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第18話 注がれる視線、注がれる温度


「……セル、ガ……?」


 夜の闇のような漆黒の外套が視界に入る。

 崩れ落ちそうになった俺の身体をセルガが力強く、半ば抱きかかえるようにして支えていた。


 食堂のざわめきが瞬時に質を変えた。

 好奇のささやきは一変して緊張の沈黙となり、張りつめた空気が肌を刺す。


「バルハから話は聞いた」


 セルガは俺を腕の中に留めたまま、鋭い視線をナツカへ向けた。


「ナツカ、何故止めなかった。こうなるのは分かっていただろ」

「いや、それは――」


 ナツカが苦い顔をして言い淀むのを見て、俺は急いで喉の奥から声を引きずり出した。


「ち、違う……!俺が行くって言ったんだ。ナツカは悪くない」


 情けないほど掠れた声。

 それでも俺の意志を尊重してくれた友が責められるのを見ていられなかった。


 セルガの視線がゆっくりと俺に戻る。そこに怒りはない。

 俺の覚悟を測るような、深く静かな眼差しだった。


「……コノエ」


 名を呼ばれただけで、胸の奥に絡みついていた恐怖という息苦しさが少しだけ緩んだ。


「大丈夫、だから……」


 正直、指先の震えは止まっていない。

 足も力が入らず、セルガの腕がなければ今すぐ床に沈んでしまうかもしれない。

 それでも目だけは逸らさなかった。


「逃げないって……決めた」


 食堂の奥にひしめく魔族たちが、固唾を飲んでこちらを見ている。


 セルガは俺を支えたまま静かに、そして深く息を吐き出した。

 それから場を支配する圧倒的な声を発した。


「聞け」


 食堂の時間が止まった。

 低くよく通る声。怒鳴ったわけではない。

 だが、たったその一言で全ての動きを封じ込める。


 食器に伸ばしかけた手が止まり、椅子を引く音が消える。

 誰もが呼吸を忘れ、王の言葉を待っていた。


「こいつは、今日から我が城――いや、この国で過ごす"異邦人"だ」


 言葉が床に落ちるように重く響く。


「伝達はすでに回っているはずだ。流れ着くまでに、色々あった身だ」


 セルガの視線が、ゆっくりと場を一周する。

 誰か一人を責めるのではない。

 ここにいる全員を、等しく見渡す視線。


「敵でも、捕虜でもない。試す対象でも、まして見世物でもない」


 断言だった。余地のない言い切り。


「……頼む。普通に過ごさせてやってくれ」


 ――魔王が、頼んでいる。

 命令でも布告でもなく、ただ一人の人間のために。


 食堂に、静寂が満ちる。


「――好奇の目で、過剰に見るな」


 深い沈黙が落ちた。

 だがそれは拒絶ではなく、王の意思を呑み込み理解するための時間だった。


 最初に動いたのは食堂の奥の方だった。


 一人の兵士が静かに頭を下げ、それに倣うように他の者たちも視線を外して自分の食事へと戻っていく。

 別の席では「失礼しました」と、かすかな声が落ちる。


 ざわめきは完全には戻らない。

 だが先ほどまでの刺すような視線は、確実に薄れていった。


 世界が――ほんの少しだけ静かになる。


 セルガが俺の顔を覗き込むように、視線を落とした。


「……行けるか?」


 短い問い。だがそこには一人の人として扱う尊重と、選択肢が委ねられていた。


「……ああ」


 乾いた喉を鳴らして頷く。

 その瞬間、反対側から肩に軽い衝撃が伝わる。


「ほら、挟まれてりゃ倒れねぇだろ」


 ナツカだ。軽快だけどどこまでも温かい空気をまとった彼は意図的に俺の死角を埋めるように寄り添っている。


「……両脇が最強すぎる」


 思わず零れた笑みに、ナツカは一瞬目を丸くしてから満足そうに鼻を鳴らした。


「だろ?」


 俺はセルガとナツカ、二人に挟まれながら初めて魔王城の食堂へと足を踏み入れた。


 ◇


「席を借りるぞ」


 その一声で給仕の魔族が慌てることなく、それでいて敬意を持って駆け寄ってくる。

 獣の耳を持つ年配の女性は、王の降臨に過剰に怯えることなく慣れた手つきで応対した。


「はい、陛下。いつもの席でよろしいでしょうか」

「ああ。料理も皆と同じものでいい」


「かしこまりました」


 彼女は深々と頭を下げ、俺たちを案内する。

 そこには"特別な客人"ではなく、ごく自然な"客"としての扱いがあった。

 セルガが一般の食堂を使うことも、さして珍しいことではないのだろう。

 周囲の魔族たちも、確かに一瞬は気配を強張らせたが、すぐに視線を戻していった。


「陛下、こちらへ」


 案内されたのは、壁際の少し広めの長卓。

 人の流れからは少し外れた落ち着ける場所だった。


 セルガが先に腰を下ろし、さりげなく俺のために椅子を引く。

 促されるままに座るとナツカが向かい側にどさりと座った。


「いやー、久々だなここ。今日は肉の匂いが強いから当たり日だぞ」


 そんな軽口が、空気をさらに和らげていく。


 ほどなくして、給仕たちが料理を運んできた。

 深皿に盛られた具だくさんの煮込み、香草が香る厚切りの焼き肉、そしてずっしりと重そうな黒パン。


 かつて俺が与えられていた『餌』とは匂いも色も、温度もまるで違う。


 俺はゆっくりとスプーンを握る。

 金属の柄はひんやりとしていて、指先の震えを誤魔化すように少しだけ強く力を入れた。

 掌の感覚を確かめながら一口、煮込みを口に運んだ。


 ――温かい。


 舌に触れた瞬間、塩気と肉の旨味が広がり、追いかけるように香草の爽やかな苦味が鼻を抜ける。


 一つ一つの味が、層を成して心に届く。


 ……食べていい。


 これは俺を繋ぎ止める鎖ではなく、俺を活かすための糧なのだ。

 そう実感した瞬間、喉の奥が熱くなり視界が滲みそうになった。


「……うまいな」


 自分でも驚くほど、素直な言葉が零れた。


 ナツカがすぐさま満足そうに頷く。


「だろ? ここ、地味だけど飯はちゃんとしてんだ」

「地味って言うな」


 ナツカの冗談にセルガが短く、だが穏やかに突っ込む。

 俺はそっと周囲に視線を走らせた。


 給仕が皿を運び、誰かがパンをちぎり、遠くで小さな笑い声が弾ける。

 そこにあるのはただの日常だった。


 明日のため、生きるため、皆が平穏に食事をしているだけの光景。


 この十年の中で、囲まれて食べた記憶はある。

 けれど、視線の意味が違った。

 笑い声の意味も違う。

 そこにあったのは『食事』ではなく『見世物』だった。


 けれど今は違う。


 黙々と食べるセルガと、肉の焼き加減を語るナツカ。

 二人の間に流れるのは、かつて泥だらけで笑い合っていた頃の懐かしい温度だった。


 スプーンを置き一度だけ深く息を整える。

 恐怖が完全に消えたわけじゃない。


 それでも――


 三人で囲むこの食卓は、森で一人息を潜めて取った食事とも、鎖の音を聞きながら口に流し込まされたものとも、まったく違っていた。


ご一読いただき、ありがとうございます。

完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。

もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!

次回もよろしくお願いいたします。

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