表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】追放された宮廷女医師は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

4話:呪いじゃない

屋敷の中は、外見と同じだった。


必要なものはある。不要なものがない。家具は少ないが質がいい。壁に絵も紋章もない。窓が多い。風通しがいい。


(この人の性格がそのまま部屋になってる)


フリッツが椅子を引いた。クラウスが座る。まだ顔色が悪い。


「寝室の方がいいですか」


「ここでいい」


「横になった方が——」


「診るんだろう。座ってる方が楽だ」


(頑固な患者だ)


鞄を置いた。


「いくつか聞きます」


「好きにしろ」


「いつからですか。倒れやすくなったのは」


「……昔からだ」


「昔から、は答えになってません。いつ頃から悪化しました」


クラウスがわずかに目を細めた。


「……三年前。ここに来た頃から、頻度が上がった」


「食欲は」


「ない」


「体重は」


「減っている。フリッツがうるさい」


フリッツが口を挟んだ。


「この二年で一石近く。食事は残されることの方が多く——」


「聞いてない」


「聞いてます。続けてください、フリッツさん」


クラウスが不愉快そうな顔をした。フリッツが申し訳なさそうに、しかし止まらずに話した。


「朝が特に辛そうで。起き上がるのに時間がかかります。倦怠感がひどい日は一日寝台から出られないことも」


「塩辛いものを好みますか」


フリッツが頷いた。


「はい。以前はそうでもなかったのですが、最近は漬物や干し肉ばかり」


(副腎機能が落ちるとナトリウムが保持できなくなる。身体が本能的に塩分を求める。合う)


「立ちくらみの頻度は」


「週に二、三度は」


クラウスが舌打ちした。


「フリッツ。お前は私の医者か」


「いいえ。ですが——」


「全部喋るな」


「全部聞きたいので、全部喋ってください」


クラウスがこちらを見た。


「……ずいぶん遠慮がないな」


「遠慮してたら患者は死にます」


黙った。


「肌を見ます。上を脱いでもらえますか」


「……どこまで見る気だ」


「必要なだけ」


外套を脱いだ。その下のシャツも。


痩せていた。肋骨の浮き方で分かる。筋肉量が少ない。食べていない身体だ。


そして——首筋。


あの日、通りで倒れていた時に一瞬だけ見えた褐色の沈着。今、目の前にある。


鎖骨から首にかけて、まだらに広がっている。日焼けではない。色が違う。


肘の内側。膝の裏。どちらにも同じ色素沈着がある。


口の中を見せてもらった。口腔粘膜にも暗い色のまだら。


(全部合う。全部、一つの答えを指してる)


「触ります」


腹部に手を当てた。柔らかい。圧痛はない。腫瘤もない。臓器そのものに異常があるわけじゃない。


手首を取った。脈を測る。安静時でも弱い。血圧が慢性的に低い身体だ。


(副腎が機能していない。コルチゾールが出ない。だから血圧が維持できない、ストレスに対応できない、疲労が抜けない、塩分が保てない。全部繋がる)


