第22話 二度、殺した
「久遠は、才能を理由に、社会から、捨てられた男だった。俺は――そいつを、二度、殺したのかもしれない」
自分の声が、やけに、遠くに、聞こえた。
工房の、ストーブが、低く、唸っている。誰も、口を、挟まなかった。一ノ瀬も、音羽も、六車も、缶を、握ったまま、俺を、見ている。
「久遠は、元は、陸上の選手だった。肩を、壊して、もう競技は無理だと言われた身体を、俺が、トレーナー時代に、一年かけて、走れるところまで、戻した。……あいつは、それを、大げさなくらい、喜んだ。あんたは魔法使いだ、って。屈託のない、いい奴だった」
その顔を、思い出すと、喉の奥が、詰まる。
「ダンジョンが、できて。あいつは、探索者に、なった。才能値は、そこそこ、あったんだろう。だが、伸び悩んで。一度、大きな失敗をして、ゼニスに、切られた。才能が、基準に、足りない、と。行き場を、なくして。……俺のところへ、来た。あんたなら、また、治せるはずだ、って。昔と、同じ顔で」
「治した、んですか」
音羽が、小さく、聞いた。
「ああ。壊れた身体を、組み直して。数字は、戻った。発揮効率が、九割まで。……それを見て、俺は、これで大丈夫だと、思った。いや」
俺は、言い直した。ここを、ごまかしては、いけない。
「思いたかった、んだ。あいつが、早く、戻りたがっていたから。もう一度、探索者として、認められたがっていたから。その焦りに、俺が、引きずられた。数字は、九割。だが、あいつの、心の、いちばん深いところは、まだ、あの失敗の日を、怖がっていた。俺は、それに、気づいていて。……見て、見ないふりを、した」
沈黙が、重く、落ちた。
「雨の日だった。俺は、あいつを、ダンジョンの、入口で、見送った。俺は、入れないから。そこまでしか、行けないから。……それきり、あいつは、戻ってこなかった。運び出されたのは、動かない、身体だった」
言い終えて、俺は、深く、息を、吐いた。三年、喉に、つかえていたものが、ようやく、言葉になって、外に、出た。楽には、ならなかった。ただ、確定しただけだ。俺が、あいつを、送り出したという、その事実が。
一ノ瀬が、缶を、握る手に、力を、こめたのが、見えた。この青年も、仲間を、失っている。生き残った側の、痛みを、知っている。だから、俺の話を、他人事として、聞いてはいなかった。音羽は、唇を、噛んで、うつむいていた。頼ることを、負けだと、思い込んでいた少女が、今は、じっと、俺の後悔に、耳を、傾けている。
こいつらに、話してよかったのか。まだ、わからない。だが、隠して、抱えたまま、こいつらを、送り出す資格が、俺に、あるとは、思えなかった。
「俺の"戻さない"は」
俺は、続けた。
「贖罪だ。二度と、同じ間違いを、しないための。……だが、同時に、臆病の、言い訳でもある。踏み込んで、また、失うのが、怖いから。整うまで、と言って、決断を、先延ばしにする。立派な、信条みたいな顔を、してるが。根っこは、俺が、傷つくのが、怖いだけだ」
誰も、慰めなかった。それが、かえって、ありがたかった。
皆が、それぞれの、思いを、抱えて、黙り込んだころ。
隅にいた七尾が、膝の上の、紙束を、そっと、開いた。
「霧生さん。……この記録を、見て、ください」
彼女が、差し出したのは、ゼニスの、抹消記録だった。久遠の、名前の、あるページ。その、抹消事由を、決裁した欄に、一つの、署名が、あった。
冴島 迅牙。
当時から、ゼニスの、才能値基準を、決めていたのは、あの男だった。基準を、引き上げ、届かない者を、切り捨てる。その方針に、判を、押していたのが、冴島だ。
久遠を、最初に、壊したのは。才能が足りないと、社会から、はじき出したのは。ゼニスの、冴島の、淘汰だった。
俺は、その署名を、指で、なぞった。乾いた、インクの、かすれた文字。人ひとりの、行き場を、断つのに、この男は、ペン先を、一度、走らせるだけで、済ませたのだ。久遠が、どんな顔で、その通告を、受け取ったのか。そのあと、どれだけ、どこも拾ってくれない日々を、歩いたのか。この署名には、何も、残っていない。ただ、事務的に、切った、という記録だけが。
「あの人が」
俺は、呟いた。頭の奥で、冴島の、あの声が、蘇る。以前も、一人、壊したでしょう。あの雨の日。……あれは、俺を、責めていたんじゃ、なかった。あの男は、知っていたんだ。久遠が、どこから来て、なぜ、俺のところへ、流れ着いたのかを。自分が、切り捨てた男が、どうなったのかを。
久遠の件が、俺の中で、像を、変えた。
これは、俺一人の、後悔じゃない。才能が足りないと、あいつを、社会から、はじき出した奴が、いる。その、はじき出された男を、俺が、焦って、送り出して、失った。二人がかりで、あいつを、殺したようなものだ。片方は、才能で。片方は、焦りで。
だとしたら。俺が、今、戦うべき相手の、輪郭が、はっきりする。
夜が、更けた。
皆が、帰り、六車だけが、片づけを手伝って、残っていた。
俺は、訓練スペースの、隅で、木剣を、拭く、その大きな背中に、思わず、言っていた。
「六車さん。……俺は、あんたを、戻すのが、怖い」
男の手が、止まった。
「また、俺の、判断で。整った、と、送り出して。それが、間違いだったら。あんたを、久遠と、同じ目に、あわせたら。……俺は」
言葉が、続かなかった。
六車は、しばらく、木剣を、見つめてから、のそりと、振り返った。訥々とした声で、言う。
「霧生さん。あんた、その怖さを、感じるってことは」
男は、木剣を、壁に、立てかけた。
「本気で、俺のことを、考えてるって、ことだろ。適当に、扱う相手なら、怖くなんか、ならねえ。……その怯えは、あんたが、俺を、本気で、生かそうとしてる、証だ。俺は、そういう男に、診てもらえて、むしろ、ありがたいと、思ってるよ」
その、まっすぐな言葉に、俺は、返す言葉を、持たなかった。
支える強さ、と、俺は、この男に、言った。仲間を、生かす、目だ、と。その、支える力が、今、俺自身に、向けられていた。
だが、俺の中の、久遠の影は、まだ、消えていなかった。怖さは、言葉一つで、晴れるものじゃない。俺は、六車を、戻す踏ん切りを、まだ、つけられずに、いた。
六車が、帰ったあと。俺は、机の、いちばん奥の引き出しに、手を、かけて、やめた。久遠の写真を、また、開く気には、なれなかった。話したことで、あいつの顔が、かえって、近くに、なりすぎていた。
その夜、工房の隅で、一ノ瀬が、音羽と、何か、小声で、話し込んでいた。師の、揺れる背中を、見つめながら。二人の目には、俺を、案じる色と、それから、何か、決めたような、静かな光が、あった。今度は、自分たちの、番だ、とでも、言うように。




