ほのかな想い Ⅱ
「 ……ごめん。狩野くんの顔見たら、気が緩んじゃって…。」
みのりのこの言葉は、遼太郎の心を鷲掴みにした。掴まれた心はキュンと震えて、みのりへの愛しさと切なく深い想いが暴れ始める。
しかし、今の遼太郎には、ただ黙って寄り添って、見守ることしかできなかった。
コンビニから出てきた中年の男が、泣いているみのりに「何事か」という視線を投げ掛けて通り過ぎる。
遼太郎は自転車の向きを変えて、みのりに近づいた。自転車にまたがったままの自分と隣家の生け垣との間にみのりを立たせて、通行人の目線から隠す。
みのりはうつむいて口を押さえ、嗚咽してしまうのを必死に堪えている。しかし、涙はポロポロと止めどもなくその頬を伝った。
遼太郎は斜め掛けされたスポーツバッグからタオルを取り出し、雫が伝うみのりの頬を拭った。
「…あ、ありがと…。」
口を開くと、堰を切ったように嗚咽が湧き出てくる。
みのりがタオルを握って顔をうずめると、その額が遼太郎の肩に触れ、そのまま息を殺して泣いた。
肩に触れたみのりの額から、震えが伝わってくる。
自分が失恋したことを告白した時には、涙を見せまいと気丈に堪えたみのりが、こんなにも泣くなんて、余程のことがあったに違いない。
詮索したい気持ちはもちろんあったが、遼太郎はこれ以上泣かせたくないと思った。
前々回の試合の時、みのりがしてくれたように、今度は遼太郎がみのりを抱きしめて、その胸で涙を受け止めてあげたかった。
しかし、遼太郎はそのまま身動き一つせず、ハンドルを握る手に力を込め、懐に抱きしめてしまいたい衝動と必死に闘った。
しばらくして、みのりは気持ちを落ち着けるように大きな息を吐き、顔を上げた。タオルを胸に抱きしめて、もう一つ大きな息を吐いた。
「ごめんね、狩野くん…。私…」
しかし、心の内を打ち明けようとすると、また大きな瞳から涙が零れ落ちる。
遼太郎は何か他の話題にして、大変だったと思われる今日の出来事から、みのりの気持ちを逸らせる必要があると感じた。
「先生、どうやって帰るんですか?」
何もなかったかのように、遼太郎が問いかける。
みのりは涙の残る目を、遼太郎へ向けた。そして、一息ついてから、
「……うん、学校までは歩き。学校に車置いてあるから、それからは車だけど。」
と、なんとか普段の感じで答えることができた。
「先生、そんな格好で寒くないですか?」
遼太郎は再び問いかけながら、もと来た道、学校方面へ自転車を向ける。
「うん、さすがに夜はこれじゃ寒いね。」
みのりも答えながら、歩き始める。
日のあるうちに帰れるはずだったので、防寒用の上着は持って来ていなかった。薄いブラウスに薄手のニットというみのりは、寒そうに身を縮める。
遼太郎はどうにかしてあげたかったが、防寒ジャンパーなどは持っていないし、さすがに自分の学生服を貸すわけにもいかず、思案に暮れた。
「狩野くんのおうちはどこだっけ?」
今度はみのりの方から言葉をかける。
「うちは、田島町です。」
「あれ?田島ならあっちから帰った方が近いんじゃない?」
と、みのりは振り返ってコンビニの向こう側を指差す。
「俺の家は、こっちからでも帰れるんで…。」
ニコリと遼太郎は笑って、みのりと並んで歩くように自転車のペダルを踏んだ。
「あの、先生。面接の資料ありがとうございました。」
そう言えば、資料を澄子に渡してから遼太郎に会っていない。いろんなことがありすぎたせいか、随分前のことのように、みのりは思い出した。
「資料に目を通してみた?」
「はい。…いや、今日もらった分は、まだ全部は見てないです。日本史の授業の時、ついDVDを見てしまって…。」
申し訳なさそうにする遼太郎を見て、みのりはようやく本来のように微笑んだ。
「つい見ちゃうほど面白かった?桶狭間の戦い。」
「はい。戦国時代の武将も、いろいろ戦略を練って戦ってたんだなぁ…って。」
「そうだね。本当に切れる刀を使って、生きるか死ぬかの戦いをするんだから、用意周到に計画したんだよね。そのために、どの大名も軍師を抱えてたりしたし…。桶狭間の戦いだって、信長の奇襲だって言われてたけど、実はそうじゃないって、研究が進んで分かってきたんだよね。」
歴史を語るみのりの顔に、輝きが宿る。
――先生は本当に歴史が好きなんだな…。
そんなみのりの顔を横目に見ながら、遼太郎はそう思った。




