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第26話 嵐の前の、静かなる留守番


 厨房へ通うようになって、数日が経った。

 最初の日のような空気はもうなく、今では俺が《魔装庫》から食材を取り出すたびに「それはどう扱う」「なぜそうなるのか」と身を乗り出して聞いてくる。


 若い料理人たちに至っては、俺が顔を出した瞬間から集まってくるようになっていた。


「コノエ様、ちょっとこれ見てもらえますか」


 呼ばれて振り向くと、若手の——犬系の獣人種であるガルムが器を両手で差し出していた。


 小ぶりな器の中に薄い黄色の塊がある。

 まだ出来たてのようで、湯気がほんのりと立っていた。


「……これは?」

「プリンを作ったとき、余ったミルフィルムとフォレグリスの卵をもう一度試してみたんです。今度は甘みを抜いて、ハーブを少し足して……蒸したら、こうなって」


 失敗かもしれない。ガルムはそんな気持ちを抱えているのだろう。

 少し恐る恐るといった様子で、俺の顔色を伺っていた。


 俺はスプーンで表面に触れた。

 ぷるりと揺れる。プリンより少し固めだがわずかに弾力があり、豆腐のようになめらかだ。


 一口食べると——なめらかな卵の味の奥に、パセリに似たハーブの香りがすっと抜けていく。


(……これって)


「これ、一人で作ったの?」

「は、はい。コノエ様が教えてくださった蒸し方と、プリンの比率を参考にしてみたんですが……おかしかったですか?」


 ガルムの獣耳が、しゅんと垂れ下がる。

 俺はすぐさま首を横に振った。


「おかしくない。むしろこれは凄いことだよ」


 思わずもう一口食べる。

 甘さは当人の言う通り入っていない。でもその分、素材の味がまっすぐに引き出されていた。


 俺の元いた世界にも似た料理があった。

 ただ、醤油も出汁もないここではそのままの再現できないと思っていた。


 なのにガルムは——全く別の角度から、同じ場所に辿り着いていた。


「ガルム。お前、料理の筋がいいよ」

「……え」


 素直に驚いた顔が、少し可笑しかった。


「技術を学んだ上で、自分なりの形を作り出す。それは誰かに教わってできることじゃない。君の才能だよ」


 ガルムは耳まで赤くなって、器を胸に抱えた。

 俺はまだ褒め足りなく更に言葉を紡ごうとしたが料理長が俺の肩に手を乗せて静止をかけた。


「……そのくらいにしてやれ。これ以上褒めると、明日から使い物にならなくなる」


 言葉は辛辣だが、口の端が僅かに上がっていた。

 そんな二人を微笑ましく思いながら、俺はもう一度器の中身に視線を戻す。


(……この世界で生まれた料理だ)


 俺が持ち込んだ技術の上に、ここで生きる者が自分の感覚で育てたもの。


 それが何だか——嬉しかった。


「料理長、これ城の食卓に出してみませんか。甘いものが苦手な人にも向いてると思う」

「……そうだな。検討してみるか」


 即答ではないが、決して悪い返事でもない。

 俺はやったな、とガルムの肩を軽く叩いた。


 そのとき、厨房の入口から聞き慣れた声が響いた。


「コノエーいるかー?」


 ナツカだった。

 頭を下げる料理長に軽く声をかけてから、扉の方へ向かう。


「セルガが呼んでる。執務室に来てくれ」

「今?」

「今」


 返事の早さに、少し身構える。

 ナツカの口調はいつも軽いが、今はどこか真面目だった。

 

