表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】追放された宮廷女医師は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/20

2話:ベッカー診療所

子供の母親——名前はマルタといった——に連れられて、裏通りを歩く。


「先生のところ、ここからすぐなんです。リーナ先生っていって、若いけどいい子で」


「リーナ先生」


「ベッカー先生のお弟子さんで。先生が身体を悪くされてからは、一人で」


(一人で診療所を回してる?)


「ここです」


木の看板。文字がかすれている。「ベッカー診療所」。扉が半開きだった。


中に入った。


棚に薬瓶が並んでいる。整理されていない。机の上に包帯が出しっぱなし。奥のベッドに患者の姿はない。


そして、床。


女が一人、しゃがみ込んでいた。薬瓶の中身をぶちまけたらしく、手で粉を集めている。


「あーっ、もう! これ三日分なのに!」


若い。二十代前半。栗色の髪を雑にまとめている。白衣ではなくエプロン。袖がまくられて、腕に擦り傷がいくつか。


マルタが声をかけた。


「リーナ先生、お客さんです」


「え! 患者さん!? ちょ、ちょっと待って今片付けるから——」


「患者じゃなくて。紹介したい方がいて」


リーナが顔を上げた。粉まみれの手。額にも粉がついている。


「……どなた?」


「エリカ。医者です」


「お医者さん!?」


立ち上がった。勢いで膝を机の角にぶつけた。


「いったー!」


(……大丈夫か、この診療所)


***


マルタが帰った後、リーナが茶を淹れてくれた。欠けた椀。茶葉は安い。


「ベッカー先生が倒れたのが半年前で、それからずっと一人で」


「半年」


「患者さん来るんです、毎日。先生がいなくなっても。お金ない人ばっかりだけど来るんです。だって他に行くところないから」


(そうだろうな。前世みたいに保険制度が整ってるわけでもない、それにそもそもこの街の規模の割に医者が少ないんだろうな)


「薬代も持ち出しですか」


「あはは……聞かないでください、それは」


笑っている。目は笑っていなかった。一瞬だけ。すぐ笑顔に戻した。


「でも! やめるわけにいかないし! 先生に教わったこと、まだ全然できてないし!」


(情熱だけで回してる。身体も家計も限界が近いだろうに)


薬を擂り潰して、運んで、患者を支えて。一人で全部やっている身体だ。


「泊まるところを探してるんですけど」


「うちに!」


即答だった。


「奥に部屋あるんです! ベッカー先生が使ってた部屋! 空いてます! 家賃とかそういうのいいんで!」


「いや、さすがに——」


「手伝ってくれるなら全然! むしろ助かります! いてください!」


前のめりだった。目が輝いている。


(断る理由を探す方が難しい状況だな)


「……しばらく、でいいなら」


「やった!!」


声が診療所の外まで響いた。たぶん通りの向こうまで。


***


午後。


診療所に患者が来た。


五十がらみの男。レンガ職人だという。リーナが応対している。


「どうしました?」


「めまいがひどくてよ。朝起きたら天井がぐるぐる回って」


「いつからですか!」


「三日前から。寝返り打つたびにくらっとくる。立ってりゃ平気なんだが」


リーナが男の顔を覗き込んだ。額に手を当てる。


「熱は……ないですね。顔色も悪くないし」


棚に向かった。薬草を選び始めている。


「血の巡りが悪いのかも。頭に血を送る薬草を煎じますね!」


(違う)


奥から見ていた。口を出すつもりはなかった。


でも。


「リーナさん」


「はい?」


「その人、頭を動かした時だけめまいがするって言いましたよね」


「はい。寝返り打つとって」


「立ってれば平気だと」


「そうです。だから、横になると血が——」


「血の巡りなら立っても座ってもめまいが出ます」


リーナが止まった。


患者に近づいた。注視する。


【内耳右側——耳石器に異常。位置ずれ】


(やっぱり)


