4話:呪いじゃない
屋敷の中は、外見と同じだった。
必要なものはある。不要なものがない。家具は少ないが質がいい。壁に絵も紋章もない。窓が多い。風通しがいい。
(この人の性格がそのまま部屋になってる)
フリッツが椅子を引いた。クラウスが座る。まだ顔色が悪い。
「寝室の方がいいですか」
「ここでいい」
「横になった方が——」
「診るんだろう。座ってる方が楽だ」
(頑固な患者だ)
鞄を置いた。
「いくつか聞きます」
「好きにしろ」
「いつからですか。倒れやすくなったのは」
「……昔からだ」
「昔から、は答えになってません。いつ頃から悪化しました」
クラウスがわずかに目を細めた。
「……三年前。ここに来た頃から、頻度が上がった」
「食欲は」
「ない」
「体重は」
「減っている。フリッツがうるさい」
フリッツが口を挟んだ。
「この二年で一石近く。食事は残されることの方が多く——」
「聞いてない」
「聞いてます。続けてください、フリッツさん」
クラウスが不愉快そうな顔をした。フリッツが申し訳なさそうに、しかし止まらずに話した。
「朝が特に辛そうで。起き上がるのに時間がかかります。倦怠感がひどい日は一日寝台から出られないことも」
「塩辛いものを好みますか」
フリッツが頷いた。
「はい。以前はそうでもなかったのですが、最近は漬物や干し肉ばかり」
(副腎機能が落ちるとナトリウムが保持できなくなる。身体が本能的に塩分を求める。合う)
「立ちくらみの頻度は」
「週に二、三度は」
クラウスが舌打ちした。
「フリッツ。お前は私の医者か」
「いいえ。ですが——」
「全部喋るな」
「全部聞きたいので、全部喋ってください」
クラウスがこちらを見た。
「……ずいぶん遠慮がないな」
「遠慮してたら患者は死にます」
黙った。
「肌を見ます。上を脱いでもらえますか」
「……どこまで見る気だ」
「必要なだけ」
外套を脱いだ。その下のシャツも。
痩せていた。肋骨の浮き方で分かる。筋肉量が少ない。食べていない身体だ。
そして——首筋。
あの日、通りで倒れていた時に一瞬だけ見えた褐色の沈着。今、目の前にある。
鎖骨から首にかけて、まだらに広がっている。日焼けではない。色が違う。
肘の内側。膝の裏。どちらにも同じ色素沈着がある。
口の中を見せてもらった。口腔粘膜にも暗い色のまだら。
(全部合う。全部、一つの答えを指してる)
「触ります」
腹部に手を当てた。柔らかい。圧痛はない。腫瘤もない。臓器そのものに異常があるわけじゃない。
手首を取った。脈を測る。安静時でも弱い。血圧が慢性的に低い身体だ。
(副腎が機能していない。コルチゾールが出ない。だから血圧が維持できない、ストレスに対応できない、疲労が抜けない、塩分が保てない。全部繋がる)
注視した。確認のために。
【副腎——萎縮。機能ほぼ停止】
分かっていた。でも見て、確認した。
手を離した。
クラウスはシャツに手をかけながら、こちらを見ていた。
「それで」
「分かりました。何が起きてるか」
「……聞こう」
「あなたの身体の中で、ある器官がほとんど動いていません。背中の奥、腎臓の上にある小さな臓器です。そこが作るべきものを作れなくなっている。それがすべての原因です」
クラウスの表情は動かなかった。
「倦怠感。食欲不振。立ちくらみ。体重の減少。塩分への渇望。肌の色素沈着。全部、そこから来ています。一つ一つは別の病気に見える。でも原因は一つです」
「……一つ」
「一つです」
クラウスが黙った。それから、軽い調子で言った。
「分かったところで、治せるのか」
「正直に言います。今の私には、治す手段がありません」
「そうか」
あっさりしていた。予想していたという顔。いつもこう言われてきた顔。
「ただし——」
「ただし?」
「これは病気です。原因が分かっている。適切な処置があれば、症状を抑えられる」
クラウスの目がわずかに動いた。
「……処置が、あるのか」
「あります。今の私の手元にないだけです」
間があった。
フリッツが息を詰めていた。
「——呪いではないのか」
