第15話 整った力で
会場は、満員だった。
公開試合用の、浅層フロア。観客席は、鷺沢の名を目当てに集まった客で、埋まっている。実況のカメラが、何台も、レンズを光らせていた。中央で、鷺沢が、マイクを片手に、観客を煽っている。
「才能ゼロが、まぐれで一勝して、調子に乗った。しかも、俺に、逆恨みだ。一年前、自分のパーティが弱くて全滅したのを、俺のせいにして、な。……はは、才能値の低い連中の、逆恨みは、見苦しいねえ」
どっと、笑いが起きる。
フロアの中央に立つ一ノ瀬は、その嘲笑を、静かに、受け止めていた。俯かない。睨まない。ただ、剣を提げて、まっすぐ、立っている。右手は、微かに、震えていた。だが、その震えを、青年は、もう、恐れていない。
試合開始の、ブザーが鳴った。
鷺沢が、動いた。
速い。さすがは、ランキング常連。才能値の暴力が、そのまま、剣速になっている。一撃で、決めにきた。観客に、"才能の差"を、見せつけるために。
だが。
一ノ瀬は、退がらなかった。踏み込みも、しなかった。半身のまま、鷺沢の剣の軌道の上に、震える切っ先を、そっと、置いた。
鈍い衝突音。鷺沢の渾身の一撃が、逸らされ、その巨体が、勢い余って、たたらを踏んだ。
観客席が、ざわめいた。
「……なに?」
鷺沢の顔から、余裕が、消えた。まさか、自分の一撃が、こんな、力の抜けたあしらいで、逸らされるとは、思っていなかったのだ。
「才能で殴るしか、知らないお前には」一ノ瀬が、静かに言った。「この間合いは、一生、見えねえよ」
初太刀が、鷺沢の型を、崩していた。
鷺沢は、これまで、ずっと、才能値で、押し切ってきた男だ。高い天井が、多少の雑な剣でも、勝たせてくれた。だから、こいつは、自分の力の"使い方"を、一度も、疑ったことがない。疑う必要が、なかったからだ。それは、皮肉にも、音羽と、同じ穴だった。才能があるがゆえに、フォームの粗さに、気づけない。ただ、音羽は、それで身体を壊し、鷺沢は、それで、勝ち続けてきた。今日までは。
その、粗さの穴に、一ノ瀬の"合わせ"が、正確に、刃を、差し込んでいく。
控室のモニターの前で、俺は、立っていた。
柵の内側にすら、入れない、無適性者の場所で。隣には、音羽と、七尾がいる。
「……先輩、勝てるよね」
音羽が、モニターを、食い入るように見つめて、言った。突っかかる口調は、消えている。ただ、祈るような、声だった。
「勝つさ」
俺は、答えた。
「憎しみじゃなく、整った力でな。……見てろ。あいつは今、この一月半で、いちばん、いい状態だ」
モニターの中で、一ノ瀬は、鷺沢の猛攻を、次々と、逸らしていた。震えは、消えていない。だが、その震えごと、間合いを、支配している。鷺沢が、才能で、前へ出れば出るほど、その力は、一ノ瀬の"合わせ"に、逸らされ、崩されていく。
助けに、行けない。俺は、ここから、一歩も、動けない。だが、もう、それを、恐ろしいとは、思わなかった。
あいつの身体は、もう、全部、知っている。あとは、あいつが、決める。
――今度は、間違えなかった。
三年前、俺は、久遠を、見て見ぬふりで、送り出した。だが今日は、一ノ瀬の震える手を、最後まで、まっすぐ見て、その震えごと信じて、送り出した。同じ"送り出す"でも、まるで、違う。その違いを、俺は、この控室で、噛みしめていた。
フロアの上で、鷺沢の息が、上がり始めていた。
才能値の暴力は、確かに、強い。だが、それは、真正面から、力で押すことしか、知らない。一ノ瀬は、その力を、一度も、正面から受けない。全部、逸らす。いなす。鷺沢は、空を切り続け、体力だけを、削られていく。
「くそっ、ちょこまかと!」
焦った鷺沢が、大振りの一撃を、放った。
その、大きく崩れた体勢。守りの果てに生まれる、たった一瞬の、隙。
一ノ瀬の目が、開いた。
ここだ。
青年が、初めて、前に出た。左足が、踏み込む。震えが、全身に走る。あの、いちばん怖い瞬間。だが、止まらない。震えごと、その踏み込みを、抜き放った。
発揮効率、九割。才能値の天井を、解き放った一撃が、鷺沢の剣を、下から跳ね上げ、その喉元に、ぴたりと、切っ先を、突きつけた。
寸止め。
フロアが、静まり返った。
一ノ瀬は、震える切っ先を、鷺沢の喉に突きつけたまま、殴らなかった。憎しみを、そこに、乗せなかった。
「……勝負は、ついた」
青年は、静かに言った。それから、剣を、引いた。
「あんたを、殴りたい気持ちは、ある。一年、ずっと、あった。……でも、殴らない。あんたと、同じ土俵には、降りねえ」
一ノ瀬は、剣を鞘に納め、観客席とカメラに向かって、はっきりと、言った。
「一年前、俺のパーティが全滅したとき、こいつのチームは、四百メートル先にいた。救援要請を受け取って、逆方向に、引き返した。……その記録は、ギルドの、サーバーに、残ってる。俺の言葉じゃない。記録が、語る」
ざわめきが、会場に、広がっていく。鷺沢の顔から、血の気が、引いていった。
「見殺しの件は、記録が語る。俺は、ただ、勝っただけだ。……才能値の低かった、俺のやり方で」
私怨は、ぶつけなかった。ただ、事実だけを、置いた。実力と、事実で、あの腐った理屈を、上書きした。
殴って、すっきりする決着じゃない。だが、これは、殴るより、ずっと重い。才能値が低いと切り捨てられた男が、才能値の頂点にいた男を、正々堂々、打ち負かした。その事実は、もう、誰にも、覆せない。鷺沢が振りかざしてきた"才能がすべて"という理屈そのものが、この一戦で、根から、崩れた。
やがて、会場のどこかから、拍手が起きた。それは、さざなみのように、広がっていった。才能ゼロと嗤われた男に、満員の観客が、手を叩いている。一年前、誰にも"おかしい"と言ってもらえずに消された、あのパーティのために。今、この会場が、ようやく、それを、間違っていたと、認めていた。
敗れた鷺沢が、呆然と、膝をついている。その、崩れた背中の、すぐ後ろに。
いつのまにか、一人の男が、立っていた。
仕立てのいい、コート。冷たく、理知的な目。会場のざわめきの中で、その男の周りだけが、しんと、静かだった。
冴島迅牙。
男は、膝をついた鷺沢には、一瞥もくれなかった。まるで、そこに、いないかのように。
そして、まっすぐ、控室のほうへ――俺のほうへ、歩いてくる。
観客も、カメラも、その男の登場に気づいて、静まっていく。
冴島は、俺の前で、足を止めた。
俺を、じっと、見下ろす。その目の奥に、遠い昔を、たぐり寄せるような色が、ちらついた。
「少し、お話を」
低い声だった。
「――久しぶりだね。こんなところで、まだ、人を直していたとは」




