理由
「…………ふぅ」
深く、呼吸を整える。今いるのは、リビングの扉の裏――そこで、こっそり聞き耳を立てていたんだけど……うん、まさかこんな話を聞いちゃうとは。遥くんがなかなか上がってこないから、単にトイレで遅くなってるなら申し訳ないなと思いつつ、それでもなんか嫌な予感がして降りてきてみたら……果たして、お母さんに捕まってたわけで。
そういうわけで、どうせあたしに関する話だろうと聞き耳を立てていたわけだけど……いや、誰が性に奔放だよ。衝撃すぎて扉にぶつかっちゃったじゃねえか。……いや、過去を顧みると否定はし難いかもしれないし、実際そういうことに人並み……いや、それ以上に興味はあるかもしれないけど……でも、どう考えても娘の恋人に言うことじゃないでしょ。いや、誰に対しても言うことじゃないけど。
……とは言っても、なんであんなことを言ったのかは流石に分かってるけど。我が母ながら色々とおかしな人ではあるけれど、その人の印象が悪くなるかもしれないことを何の理由もなく言ったりする人でもない。それは愛娘だからでなく、誰に対しても同じで。
つまりは、それでも言うだけの理由があったということ。そして、それが私のためであることは流石に分かっていて。……まあ、余計なお世話だけどね。なので、その辺りについては後できっちりお説教をするとして――
『――僕は、唯菜さんが好きなんです。どんな唯菜さんでも、僕は……彼女の全てが大好きで、愛おしくて仕方がないんです。なので……仮に、お母さまご自身の口から直々に別れてほしいと言われても、決してお応えすることはできません』
再度、いっそう顔が熱くなる。……うん、流石に分かる。表情なんて見えなくても、それが紛れもなく本心からの言葉であることくらい。……まあ、分かってはいたんだけどね。遥くんが、どれほどあたしを深く想ってくれているのか――そんなこと、とっくに分かってはいたんだけどね。……あと、お母さん相手だから、っていうのは分かってるけど……いや、ドキッとするじゃん。急に、唯菜なんて言われたら。……さて、あたしにはいつ言ってくれるんだろうね。
そっと、胸に手を添える。まるで落ち着いてくれる気配のない、騒がしい自身の左胸へと。……うん、分かってる。一言、言えばいいだけ。あたしと、付き合ってほしい――そう、たった一言を言えばいいだけ。それだけで、私達はめでたく恋人になれるはずだから。
……なのに、言えない。そして、分かってる。その理由が、我ながらどうしようもなくバカげたものだってことくらい。少なくとも、彼の告白を受け入れない理由になんてならないことくらい。……だけど、それでも――




