第30話 終わった奴の、駆け込み寺
乾いた、音が、一つ、アリーナに、響いた。
鷺沢の、木剣が、宙を、舞っていた。
一ノ瀬の、震える剣は、才能値の、全開で、放たれた鷺沢の一撃を、その、がら空きの、懐へ、寸分の狂いもなく、滑り込み、手元を、跳ね上げていた。力任せではない。ただ、いちばん、効く一点に、九割の力を、迷わず、通しただけだ。
鷺沢の剣が、リングに、落ちて、甲高い音を、立てた。
静寂。
そして、アリーナが、爆発した。
地鳴りのような、歓声。才能ゼロと、嘲笑された男が。整えられた、たった一人が。ゼニス最強の、才能の頂点を、打ち破った。誰もが、目の前で、それを、見た。才能値の、暴力ではなく。その天井に、どこまで、届いているか。発揮効率という、目に、見えなかったものが。今、誰の目にも、見える形で、才能を、超えた。
膝を、ついた鷺沢は、信じられない、という顔で、宙を、舞った自分の剣を、見上げていた。
一ノ瀬の、右手は、まだ、震えていた。だが、その震える手で、こいつは、頂点を、獲った。恐怖を、消してじゃない。抱えたまま。あの、旧パーティを、失った日から、こいつが、背負い続けてきた震え。消せなかったものを、力に、変えて。生き残った意味を、自分の手で、掴み取った。
一ノ瀬が、天を、仰いだ。あの、角の欠けたバッジを、握りしめて。もう、そこに、サバイバーズ・ギルトの、翳りは、なかった。
控室で、俺は、詰めていた息を、ようやく、吐いた。膝から、力が、抜けそうになる。隣で、音羽が、六車が、七尾が、榊が、声にならない声を、上げていた。壊れて、この工房に、流れ着いた者たちが。今、一人の、仲間の勝利に、我を忘れて、沸いている。
久遠のときに、できなかった、送り出しを。俺は、今日、やり遂げた。三年、止まっていた時間が、静かに、動き出す音を、聞いた気がした。
勝負が、決したあと。
俺は、選手通路の、境界まで、出た。ここから先へは、行けない。だが、そこへ、冴島のほうが、歩いてきた。
あの、穏やかな顔に、初めて、影が、差していた。
「……効率、ですか」
冴島は、リングの、一ノ瀬を、見ながら、呟いた。
「才能値では、うちの精鋭が、上だった。数字は、嘘を、つかない。それは、今も、正しい。……ですが、彼は、勝った。天井の、低い者たちが、天井の、高い者を、超えた。私の、計算に、なかった、何かが、そこに」
言葉が、途切れた。この男が、言葉に、詰まるのを、俺は、初めて、見た。才能で、全てを、割り切ってきた男の、論理に、初めて、ひびが、入った瞬間だった。
「冴島さん」
俺は、静かに、言った。
「三年半前、あんたが、才能値が足りないと、書類一枚で、切り捨てた男が、いる。久遠だ。……あいつは、才能が、なかったんじゃない。使い方を、教わる機会が、なかっただけだ。あんたが、あのとき、切り捨てなければ。誰かが、あいつの発揮効率を、整えていれば。あいつは、直せた人間だった。今日の、一ノ瀬みたいに」
冴島の、肩が、わずかに、動いた。
「あんたは、才能値で、何千人を、選別してきた。そのたびに、久遠みたいな人間を、生んできた。……才能が足りない、で、切り捨てた、その一人ひとりに。俺みたいなのが、ついていれば、変わったかもしれない未来が、あった。あんたが、切り捨てたのは、才能じゃない。その、伸びしろだ」
冴島は、何も、言い返さなかった。ただ、長い間、リングの、歓声の中の、一ノ瀬を、見つめていた。その横顔から、あの、絶対の自信が、剥がれ落ちていた。論理は、捨てないだろう。だが、その論理に、初めて、揺らぎが、生まれた。それで、十分だった。
