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第39話 独占の檻、執着の剣


 執務室の空気は緊張感に満ちていた。

 つい先ほどまで俺はハルクやリリィと共に、保存食の試作を笑いながら語り合っていたはずだった。

 だが今目の前にあるのは、血の気の引いた自分の指先と魔族領の重鎮たちが放つ凄まじい威圧感だけ。


「……先ほどコノエ様から伺った心当たりを、人間領側の動静と照合しました所……越境者はレナトゥリア王国第一王子、シエル・レナトゥリアで間違いないでしょう」


 ライゼルの冷徹な宣告が耳に冷たい水のように流れ込む。


「王位継承者が単身で不可侵条約を破り、魔の森を突破して来たと。……正気か?」


 セルガが瞳を険しく細める中、フォロスが苛立ちを隠さず巨躯を揺らして机を叩いた。


「我が軍の哨戒網を単身で潜り抜けるなど、王子一人の実力とは思えん。背後に伏兵がいるのではないか。陛下、即刻、国境付近の掃討許可を!」

「フォロス、落ち着け。……エルミナはどう見る?」


 ナツカに促され、エルミナが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせる。


「件の人物は、魔力感知に引っかからないよう自身の存在を希薄にしているようです。ですが高度な隠蔽魔法ではなく、文字通り命を削るような、魔力ではなく魂をエネルギーとした強行です。あれは外交や軍事の理屈では測れないように思われます……いわば、狂信者のそれです」


 エルミナの言葉に心臓が嫌な音を立てて脈打つ。

 ライゼルが俺を一瞥し、続けた。


「彼は都合のいい時だけ『条約』を盾にします。十年前にコノエ様を捨て去った時点で、水面下でその約束を踏みにじっている。……コノエ様という『戦力』を奪還しに来た罠か、あるいは――」


 その時、緊急の魔導通信が室内に響き渡った。


『報告!外郭第一結界、突破されました!侵入者は一名……まるで結界の綻びをあらかじめ知っているかのような動きで――』


 通信が激しいノイズと共に途絶える。フォロスが愕然として叫んだ。


「馬鹿な!城門の結界は一騎当千の魔族でも数刻は足止めするはずだ!初見で防衛術式を抜けるなどありえん!」


 エルミナが端末に流れる波形を凝視し、戦慄したように声を漏らした。


「……わかりました。彼がなぜ迷わないのか。……陛下、この侵入者は魔力で視るのではなく、もっと深い『糸』を辿っています」

「糸だと?」

「コノエ様の魔力残滓です。かつて深く結びついた、あるいは分け与えられた魔力。この城の防衛機構はコノエ様の魔力を『味方』として識別するよう調整されています。彼はその僅かな魔力の『癖』を頼りに、防衛術式が自分を誤認する死角だけを選んで突き進んでいる……!」


 エルミナの説明が終わらないうちに室内の温度が急激に下がったような錯覚に陥った。

 セルガから放たれる気配が、物理的な重さとなって俺の肩にのしかかる。

 静かな、だが底の見えない苛立ちだった。


「……俺の知らないところで、そんなに深くお前と繋がってたってわけか。その王子とやらは」


 セルガの金色の瞳が、座っている俺を射抜くように見つめる。

 その瞳には、自分たちのいない十年を誰よりも近くで俺に守られてきた男への、剥き出しの感情が渦巻いていた。


「……違う。そんなんじゃない」


 身体を縛り付けるような重圧に抗い、震える声を絞り出す。


「俺はただの護衛として、あいつを守る立場だっただけだ。戦場で死なせないように魔力をくれてやって、怪我を肩代わりして……。シエルが特別だったからじゃない、それが俺に与えられた『役割』だったからだ」


 必死の否定。だが、シエルが俺の魔力を「道標」にできるほど馴染ませているという事実は、俺自身にとっても重く苦い沈殿物となって胸に溜まった。


 「侵入者、外郭広場に到達!兵士たちが包囲していますが、進軍を止めていません!」


 嫌な予感が、確信へと変わる。

 《生存進化》が過去のどの戦場よりも激しく、耳の奥で警報を鳴らし続けている。


「……セルガ、俺も行く」

「ダメだ。お前はここに――」

「今あいつを止められるのは、俺だけだろ。このままじゃ、事情を知らない兵士たちが犠牲になるだけだ」


 セルガは奥歯を噛み締め、忌々しげに舌打ちをした。

 だがやがて短く「……離れるなよ」とだけ言い、俺の腕を強く引き寄せた。


 ◇


 外郭広場に駆けつけるとそこには異様な光景が広がっていた。

 数百の兵士が槍を構えて包囲する中心で、ボロボロに汚れた白銀の甲冑を纏った男がふらつきながらも剣を杖にして立っている。

 かつてのあどけなさは消え、逞しく成長したその姿。

 だが剥き出しになった瞳の中に宿る光だけは、十年前のあの戦場と何も変わっていない。


「……ああ、やっと。やっと、見つけました」


 シエルが俺の姿を認めた瞬間、狂喜に震える笑みを向けた。

 甲冑の隙間から細い血筋が漏れている。身体を無理に強化した代償だろう。


 「コノエ様。……地獄のようなこの場所から、お助けに参りました」


 その声を聞いた瞬間、首筋の隷属紋章がカッと熱くなったような錯覚に陥った。

 セルガによって書き換えられ、もう俺を縛る力などないはずなのに。

 ――肉体が、記憶が、十年の苦役を思い出して勝手に脈打っている。


 俺がここに来てようやく手に入れた、穏やかな日常。

 セルガがくれた、温かな居場所。


 それらすべてを「魔族の仕業」と断じ、土足で踏みにじろうとする残酷なまでの善意。


「……シエル、なぜ……」


 俺の声は自分でも驚くほど冷たく乾いていた。

 だがシエルには届かない。

 彼はただ震える手で剣を握り直し、俺の背後に立つセルガを憎悪に満ちた目で睨みつけた。


「卑劣な魔族め。コノエ様を返せ。……これ以上、私の英雄を汚すことは許さない」


 広場の空気が、一触即発の緊張感で凍りつく。

 逃れられない過去が最悪の形で、俺の目の前に現れてしまった。

ご一読いただき、ありがとうございます。

完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。

もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!

次回もよろしくお願いいたします。

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