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【完結】追放された宮廷女医師は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito


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8/10

8話:二週間

——幕間——


エリカが宮廷を去って、五日が経っていた。


ブルーノの朝は快適だった。厚切りの豚肉に卵を二つ。チーズはとろけるまで焼かせる。パンにバターをたっぷり。果実酒をひと瓶。


最近は食堂で一番いい席に座れる。エリカがいた頃はあの女がさっさと来て隅の席を取り、朝から記録帳を広げていた。目障りだった。それがなくなった。


清々する。


靴を履いた。右の親指のあたりが、わずかにきつい。


足を見た。少し赤い気もする。昨日の酒が残っているのかもしれない。


——そのまま太り続けると、近いうちに大変なことになりますよ。


あの女の声がよぎった。追放される日に、大勢の前で恥をかかせてくれた。罪人の分際で。


(馬鹿馬鹿しい。太っているのと足が痛いのに何の関係がある)


靴に足を押し込んだ。この程度、靴擦れだろう。


***


ブルーノの日々は順調だった。


エリカが抜けたぶん、担当患者が回ってきた。といっても簡単な症例ばかりだ。あの女が抱えていた面倒な患者——レナートは、ヴェルナーが引き取った。当然だろう。主席医師なのだから。


自分には楽な仕事だけが来る。余った時間で医局の椅子に座り、昼から果実酒を傾ける。


悪くない。


同僚のマティアスが通りがかった。


「ブルーノ、レナート様の薬、あの処方で大丈夫なのか。エリカが半量にしろと——」


「あの女の言うことを真に受けるのか」


マティアスが口をつぐんだ。


「禁忌薬草を独断で使った女だぞ。処方の判断が正しいわけがない。ヴェルナー先生が診ているんだ。問題ない」


マティアスは何か言いたそうな顔をしていたが、頷いて去った。


(まったく。いなくなってもまだあの女の名前を出す人間がいる)


***


十二日目。


右足の親指が、朝から熱かった。


靴を履く時に顔をしかめた。腫れている。触ると痛い。昨日はなかった腫れだ。


(食い過ぎたか。少し控えるか——いや、今夜は医師団の会食だ。まあいい。明日から控えよう)


朝食を済ませて医局に向かった。歩くたびに右足が気になる。痛いというほどではない。ただ、靴の中で親指が脈を打っている。


廊下で、侍医が走っていた。


「どうした」


「レナート様が——」


顔が青い。何かあったらしい。


自分の患者ではない。


「ヴェルナー先生を呼んでくれと」


「呼べばいいだろう。私に言うな」


侍医が走り去った。


椅子に座った。靴の中の親指が、じくじくと熱い。


***


レナートに黄疸が出た。


医局がざわついた。ヴェルナーの椅子が倒れる音がして、廊下を走る足音が遠ざかっていった。


ブルーノは書類を見ていた。自分の患者の記録。簡単な症例。何も問題はない。


黄疸。あの女が追放の日に言っていた。二週間で出る、と。


(偶然だろう。あるいは、あの女が余計な処方をした後遺症かもしれん)


数えたくなかったが、数えてしまった。追放の日からちょうど十四日。


(……偶然だ)


マティアスがこちらを見ていた。何も言わなかった。


***


ヴェルナーが処方を変えた。半量に落とした。


遅い。あの女は追放の日に言っていた。半量にしろ、と。十四日間、元の量で投与し続けて、言われた通りの結果が出て、それからようやく量を変えた。


——いや。自分がどうこう言う立場ではない。ヴェルナーは主席医師だ。判断は主席医師がする。自分は自分の仕事をしていればいい。


三日ほどで黄疸は引いた。ヴェルナーの顔に安堵が戻った。


会食が再開された。ブルーノは鶏の丸焼きを二皿平らげた。酒を三杯。右足のことは忘れていた。


忘れられた。まだ。


***


五日ともたなかった。


レナートの顔色が再び沈んだ。今度は黄疸ではない。腹を押さえて食事を戻した。


ヴェルナーが医局の薬棚をひっくり返していた。薬草の組み合わせを変え、量を変え、煎じ方を変え。棚の前にしゃがみ込んで、瓶を並べ直しては首を振る。


ブルーノは椅子に座ったまま、それを見ていた。


(やり方が分からんのだろう。あの女の投与記録を読めばいいものを)