 ◇


 執務室に入ると、セルガは窓の方を向いて立っていた。

 書類が積まれた机の前ではなく、窓際に。

 それだけで——普通の話ではないと分かった。


「来たか」


 振り返る。いつも通りの静かな顔。

 ただその瞳が、普段より少し影を孕んでいた。


「楽にしていい」

「いや、立ったままでいいよ」

「そうか」


 セルガは短く息を吐いて、切り出した。


「明日から一日、城を離れる」


 急な話だったが、俺は黙って続きを待った。


「エルフ領で会談がある。後回しにしてたけど、流石にそろそろ避けられなくてな」


 エルフ領……場所は分からないが俺は思わずセルガ越しに窓の外へ視線を向ける。

 セルガも俺の視線につられるようにそちらを見て、わずかに口を引き結んだ。


「……本来なら連れていきたいところだが」


 そこで言葉が、一度止まった。


「エルフは排他的な気質がある。余所者には——特に、人間には友好的とは言えない」


 それ以上は言わなかった。

 だが言いたいことは分かった。


(……俺のために、か)


 セルガが過保護なのは、もう知っている。

 今さら驚くわけでも、否定するわけでもない。

 ただ——『連れていきたい』という一言が、思ったより胸に残った。


「分かった。ちゃんと留守番してるから、安心していってきなよ」

「あぁ」


 セルガは安心したように一息ついて、向き直った。


「それで、だな。正式にお前に護衛と、メイドを一人つけたい」

「いらない」


 思わず被せる勢いで返していた。

 セルガは予想通りだと言いたげに、表情を変えない。


「そう言うと思っていた。だが——これは俺の個人的な感情の話じゃない」


 セルガは窓際から離れ、ゆっくりと執務机へ歩み寄る。

 書類の山の横に手をつき、軽く体重をのせた。


「お前は俺の庇護下にいる。よって、ある程度身分が確約されてる。そんな奴を一人で動き回らせるのは、俺の落ち度になるだろ」


 最後の一言には冗談めかした響きがあったが、本心が混ざっているのは分かった。


 俺は腕を組んで、少しだけ考える。


「……分かった。でも、それなら自分で決めたい」

「自分で?」

「あぁ。ちゃんとその人達と話してみて、自分の感覚で判断したい」


 セルガが少し目を細める。

 俺はその視線を逸らさずに続けた。

 

「セルガ達のことは信じてるよ。でも、慕ってる者に見せる顔がその人の全てではない……そうだろ?一緒にいる時間が長くなるなら尚のこと、俺は自分の目で——直感が良しとする人を選びたい」


 しばらくの沈黙。

 セルガは何も言わずに俺を見ていた。


 居心地が悪いわけじゃないが——少し長かった。


 やがて彼は静かに息を吐いて、目を一瞬伏せてから吐息と共に声を出す。


「……それもそうだな」


 間はあったが——妙に腑に落ちた、そういう響きだった。


「だけど、そうなると時間がないぜ」


 不意に横からナツカの声が割り込む。


 壁に背を預けたまま、いつもの調子で——だが少し真面目な顔で続けた。


「明日には俺たちここを出るから、その準備もあるわけだし」


 セルガは口を閉じ、視線を書類の山に落とした。

 だがそこに答えがあるわけでもなく、一拍おいてから顔を上げ、ナツカを見やる。


「仕方ない。今回はとりあえず、ライゼルとバルハをつける」


 俺は少し驚いて、セルガを見た。


「……バルハさんはまだ分かるけど。ライゼルさんも……?」

「あぁ。あいつなら城内の事情も把握しているし、お前の立場も分かっている。……まぁ、言わんとしてることは分かるが」


 この数日でセルガとナツカの両方から、ライゼルのことは少し聞いていた。

 だからライゼルと禮迩(ライジ)は切り離して考えるべきだとは思っている。


 だけど——プリンを食べてもらったあの日から、ライゼルには距離を取られている気がした。


「いや……俺はいいんだけど。ライゼルさん、嫌なんじゃないか?」

「お前と接することで、何か得体の知れないものが揺さぶられているのかもな。それでも、たったの一日だ——嫌とは言わせない」


 セルガはナツカを見た。


「ライゼルを連れてこい」

 

 ナツカが出ていき、扉が閉まる。


(……いいのか、それで)


 心の中で呟いたが、声には出さなかった。

 セルガがそう言うなら、きっとそういうことなのだろう。


 ただ——少しだけ、申し訳ない気がした。

ご一読いただき、ありがとうございます。

完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。

もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!

次回もよろしくお願いいたします。

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