注視した。確認のために。


【副腎——萎縮。機能ほぼ停止】


分かっていた。でも見て、確認した。


手を離した。


クラウスはシャツに手をかけながら、こちらを見ていた。


「それで」


「分かりました。何が起きてるか」


「……聞こう」


「あなたの身体の中で、ある器官がほとんど動いていません。背中の奥、腎臓の上にある小さな臓器です。そこが作るべきものを作れなくなっている。それがすべての原因です」


クラウスの表情は動かなかった。


「倦怠感。食欲不振。立ちくらみ。体重の減少。塩分への渇望。肌の色素沈着。全部、そこから来ています。一つ一つは別の病気に見える。でも原因は一つです」


「……一つ」


「一つです」


クラウスが黙った。それから、軽い調子で言った。


「分かったところで、治せるのか」


「正直に言います。今の私には、治す手段がありません」


「そうか」


あっさりしていた。予想していたという顔。いつもこう言われてきた顔。


「ただし——」


「ただし?」


「これは病気です。原因が分かっている。適切な処置があれば、症状を抑えられる」


クラウスの目がわずかに動いた。


「……処置が、あるのか」


「あります。今の私の手元にないだけです」


間があった。


フリッツが息を詰めていた。


「——呪いではないのか」


声が変わっていた。さっきまでの軽さが消えていた。


「呪いではありません」


「王都の医師は誰も原因が分からなかった。匙を投げられた。周りの人間は——」


「呪いじゃない。病気です。あなたの身体の中で起きている、理屈のある不具合です。名前もある」


クラウスが何も言わなかった。


見ていた。首元でも、表情でもなく、手。


膝の上に置かれた手が震えていた。力を入れて止めようとしている。止まらない。


「——すまない。少し」


立ち上がろうとした。足元がふらついた。フリッツが支えた。


「今日は横になってください。塩水をもう少し飲んで。明日また来ます」


「……来るのか」


「来ます。治す手段が見つかるまで、今できることをやりに来ます」


クラウスは背を向けたまま、何も言わなかった。


フリッツが送ってくれた。玄関先で深く頭を下げた。


「先生。——ありがとうございます」


「まだ何もしてません」


「いいえ。あの方が……あの言葉を聞けたことが」


フリッツの目が赤かった。


(呪い、か。三年間、そう思って生きてきたのか。この人たちは)


屋敷を出た。


***


夕方。診療所に戻った。


リーナが待っていた。


「エリカさん! 大変です!」


「何」


「午後の患者さん、三人来て、二人は大丈夫だったんですけど、一人が——」


「どうした」


「お腹が痛いっていうから、いつもの胃薬出したんですけど、よく聞いたら右の下の方で、これもしかしてエリカさんが言ってた『場所によって原因が違う』ってやつかなって思って、薬出すの止めて、明日来てくださいって帰したんです! 合ってますか!」


(……合ってる)


「合ってます」


「やった!」


「明日ちゃんと診るから、来たら教えて」


「はい!」


座った。茶を飲んだ。


窓の外はもう暗い。


あの手の震え。止めようとして止まらない手。


クラウスは強い人間だと思う。三年間、呪いだと思いながら生きてきた。誰にも診せず、弱音も吐かず。フリッツだけを傍に置いて。


(治す方法はある。あるけど、手元にない)


甘草。前世の知識では、副腎皮質ホルモンに似た作用を持つ。コルチゾールの代替になり得る。


この世界にも甘草は存在する。だが——


宮廷にいた頃、薬草の目録を見た。甘草の欄には注記があった。「過量にて死亡例あり。使用を忌避すべし」。流通していない。扱っている商人もいない。毒草だと思われている。


(量さえ間違えなければ毒じゃない。でもそれを証明する手段が、今はない)


探さなければ。


でも今は——


「エリカさん、ごはん作りましたよ! 芋の煮たのです!」


「……ありがとう」


「あ、味薄いかもです! 塩節約してるんで!」


(塩、か)


明日、持っていこう。塩を多めに。あの人の身体が必要としている。


それくらいしか、今の私にはできない。


***


——幕間——


エリカが去った後、クラウスは寝台に横たわっていた。


天井を見ていた。


呪いではない。


病気だ。


名前がある。原因がある。理屈がある。


十五の頃から、身体が人並みに動かなかった。剣術の稽古で倒れた。馬に乗れば落ちた。階段を上るだけで息が切れた。


王宮の医師は口を揃えた。「原因不明」。


兄たちは哀れんだ。母は泣いた。父は——何も言わなかった。


侍女たちが廊下で囁いていた。呪いだ、と。第三王子は呪われている、と。


北部に送られた日、馬車の中でフリッツが泣いた。自分は泣かなかった。呪われた人間に行き場はない。当然のことだと思った。


三年。この街で、静かに朽ちていくのだと思っていた。


あの女が言った。


「呪いじゃない。病気です」


「名前もある」


手が震えた。止められなかった。それが一番恥ずかしかった。


「フリッツ」


「はい」


「あの医者、明日も来ると言ったな」


「はい」


「……来るか」


「来ます。間違いなく」


「なぜ分かる」


「あの方は、殿下の手を見ておいででした。震えていることに、気づいておいででした」


クラウスは目を閉じた。


気づかれていた。あの瞬間を。見られていた。


不思議と、嫌ではなかった。

お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