第13話 話してないこと
「一年前、あの壊滅は――"事故"じゃ、なかった」
押し殺した声で、一ノ瀬は、切り出した。
工房の夜は、静かだった。暖房を切ったあとの、しんとした寒さの中で、青年の白い息だけが、ぽつぽつと上がる。俺は、向かいのパイプ椅子に、黙って座っていた。
「あの日、俺たちは、中層で、想定外の群れに、囲まれた。数が、多すぎた。誰かが、救援要請を、飛ばした。……近くに、いたんだ。ゼニスの、チームが。すぐそこの、区画に」
缶を握る指が、白くなる。
「無線は、繋がってた。俺、聞いたんだ。リーダーが、必死で、応援を呼んでる声を。座標を、何度も、繰り返して。あと、三分でいい、来てくれって。……そしたら、向こうから、返ってきた。『そのパーティ、才能値の平均が低い。救援に人を割いても、割に合わない。損害のほうが、大きくなる』って。……そういう、計算の声で」
一ノ瀬の声が、震え始めた。恐怖の震えとは、違う。もっと、深い場所からの、震えだった。
「割に合わない。俺、あの言葉、今でも、耳から、離れねえんだ。人が、死にかけてるのに。すぐそこで、剣を握って、戦ってるのに。あいつらは、俺たちの命に、値札を、つけた。才能値って、数字の、値札を。……で、その値札が、安いから、助ける価値がないって。そう、判断した」
缶が、みしり、と鳴った。
「才能値が、低いパーティ。それが、俺の、仲間だった。みんな、いい奴らだったよ。才能値なんて、関係ねえ。俺の、震える剣を、いつも、笑わずに、待っててくれる奴らだった。……その全員に、あいつらは、"割に合わない"って、値札を、貼ったんだ」
「あいつらは、来なかった。来られたのに、来なかった。俺たちを、天秤にかけて、"損"のほうだって、そう、判断して。……そのあいだに、仲間が、一人ずつ、やられていった。リーダーが、最後に、俺のほうに、これを投げてよこして」
ポケットから、角の欠けたバッジが、取り出された。
「――逃げろ、って。俺は、才能値だけは、高かったから。俺なら、生き残れるって。……あいつらは、そう思って、俺を、庇って。俺だけ、生かして、死んだ」
青年は、バッジを、額に押し当てた。
「その、救援を、断ったチームの、リーダーが」
声が、掠れた。
「鷺沢、恭弥だ」
工房の空気が、凍りついた。
俺は、すぐには、言葉を返せなかった。あの、実況で嗤う男。才能ゼロと、一ノ瀬を侮辱した、あの男。そいつが、一ノ瀬の仲間を、天秤にかけて、見殺しにした張本人。この青年は、それを、ずっと、一人で、抱えてきたのだ。
「俺だけ、生き残ったのは」一ノ瀬は、絞り出した。「あいつが、俺の仲間を、見捨てたからかもしれない。俺の命は、あいつの、"損得勘定"の、余りものなんだ。……そう考えると、俺、生きてるのが、たまに、たまらなく、なる」
初めて、こいつは、それを、言葉にした。ずっと、喉の奥で、腐らせてきた言葉を。
「よく、言った」
俺は、静かに言った。断定は、最後に取っておく。だが、ここは、言わなければならない。
「お前が生きてるのは、余りものだからじゃない。リーダーが、最後の力で、お前を選んで、逃がしたからだ。値札で測ったのは、鷺沢だ。お前を選んだ人間は、値札なんかで、お前を測っちゃいない。その二つを、一緒にするな」
一ノ瀬が、顔を上げた。
「託されたものを、余りものだと思って、腐らせるのか。それとも、託した奴らのぶんまで、立って、あの値札の理屈を、間違ってたって、証明してみせるのか。……どっちにするかは、お前が、決めろ」
青年は、額に押し当てたバッジを、そっと、離した。欠けた角を、じっと、見つめる。
「その荷物は、一人で持つには、重すぎる。降ろせとは言わない。だが、これからは、俺も、半分、持つ。お前が、あの場所に、戻るなら。今度は、俺が、入口で、待ってる」
翌日の午前。
音羽の詠唱は、さらに、安定していた。実戦を想定した、連続詠唱でも、右肩は、もう悲鳴を上げない。光球を、続けざまに三つ、危なげなく撃ち出して、音羽は、荒い息もつかずに、けろりとしていた。
「……嘘みたい。前なら、一発で、肩が死んでたのに」
彼女は、それから、隅で黙って木剣の手入れをしている一ノ瀬を、ちらりと見た。
「ねえ、先輩」
「あ?」
「あんたも、戦うんでしょ。あの、感じ悪い実況の男と」
一ノ瀬の手が、止まった。
「あたし、見ててあげてもいいけど。……あんたが、あの男に、ちゃんと勝つとこ。あたしを、独学女って、馬鹿にした、あいつに」
突っかかる口調だった。だが、その裏に、不器用な連帯が、透けていた。この子なりの、応援だった。頼ることを覚えたばかりの子が、今度は、誰かの背中を、押そうとしている。
「あんたたち、二人とも、あいつに、馬鹿にされた側でしょ。あたしも。……なんか、悔しいじゃん。才能がどうとか、そればっかりで、人のこと、値踏みして。だから、勝ってよ。あたしたちの、やり方で」
あたしたちの、と、この子は言った。ほんの三日前まで、頼ることは負けだと、独りで殻に閉じこもっていた子が。
俺は、その言葉を、黙って聞いていた。工房が、少しずつ、"一人"の集まりから、"仲間"に、変わり始めている。それは、俺が、教えたことじゃない。こいつらが、自分の手で、勝手に、掴んでいった。
一ノ瀬は、少し、笑った。それから、ゆっくりと、立ち上がった。
「……ああ。やるよ」
その声には、昨日の、ざらついた怒りは、なかった。もっと、据わった、静かな決意だけがあった。
「霧生さん。公開試合に、出る。鷺沢と、決着を、つける。ちゃんと、人の見てる場所で」
昼、七尾が、公開試合の段取りを、運んできた。
「……申し込めば、受理は、されると思います。鷺沢さん、乗り気ですから。でも」
彼女は、言い淀んだ。
「負けたら、工房の評判は、地に落ちます。今、せっかく、いい噂が立ち始めてるのに。……鷺沢さんは、それを、狙ってる。一ノ瀬さんの、過去の傷ごと、公開の場で、潰すつもりです。高い、賭けです」
俺は、一ノ瀬を見た。青年は、まっすぐ、俺を見返してきた。
三年前なら、俺は、止めていた。危ない、まだ早い、と。数字を盾に、不安に蓋をして。
だが。
「今度は、止めない」
俺は、そう言った。自分の口で、はっきりと。
「お前は、整ってる。身体も、心も。あとは、お前が、決めることだ。……勝ってこい。正しく、な」
一ノ瀬の目が、わずかに、潤んだ。だが、涙は、こぼれなかった。ただ、深く、頷いた。
その夜、俺の携帯に、動画のリンクが届いた。差出人は、匿名。だが、誰かは、すぐ分かった。
再生すると、鷺沢の顔が、映った。
『見殺し? はは、面白いこと言うね。……証拠でも、あるのかい?』
嘯く、その笑みが、画面いっぱいに、広がっていた。




