第27話 不本意な同行、許された一歩
ナツカが戻ってきたのは、それからすぐのことだった。
後ろには銀髪の人物――ライゼルが立っていて、静かに部屋へ入ってきた。
いつもの執務服。いつも通りの姿勢。
眼鏡の奥の深緑の瞳が、室内を一瞥すると一瞬、目が合ったがすぐにセルガへ向いた。
「お呼びでしょうか、陛下」
「あぁ。明日から一日、エルフ領へ行くことになっただろ」
「存じております。書類は既に確認済みです」
「それはご苦労。まぁ、今回はそれとは別の話だ」
セルガはライゼルを真っ直ぐに見た。
「コノエの護衛を頼む。明日の朝から、俺たちが戻るまで」
ライゼルの視線がセルガからこちらへ流れたが、すぐさま元に戻った。
「……それは」
声は平坦だったが、わずかに間があった。
「バルハでは、不足でしょうか」
「バルハは執事として置いておく。だから護衛はお前に頼みたいんだ」
ライゼルは何かを言いかけて、飲み込んだように口を閉じた。
眼鏡をわずかに押し上げ、静かに息を吐く。
「……陛下の命とあれば」
渋々、という言葉がそのまま声になったような承諾だった。
それでも真っ向からの拒絶ではなかった。
「助かる」
セルガは安堵の声をわずかにのせて短く言葉を落とす。
それに応えるようにライゼルは一礼し、視線をこちらへ向ける。
「コノエ様。明日の朝、改めて参ります」
それだけ告げて、踵を返した。
足音もなく、扉が静かに閉まる。
ナツカが小さく口笛を吹いた。
「……相変わらず『宰相様』は愛想ないな」
「いつものことだろ」
セルガは短く返して、書類へ視線を落とす。
俺は扉が閉まった方をしばらく見ていた。
(……迷惑、かけるな)
そう思いながら――窓の外の曇り空を見上げた。
◇
翌朝、空はまだ薄暗かった。
城の正門前に、旅支度を整えたセルガとナツカが立っている。
見送りに出た俺の隣には、バルハが静かに控えていた。
「行ってらっしゃい、気をつけて」
「あぁ、……行ってくる」
セルガは短く頷く。
その目が一瞬だけ――何かを言いたそうに動いた気がしたが、言葉はなかった。
「ナツカも、行ってらっしゃい」
「任せとけって。お土産期待してろよー!」
セルガとは対照的に軽快な声を響かせ、ナツカは手を振りながら歩き出す。
それに続いてセルガも正門の先へと消えていった。
馬蹄の音が遠ざかる。
やがて聞こえなくなると、あたりがすうっと静かになった。
(……行ったな)
たったの一日だ。子供でもあるまいし、大したことじゃない。
だけど、なんとなく足が動かなかった。
「コノエ様」
バルハの声に振り向くと、少し離れたところに今しがた登城したらしいライゼルが立っていた。
(……目の下、隈……か?)
朝の薄い光の中で、眼鏡の奥がわずかに翳って見えた。
もしかしたら、気のせいかもしれないが。
「おはようございます、ライゼルさん」
「……おはようございます」
返答が一拍、遅かった。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
必要最低限の短い返答。
ライゼルは正門の方へ視線を向けてから、また俺へ戻す。
「今日のご予定は?」
「図書館に行こうかと。読みかけの本があって」
「承知しました」
それだけ言って、ライゼルは半歩引いた。
傍に控えるというよりも――距離を保つ、という立ち方だった。
図書館へ向かう廊下を歩きながら、ふと昨夜から気になっていたことを口にする。
「そういえば、ライゼルさんって城住まいじゃないですよね」
「ええ。城下に屋敷があります」
「じゃあ今日も夜は……」
ライゼルは少しだけ間を置いた。
「……陛下から仰せつかっております。今日は泊まりで、陛下達がお戻りになるまでがコノエ様の護衛だと」
「そっか」
俺は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。……色々、不便をかけてしまいますね」
「職務ですから」
即答だった。
声音に嫌悪はないが、余計な感情を挟ませないような硬さがあった。
ただ――それ以上は何も話すことしなかった。
◇
図書館の中は相変わらずの静けさに包まれていた。
ライゼルは入口近くの椅子に腰を下ろし、懐から書類を取り出す。
護衛をしながら仕事もこなすらしい。
(……隙がない人だよな)
俺は奥の棚へ向かい、以前来た時に見ていた本を手に取った。
魔族領の植物に関する書。
食文化の項目はもう読んだから、今日は素材の項目へ進む。
ページを捲るたびに知らない植物の名前が、次々と並んでいく。
薬草として使われているものや染料になるもの。
他にも食べると魔力が安定するとされているもの。
だが――やはり"甘味"に関する記述はほとんどない。
