第17話 水龍
通路の角を曲がった先にいたのは、わたしの体よりも大きな水龍だった。
体から滴り落ちる水の音。
とても懐かしい――。
「どうしてこんなところに姉さんの使い魔が……」
いいえ、さすがにそれはあり得ないわよね。ルナリアの話からすれば、姉さんはもう……。
使い魔は主人からの魔力を糧として生きる存在だものね。メミニのような特殊な例は置いておくとして、普通の使い魔なら、主人からの魔力供給が途絶えてしまったら、あとはゆっくりと消滅するだけ……。
もし姉さんの水龍がメミニのように大気中から魔力を取り込める使い魔だったとして――。
そういう問題ではないわね。そもそも姉さんはこの塔に足を踏み入れてすらいないのだから、姉さんの水龍がこんなところにいるわけがないのよ。
「だったらこれは何なのかしら? たまたま水龍の魔物がこのダンジョンの5階に?」
それにしてはまったく敵意を感じないし、襲ってくる気配もないわ。もし姉さんの水龍なら、ずっと一緒にいたわたしのことも覚えているはずだから……。
キュゥゥゥン。
水龍がわたしに向かって鳴き声を上げた。
ああ、この声、懐かしいわ。
すごく人懐っこくて、甘えるように鳴いて……。
やっぱり姉さんの水龍に間違いないわ。
「こっちにおいで」
あなただけでも生き延びられたのね。
1,000年振りよ。もっとよく顔を見せて。
キュゥンキュゥン。
水龍がうれしそうにわたしの周囲を飛び回る。
その瞳を虹色に輝かせて。
「ふふふ。その瞳、やっぱり綺麗ね」
姉さんがあなたを使い魔に選んだのも、その瞳の美しさが決め手だったものね。わたしもすごく好き。
「そうだわ。あなたのことを二人にも紹介するわね。メミニ! ルナリア! ちょっとこっちに来てちょうだい」
通路の曲がり角に向かって、声を張り上げて二人を呼んでみる。
「来ないわね……。わたしの声が聞こえないのかしら? ちょっとメミニ! ルナリア!」
ダメね。そんなに距離は離れていないはずなのに……。そもそもメミニとは声を介さなくても通じるはずでしょう? 何も応答がないのはさすがにおかしいわ。
「ごめんなさい、少しここで待っていてもらえるかしら。わたし、二人を呼んでくるわね」
と、水龍をその場に残し、通路の曲がり角を――。
その先には誰もいなかった。
いいえ、きっとこれは、あの二人がいなくなったのではないわね。
わたしのほうが、二人とは違う空間に来てしまったようだわ。
ゆっくりと振り返り、水龍のほうに視線を向ける。
これはあなたの仕業よね?
「あなたはいったい誰なの?」
少なくとも姉さんの水龍ではないわね。
姿かたちはそっくりだけれど、姉さんの水龍に、人を別の空間に移送するような能力はなかったわ。
キュゥゥゥゥゥゥゥン。
水龍が大きく一鳴きした。
その鳴き声に呼応するようにして虹色の瞳が輝きを増していく。
直視できないほどの光量が溢れ出す。
顔を手で覆って目をつぶっても、瞼を通して入ってくる光。
やがてわたしの視界はすべて白で塗りつぶされた。
水龍の鳴き声が聞こえなくなり、辺りが静けさを取り戻す。
恐る恐る目を開けてみる。
白の空間――。
床も天井も壁もなく、すべてが白い空間の中にわたしは立っていた。
上下の間隔もあやふやになり、視点が定まらない。
ぼんやりしていると、目の前に水龍と戯れるわたしの姿が見えてきた――。
「これは……わたし? まさかわたしの記憶……?」
姉さんと水龍の姿が映し出されていた。
足の遅いわたしは、よく水龍の背に乗せてもらって移動していたわね。
姉さんは風魔法が得意だったわ。足に纏わせた風魔法を巧みに使って、地面をスライドするように飛んでいくの。いくら真似しようとして練習しても、姉さんのように飛ぶことはできなかったわね。
族長候補の姉さん。
何でもできる姉さん。
わたしはその補佐役で、姉さんが大魔法を使う時に、練り上げた魔力を供給する役割だったわ。
姉さんに対してのみんなからの期待は、それはそれはすごかったわよね。
よくもこんなに大きなプレッシャーを背負って生きていけるなと……わたしなら逃げ出してしまいそうだもの。
『リアンナ』
えっ、誰⁉
今わたしにしゃべりかけたのは、水龍、あなたなの?
お腹に響くような、とても低い声。
いつもの人懐っこい水龍の鳴き声とはまったく違うわ……。
『リアンナ、お前はなぜ生き残ったのか』
え……なぜって……。
不意打ちで、頭を槌で殴られたような衝撃を受けた。
『なぜ、お前だけが生き残ったのだ』
「え……と……わたし、たまたま図書館にいて……」
本を読んでいたらちょうど空間消滅が起こって、それでそのまま図書館に閉じ込められていた、んだと思うわ。
メミニからの呼びかけがなかったら、自分が図書館に閉じ込められていることにも気づかなかったかもしれないけれどね。まだあと何百年かは、あの薄い魔力の中でも生きられたと思うし。
『なぜ、お前は救おうとしないのだ』
わたしが……? 何を?
『お前だ。お前にしかできないことだ』
わたしにできること? わたしは姉さんではないのよ? わたしにできることなんて高が知れているわ。
『その目で確かめ、正しき選択をするのだ』
さっきから何を言っているの?
わたしに何をさせたいのよ。
姉さんが死んだからって、わたしに代わりは務まらないのよ!
『お前だ。お前にしかできないことだ』
また……。
『再生か死か』
何を言って……。
「待って。まさか、消滅した空間を戻す方法があるの?」
『すべてを見聞きし、咀嚼し、そして決断を下せ』
わたしの質問に答えなさいよ。
わたしは何をすれば良いの?
『その目で確かめ、正しき選択をするのだ』
だからいったい何を……。
再び水龍の瞳が輝きだす。
「ねぇ、ちゃんと教えて! わたしに何をさせたいの⁉ わたしが生き残ったのは偶然ではないの⁉ 何か意味があるの⁉ 教えて!」
視界が溶けていく。
ダメ。
水龍が消える――。
必死になって手を伸ばすも、虚しく空を切る。
光が収まったあとに、水龍の姿はなかった。




