ。
俺は少し気恥ずかしさを覚えながらも「……分かってるよ」と小さく頷いた。
◇
魔王城の最深部へと続く階段は、冷気と静寂に包まれていた。
セルガのすぐ隣を歩く俺の背後にはハルクが影のように従い、その横でライゼルが淡々と書類を携えて歩みを進める。
地下牢へ近づくにつれ、空気の重みが増していくのが分かった。
やがて、最も深く、最も頑丈な魔導鉄の檻の前に俺たちは辿り着いた。
薄暗い格子の奥、冷たい石床の上に、その男はいた。
かつて戦場で眩いばかりの光を放っていた白銀の甲冑はない。
泥と汗にまみれた衣服のまま、膝を抱え虚ろな目で壁を見つめているシエルの姿は、一国の王子としての威厳を完全に失っていた。
己の国が英雄に施した凄惨な呪いを知り、信じていた正義に裏切られた少年の果てが、そこにあった。
「シエル」
静かにその名を呼ぶ。
シエルは弾かれたように顔を上げ、檻の向こうに立つ俺の姿をその濁った魔眼で捉えた。
隠蔽具の奥にある、かつて自分が盲目的に信じていた『正義』が刻みつけた隷属の紋章の残滓。
それを視た瞬間、シエルの全身が激しく震え始めた。
「あ……、ああ……っ!」
傷だらけの身体で這うようにして鉄格子へと近づくと、そのままドサリと床に両膝をついた。
そして、血が滲むほどの勢いで、額を冷たい石床へと擦り付ける。
「コノエ様……っ! ああ、私は……私は、何を……!」
地下牢の静寂を切り裂くように、王子の――否、一人の愚かな男の、悲痛な懺悔が始まった。
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