「少し診させてもらっていいですか」


男が頷いた。


「ベッドに腰掛けて。——今から頭を右に向けてもらいます。ゆっくり」


男が右を向いた。


「そのまま、後ろに倒れてください。頭は私が支えます」


倒した。


男の目が大きく動いた。黒目がぐるぐると回っている。


「うおっ——回る、回ってる——!」


「はい。そのまま。動かないで」


三十秒。目の動きが収まるのを待つ。


「次、頭を左に。ゆっくり」


「おい、何してんだ——」


「大丈夫。もう少しです」


左を向かせた。また目が回る。待つ。収まる。


「そのまま、身体ごと左を向いて。横向きに」


男が従った。


「最後。ゆっくり起き上がって」


男が起き上がった。


「…………あれ?」


「どうですか」


「回ってねえ」


「右を向いてみて」


男が右を向いた。おそるおそる。


「……回ってねえ! なんだこれ! 何した!?」


「耳の中に、小さい石みたいなものがあるんです。平衡感覚を保つための。それがずれると、頭を動かすたびに目が回る」


「石? 耳に?」


「今やったのは、頭の向きを変えて石を元の位置に戻しただけです」


男が自分の耳を触った。信じられないという顔。


リーナも同じ顔をしていた。


「えっ……えっ? 頭を動かしただけで? 薬も使ってないのに?」


「薬じゃ治りません。石の位置の問題だから」


「そんなの聞いたことない……」


「耳の中に平衡器官があること自体、まだあまり知られてないので」


リーナが患者と私を交互に見ている。口が半開きだった。


「三日間ずっとこれで寝込んでたのに……」


「放っておいてもそのうち治ることが多いです。石が自然に戻るか、身体が慣れるかで。ただ、その間ずっと働けないでしょう」


男が深く頷いた。


「三日も仕事休んでる。女房に申し訳なくてよ」


「今日から寝返りは気をつけて。急に頭を動かさないこと。再発したらまた来てください。同じことをやります」


男が何度も頭を下げて帰っていった。


リーナがこちらを見ていた。


「エリカさん」


「なに」


「すごいです」


「別に。知ってただけ」


「知ってるってことがすごいんです! 私、ベッカー先生に二年ついて、めまいの患者さん何人も診て、全員に血の巡りの薬出してました。治らない人もいて、なんでだろうって——」


「全員が同じ原因とは限らない。血の巡りのめまいもあるし、耳のめまいもある。見分けるのは、症状がいつ出るか。動いた時だけか、ずっとか。それだけ」


「それだけって……」


「知ってるか知らないかの差です。あなたは知らなかっただけ。覚えればいい」


リーナが黙った。それから、ぶんぶんと首を縦に振った。


「覚えます! 絶対覚えます!」


(……元気だな)


***


夕方。日が傾き始めた頃。


診療所の扉が叩かれた。


「はい! どうぞ!」


リーナが開けた。


立っていたのは、中年の男。身なりがいい。昨日、通りで倒れた男の隣にいた従者だ。


「失礼いたします。昨日、主を助けていただいた者ですが——エリカ先生はいらっしゃいますか」


「えっ、エリカさんのお知り合い?」


奥から出た。


「昨日の」


「フリッツと申します。主が、どうしてもお礼をと」


風呂敷を差し出した。開けると、干し肉と果物。それに銀貨が数枚。


「受け取れません」


「主がそうおっしゃると思っておりました。その場合は置いて帰れと言われております」


「…………」


(押し問答しても勝てなさそうだな、この人)


リーナが横から覗き込んだ。


「わ! いいお肉!」


「……あなたの方が、具合はどうですか」


フリッツに聞いた。


「おかげさまで。今朝には粥を召し上がれるまでに」


「水分はしっかり。固いものはもう二、三日控えて」


「承知いたしました。先生のおっしゃる通りに」


言葉遣いが丁寧だ。従者にしては教養がある。


(聞きたいことがある)


あの首筋。褐色の沈着。副腎の異常。


昨日から、頭の隅にずっとある。


「あの方——」


「はい」


「……いえ。何でもありません」


聞けなかった。


昨日たまたま通りで助けた相手だ。名前も素性も知らない。その人間に「他にも病気がありますよね」と踏み込む根拠がない。


フリッツがこちらを見ていた。穏やかな目。何かを測っている目でもあった。


「先生。この街には長くいらっしゃるのですか」


「……まだ分かりません」


「います!」


横からリーナが割り込んだ。


「いてもらいます! うちの先生なんで!」


(いつから「うち」になった)


フリッツの目がわずかに和らいだ。


「それは心強い。主も、この街におりますので。何かあれば」


頭を下げて、出ていった。


(何かあれば、か)


何かはある。あの首筋。あの色素沈着。


でも、今は——


「エリカさん!」


振り返った。リーナが干し肉を掲げていた。


「今夜これ焼いていいですか! 久しぶりにまともなお肉!」


「あなたの分は好きにしなさい」


「エリカさんの分もですよ! 二人分! 一人で食べるわけないじゃないですか!」


椅子に座った。


窓から夕日が入っている。薬瓶が並ぶ棚。散らかった机。安い茶。包帯の匂い。


三日前までいた場所とは何もかも違う。


「エリカさん、焼き加減どうします!」


「……任せる」


「じゃあ私好みで! こんがり!」


(うるさいな)


嫌ではなかった。

お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