54話 大気圏
「!!」
しばらくエレベーターの箱は暗い竪穴を落ちていくと、無重力の空間で箱はふわふわと浮きとまった。
「止まった……本当に大丈夫なの……」
鈴凛たちの体も重力から自由になり、ふわふわと浮いた。
「浮いている」
青蛾がぶつかった綿の壁を押し返していた。
本当にこんな箱で地球へ降りられるのだろうか。
「玄武様が手筈をととのえてくれています」
「……ほんとに大丈夫? 今考えたら、地球に戻るにしても、何かエネルギーがいるよね」
エレベーターの箱は無重力空間で止まったままのように感じた。
外は暗闇で光も見えない。
束の間の静寂がやってきて、青蛾と顔を見合わせる。
「……信じられませんね……本当に高天原を出ようとしているなんて」
青蛾がぽつりと言った。
「……本当にいいの?」
青蛾にきいたのに、鈴凛は自問しているみたいだった。
鈴凛にもいまだに不安がないと言えば嘘だった。
「確かに高天原は十二宮に支配され、あなたたちは人生を奪われて、親とも引き離された。でも下界はもっともっと−−」
鈴凛は何と言っていいかわからず言葉に詰まる。
「ひどい場所ですか?」
青蛾が透き通る声で聞いた。
鈴凛は迷ったすえ、首を縦にふった。
高天原は安全で美しい箱庭。ずっとずっと日々の暮らしは女たちにとって楽だ。それには違いなかった。
「それに今逃げられたとしても、必ず追っ手がくる。十二宮や高天原から追われる身になるんだよ。それはきっと生半可な道じゃない」
「それは百姫様だって同じですよね」
「! わたしは……」
鈴凛は迷いながら口を開いた。
「もう失うものは何もないから」
「……」
「何度も死んだほうがマシだと思った。ジャックが死んで、自分も死んだほうが償いになる気がした ……だから何でもできるっていうか−−」
「戦姫とて神々の明なしでは生きられませんよ、今のあなたさまはほとんど人間と同じ。鬼族に襲われたらどう戦うのです、それなのに八岐大蛇から巫女を取りかえそうとされている」
「……自分でも馬鹿げてると思う。わたしが神々を越える力を自分で手に入れて、世界をどうにかしようなんて」
鈴凛は自嘲して笑う。
青蛾はじっと鈴凛を見た。
「でも」
「ジャックがなんで死ななければいけなかったのか、知らないままにはできない」
それだけは確かだった。
「何かしなきゃ」
「戦わなきゃ−−」
そう言った時、初めてその言葉の本当の意味を知った気がした。
「戦姫は修羅の道……ですか」
「知ってたの」
「学舎で戦姫様がたについて学びます」
「はい」
青蛾は自分の腕を抱き寄せた」
「でも」
「もしかしたら、それは全ての人間に言えるのではないでしょうか?」
「!」
「人の一生とは戦いなのです」
青蛾はエレベーターの窓に近寄って、闇をみようとした。
「戦い……」
「それぞれに、それぞれの戦いがある。逃げて安穏とするか、立ち向かって戦うか常に問われる」
「青蛾」
「逃げれば逃げるほど、神籬が苦しくなる」
「……!」
「だから戦わなくちゃいけないのではないでしょうか? それぞれの大切なことのために」
「……」
鈴凛は何か大切な感覚がおかしくなっていることに気がつかされた気がした。
命をかけて、青蛾は下に降りるのだ。
途方もなく、大切なものを賭けて—
「でも、百姫様は−−わたくしには到底推しはかることもできぬほど、大きな運命を背負われています。高天原の女たちの運命が百姫様にかかっているのは間違いありませんよ?」
青蛾がいたずらっぽく笑う。
「言うね」
鈴凛は笑った。
「わたしもいつか戻ってきて、高天原の人たちに、人間の男の人がどんなものかみせてあげたいです。それが本来、人間の本当の姿だから」
鈴凛は驚いた。青蛾がそこまで考えているとは思っていなかった。
青蛾はもう少女ではなかった。
「たしかに……高天原の女性たちは、本当はみんな男の人と出会う機会も奪われているんだよね」
「はい」
「しかし……それは高天原を大混乱に陥れるかもだけど……」
「だと思います」
青蛾はにこりとした。
布刀玉の鈴凛が高天原を滅ぼす、もあながち間違っていないのかもしれないと鈴凛は思った。
「布刀玉様の占いは案外−−」
エレベーターの箱が揺れ、衝撃がくる。
「!なにかみえます」
青い甲冑のような宇宙服を着た誰かが水を操っている−−。
「水が−−」
水が氷になりながら箱を取り巻いていった。
「……あれは」
甲冑の中の人物はフルフェイスで見ることができない。
「!」
でも鈴凛には、この水の力の持ち主が誰かわかった。
「雨狼−−」
「え、素戔嗚様ですか?」
青蛾が驚く。
「どういうことなの」
鈴凛は玄武が信じられなくなる。
「これは」
勾玉を得たルートは素戔嗚だったのか−−
照日ノ君や月読姫から神器を奪える人物などそうはいない。
「……!」
鈴凛は手の中の勾玉を見た。
雨狼は何かを思うようにじっとこちらを見ているようだったが、表情はわからない。
素戔嗚はソルアの仲間だった。
「……玄武様と素戔嗚様はいったい」
氷が箱を巻き取っていく。
自分はまたソルアに踊らされているんだろうか。
不安でいっぱいになる。
ソルアはもともと自分に未来妃を探させたがっていた。
やっぱりこれは、また罠ではないのか—
「わ」
その時、箱が凄まじい力で押し出されるのがわかる。
「なんで玄武と素戔嗚が繋がって−−!」
「わかりません……!」
時猛烈な衝撃がくる。
「あああああああああ!」
大気圏へ突入した瞬間、まるで巨大な拳で全身を押し潰されるような衝撃に包まれた。
綿の壁に押し付けられた身体は、何倍もの重力に押される。
「!!」
エレベーターの窓から先ほどの氷が溶けていくのが見えた。
箱は勢いよく落下していた。
「ああああああああ」
視界の外では機体の表面が燃え、窓の縁から赤橙色の光が滲んでいた。
ゴオオオ――という鈍い轟音がエレベーターの箱全体を震わせる。
無重力では感じなかった“重さ”が、一気に身体へ戻ってくる。腕一本を動かすだけでも鉛を持ち上げるように重い。胃が下へ引かれ、血液が脚へ落ちていく感覚に、意識が遠のきそうになる。
「……!」
青蛾は大丈夫だろうか−−。
「?!」
外でぼんっと音がする。
「パラシュートがついてたの?」
やがて激しい振動の中でパラシュートが開いた。
ドンッ、と背骨を叩くような衝撃。揺れは乱暴な船のように続き、箱は空に吊られながら軋む。荒い呼吸音だけが響いた。
最後に突き上げるような衝撃が来て、すべてが静かになる。




