第25話 故郷の味、魔王城に溶ける
「ナツカ、俺を置いて先に行くとは良い度胸だな」
厨房にまだ甘い余韻が漂っている中、出入口の方から低く落ち着いた声が響いた。
振り返ると、腕を組んだセルガが扉の前に立っていた。
怒気はないが、呆れたような目がナツカを静かに捉えている。
ナツカは二個目のプリンへと伸ばしかけていた指を、さりげなく引っ込めた。
「セルガは強いんだから城の中くらい一人でも問題ないだろ? それにほら、俺はお前に届けるプリ……甘味の毒味をしてやってたんだよ」
堂々と言い切ったが、語尾が微妙に揺れた。
セルガの眉が、わずかに上がる。
「プリ……?」
ナツカが何を言いたかったのか要領を得ないまま、その言葉を繰り返したようだった。
だけど意味を理解するよりも先に、鼻孔をくすぐる甘い香りが意識を引いたのだろう。
視線がゆっくりと動く。
厨房の中央に、黄金色の塊がいくつか並んでいた。
セルガの目が、そこへ向いたまま動かなくなる。
「……これは」
言葉が途切れた。
その続きを待たず、俺は思わず口を開く。
「カラメルはないし完璧とは言えないんだけど……故郷の味に、少しは近づけたと思う」
セルガがこちらを向いた。
黄金の瞳の奥に、言葉にならない何かが過ぎった気がした。
けど、それが何なのかはうまく掴めなかった。
「……食べていいか?」
「もちろん」
セルガはゆっくりとスプーンを手に取り、口へ運ぶ。
シン――と一度厨房が、静まり返った。
料理人たちもバルハも、誰一人として動かない。
皆が息を殺して、その横顔を見ていた。
ナツカだけが、どこか得意げに口元を緩めている。
「……っ」
セルガの肩が微かに震えた。
目を伏せしばらく動かない。
その横顔に浮かんでいたのは、驚きでも困惑でもなかった。
探し物をやっと見つけた子供のような、純粋な喜びだった。
「……これだ」
掠れた声が、静かに落ちる。
「……俺が、求めていたのは」
魔王が甘味一つで大袈裟だ、何て……軽口の一つでも言おうとしたがその言葉は喉から出てこなかった。
胸の奥が、静かに揺れほっと息が抜けていく。
自分でも気づかないうちにずっと緊張していたらしい。
ふと横を向けば、バルハと目が合った。
彼は静かに柔らかく微笑んだまま、セルガに視線を戻す。
「……陛下。コノエ様は幼少期にお二方が甘味を食べたがっていたとお聞きになり、このように用意してくださったのですよ」
バルハの穏やかな声が、厨房に染み込むように広がる。セルガの視線が俺に向く。
一瞬の沈黙の後、静かに口を開く。
「そうか……ありがとうな、コノエ」
短い言葉だった。 だがその声に込められた重さはしっかり伝わりじんわりと胸の底へ沈んでいく。
俺が小さく頷いたのを見て、セルガは料理長へと視線を移す。
「料理長、これからもコノエが何か作りたいと言ったら、協力してやってくれないか」
急に声をかけられた料理長は背筋をピッと伸ばして力強く頷いた。
「はっ! もちろんでございます。我々もコノエ様に異邦の技法をご教授いただきたいと思っていた次第で」
「あぁ、互いに良い刺激にしてくれ」
そう言ってセルガはもう一口スプーンを口へ運んだ。
ゆっくりとその味を噛み締めるように。
だがその横ではナツカが三個目にさりげなく手を伸ばし、バルハに音もなく制止されていた。
そのときだった。
厨房の外が、にわかに騒がしくなる。
「なんだこの匂い……」
「厨房の方からしてるぜ!」
どうやらナツカの言ったように、甘い香りは石の廊下を越えて広がっていたらしい。
扉の向こうから、兵士たちの囁き声が漏れてくる。
そんな中、よく通る声がざわめきを断ち切った。
「仕事中だと言うのに何の騒ぎですか、さっさと持ち場に戻る!」
入口の向こうで先程見た銀髪が揺れた。