記録は残っている。エリカは事細かに書き残していた。だがヴェルナーはそれを見ない。見れば、自分が間違っていたと認めることになる。


ブルーノだって読まない。読む理由がない。自分の患者ではないのだから。


***


十八日目。


右足が靴に入らなくなった。


親指の付け根の関節が赤く腫れている。昨日までは「少しきつい」で済んでいた。今朝は違う。靴下を履くだけで顔が歪んだ。


(腫れてるな。ぶつけた覚えはないが——どこかで打ったか)


柔らかい方の靴に替えた。足を入れた。歩けないことはない。


(大したことない。打ち身だろう。明日には引く)


朝食。パンと肉とチーズと卵と果実酒。いつも通りだ。いつも通りでなければならない。


医局に着くと、空気が重かった。


ヴェルナーがいない。レナートの病室に詰めているらしい。三日帰ってきていないと、マティアスが言った。


「黄疸は引いたが腹の痛みが治まらんらしい。薬を何種類変えても、エリカがいた時の安定が再現できないと」


「ヴェルナー先生の力量の問題だろう」


口に出してから、少し声が大きかったと思った。周囲の視線が刺さった。


「……別に、エリカのやり方が正しかったと言っているわけではない。主席医師がこの程度の症例を抑えられんのかと言っているだけだ」


マティアスは何も答えなかった。


***


レナートの病室の前を通りがかった。


通りがかっただけだ。用があったわけではない。


扉が開いていた。ベッドの上の若い男が見えた。二十にもなっていない。頬がこけている。半月前とは別人だった。


侍女が椀を差し出している。レナートがそれを押し返した。


「いらない。効かないから」


「でも、ヴェルナー先生が——」


「エリカ先生のと違う」


侍女が口をつぐんだ。


「エリカ先生が作ってくれたやつは、飲んだら楽になった。これは飲んでも何も変わらない。……ただ苦いだけだ」


声に怒りはなかった。恨みもない。諦めた声だった。二十にもならない人間が出す声ではなかった。


「エリカ先生、いつ戻るんですか」


侍女が答えられるはずがない。


ブルーノは歩き出した。右足を引きずっていることに、自分では気づいていなかった。


***


エストール侯爵が宮廷に来た。


廊下の空気が凍った。使用人が走り回っている。ブルーノは壁際に寄った。


侯爵の顔は、追放の日とは別人だった。あの時は堂々と腕を組んで、「去れ」と言い放った男。今は目の下に隈がある。唇が乾いている。自分の息子が日に日に痩せていくのを見ているのだ。


ヴェルナーが呼ばれた。主席医師の扉が閉まった。


壁越しに声が聞こえた。


侯爵の怒声だった。何を言っているかは聞き取れない。だが一方的だった。ヴェルナーの声がない。言い返せないのだ。


(当然だろう。結果が出ていないのだから)


長い沈黙があった。


それから——ヴェルナーではない声が聞こえた。侯爵の声だった。怒声ではなかった。低く、しぼり出すような声だった。


聞き取れた言葉はひとつだけ。


「——呼び戻せ」


ブルーノは壁から背を離した。


(エリカを? あの女を?)


笑いそうになった。追放した人間を呼び戻す。侯爵が。自分で「去れ」と言った相手を。


(傑作だ。あの女がいなければ何もできんとは。宮廷医師団の面目は——)


右足に激痛が走った。


「——っ」


声が出た。壁に手をついた。


親指だった。靴の中で何かが弾けたような痛み。腫れていた関節が、限界を超えた。


まともに立てない。右足を着くと、足の先から頭のてっぺんまで痛みが駆け上がる。


(なんだこれは。打ち身じゃない。打ち身でこんな——)


壁伝いに歩いた。左足だけで。右足は床に着けるだけで脂汗が出た。


医局にたどり着いた。靴を脱いだ。


右足の親指の関節が、赤黒く腫れ上がっていた。熱を持っている。触れなかった。風が当たるだけで痛い。


風が吹いただけで激痛が走る。


あの女の声が、はっきりと聞こえた。


(……馬鹿な。あんなもの、ただの捨て台詞だろう)


椅子に座ったまま動けなかった。


レナートの黄疸は十四日で出た。一日もずれなかった。


自分の足は——何日だ。あの日から何日だ。


数えたくなかった。数えてしまった。


二十日。


あの女は「近いうちに」と言った。


近いうちに大変なことになる。


(偶然だ。偶然に決まっている)


右足が答えるように、ずきん、と脈打った。


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