5話:適正価格
朝。塩の袋を鞄に詰めた。一週間分。
「エリカさん、塩そんなに使うんですか?」
「あの人の屋敷に置いてくる分」
「あの人って、あの……かっこいい人?」
「患者」
「患者さんに塩を?」
「必要なの。説明すると長いから後で」
「気になる……」
***
クラウスの屋敷。フリッツに塩の袋を預けた。
「毎食、少し多めにかけて。汁物にも。足りなくなったらまた持ってきます」
「承知いたしました」
居間に入った。クラウスが椅子に座っていた。昨日よりは顔色がいい。塩水が効いている。
「塩を持ってきました」
「医者が塩を届ける図も珍しいな」
「あなたの身体が必要としてるんです」
脈を取った。昨日よりは安定している。まだ弱い。
「昨日の立ちくらみは」
「一度だけ。夕方に」
「フリッツさん」
奥から声が返ってきた。
「大げさではございませんので、先にそれだけ申し上げておきます」
クラウスが天井を見た。
「聞いてないのに答えるな」
「殿がまた『大したことない』とおっしゃるのが目に見えておりましたので」
(息が合ってるのか合ってないのか分からない二人だな)
手を離した。
「しばらく毎日来ます。診るだけですけど」
「毎日か」
「嫌ですか」
「……好きにしろ」
屋敷を出た。
***
「今日、薬草を買いに行くから一緒に来て」
「市場のですか? あそこの店主、愛想悪いですよ」
「知ってる?」
「ベッカー先生の代わりに何度か行ったんですけど、若い女だと思って足元見てくるっていうか……値段も毎回違うし」
「ちょうどいい。行こう」
「ちょうどいい?」
***
市場の東端。染め物屋と香辛料屋の間。看板に薬草の絵が描いてある。
店に入った。棚に乾燥薬草の束、粉末の瓶、煎じ薬が並んでいる。品揃えは悪くない。
奥から男が出てきた。髭が濃い。荷運びのような体格。腕を組んだまま、こちらを値踏みする目。
リーナを見て、それからこちらを見た。
「……あんたか。グスタフ先生と揉めてた——」
途中で口をつぐんだ。棚を拭き始めた。
「グスタフ先生がどうかしました?」
「何でもねえ。で、何が要る」
「いくつか。まず解熱に使える薬草を」
「そこの棚だ。一束八銅貨」
リーナが小さく息を吸った。
(高い、ってことか)
「リーナ、いつもいくらだった?」
「……五銅貨です」
男が棚を拭く手を止めない。
「仕入れが上がってんだ。嫌なら他を当たりな」
「他にこの街で薬草を扱ってる店があるなら、ぜひ教えてほしいんですけど」
男が鼻を鳴らした。ないことを知っている顔。
「あと、止血に使う粉薬と、鎮痛用の煎じ薬。全部で?」
男が指を折った。
「締めて銀貨一枚と四十銅貨だ」
リーナが顔を引きつらせた。言いたいことを飲み込んでいる。
(この子、ずっとこの値段で買ってたのか。あの持ち出しの多さはこれか)
「まとめ買いで割り引かないんですか」
「割り引いてその値段だ」
「そうですか」
棚に並んでいる束を一つ手に取った。匂いを嗅いだ。葉を一枚むしって、指で揉んだ。裏返して、茎の断面を見た。
男がこちらを見ていた。
「ひとつ聞いていいですか」
「何だ」
「この解熱の薬草。乾燥が甘くないですか」
「……十分乾かしてある」
「茎の中にまだ水分が残ってます。折ってみれば分かる。こういう状態だと煎じた時に成分の出方が変わるんですけど」
男の目が細くなった。
「細かいことを言うな。そこまで気にする医者はいねえ」
「そうかもしれません」
束を戻して、隣の粉末の瓶を取った。蓋を開けて、指先に少量取った。舌に乗せた。
「おい、勝手に——」
「これ、二種類混ざってますよね」
男の手が止まった。
「味と粒の大きさが違う。片方はちゃんとしたもの。もう片方はほとんど薬効がない」
「……言いがかりだ」