リングを、降りた鷺沢が、一ノ瀬の、前で、足を、止めた。何か、言いかけて、やめて。それから、ぼそりと、呟いた。
「……お前の、その手の震え。ずっと、消えねえのか」
「ああ」
「それで、俺に、勝ったのか」
鷺沢は、それきり、背を、向けた。だが、その足取りは、ゼニスの、才能至上の看板を、背負っていた、あの男の、ものでは、なくなっていた。何かを、考え始めた、一人の、探索者の、背中だった。
妨害は、止んだ。
衆目の前で、才能至上主義が、覆されたあとでは、ゼニスも、兵糧攻けを、続ける理由を、失っていた。工房〈リビルド〉は、存続した。
早春の、午後だった。
工房に、久しぶりの、柔らかい日差しが、差し込んでいた。窓の外の、旧スポーツ地区の、錆びた街灯にも、雪解けの、雫が、光っている。
俺は、一人、机の、いちばん奥の引き出しを、開けた。
久遠の、写真を、取り出す。夏の、屋外。白い歯を見せて、笑う、若い男。
俺は、その顔を、しばらく、見つめた。もう、胸は、抉られなかった。
「……見てたか、久遠」
俺は、静かに、言った。
「お前を、送り出したのは、間違いだった。それは、消えない。……だが、俺は、あの日から、ずっと、お前に、教わってた。焦るな。ちゃんと、見ろ。整うまで、待て。……お前が、遺してくれた、その眼で。俺は、大勢の、壊れた奴を、立て直せた。今日、一人、頂点まで、送り出せた」
写真の中の久遠は、屈託なく、笑っている。
「もう、大丈夫だ」
俺は、その一枚を、引き出しに、戻した。今度は、蓋を、するためでも、罰のためでもない。ただ、大切な人間を、そこに、置いておくために。
三年、止まっていた、俺の中の、雨が。ようやく、上がった。
その日の、夕方。ギルドの、ランキング速報を、榊が、端末で、見て、口笛を、吹いた。
「見ろよ。……上位に、うちの、卒業生が、三人。一ノ瀬、音羽、六車。……才能値じゃ、埋もれてたはずの連中が、揃って、上がってきてる」
才能で、選別される世界の、その頂上に。才能が足りない、と、切り捨てられ、壊れて、終わったと言われた者たちの名が、並び始めていた。
そのとき。
工房の、扉が、遠慮がちに、叩かれた。
全員が、振り返った。
扉の、隙間から、若い探索者が、一人、俯いて、立っていた。使い込まれた、探索者の装備。その肩が、微かに、震えている。何かに、壊れ、行き場を、なくし、それでも、藁にも縋る思いで、ここへ、辿り着いた、そういう、立ち方だった。かつての、一ノ瀬が。音羽が。六車が、そうだったように。
俺は、パイプ椅子から、立ち上がった。
「入れよ」
俺は、言った。
「ここは、終わった奴の、駆け込み寺だ。……才能が、足りなくても。壊れて、動けなくても。まだ、先はある。それを、証明するのが、俺たちの、仕事だ」
若い探索者が、顔を、上げた。その目に、消えかけていた光が、ほんの少し、戻る。
戦えない俺には、ダンジョンは、一歩も、踏めない。剣も、魔法も、握れない。だが、壊れた者を、立て直して、最強へ、送り出すことなら、できる。
その背後で、一ノ瀬が、音羽が、六車が、立ち上がる気配が、した。次は、自分たちが、教える番だ、とでも、いうように。壊れて、再生された者が、次の、壊れた者を、迎える。この工房が、そうやって、続いていく。終わったと、言われた者に、先があることを、証明し続ける場所として。
新しい、再生が、また、始まる。
俺は、その、震える肩を、迎え入れるために、扉のほうへ、歩いていった。窓から差す、早春の光が、鏡張りの壁に、反射して、工房を、明るく、満たしていた。