声が変わっていた。さっきまでの軽さが消えていた。
「呪いではありません」
「王都の医師は誰も原因が分からなかった。匙を投げられた。周りの人間は——」
「呪いじゃない。病気です。あなたの身体の中で起きている、理屈のある不具合です。名前もある」
クラウスが何も言わなかった。
見ていた。首元でも、表情でもなく、手。
膝の上に置かれた手が震えていた。力を入れて止めようとしている。止まらない。
「——すまない。少し」
立ち上がろうとした。足元がふらついた。フリッツが支えた。
「今日は横になってください。塩水をもう少し飲んで。明日また来ます」
「……来るのか」
「来ます。治す手段が見つかるまで、今できることをやりに来ます」
クラウスは背を向けたまま、何も言わなかった。
フリッツが送ってくれた。玄関先で深く頭を下げた。
「先生。——ありがとうございます」
「まだ何もしてません」
「いいえ。あの方が……あの言葉を聞けたことが」
フリッツの目が赤かった。
(呪い、か。三年間、そう思って生きてきたのか。この人たちは)
屋敷を出た。
***
夕方。診療所に戻った。
リーナが待っていた。
「エリカさん! 大変です!」
「何」
「午後の患者さん、三人来て、二人は大丈夫だったんですけど、一人が——」
「どうした」
「お腹が痛いっていうから、いつもの胃薬出したんですけど、よく聞いたら右の下の方で、これもしかしてエリカさんが言ってた『場所によって原因が違う』ってやつかなって思って、薬出すの止めて、明日来てくださいって帰したんです! 合ってますか!」
(……合ってる)
「合ってます」
「やった!」
「明日ちゃんと診るから、来たら教えて」
「はい!」
座った。茶を飲んだ。
窓の外はもう暗い。
あの手の震え。止めようとして止まらない手。
クラウスは強い人間だと思う。三年間、呪いだと思いながら生きてきた。誰にも診せず、弱音も吐かず。フリッツだけを傍に置いて。
(治す方法はある。あるけど、手元にない)
甘草。前世の知識では、副腎皮質ホルモンに似た作用を持つ。コルチゾールの代替になり得る。
この世界にも甘草は存在する。だが——
宮廷にいた頃、薬草の目録を見た。甘草の欄には注記があった。「過量にて死亡例あり。使用を忌避すべし」。流通していない。扱っている商人もいない。毒草だと思われている。
(量さえ間違えなければ毒じゃない。でもそれを証明する手段が、今はない)
探さなければ。
でも今は——
「エリカさん、ごはん作りましたよ! 芋の煮たのです!」
「……ありがとう」
「あ、味薄いかもです! 塩節約してるんで!」
(塩、か)
明日、持っていこう。塩を多めに。あの人の身体が必要としている。
それくらいしか、今の私にはできない。
***
——幕間——
エリカが去った後、クラウスは寝台に横たわっていた。
天井を見ていた。
呪いではない。
病気だ。
名前がある。原因がある。理屈がある。
十五の頃から、身体が人並みに動かなかった。剣術の稽古で倒れた。馬に乗れば落ちた。階段を上るだけで息が切れた。
王宮の医師は口を揃えた。「原因不明」。
兄たちは哀れんだ。母は泣いた。父は——何も言わなかった。
侍女たちが廊下で囁いていた。呪いだ、と。第三王子は呪われている、と。
北部に送られた日、馬車の中でフリッツが泣いた。自分は泣かなかった。呪われた人間に行き場はない。当然のことだと思った。
三年。この街で、静かに朽ちていくのだと思っていた。
あの女が言った。
「呪いじゃない。病気です」
「名前もある」
手が震えた。止められなかった。それが一番恥ずかしかった。
「フリッツ」
「はい」
「あの医者、明日も来ると言ったな」
「はい」
「……来るか」
「来ます。間違いなく」
「なぜ分かる」
「あの方は、殿下の手を見ておいででした。震えていることに、気づいておいででした」
クラウスは目を閉じた。
気づかれていた。あの瞬間を。見られていた。
不思議と、嫌ではなかった。
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