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ダンジョンには一歩も入らない。"壊れて引退した探索者"だけを最強に立て直していたら、うちの卒業生でランキング上位が埋まった  作者: ヲワ・おわり


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第29話 送り出す

「才能ゼロが。今度こそ、終わりだ」

 リングの中央で、鷺沢が、木剣を、肩に、担いで、笑った。才能値の、最上位。ゼニスの、看板。その全身から、圧が、放たれている。あの、公開試合の、雪辱を、この大舞台で、晴らすつもりだった。

 一ノ瀬は、まだ、控室の、通路に、いた。リングへ、上がる、その、直前。

 俺は、その背中に、声を、かけた。

「一ノ瀬」

 青年が、振り返った。

 俺は、こいつを、送り出す。ダンジョンには、入れない俺は、この通路の、先へは、行けない。ここから先は、こいつ一人の、戦いだ。

 三年前の、雨の日が、蘇る。俺は、久遠を、この場所と、同じように、送り出した。整っていない、と、心の底では、知っていたのに。焦りに、引きずられて。そして、失った。それ以来、俺は、誰かを、送り出すたびに、この、入口の、恐怖と、戦ってきた。

 あの日、俺は、久遠の、焦る顔しか、見ていなかった。早く戻りたい、認められたい、という、あいつの気持ちに、俺の、応えたい気持ちが、重なって。あいつの身体が、本当に、応えるのかを、ちゃんと、見なかった。手放すことが、怖くて、抱え込んで。抱え込んだまま、いちばん、危ういところへ、送り出した。矛盾していた。

 今度は、違う。俺は、一ノ瀬の身体を、何ヶ月も、見てきた。震えの、揺れ幅の、一ミリまで。この青年が、その震えを、どう、飼い慣らしたかを。焦りでも、怯えでもなく。ただ、事実として、こいつは、整っている。だから、送り出せる。

 だが、今日は。

「お前の身体は、整ってる。俺の眼も、榊の数字も、そう言ってる。震えは、消えてない。だが、お前は、その震えを、抱えたまま、勝つ型を、手にした。……もう、俺が、心配することは、何もない」

 一ノ瀬が、黙って、聞いていた。

「俺は、入れない。リングの上で、決めるのは、お前だ。俺は、何も、してやれない。ただ、外で、待ってる。……それだけだ」

 久遠のときに、言えなかった言葉が、今、するりと、出てきた。あのときの俺は、久遠を、抱え込もうとした。手放すのが、怖くて。だが、壊れた人間を、戻すというのは、いつか、その手を、離すことだ。信じて、送り出して、外で、待つことだ。

「行ってこい」

 俺は、言った。

 一ノ瀬が、ふ、と、笑った。

「あんたが、そう言うなら。……負ける気が、しねえよ」

 青年は、木剣を、握り直し、リングへ、続く、光の中へ、歩いていった。その背中に、もう、あの、投げやりな翳りは、なかった。

 俺の手は、震えていなかった。胸の底は、まだ、怖い。だが、その怖さを、抱えたまま、俺は、こいつを、送り出せた。久遠のときに、できなかったことを。今、やっと。


 リングの上。

 銅鑼が、鳴った。

 鷺沢が、動いた。才能値の、全開だった。速い。重い。一ノ瀬の、間合いを、力ずくで、こじ開けようと、鋭い連撃が、襲いかかる。

 だが、一ノ瀬は、退がらなかった。踏み込みも、しなかった。

 半身に、構えて。鷺沢の、攻撃線の、その上に、切っ先を、そっと、合わせる。踏み込んでこない。ただ、来る一撃の、軌道に、剣を、置く。鷺沢の連撃が、その切っ先に、いなされ、逸らされ、狙いを、失っていく。

「……っ、なんだ、これは」

 鷺沢が、苛立った。仕留めた、と思う、その寸前で、剣が、逸れる。手応えが、ない。何度、打ち込んでも、その、細い切っ先に、力を、殺される。まるで、自分の攻撃の、通り道を、あらかじめ、知られているようだった。

 知られていた。一ノ瀬は、この数ヶ月、剣を、抜くという行為の、恐怖と、向き合い続けた。どの角度で、どの踏み込みで、恐怖が、湧くのか。その全てを、言葉にし、身体で、覚えた。だから、逆に、読めた。攻める者の、踏み込みと、狙いが。恐怖を、いちばん、知る者が、いちばん、冷静に、相手の剣を、読んでいた。

 一ノ瀬の、右手は、震えていた。剣を、抜く、その踏み込みの、恐怖。地下から来る足音。名を呼ぶ声。前に出る、その一歩。三つの引き金は、今も、こいつの中に、ある。だが、一ノ瀬は、その震えを、消そうとは、していなかった。震える剣先の、揺れ幅そのものを、軌道の、幅として、計算に、入れている。震えを、抱えたまま、その震えを、味方に、して。

「今度は」

 一ノ瀬が、低く、言った。

「恐怖ごと、連れて、勝つ」

 守りに、徹していた。攻めない。ただ、鷺沢の、才能任せの連撃を、一つずつ、いなし、逸らし、消耗させていく。鷺沢の一撃が、外れるたびに、あの、コンマ数秒の隙が、生まれる。一ノ瀬は、それを、拾いながら、機を、待っていた。ただ一度、才能を、解き放つ、その一瞬を。


 拮抗が、続いた。

 控室のモニターの前に、音羽と、六車が、七尾が、榊が、集まっていた。誰も、口を、きかなかった。固唾を、呑んで、リングの、一ノ瀬を、見つめている。冴島だけが、リングの、脇で、腕を、組み、初めて、その顔から、余裕を、失っていた。整えられた、たった一人の剣士が、才能の頂点を、追い詰めている。その光景は、あの男が、信じてきた論理を、根本から、揺らし始めていた。

 鷺沢の息が、上がってきた。才能値で、押し切れない相手に、焦り始めている。才能さえ、あれば、勝てる。そう、信じて、磨くことを、怠ってきた男だ。その才能が、通じない相手に、初めて、ぶつかって、崩れ始めていた。連撃が、雑になる。隙が、大きくなる。

 その時が、来た。

 鷺沢が、渾身の一撃を、大きく、振りかぶった。仕留めるための、才能全開の、一太刀。だが、それは、外せば、いちばん、大きな隙を、さらす、賭けの一撃だった。

 一ノ瀬の、眼が、光った。

 守りの、果ての、この一瞬。ここだけ。ここでだけ、こいつは、震えを、超えて、左足を、踏み込む。抑え込んできた才能の、全てを、この一撃に、解き放つために。

 一ノ瀬の、左足が、リングを、蹴った。

 視線が、前へ。呼吸が、止まる。三つの引き金が、全部、揃った。震えが、最大に、なる。かつては、この瞬間に、木剣を、取り落としていた。恐怖に、身体を、支配され、動けなくなっていた。だが、今は、違う。抑え込んできた、その全ての力を、たった一度、この一撃のために、解き放つ。震える剣が、才能値の、天井の、九割の力を、乗せて、鷺沢の、がら空きの、懐へ、走った。

 守りに、徹してきた男が、初めて、見せる、攻めの一手。この一撃のためだけに、恐怖を、飼い慣らしてきた。全てが、この、一振りに、乗っていた。

 会場が、息を、呑んだ。物音一つ、しなくなった。

 控室で、俺は、モニターを、食い入るように、見つめた。頼む、と、声にならない声で、念じた。あの日、久遠の背中に、かけられなかった、祈りを、込めて。

 一ノ瀬の剣が、振り抜かれる、その、寸前で。


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