(……もう少し、使い勝手のいいものがないかな)
プリンは作れた。だがあれは特定の素材を合わせないと成立しない。
城の厨房で安定して作るには、もっと扱いやすい甘みが必要だった。
(砂糖……とはいかなくても、似たような何かが)
しかし何度読んでもめぼしい情報はなく、俺は一旦本を閉じてバルハのいる方へ歩いた。
彼はライゼルの傍らで書類を確認していたが、こちらに気づいて顔を上げる。
「バルハさん、少し聞いてもいいですか」
「もちろんです」
「この辺りに……甘味になりそうな植物って、ありますか。ハニードロップ以外で」
バルハはしばらく思案していた。
「どうでしょうか……今まで甘味を念頭に置いて考えたことがないので。ですが、城の北側に小さな森がございます。魔力濃度が高い土地ですので、珍しい植物が自生していますよ」
「その森、今から行ってみてもいいですか」
「なりません」
バルハより先にライゼルが声を上げた。
書類から目を上げることなく、静かに、だが明確に言い切る。
「城外への外出は陛下からの許可が必要です。現状、その許可はありません」
「でも、少しだけ――」
「なりません」
今度は書類から目が上がった。
眼鏡越しの深緑が、真っ直ぐにこちらを向いている。
「城の北の森は魔力濃度が高い。慣れない者が単独で入れば、魔力酔いを起こす可能性があります。護衛も不十分です」
「そうですね、私も陛下がお帰りになった際に、というつもりでしたので……」
バルハも首を横に振り、今すぐ行くことへの反対の意を示した。
俺は少し考えてから、もう一度口を開いた。
「……お二方」
「何ですか」
相変わらずライゼルの視線は書類から上がらない。
それでも気にせず、俺は言葉を続けた。
「俺……セルガが帰ってきたとき、何か作ってやりたいんです」
今度はほんの一瞬、ライゼルの手が止まった。
バルハは目を細めて黙って俺を見ている。
「あいつ、プリン食べたとき……すごく嬉しそうな顔してたから。あんな顔、また見たいなって」
ライゼルは何も言わない。
だが書類へ戻るでもなく、静止したままだった。
「そのためには、もう少し素材が必要で。今ある材料だけじゃ、できることに限りがある」
「……それは分かります。が、だからといって城外への外出を――」
「俺は人間領で十年、戦場に出続けてたんですよ」
淡々と言い切ろうとする、そのライゼルの言葉を静かに遮った。
「ずっと一人でやってきた。死の森に放り込まれてからも、数日は一人で魔獣を相手にしてた。それはライゼルさん達も知ってますよね」
ライゼルがようやく顔を上げた。
眼鏡の奥の瞳が、こちらをじっと見ている。
「知っています」
やっと交わった視線に、ほんの少し力を抜くように息を吐く。
「なら分かると思うんですけど……俺の《生存進化》は、死線を越えるたびに進化する。今の俺は大気中の瘴気を魔力変換できるくらいには、この土地に適応してます。城の北の森がどの程度かは分からないけど――魔力酔いくらいなら、まず問題ない。もちろん魔獣だって大抵のものは大丈夫だ」
ライゼルは口を閉じたまま、こちらを見ていた。
反論を探しているのか。それとも――別の何かを考えているのか。
バルハは静かにそんな俺たちを見比べ、口を挟まない。
沈黙が続く中、先に動きを見せたのはライゼルだった。
ゆっくりと書類を折り畳み、立ち上がり、眼鏡を押し上げる。
「……条件があります」
「はい」
「護衛ゆえに私が同行するのは当然として……深部へは入らない、必ず視界の届く範囲に留まること、時間は一刻以内。これらを守れますか」
条件は拍子抜けするくらいに、あまりに簡単だった。
俺は首を縦に振った。
「……守ります」
「バルハは城の留守を頼みます」
「かしこまりました」
ライゼルは俺から視線を外し、窓の方へ向ける。
「なお、陛下がお戻りになった際には報告します。事後承諾ではありますが……致し方ありません」
「それについてはその時、俺から説明するよ」
「そうですか。……あぁ、それから」
踵を返しかけて、ライゼルは一度だけ振り返った。
「《生存進化》の能力、詳しく教えてもらえますか。道中で構いません」
「あぁ、構わないですよ」
「では、支度を」
それは宰相として情報を得るための言葉だったのだろう。
だが――その目はそれとは違う、知りたいという好奇の色を宿しているようにも見えた。
ご一読いただき、ありがとうございます。
完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。
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次回もよろしくお願いいたします。




