表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【読切版/完結】追放された宮廷女医師は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/21

9話:楽しそうですね

手紙の内容は予想通りだった。


レナートの容態が悪化した。戻ってきてほしい。文面は丁寧だったが、行間に余裕がなかった。


(言ったのに)


言った。半量にしろと。引き継ぎの記録も残した。聞かなかったのだ。聞かなくて、こうなった。


リーナに診療所を任せて、三日で王都に着いた。今度は馬車が出た。追放の時は歩きだったのに。


(現金なものね)


***


宮廷医師団の建物は何も変わっていなかった。三年いた場所。三週間ぶり。


廊下を歩いた。すれ違う医師たちの反応が面白いほど分かれた。目を逸らす者。気まずそうに頷く者。あからさまに舌打ちした者もいた。


角を曲がった時だった。


壁に手をつきながら歩いている男がいた。片足を引きずっている。右足。靴を履いていない。左足だけに靴。右足は布を巻いただけで、それでも地面につけるたびに顔を歪めている。


ブルーノだった。


目が合った。


ブルーノの顔が強張った。こちらを見て、すぐに逸らして、もう一度見た。引きずっている足を庇うように身体の後ろに隠そうとして——壁に肩をぶつけた。


右足に目が行った。布の上からでも分かる。親指の付け根の関節。赤く腫れている。


(ああ——やっぱり)


【右足第一趾——関節内に尿酸結晶の沈着。急性炎症】


あの日、追放の日に見えたものと同じだった。あの時は初期だった。今は発作が出ている。


「……何を見ている」


ブルーノの声が低かった。


「別に」


「笑いに来たか。追放された分際で——」


「笑ってません。レナート様の件で呼ばれたので」


「分かっている。……分かっている!」


声が裏返った。廊下に響いた。


通りがかった侍医がこちらを見て、すぐに目を逸らして足早に去った。


ブルーノの額に汗が浮いている。痛みのせいだけではない。追放した女が呼び戻された。自分は足を引きずっている。その惨めさを噛み締めている顔だった。


「……先生」


言いかけて、やめた。


(忠告しても聞かないでしょう。この人は)


「失礼します」


背を向けた。


「おい」


足を止めた。


「……お前の言った通りだったのか。この足は」


振り返った。ブルーノの顔を見た。怒りでも虚勢でもなかった。


怯えていた。


「食事を変えてください。肉と酒を減らして、水を多めに。痛みがひどい時は冷やして、足を高くして横になること」


「……聞いてない」


「聞かれましたよね。今」


ブルーノが口を開けて、閉じた。


「それ以上悪くなったら、まともに歩けなくなります。もう片方にも出ます」


歩き出した。


背中にブルーノの視線を感じた。追いかけてくる足音はない。追いかけられないのだ。


***


レナートの病室に向かう途中で、ヴェルナーが追いついてきた。顔色が悪い。頬がこけている。眠れていない。


「状況を聞かせてください」


ヴェルナーが早足で並んだ。


「君の引き継ぎ書の通りにした。半量に落とした。最初は持ち直したが、五日で再び悪化した。腹の痛みが収まらない。何を変えても安定しない」


「引き継ぎ書の通り、ですか」


「そうだ」


「半量にしたのは、いつですか」


ヴェルナーが一瞬黙った。


「……黄疸が出てからだ」


「黄疸が出る前に変えてくださいと、追放の日に申し上げました」


「あの場であんな言い方をされて、はいそうですかと——」


「肝臓に負荷がかかった状態で半量に落としても、すぐには戻りません。炎症が残ったまま薬を入れ続けたから、何を変えても効かないんです」


ヴェルナーの足が止まった。


「つまり——私のせいだと」


「原因を聞かれたので答えています」


ヴェルナーの右手が震えていた。追放の日と同じ指。中指と薬指。分かっているのだ。自分のミスだと。あの時と同じように。


「……どうすればいい」


「今の薬を全部止めてください。話はそれからです」


「全部? 止めたら——」


「今の薬が悪化させてるんです。止めて、肝臓が落ち着くのを待ってから組み直します」


ヴェルナーの唇が動いた。何か言おうとして、やめた。


「……任せる」


背を向けて去っていった。


***


病室の扉を開けた。


レナートを見て、足が止まった。


三週間前とは別人だった。頬がこけて、目の周りが暗い。肌から生気が抜けている。腕が細い。


注視した。


【肝臓——炎症。肥大傾向】

【脾臓——腫大。慢性炎症】

【腸管——浮腫】

【体内——微量の異物蓄積。複数臓器に分散】


(肝臓がまだ炎症してる。薬の切り替えが遅すぎた。……それと、この蓄積物。前からあった。少しずつ溜まっている)


気になる。だが今はそれより、目の前の炎症を抑えるのが先だ。


レナートがこちらを見た。


目が合った瞬間、表情が変わった。


「エリカ先生」


声に力が出た。さっきまで天井を見ていた人間の声ではなかった。


「お久しぶりです。だいぶ悪そうですね」


「もう大丈夫です。先生来たから」


(大丈夫じゃないんだけど)


