一大事 Ⅵ
トイレに戻ると、吉長はほとんど意識を失いかけていた。量はそう多くはないが、出血は続いている。
鼻血や外傷での出血ではないので、みのりにはどう対処していいのかも分からない。
掃除用具入れから雑巾を出してきて、流れ出て床を汚している血を拭き取ろうかと思ったが、どのくらい出血しているのか救急隊員が把握できるように、敢えてそのままにしておいた。
「吉長さん、すぐに救急車が来て病院に連れて行ってくれるから。大丈夫よ、安心して。」
横たえた頭の横に膝をついて、みのりは吉長の頭を撫でた。吉長は青白い顔で、かすかに頷いた。
間もなく、みのりが頼んでいた通り、サイレンは鳴らさず救急車が到着し、トイレから吉長が運び出される。
みのりが一緒に救急車に乗り込むとき、会場の事務職員や御幸高校の邦楽部の顧問教師が見送ってくれたので、
「すみません。トイレ、汚したままで。」
「お願いします。」
と、みのりはそれぞれに頭を下げ、後のことを頼んだ。
近くの救急の総合病院に着いて、みのりは今度は学校へ連絡を入れた。教頭へ伝えておけば、クラス担任や保護者にも連絡が行くはずだ。
事情を話した途端、教頭の顔が青ざめていくのが目に見えるような、そんなうろたえようだった。
「また状況が判り次第、連絡します。」
と、みのりは一旦電話を切った。
担任は勿論、教頭もこちらへ向かってくれるだろうか…。
早く、一人きりで対処しなければならないこの不安から抜け出したかった。
吉長は処置室に入ったきりで出てこない。時計はもう4時半になろうかとしている。
出血が始まってどのくらい経つだろうか、かなり痛がっていたけれども無事だろうか…。不安が次から次へと押し寄せて、みのりは押し潰されそうだった。
その時、治療に当たってくれていた医師が、処置室から出てきた。明るい表情ではないので、みのりは緊張を強める。
「…あの、当然のことでしょうが、全く検診を受けていないようなので、特に胎児の状態がよく分からないんです。ちなみに、いつごろ妊娠したか聞いてますか?」
そう言われても、みのりも今日初めて妊娠しているのを知ったくらいなので、いつ妊娠して今は何週目くらいなのか、皆目見当もつかなかった。
多分、クラス担任も、両親も同じだろう。吉長は友達にも言わず、一人でこの悩みを抱えて今日のこの日まで来てしまっていた。
「…すみません。知らないんです。」
みのりは目を伏せて、首を横に振った。
「超音波検査をしたところ、常位胎盤早期剥離になっていて、帝王切開をする必要があると思われます。でも、この病院では胎児に異常があった場合に対処ができないんで、それができる病院に移ってもらいますが、よろしいでしょうか?」
今度は、みのりの目の前が真っ暗になった。
ここでどうにかしてもらえると思っていたのに、転院せねばならないとは。それほど状況は深刻だということだ。
「それが最善であれば、そうして下さい…。」
みのりは息を呑みこんで、そう答えた。本来は保護者に確認を取らねばならないのかもしれないが、事態は一刻を争うらしい。
すぐに転院の手続きが取られ、再び救急車で搬送される。移される病院は、ここから100㎞ほど離れた他県の病院で、新生児医療の専門医と設備を備えた総合病院だ。
高速道路を走って、約一時間後、その病院には到着した。
この病院の名前が分かった段階で、みのりは再び教頭へ、転院する旨の連絡を入れる。
すでにこちらに向かっていたクラス担任と教頭は、「ええぇ~!!」と叫びをあげ、踵を返して移動先を変更することになった。と言っても、すでに高速道路に乗っていたので、すぐに行先を変えるのは難しいだろう。
みのりが一人で事の対処に当たらねばならない時間が、もっと長くなってしまった。




