一大事 Ⅴ
会場に着いて、先に到着している楽器屋さんから琴を預かり、所定の場所で調整する。くじ引きが行われ、演奏順が決められる。6月の大会の時と同じ手続きが踏まれ、淡々と大会は進められていった。
芳野高校の演奏は、100周年記念式典のレセプションで弾いた曲を自由曲にしていたので、こちらは申し分ない出来だった。
ただ、課題曲の方は、自由曲に比べ今一つと言ったところ。課題曲は他校も同じ曲を弾くので、少しの失敗でも甲乙の差がはっきりしてしまう。
もう少し人数が多ければ聴きごたえもあっただろうけれど、いかんせん7人では、20人以上の部員を擁する学校に比べて聴き劣りしてしまうのはしょうがなかった。
――やっぱり、頑張って部員の勧誘をしなきゃ…!
練習場にしているセミナーハウスの和室には、たくさん琴が余っている。みのりは芳野高校の演奏を聴きながら、心に誓っていた。
午後からは、この邦楽の新人大会と合わせて行われる郷土芸能の発表大会があり、伸びやかに歌われる民謡や、男子高校生たちが勇壮に舞う神楽などが披露された。
あまり観たり聴いたりする機会のないこのような発表を、ゆっくり鑑賞することは忙しい日常を忘れられ、心にゆとりも生まれてくる。
そして、結果発表。芳野高校は6月と同様、銀賞に終わった。7人で演奏したにしては、良くやったとみのりは思ったし、部員たちも一様に納得した様子だった。
和やかな雰囲気で、これからまた来年の6月に向けて頑張ろうと誓い合い、帰路に就くことになった矢先のことだった。
「先生、ちょっと来てください!」
筝曲部の部長が血相を変えて、みのりのところへやってきた。尋常ではないその様子に、みのりは嫌な予感をよぎらせ、部長の後を付いていった。
トイレの洗面台のところで、吉長がうずくまっている。
調子が悪そうだったから、気分でも悪くなったのかと、みのりは吉長に近づいて声をかけた。
「吉長さん、どうしたの?」
顔を上げた吉長の表情を見て、みのりはただ事ではないことを看て取る。
「……先生。二人だけにして…。」
絞り出すように吉長が言ったので、みのりは心配そうに見守っていた部長やその他の部員たちに目配せして、彼女たちをトイレから出した。
吉長の足元から出血していることに、みのりは気が付いて、吉長を覗き込んだ。
「吉長さん、怪我してるんじゃないわよね?生理になった?」
二人きりになって、吉長は堰を切ったように泣き出した。みのりの問いかけにも、ただ首を横に振るばかりだ。
「どうしたの?どこか痛い?」
訳の分からないみのりは、ますます焦りを募らせた。
この状況は、どう考えても生理どころではない。嫌な予感が、みのりの中を駆け巡る。
いつも明るい吉長が、涙で顔を濡らしながら、ようやく口を開いた。
「…先生、助けて…。お腹、痛い…。私…、お腹に赤ちゃんが…。」
それを聞いて、みのりは頭の中が真っ白になった。
事の重大さを認識するにつれ、体に震えが走る。
「…妊娠してるの?」
痛みに耐えながら、吉長が無言で頷く。会話している間にも、どんどん顔色が悪くなる。
妊娠中の体のことは、みのりにはよく分からないけれど、妊娠していてこの状況は緊急を要するに違いない。
どうすればいいのだろう。どうしたら、吉長を守れるのだろう。
自分にのしかかる、あまりにも大きな責任。
焦燥感と不安で、みのりは押しつぶされそうになる。
でも、手の震えを押し込めるように握り、目をつぶって立ち上がった。
――……しっかりしろ!!私……!!
みのりは目を開けて、自分を奮い立たせた。
バッグから携帯電話を取り出して、119番に電話をかける。
救急車を呼ぶと事が大きくなってしまって、却って吉長を傷つけてしまうのでは…という懸念がみのりの中に過ったが、最悪のことを考えたら迷ってはいられなかった。
妊娠している高校生が腹痛を訴え出血しているとの旨を伝え、救急搬送の依頼をした。
そして、このことを連絡するために、少しその場を離れる必要があった。
「すぐ戻ってくるから、ここで横になって。」
と、吉長の体を横たえさせ、楽な姿勢にした。
トイレの外にいた生徒たちに、中に入らないように、誰も中に入れないように指示をし、大会の事務局と会場の事務所へ、吉長が妊娠していることは言わずに救急車が来ることだけを伝えた。
このまま吉長に付き添うことになれば、他の生徒を引率して帰ることは出来なくなる。
みのりは咄嗟に、外部講師の先生と同じ市内の御幸高校の邦楽部の顧問に、芳野高校の筝曲部の部員たちも連れて帰ってもらうことを思いつき、そのように依頼した。
生徒たちにも説明をしなければならなかったが、
「吉長さんは、体調が急に悪くなって、一応救急車で運んで病院で診てもらうから。」
と、やはり本当のことは言えなかった。




