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Rhapsody in Love 〜約束の場所〜  作者: 皆実 景葉
17 ほのかな想い
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ほのかな想い Ⅲ




「先生は大学でそんな研究をしてたんですか?」


「ううん。専門は戦国時代じゃないの。あの辺の歴史は人間ドラマがたくさんあって面白いけどね。大学で研究してたのは、江戸時代の民衆の歴史。解読されてない古文書がたくさん残ってて、研究しなきゃいけないことが沢山あるの。」



「解読されてない古文書って、昔の人が筆で書いたものですか?」


「そうそう、くずし字っていうか、ミミズ文字みたいなのもあるわね。虫食いだらけで、埃まみれの汚い古文書もあるのよ。これが。」



 これまでの拙い知識の中で、遼太郎はそれがどんなものか想像を巡らせた。



「それを、先生は読めるんですか?」


「読まなきゃ、研究できないでしょ。読めなくても、何としても読むのよ。」



 遼太郎は唖然として、みのりを見た。



「すごいですね。先生。」


「すごいわけじゃないわ。日本史学科を専攻したら、誰でも…、うんまあ、苦手な人もいたけど、大体みんな読めるようになるのよ。大学はそういうところなの。」


「そうなんだ…。」



 漠然とした未知の領域は想像に難く、遼太郎は目を白黒させる。



「狩野くんは、大学でどんな勉強をするのかな?何を専門にするのかな?楽しみだね。」



 みのりが優しく微笑むと、遼太郎は自分の未来を展望するよりも、みのりが微笑んでくれたことに、心が安堵で緩んだ。



「その前に、入試に合格しなきゃ、大学には行けません。」



 おどけるように眉を動かして、遼太郎が現実を持ち出すと、みのりの笑顔はいっそう朗らかになった。



「そうね、明日からまた、頑張ろうね。…あれ?狩野くん?」



 みのりが立ち止まると、遼太郎もペダルをこぐのをやめて、みのりを振り返った。



「田島町って、こっちの道じゃないの?」



 そう指摘されると、遼太郎は唇を噛んで目をクルリとさせた。



「ちょっと、学校に忘れ物したのを思い出したんで…。」


「忘れ物って、もう教室には入れないでしょ?」


「あの…、部室に…です。」



 遼太郎がとっさに思い付いた嘘に、ふうん…というふうにみのりは頷き、再び歩きはじめる。



――こんな暗い夜道を、先生一人で歩かせるわけにはいかない。



 あと学校まで300mもないが、遼太郎はそう思っていた。

 それに、こんなふうに二人で並んで歩けるのならば、学校がもっと遠ければいいのに…とも思った。


 でも、今日はきっとみのりは疲れているはずだ。早く帰って、とにかく心と体を休めてほしかった。



 並んで歩く二人の間に、ふと沈黙がよぎる。

 その沈黙の中でふと、みのりは先ほどの自分の行動を思い返した。



――あんなに泣いてしまうなんて、狩野くんはどう思ったんだろう……。



 生徒相手に、あそこまで自分をさらけ出してしまったことに、突然恥ずかしさが込み上げてきた。



――教師失格だわ…。



 もちろん自己嫌悪に陥っていたが、遼太郎の顔を見た瞬間、みのりの中に圧倒的な安堵感が満ちたのも事実だった。


 遼太郎が側にいる安心感に浸りたい…という、いつもみのりが打ち消していた願望に圧し負けてしまった。張りつめていたものがぷっつりと切れて、悲しいわけではないのに涙が止まらなくなってしまった。



 そんなみのりを、遼太郎は、戸惑うでもなくうろたえることもなく、ただ黙って受け止めてくれた。

 何があっても、遼太郎は自分のことを否定しない…。根拠はないけれども、遼太郎に対するそんな強い信頼感も、みのりの中にはあった。



 あのタオルで涙を拭った瞬間、ラグビーをする遼太郎のことを思い出した。


 あの試合の時、遼太郎を腕の中に包み込んだ感覚。一つの繭の中にいるような感覚がみのりの中に甦ってきて、今度はみのり自身が癒された。



 みのりは横を向いて、遼太郎を改めて見上げる。頼もしいその横顔に、みのりはつい見惚れてしまった。


 視線を感じた遼太郎が、みのりに目を合わせる。




「…何ですか?」



 遼太郎の問いかけに、みのりは肩をすくめて首を横に振り、ほのかな笑みを浮かべた。



 みのりの意味深な行動に、遼太郎の心はざわめいたが、平静を装って同じような微笑みを返す。


 不意に遼太郎は、みのりが手にしている先ほど渡したタオルが、予備のきれいなものではなく、自分が使ってしまっていたものだと気が付いた。

 心の中で「しまった…!」と舌打ちしたが、今更言い出すこともできず、微笑みは崩さないままみのりを見つめる。



 そして、その動揺を押し込めて、気を取り直すように、



「車はどこに停めているんですか?」



と、遼太郎は訊いた。



「ああ、セミナーハウスのところ。駅にいちばん近いから。」



 みのりがそう言うと、遼太郎は自転車の進路をセミナーハウスへ向かう小路へと変えた。




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