第20話 支える強さ
ゼニスからの通告は、宣戦布告だった。
工房への、資源供給の、停止。提携していた、防具屋、素材業者への、圧力。ゼニスと取引を続けたいなら、あの零細工房とは、手を切れ、と。翌朝には、いくつかの取引先から、すまなそうな断りの連絡が、入り始めていた。
兵糧攻めだ。真綿で、首を、絞めるように。工房を、干上がらせて、思想ごと、葬るつもりだった。
「……えげつない、やり方ですね」
七尾が、青い顔で、言った。一ノ瀬も、音羽も、六車も、その場の空気に、飲まれて、黙り込んでいる。
その、重い沈黙の中で。
俺は、動揺する自分の胸に、冴島の声を、もう一度、聞いた。慈悲か、贖罪か。あなたには、救った先まで、見届けられますか。
――そうだ。俺は、久遠のとき、焦って、送り出して、失った。だから、怖くなった。それ以来、踏み込むことに、怖じ気づいて。この二日、六車を、宙ぶらりんにして。
だが、今、気づいた。
久遠のとき、俺の判断を、狂わせたのは、"焦り"だった。応えたい、という、俺の都合。そして今、俺の判断を、止めているのは、"怯え"だ。また失うのが怖い、という、俺の都合。
焦りも、怯えも、どっちも、俺の側の、都合じゃないか。目の前の人間じゃなく、自分の傷ばかり、見ている。
それは、久遠に対しても、六車に対しても、いちばん、してはいけないことだった。
「六車さん」
俺は、顔を、上げた。声に、いつもの、芯が、戻っていた。
「二日、待たせて、悪かった。俺の、都合だ。あんたのせいじゃない。……もう、逃げない。あんたの身体、はっきり、言う」
六車が、はっと、こちらを、見た。
「あんたの問題は、衰えじゃない。榊のデータが、証明してる。あんたの本当の問題は――"斬り込み役"に、しがみついてることだ」
「……しがみつく?」
「あんたは、若い頃、誰より速く、飛び込む役だった。速さが、売りだった。だが、その速さは、確かに、若手に、抜かれた。それは、事実だ。……だが、あんたは、速さだけの、探索者だったのか?」
俺は、この二日、横目で見てきた、六車の動きを、思い返した。逃げていたようで、俺の眼は、ちゃんと、それを、拾っていた。
「あんたは、動きながら、いつも、後ろを、見てる。後衛の子の位置。仲間の陣形。危ない奴が、誰か。……無意識に、全体を、把握してる。この前、後ろの子が囲まれかけたとき、あんた、遅れた踏み込みでも、真っ先に、そっちへ、身体を、向けたろ。速さは、落ちた。だが、あんたの"目配り"は、若手の誰も、持ってない。それは、二十年、前衛で、生き抜いた男にしか、ない財産だ」
六車の、大きな身体が、微かに、震えた。
「あんたの強みは、もう、"斬り込む速さ"じゃない。"仲間を、支える目"だ。速さで勝負する役を、降りろ。あんたが立つべきは、いちばん前で、味方を、守り、生かす、盾の位置だ。……前衛の"斬り込み役"から、みんなを、支える"要"へ。役割を、変えるんだ」
六車は、しばらく、言葉を、失っていた。
「支える、側……」やがて、掠れた声で、呟いた。「そんなの、考えた、ことも、なかった。斬り込めなくなったら、終わりだと、ばっかり」
「才能値ってのは、天井の高さだ」俺は、続けた。「それは、変わらない。あんたの若い頃の速さも、戻らない。それは、認めるしかない。だが、"どの役割で戦うか"は、才能値とは、別の話だ。同じ身体でも、役割を変えれば、活きる場所が、変わる。あんたは、速さを失ったんじゃない。速さで勝負する場所から、支える場所へ、移る時期に、来ただけだ。……衰えたんじゃない。次の、役に、進むんだ」
この言葉を、俺は、久遠には、かけられなかった。あのときの俺は、久遠を、元の役に、元の場所に、戻すことしか、考えていなかった。走れなくなった男を、もう一度、同じ走り方で、走らせようとした。だから、無理を、させた。……今なら、わかる。壊れた人間を戻すってのは、元通りにすることじゃない。その人間が、今、いちばん活きる場所を、一緒に、探すことだ。
三年、遅かった。だが、その気づきを、俺は今、六車の前で、ようやく、言葉にできた。
昼、訓練スペースで、その"再定義"を、試した。
六車を、盾役に据え、一ノ瀬と音羽を、その後ろに、置く。
効果は、すぐに、出た。
六車が、二人の位置を、常に把握し、危ない方向へ、身体を差し込み、退路を、確保する。一ノ瀬は、背後を、気にせず、間合いに、集中できる。音羽は、詠唱の、溜めの時間を、六車の盾が、稼いでくれる。二人の実戦値が、目に見えて、上がった。単独よりも、明らかに、強い。
「……なんだ、これ」
一ノ瀬が、驚いた声を、出した。「六車さんが、後ろにいるだけで、こんなに、動きやすいのか」
「あたしも。……守られてるって、こんなに、楽なんだ」
俺は、その光景を、壁際から、見ていた。
これが、俺のやり方だ。俺は、ダンジョンに、入れない。剣も、魔法も、使えない。だが、三人の身体を、組み合わせて、それぞれの強みが、いちばん活きる配置を、描くことは、できる。六車の目配りが、一ノ瀬の集中を生み、その集中が、音羽の詠唱を、守る。一人ひとりの才能値を、足し算じゃなく、掛け算に、変える。これは、才能で殴る探索者には、決して、描けない絵だ。
六車は、二人の背中を、守りながら、その言葉を、聞いていた。その顔から、あの、厚い諦めが、少しずつ、剥がれ落ちていく。二十年、誰かを守るために、前に立ってきた男が、今、久しぶりに、"必要とされる"感覚を、取り戻していた。盾を構えるその背中が、面談に来た日より、ひと回り、大きく見えた。
「……俺は」
六車が、ぽつりと、言った。
「まだ、誰かの、役に、立てるのか」
「ああ」俺は、頷いた。「あんたにしか、立てない役が、ある」
夕方。七尾が、工房に、残った。
「ゼニスの狙いは、はっきりしてます」彼女は、硬い声で言った。「工房を、兵糧攻めで、潰す。霧生さんの"再生"って考え方が、広まるのを、止めたいんです。才能値がすべて、っていう、あの人たちの商売の、根っこを、揺るがすから」
彼女は、一度、唇を、噛んだ。それから、決意した目で、俺を、見た。
「私、調べます。ゼニスの、過去も。……あそこは、才能値で、たくさんの探索者を、選別して、切り捨ててきた。その記録が、どこかに、残ってるはず。敵の、弱みを、握らないと、この兵糧攻めには、勝てません」
俺が、止める間も、なかった。七尾は、その足で、支部の、古い記録の、山へ、分け入っていった。
そして、その夜、遅く。
俺の携帯が、鳴った。七尾からだった。
その声は、震えていた。
「霧生さん。……ゼニスの、古い、解雇記録の中に。……"久遠"、っていう、名前が――」