「言いがかりだといいんですけど。グスタフ先生から、薬の効きが悪いって言われたこと、ありません?」
男の顔が変わった。図星だ。
「うるせえ。文句があるなら売らねえ。出てけ」
「困ったわね。リーナ、グスタフ先生のところに分けてもらえないか聞きに行くしかないかしら」
「え——あ、はい。そう、ですね」
「先日、医療行為の承認についてお認めいただいたし。ねえ?」
「は、はい。認めてくださいました」
リーナの声が裏返っている。何が起きているか分かっていないが、合わせてくれている。
男の目が泳いだ。グスタフに粗悪品の話が行く。それがどういうことか、計算している顔。
「私としては、ちゃんとしたものを適正な値段で売ってくれれば、わざわざそんなことしなくていいんですけどね」
長い間があった。
男が奥歯を噛み、顎が動いた。腕を組み直した。
「……何が要るんだ」
「全部見せてください。奥にあるのも」
「奥だと?」
「棚に出せないもの。傷んだもの。仕入れたけど売れ残ってるもの。全部」
男が渋々、奥の棚を開けた。雑に箱に詰められた薬草の束。表に出せない品質のものが多い。
一つずつ手に取った。分類していく。使えるもの、使えないもの。男は黙って見ていた。
棚の隅。布に包まれた束が押し込まれていた。
手に取った。布を開いた。
茶色い根。甘い匂い。
「これは」
男の顔が曇った。
「そいつは売り物じゃねえ。処分し損ねてたんだ」
「毒草ですよね。お店にこういうものがあると、困りませんか」
「だから処分し損ねたっつって——」
「私が適切に処分しておきましょうか」
「……は?」
「このまま置いておいて、誰かが知らずに使ったら大変ですから」
男の顔が歪んだ。
「いや、そもそも毒草なわけ——他国の商人から仕入れた時は普通の薬草だって——」
「宮廷にいた頃、使用を忌避すべしとされていました。量を間違えると人が死にます」
男の顔が白くなった。
「まあ、私の見間違いかもしれませんし。念のため役人さんに確認してもらいましょうか。どこの商人さんからいくらで仕入れたか、帳簿と一緒に——」
「持ってけ」
早かった。
「持ってっていい。処分、頼む。役人は——勘弁してくれ」
布に包み直して、鞄に入れた。
「じゃあ、先ほどの薬草の件ですけど」
「適正価格で出す。出すから」
会計を済ませた。先ほどの半額以下になっていた。
***
店を出て、通りを歩いた。
リーナがずっと黙っていた。珍しい。
「どうしたの」
「……今後エリカさんに逆らうのはやめようと思います」
「あら。逆らうつもりだったの」
「冗談です! 冗談ですよ!」
(半分本気の顔だったけどね)
「ねえ、あの布に包まれてたやつ——」
「今度教える。今はまだ」
リーナはそれ以上聞かなかった。
***
診療所に戻った。薬草を棚に並べた。
奥に、布に包まれた根を入れた。
甘草。この世界では毒。
この世界の甘草が、前世と同じ濃度かは分からない。品種が違うかもしれない。生育環境が違えば成分も変わる。
前世の知識だけで処方は組めない。少量から試すしかない。
量もこれだけしかない。
目の前しばらくは足りるだろうが、継続するなら安定した入手先が要る。
そして、あの人に「これを飲め」と言わなければならない。毒と呼ばれているものを。
窓の外が暗くなり始めていた。リーナが夕食の支度をしている。
扉が叩かれた。激しく。何度も。
リーナより先に動いた。開けた。
男が立っていた。息を切らしている。クラウスの屋敷で見かけた使用人だ。
「エリカ先生——フリッツ様が——」
「何があった」
「街道で賊に。血が、止まらないんです」
鞄を掴んだ。
「リーナ、湯を沸かして。蒸留酒と布、持てるだけ持ってきて」
「はい!」
走った。
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