ベッドの横に座った。手首を取った。脈が弱い。


「薬、全部変えます。今飲んでるもの、今日から止めて」


「やった。あれまずかったんです。先生のやつ、もっとましだったのに」


「私のも十分まずいと言われてましたけど」


「全然違いますよ。先生のは飲んだら楽になったから、我慢できた」


腹部に触れた。左側を押した。


「……っ」


「ここ、ずっと痛い?」


「先生がいなくなってからずっと」


言い方。それは腹の話なのか、そうじゃないのか。


(考えすぎ。症状の確認が先)


薬を組み直した。肝臓の炎症を抑えるものと、蓄積物を少しずつ排出するもの。二種類。量を書いた。


「これを朝と夜。量は絶対に変えないで」


「先生が作ってくれるんですか」


「今日の分は作ります。明日からは調合の手順を書き残すから、侍医に任せて」


「先生がいいです」


「わがまま言わないでください」


レナートが少ししょげた顔をした。


薬を調合している間、レナートはずっとこちらを見ていた。視線が分かる。隠していない。真っ直ぐこちらを見ている。


椀を渡した。


「飲んで」


「はい」


レナートが椀を受け取った。指が触れた。


その瞬間——注視したわけではない。勝手に見えた。


【心拍——上昇】

【末梢血流——顔面部に集中】


レナートの顔が赤くなっていた。耳まで。椀を持つ手がわずかに震えている。


(何だ……? 熱でもぶり返した?)


額に手を当てた。熱はない。


「レナート、どこか痛みますか」


「い、いえ。大丈夫です」


大丈夫の声が裏返っている。脈が速い。顔が赤い。なのに熱はない。痛みもない。


(おかしい。薬の反応でもないし、炎症でもない。心拍が上がって顔面に血が集まる——何が原因だ? 感染? アレルギー? どれも合わない)


スキルは異常を拾った。心拍の上昇も、顔面への血流集中も。身体の中で何かが起きている。なのに、前世の知識をどう当てはめても、原因が出てこない。


時々、こういうことがある。見えているのに分からない。この力は万能じゃない。


「……飲んで。冷めるから」


「はい。……先生、手、冷たいですね」


「関係ないでしょう」


レナートが椀に口をつけた。顔をしかめた。


「まずい。でもヴェルナー先生のよりまし」


「基準が低すぎます」


椀を空にしたレナートの顔色を見た。赤みは少し引いている。心拍も落ち着いてきたようだ。


(結局、何だったんだろう。害はなさそうだから、いいけど)


気持ちが悪い。見えているのに診断がつかないのは、医者として一番嫌な状態だ。


「先生」


「何ですか」


「先生、前と変わりましたね」


手が止まった。


「何が」


「分かんないけど、顔が違います。前はもっと……怖いっていうか、尖ってたっていうか」


「それはどうも」


「今の方がいいです。なんか、楽しそう」


(——楽しそう?)


宮廷にいた三年間。記録を書いて、薬を作って、患者を診て。同僚とまともに話したのは片手で足りる。必要な仕事をして、必要なことだけ言って、それだけだった。


ブライテンでの三週間。リーナが毎朝うるさい。患者が来る。礼を言われる。クラウスの脈を測る。フリッツが茶を出してくれる。薬草屋の主人が渋い顔で適正価格を出す。


「先生?」


「……薬の話に戻りますよ」


レナートがこちらを見ている。あの目。ずっと病室にいた人間の目。周りを見ることだけが世界との接点だった目。こちらの変化に気づく目。


何も言い返せなかった。図星だったから。


***


半日かけて指示書を書いた。


薬の調合手順。量。頻度。煎じる温度。保存方法。症状が変わった場合の判断基準。考えられる変化と、その対応。


馬鹿でも間違えないように書いた。間違えた前例があるので、念には念を入れた。


ヴェルナーに渡した。


「この通りにしてください。一字一句。量は変えないで」


「……ああ」


「分からないことがあれば、文を送ってください。返します」


ヴェルナーは指示書を受け取った。目を通している。途中で何度か眉が動いた。


質問はしなかった。


「二週間で安定するはずです。この通りにすれば」


「……分かった」


「この通りにすれば、です」


二度言った。ヴェルナーの目を見て。


ヴェルナーは頷いた。


***


レナートに挨拶に行った。


「帰ります」


「……もう?」


「今の薬で落ち着くから。指示書も残してきました」


レナートはベッドの上で身体を起こした。


「先生、どこにいるんですか。今」


「北の方。ブライテンという街」


「遠いですか」


「馬車で三日」


「……手紙、書いたら届きますか」


「届くと思いますけど、何を書くんですか」


「お礼とか。経過報告とか」


「経過報告は侍医の仕事です」


「じゃあお礼です」


(この子は——)


「好きにしてください」


「書きます」


真っ直ぐだった。目が。声が。腹の痛みで顔色が悪いのに、声に嘘がない。


この子の身体は、いつもそうだった。嘘をつかない。痛い時は痛い顔をする。嫌な時は嫌な顔をする。


「お大事に。ちゃんと食べてください」


「先生も」


「私は元気です」


「知ってます。楽しそうだから」


また言った。返す言葉が見つからなかった。


***


宮廷の門を出た。馬車が待っていた。


乗り込んで、窓から宮廷の建物を見た。三年間いた場所。


戻ってみて分かった。何も変わっていない。廊下も。医局も。人も。


変わったのは自分の方だ。


馬車が動き出した。北へ。ブライテンまで三日。


リーナが薬草の順番を間違えていないか、少し心配だった。


お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