腕を後ろに組み、廊下に群がっていた兵士たちを一瞥する。
その立ち姿には、揺るがない秩序があった。
ライゼルだ。
「ですが宰相様、この匂いやばいっすよ……!」
「匂いひとつで狼狽えるな、早く戻れ。それともフォロスに言いつけられたいのか」
決して怒っているわけではないが、淡々と有無を言わせない声で兵士たちを諌める。
兵士たちはライゼルに従いながらも未練を滲ませても散っていく、そんな中でナツカが大きく手を振った。
「ライゼルーお前も一つどうよ?甘いの好きだろー?」
空気が、ぴたりと止まった。
ゆっくりと振り返ったライゼルの視線が、ナツカを射抜く。
眼鏡の奥の深緑の瞳は、先程とは違って少しの苛立ちを映す。
「……何を根拠に、そのような断定を」
「いや、だってお前――」
「私の預かり知らぬ嗜好まで勝手に把握しないでください」
ナツカの言葉を遮り、何処か辟易したようにため息混じりに言葉を吐き出す。
一瞬見えていた怒気はもうなかった。
それからその視線がこちらへ動き、一瞬――目を細めた。
「……図書館にいたかと思えば、今度は厨房ですか。貴方はひとつの場所に落ち着いていられないのですか?」
責めるような声色ではないが、この場を乱したことに大して棘を感じる。
だけどそれに臆することなく俺は彼をしっかり見据えた。
「……先程、仰いましたよね。俺が魔王領にとって益になる存在かどうかは、まだ判断できないと」
厨房室の空気が少し張り詰める。
「だから、とりあえず。俺に出来そうなことを探して歩いていました」
俺は視線を黄金色の列へ向けて手のひらを上に向けて、ライゼルの視線をそちらに促す。
「ここも、そのひとつです」
ライゼルは何も言わずに見つめる。
値踏みするような嫌な見方ではなくただ静かに、何かを確かめるように。
俺は皿をひとつ持ち上げる。
「一口だけでもいかがですか。これが魔王領に益をもたらすかどうか、判断の材料に」
ライゼルの方へ皿を運ぶと甘い匂いがふわりと揺れた。
「……そういうことなら、確認は必要……ですね」
どこか自分に言い聞かせるような歯切れの悪い言い方をしながらもライゼルはやっと厨房へ足を踏み入れた。
皿を受け取り、スプーンを手にして一口。
静まり返る厨房で、緊張からか料理人達の誰かの喉がなる。
「……甘味等、無駄なものだと認識していましたが」
一口食べたライゼルが僅かに揺れる。
しかしその動揺を隠すように一度ゆっくり目を瞑ってから視線がこちらへ戻る。
「個人の好みはありますでしょうが、先程の彼らの反応も考えると士気向上には一定の効果が見込めそうですね。行事や褒賞としての運用も検討して良いでしょう」
そこには味の感想はなく俺が聞いた通りの国にとっての宰相としての評価。
俺自身はそのつもりで渡したからそれで良かったが、ナツカが我慢しきれないと言ったように口を開いた。
「いやお前さ、うまいとかなんとかあるだろ!」
「味よりもこれらが国にもたらす効果の方が大事です」
ライゼルが淡々と返す。だが皿を返却するその指先が、ほんの一瞬だけ名残り惜しそうに縁をなぞった。
視線が合う、だがお互いに何も言わない。
今はまだそれでいい。
「城内での試作は許可します。料理長、材料と工程の報告書を後日提出してください」
「はっ!」
ライゼルは踵を返した。
その背中が廊下へ向かいかけ――一度足が止まる。
「……甘味とは、存外」
振り返らないまま、独り言のように落とされた。
「悪くないものですね」
それだけを残し、足早に廊下の奥へ消えた。
しばらくの沈黙の後でナツカがにやりと笑う。
「ほらな」
セルガは何も言わないがその顔には安堵が見える。
――厨房にはまだ甘い香りが残っていた。
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