第22話 ここで生きるための、最初の一歩
図書館の奥は、時間が止まったように静かだった。
高い天井まで積み上げられた本棚が、外界の音をすべて遮断している。
俺は窓際の机に腰を下ろし『歴代魔王列伝』と書かれた分厚い本を開いたまま、しばらく同じ行を眺めていた。
――読めていないわけじゃない。
文字も意味も、ちゃんと頭には入ってくる。
それでも、ページの向こう側に意識が向かってしまう。
(……ライゼル、さん)
事務的で、徹底して距離を取る態度。
拒絶、と言うほど感情的じゃなかった。
怒りも嫌悪も感じなかった。
ただ――線を引かれた、という感覚だけが残っている。
(歓迎は、されてないよな)
それが不思議と悲しいわけでも、腹立たしいわけでもなかった。むしろ納得してしまう自分がいる。
今の俺はこの城にとって、リスク以外に何の役割も持たない。
守られる理由はあっても、必要とされる理由はない。
それはここに来たばかりの身としては、至極当然のことだ。
ページをめくると魔王の治世や戦争の記録が、淡々と並んでいる。
(……思ったより、普通だな)
暴君の逸話も、英雄譚もある。けれど期待していたような"答え"は見当たらなかった。
セルガの名前が出てくるかと思って手に取ったが、ページを捲るうちに気づく。
この本はかなり古いらしく、先代魔王の治世すら記されていなかった。
つまり、今の魔王についての記述など、最初から存在しない。
(……続きがあるのかもな)
本棚をちらりと見やる。探せばより新しいものがあるかもしれない。
だが今は、それよりも別のことが頭を占めていた。
机に肘をつき、無意識に頬杖をつく。
背中から力が抜けていくのが分かる。ため息が静かな空気に溶けた。
(今の俺に、何ができるんだろう)
自然と思考はそこへ戻る。
戦うこと。力を振るうこと。それがこの世界で一番分かりやすく"価値"を持つ方法なのは分かっている。
けれど。
(……それだけは、選びたくない)
あの十年を経た今、同じ形で"使われる側"に戻る選択は、どうしてもできなかった。
体が拒否するというより、もっと深いところで——魂ごと首を横に振っている感じがした。
無意識にページをめくっていた指が、ふと止まる。
開かれた頁に書かれていたのは、魔族領の食文化についての簡単な記述だった。
――主食は穀物由来のパン。
――副菜は野菜や肉を用いたスープ。
――調理法は焼く、煮るが中心。
昨夜、そして今朝目にした食卓と寸分違わず一致する。
(……やっぱり)
不思議と納得した。
余計な手間を省き、生きるために必要なものだけが残った形。
合理的で無駄がない。
それはこの土地の厳しさを、そのまま映したものだった。
(そういえば)
視線が無意識に文字の隙間を彷徨う。
(甘いもの、見てないな)
菓子の記述がない。
祭事用の料理にも甘味の項目は見当たらなかった。
前世の記憶が意図せず浮かぶ。
畝峨。夏彦。……禮迩。
三人とも、甘いものが好きだった。
特に夏彦に至っては大の甘党で、出せば出しただけ食べた。
(……懐かしいな。よく三人に、ケーキとか作ってやったっけ)
胸の奥がほんの少しだけ温かくなる。
あの頃は当たり前すぎて気にもしていなかったことがこんなにも鮮明に戻ってくる。
ここには砂糖はないかもしれない。
でも、甘味になる素材がまったく存在しないわけでもない。
実際に森では色々な植物を見つけた。
魔力が高い土地なら独自の甘味を持つ実や草がある可能性だってある。
(作れない……わけじゃないよな)
派手なことはできない。
世界を変えるほどの力もない。
だけど。
(この国のやり方を壊さずに、今あるもので)
それくらいなら、試せるかもしれない。
価値を証明するためでも、居場所を獲得するためでもなく、ただ——あの三人の顔を思い浮かべて自然とそう思った。
本を閉じ静かに立ち上がった、そのとき。
「コノエ様。もう図書館のご用件はお済みでしょうか」
振り向くと、いつの間にかバルハが戻ってきていた。
「はい。それで……あの、少しお時間頂きたくて。今、大丈夫でしょうか?」
自分でも驚くほど言葉はすんなり出た。
バルハは一瞬だけ考えるような間を置き、すぐに頷く。
「もちろんです。ご用件を伺いましょう」
「この国の……食事について、特に甘味について教えていただけますか」
バルハは僅かに目を瞬かせた。
「甘味、でございますか」
それは困惑ではなく、意外そうな響きだった。
「はい。この国には甘味を使った料理がないように見受けられて」
「甘い果実や植物が存在しないわけではありませんが……それを料理として形にできる者が、この地には"いなかった"のです」
否定でも忌避でもなく、ただそこまで辿り着く人がいなかっただけだと。
その言い方に、妙な説得力があった。
「陛下が幼少の頃、一度だけ騒いだことがありました」
思わず、顔を上げる。
「人間領の書物で甘いお茶請けの存在を知り、『食べてみたい』と。ナツカ様も一緒になって……」
懐かしむような口調に、光景が自然と浮かぶ。
思わず口元が緩んだ。
「ですが結局うまく作れず……お二人とも一口食べて『思ってたのと違う』と」
バルハが目を伏せ、穏やかに言った。
「ですので――コノエ様がそれを形にできるのであれば、試す価値はあるでしょう。陛下が大切にすると決めた方です。その選択を私は、信じています」
短い言葉だった。
だがその一言の重さが胸にじんわりと染み込んでくる。
この城で初めて、俺自身を信じると言ってくれた人にただ頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「厨房をご覧になりますか?」
その問いに迷いはなかった。
「はい」
戦うためでも、証明するためでもない。
ただ――ここで生きるために。
俺はバルハの後を追って歩き出した。
厨房へ続く廊下の先に、まだ小さく——けれど確かな"居場所"の気配を感じながら。
ご一読いただき、ありがとうございます。
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