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第43話 魔王領の夜風、屋台飯の熱


「美味いか?」


 隣を歩くセルガが、俺の顔を覗き込んで短く問う。


 俺は木の串に刺さった熱々の肉塊を、もう一度思い切りよく頬張った。

 炭火で炙られた脂が口の中で弾け、少し濃いめのスパイスが鼻に抜ける。噛みしめるたびに溢れる肉汁に、喉が心地よく鳴った。


「ああ、城の洗練された料理もいいけど、この焦げた炭の香りとガツンとくる塩気が堪らないな。なんだか、懐かしいよ」


 最後の一切れを口に運びふっと笑いながら続ける。


「城の飯と違って、下町の飯って感じがする。……日本の屋台みたいだ」


 その言葉に、セルガが黄金の瞳を細めた。


「そうだろ、屋台ってこういう手軽なものが多いしな。祭りや、仕事帰りにふらっと寄った店の空気を思い出す。……元々この国にあった文化なんだろうが、俺たちには馴染みやすくて助かる」


「……仕事帰り、か」


 何気ない一言が、胸の奥に小さな波紋を広げた。


 十五歳でこの世界に召喚され、そこから「兵器」として生きてきた俺に対して、セルガたちは俺がいなくなったあとの世界でも普通に歳を重ね、二十五歳まで生きてきた。


 俺の知らない、大人としての日常。


 仕事に疲れ、夜の街の明かりに安堵しながら、誰かと笑い合って飯を食う。

 俺が一緒に経験できなかった『彼らの十年間』が、今のセルガの落ち着いた横顔に刻まれているような気がして喉の奥がちりとした。


 ――だけど。


 夢を通じて繋がったセルガの記憶が蘇る。

 彼はその十年間、ただ漫然と生きていたわけじゃない。姿を消した俺を、あっちの世界でも、この世界に来てからもずっと、探し続けてくれていた。


 俺の止まっていた時間を、彼は俺を求めて歩き続けていたんだ。

 そう思うと、切なさの裏側に言いようのない熱い塊が込み上げてくる。


「コノエ? どーした、そんな真剣な顔して。肉が硬かった?」


 不意に横から覗き込んできたナツカの声に、我に返った。


「……いや、なんでもない。ちょっとスパイスが目に染みただけだ」

「ははっ、だらしねーな。それでもうちの厨房を任されてる男かー?」


 ナツカがニシシと笑い、食べ終わった串を器用に回しながら歩き出す。

 センチメンタルな感傷を吹き飛ばすような明るさに、俺も小さく苦笑した。


 そうだ――失った時間は取り戻せないけれど、今こうして彼らと同じ飯を食い、隣を歩いている。

 それが今の俺にとってのすべてだ。


 ◇


 市場の奥へ進むにつれ、活気はさらに増していく。

 セルガは何の変装もせず歩いているが、領民たちは彼を『偉大なる魔王』として敬いながらも、馴染みの店の常連のような距離感で接してくる。


「コノエ、次はここだ。菓子の材料になりそうな実を扱ってる店があるんだぜ」


 ナツカが鼻歌交じりに立ち止まったのは、見たこともない果実やナッツが山積みになった乾物屋だった。


「ほら、『雷鳴ナッツ』。噛むとパチパチ弾けるんだぜ。クッキーに入れたら食感が楽しくなるだろ? あとこの『紫雫』、わかりやすく言うとベリー系の味だ。いいアクセントになると思うんだよな」


 ベリー系の味は、ナツカが前世の――まだ夏彦だった頃に好んでいたものだ。


「……ナツカ、さっきから自分好みに誘導してないか?」

「バレた?でもさ、こっちに来てやっとお菓子が食えるようになったんだから、好きなもの作ってほしいじゃん」


 ナツカがいたずらっぽく片目を瞑り、店主に「おっちゃん、これ全部包んで!」と声をかける。


 店主は大きな手でガリガリと角をかきながら、俺をじろりと見た。


 「……あんたが、陛下が連れ帰ったっていう人間か。随分と細い身体してやがるな」


 無愛想な言葉に思わず肩を強張らせた。

 だが店主は棚の奥から古びた木箱を取り出すと、大粒の乾燥した木の実をごとりとカウンターに置いた。


「噂じゃ、人間に使い潰されてボロボロだったってなぁ。……ったく、あいつらは相変わらず命の使い方が下手くそだ。いいか兄ちゃん、この魔王領はな、元から住んでる俺らみたいなのもいれば、あんたみたいに外で死に損なって流れ着いた奴もいる。だから過去なんて気にしないで、好きに生きりゃいい」


 そう言って店主は、「これは俺からの餞別だ」と香ばしい香りのする木の実を、包みの上に無造作に放り投げた。


「お菓子だか何だか知らねぇが、旨いもん作ってナツカ様のうるさい口を塞いでやってくれ。あんたの作るもんがこの街に並ぶのを、楽しみにしてるぜ」


 差し出された包みの重みに、俺の手がかすかに震えた。


 過剰な同情も、排除もない。


 ただこの地で生きる者として対等に背中を押してくれる、無骨な信頼。


 人間領では決して得られなかった、あまりに単純で強固な『居場所』の感触が掌を通じてじんわりと胸に広がっていった。


 ◇


 買い物を終える頃には夕闇が深く降り、街には魔石の灯りが点り始めていた。


 昼間とは違う幻想的な活気を帯びていく街並みを眺めながら、俺は不意に足を止めた。

 広場を一望できる石造りの柵に身を預けると、夜風が火照った頬を撫でていく。


 (この五百年、こいつらはこの景色を見て、ここで生きてきたんだな。)


 胸の奥を小さな棘で突かれたような痛みが走った。


 二人の背中には、俺が知らない「五百年の重み」がある。魔族として、側近として、王として。

 この世界に深く根を張り、俺のいない歳月を生き抜いてきた彼らの時間はあまりに長くて深い。


 俺だけが、あのキャンプ場から消えた時のまま取り残されているようだった。


 だけど――。


 視線を動かすと、そこには俺を真っ直ぐに見守るセルガの金色の瞳があった。

 そして、急に立ち止まった俺を不思議に思ったのか、心配そうに首を傾げるナツカ。


 二人の顔を見た瞬間、喉の奥が熱くなる。


 俺は失った時間を数えるのをやめ、今この瞬間を噛みしめるように口を開いた。


「セルガ、ナツカ。連れてきてくれてありがとう。少し、楽になった」


 二人は一瞬だけきょとんと顔を見合わせた。だがセルガはすぐに、傲岸不遜な、それでいてひどく穏やかな笑みを浮かべた。


「そうか。……じゃあ明日のティータイムには期待しているからな。焦げた炭ではなく、その新しい材料を使ったクッキーをな」

「セルガ、いいこと言う!コノエ、明日には最高のクッキーが食えるって信じてるからな!」


 ナツカがパッと顔を明るくして、俺の肩を叩く。


「ああ、約束する。ナツカがひっくり返るくらい、最高のやつを焼き上げてみせるよ」


 馬車に戻る道すがら、俺は腕に抱えた包みをぎゅっと抱きしめた。


 綻びが完全に消えたわけではない。


 けれど今の俺の手の中には新しいレシピの種があり、隣には俺を「今」という時間で繋ぎ止めてくれる仲間たちがいる。


 魔王城に帰ったら、また新しい日常を縫い合わせよう。


 馬車の窓から流れていく夜の街を眺めながら、俺はそう心に決めた。

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