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第21.5話 名だけが残る(セルガ視点)


 バルハが図書館での一件を報告し終わると、一礼して音もなく退出した。


 扉が閉じられた後、示し合わせたわけでもないのに目の前のテーブルで古い文献を広げていたナツカと俺は同じタイミングで深く息を吐いた。


 先程まで黙々と解呪の足がかりになりそうな内容がないか調べていたナツカが顔を上げ、俺に視線を向ける。


「やっぱり気づいちまったみたいだな」


 その声は普段よりも少し気だるげだった。


「どうするよ、セルガ」


 俺は少し考えたが放置するという選択肢は最初からなかった。


「……ライゼルを呼んでこい」


 ナツカは何も言わずに立ち上がり、文献を閉じて部屋を出ていった。


 ◇


 呼び出しに応じて現れたライゼルは、いつも通りだった。

 完璧な姿勢、隙のない表情。

 宰相としての仮面を寸分違わず身に纏っている。


「お呼びでしょうか、陛下」


 形式的な礼と公的な距離。

 それに対してナツカが何ともいえなそうに肩を竦める。


「今は俺らしかいないし、普段通りでいいだろうに」

「あぁ、バルハも下げている。楽にしていい」


 短く告げてから俺は顔を上げる。

 しかし間を置かずライゼルが応じた。


「恐れ入りますが、仕事中故にその必要はございません」


 柔らかい口調だが、明確な一線を引くような拒絶。

 こういう時のライゼルは、どれだけ押しても動かない。それも分かっている。


 ナツカがやれやれと言いたげに首を横に揺らしてから長椅子に戻り文献を広げる。

 後のことは俺に任せる、そういうことだろう。


「……図書館で、コノエと会ったそうだな」

「ええ。偶然です」


 ライゼルは即答だった。

 間に何も挟ませる気のない、事実のみの返答。


「……名を、呼ばれたと聞いた」


 一瞬だけ、ライゼルの視線が揺れた。

 ほんの刹那で、すぐに宰相という仮面で隠されたが、それを見逃すほど鈍くはない。


「訂正しました。死人の名で呼ばれる筋合いはありませんので」

「死人って、お前なぁ……」

「何か誤りがありましたか? その者は別の世界で既に亡くなっている、そう認識していましたが」


 淡々とした表向きのライゼルの声と言葉に、さっさと人に丸投げしたナツカが少しだけ不満げに声を漏らした。

 ライゼルから感じるのは拒絶というより、整理に近い。

 自分の中でもう片付けた話だ、とでも言いたげな口調だった。


「それならそれで構わない。覚えていないものを俺たちと同じに考えろというのは、酷な事だ」


 ライゼルとナツカ、両方に向けて言葉を投げる。

 しかしそこで声のトーンを一つ落とす。


「だが――コノエに対しては、余計なことを言うな」

「……それは、命令ですか」


 ライゼルの目が僅かに細められる。

 声は穏やかだったが、目の奥には暗い影が見えた。


「忠告だ。……あいつはまだここに来たばかりだ。自分がどれほどのものを奪われたのかも整理できないまま、生き延びてきた」


 言葉を選びながら、続ける。


「そこへ"過去の重さ"を投げるな。お前が覚えていないものを、あいつに背負わせるな。あいつには今、それを受け止めるだけの余裕がない」


 ライゼルは視線を逸らさず、俺を見据えたまま黙っていた。

 理解しようとする者が、あえて喉を閉ざす時間だった。一拍おいて、ライゼルがわずかに息を吐く。


「……陛下」


 その所作がほんの一瞬だけ崩れた。


「私が、何を言ったと思っているのですか」


 問いというより、確認するような口調だった。

 ナツカは文献を見る手を止めて、ライゼルに視線を向けたまま黙って聞いている。


「『あなたは特別だ』、『こちら側に来るべきだ』……そう好意的に迎えたとでも? それとも――」


 ライゼルの声が少し掠れる。無理に声量を抑えているのがわかる。


「『私はあなたを覚えていない』、『期待するな』、『深入りするな』 そう、突き放したことが問題だと?」


 そこまで言って、ライゼルは深い吐息を漏らし口を閉じた。

 室内に重い静けさが満ちる。――窓の外で風が僅かに鳴った。


「ライゼル……」


 ナツカが控えめに名を呟く。


「俺は……彼を歓迎していない」


 それに応えるようにライゼルがもう一度口を開く。

 だがそこにいたのは先程の宰相としての彼ではなく、俺たちの幼なじみのライゼルだった。


 落ちた言葉は拒絶ではなく、疲労感――いや、怯えにも聞こえた。


「この国に必要なら、宰相として接する。それ以上でも以下でもない。……かつての縁を理由に、好意を向けられる筋合いはない」


 そこで一度、言葉が途切れた。

 まるで自分自身に言い聞かせるように、ライゼルは視線を落とす。


「……俺は、彼ではない」


 言い切った瞬間、何かが零れたと気づいたのだろう。

 ライゼルの視線が僅かに揺れ、唇を一度引き結んだ。


 それでも、次の言葉は続いた。


「……だが、それを彼に直接ぶつけるつもりもない。――彼は何も知らないまま、この地で生き直そうとしている。それを壊す権利は俺には……いや、誰にもない」


 ナツカが安堵したように吐息を零した。

 俺もゆっくりと、身体の力を抜いた。


 ライゼルが自分でそこに辿り着いてくれるなら、それ以上俺が言うことは何もない。


「なら、それでいい。あいつを傷つけないというなら、言うことはない」


 ライゼルはわずかに目を見開いたあと、これ見よがしに盛大なため息をついた。

 先程まで崩れかけていた仮面が、また少しずつ戻ってきている。


「……陛下は甘い」

「分かっている」


 答えると、彼は小さく首を振った。


「その甘さが命取りになることだってある、と……」


 言いかけたライゼルの言葉を、ナツカが軽く遮った。


「そんな陛下を守るのが、俺たちだろ」


 軽い口調だった。だがそこに含まれる意味は軽くない。ライゼルが口を閉じる。


 俺も何も言わなかった。

 三人の間に静かな時間が流れた。


 ◇


 やがてライゼルが小さく息を吐き、背筋を伸ばした。


「では、そろそろ失礼しても宜しいですか?」

「あぁ、時間を取らせて悪かった」


 ライゼルは俺たちに一礼をすると踵を返す。

 だが扉に手をかけたところで一度だけ立ち止まった。


「――陛下」


 振り返ることなく発した声は独り言のように落とされる。


「……何も思い出せないまま名だけ残されるのは。ひどく、厄介なものですね」


 それだけ告げて彼は去った。

 残された執務室で、しばらくは二人とも口を開かなかった。


 ナツカが静かに文献を閉じる音だけが、部屋に響いた。


「……本当、その通りだよな」


 誰に向けるでもなく、ナツカが呟く。

 俺も何も言わなかった。


 机の上には、もはや意味をなさない報告書。

 そして形容しがたい鈍い痛みだけが、部屋の隅に静かに沈んでいた。

ご一読いただき、ありがとうございます。

完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。

もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!

次回もよろしくお願いいたします。

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