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【読切版/完結】追放された宮廷女医師は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito


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18/21

18話:灰色の粉

馬車で三日。二度目の王都。


前回は追放された後に呼び戻された。今回は侯爵に招かれて来ている。同じ道だが、立場が違う。


(立場が変わっても、やることは同じだけど)


***


エストール侯爵邸。


通された部屋は前回の病室ではなく、書斎だった。重い机。棚に書類。窓の外に中庭が見える。


侯爵が立っていた。前回——追放の日に見た時とは、顔が違う。あの時は息子を奪われた怒りと、医者への不信が混在していた。今は別のものがある。


「エリカ殿。遠路ご苦労だった」


「レナートの具合は」


挨拶を飛ばした。侯爵の目がわずかに動いたが、咎めなかった。


「息子は安定している。貴殿の指示書のおかげだ。だが——」


「ハインツの件ですね」


侯爵が頷いた。椅子を勧められた。今度は座った。


「貴殿の書状を受けて、内密に調査を行った。ハインツの居室を調べさせた」


「何か見つかりましたか」


「小瓶が一つ。薬棚の奥に隠されていた。中身は灰色の粉末だ。調合師に見せたが、何か分からんと言っている」


(灰色の粉末。薬棚に隠していた。——鉛の化合物か)


「その粉末、私に見せていただけますか」


侯爵が頷いた。使用人が小瓶を持ってきた。


蓋を開けた。匂いを嗅いだ。無臭。指先に少量取って、色を見た。灰白色。粒子が細かい。重い。


(鉛白。化粧料に使われることがある。無味に近い。水に溶ける。薬に混ぜても気づかれない。少量ずつ摂取させれば、じわじわと臓器を蝕む)


「侯爵。これはおそらく鉛の化合物です」


「鉛?」


「金属です。少量ずつ体内に入ると蓄積して、腹痛、吐き気、倦怠感を引き起こします。一度に大量でなければ死には至らないが、長く続ければ内臓を壊す」


侯爵の顔から色が引いた。


「息子は——」


「今の段階なら、薬の投与を止めさせれば回復します。蓄積量はまだ深刻ではないはずです」


「はずでは困る」


「直接診れば分かります。後で伺います。——先にハインツに会わせてください」


「会ってどうする」


「確認したいことがあります」


***


侯爵が手配した別室に、ハインツが呼ばれた。


扉が開いた。


若い男が入ってきた。二十代半ば。細身。侍医の白衣。顔が——


(蒼い。灰色がかった蒼白。普通の顔色じゃない)


ハインツがこちらを見た。エリカの顔を見て、一瞬だけ表情が強張った。すぐに戻した。


「お呼びと伺いましたが——」


「座ってください」


椅子を示した。ハインツが座った。


手を見た。テーブルの上に置かれた両手。


爪の根元に暗い線がある。微かだが、見える。手の甲の色も灰色がかっている。


口元。話す時に歯茎が覗いた。


歯茎の縁に、青灰色の線。細い。だがある。


(バートン線。鉛を慢性的に扱っている人間の歯茎に出る色素沈着。見間違いじゃない)


注視した。


【腎臓——軽度の機能低下。鉛蓄積の兆候】

【末梢神経——伝導速度低下。初期の障害】


(自分にも入ってる。薬に混ぜる時にこぼれたか、素手で扱っていたか。鉛を扱う人間が自分も被曝するのは、前世でも定番だった)


ハインツの右手が微かに震えていた。緊張か。それとも、神経障害の初期症状か。


「ハインツさん。あなた、最近手に力が入りにくくなっていませんか」


ハインツの目が動いた。


「……何の話ですか」


「細かい作業が前より辛い。瓶の蓋が開けにくい。指先の感覚が鈍い。——ありませんか」


「私の体調のことで呼ばれたんですか」


「いいえ。レナート様の件です」


空気が変わった。ハインツの手が止まった。動かしていた指が、テーブルの上で固まった。


「レナート様がどうかされましたか」


「薬に何かを加えていますね」


「何を——根拠のないことを——」


「根拠はあります」


記録帳を開いた。レナートの三週間分のデータ。テーブルに置いた。


「レナート様の症状が悪化した日を赤で囲みました。五日あります。五日全て、あなたが薬を運んだ日です。他の侍医が運んだ日は十六日。一度も悪化していません」


ハインツは記録帳を見なかった。


「偶然でしょう」


「偶然は三回までです。五回は偶然とは言いません。しかも食事に共通点はない。変数はあなただけです」


「そんなもの——患者が勝手に記録しただけの——」


「あなたの居室から灰色の粉末が見つかっています」


ハインツの呼吸が止まった。一瞬。再開した時、リズムが変わっていた。


「そしてあなた自身の身体が証拠です」


立ち上がった。ハインツの前に近づいた。


「歯茎を見せてください」


「なぜそんな——」


「鉛を長期間扱うと、歯茎の縁に青灰色の線が出ます。あなたの歯茎に出ています。今、ここから見えています」


ハインツが口を閉じた。唇を結んだ。


「手の爪。根元の暗い線。手の色。全部、鉛を扱っている人間の特徴です。あなたは薬に鉛の粉末を加えていた。自分でも被曝した。身体がそう言っています」


「…………」


「レナート様の薬に、いつから混ぜていましたか」


沈黙が重かった。


ハインツの肩が落ちた。指先が震えている。もう隠す余裕がない。


「……半年前から」


侯爵の拳がテーブルに落ちた。部屋が揺れた。


「半年——半年もか!」


「お待ちください、侯爵」


エリカが手を上げた。侯爵を止めた。


「まだ聞くことがあります。——誰の指示ですか」


ハインツが顔を上げた。


「あなた単独の判断ではないでしょう。侍医の給料で鉛の化合物を入手し続けるのは難しい。指示した人間がいる」


「…………」


「答えなければ、あなた一人が全ての罪を被ることになります」


ハインツの目が泳いだ。壁を見て、床を見て、窓を見て——最後にこちらを見た。


「……宮廷薬務局の副局長です。ゲルハルトという男で——」


名前が出た。侯爵がすぐに使用人を走らせた。


「何のためにこんなことを」


「分かりません。金を渡されただけです。レナート様を殺せとは言われていない。『少しずつ弱らせろ。気づかれないように』と。理由は聞いていません」


「聞かずにやったのか」


ハインツが目を伏せた。


***


ハインツが連行された後、侯爵と二人になった。


「ゲルハルト。——宮廷薬務局の副局長か」


侯爵が椅子に座った。疲れている。怒りの後に来る虚脱。


「心当たりはありますか」


「ゲルハルトは先代の局長に引き上げられた男だ。薬草の流通を管轄している。——甘草の件、繋がるかもしれん」


エリカの手が止まった。


「薬務局が甘草の禁忌に関わっているということですか」


「甘草の禁忌令は宮廷薬務局の上申で発布された。三十年以上前だ。当時の局長が『過量投与による死亡事故』を根拠に上申し、王命として全国に禁じた」


「その死亡事故は——」


「あったことはあった。だが一件だ。一件の事故で薬草を全面禁止にする判断が妥当だったのか、当時も疑問の声はあった」


「疑問があったのに通った」


「薬務局の権限が強い。薬草の認可と禁止はあの部署の専権だ。——そしてその権限は、利権でもある」


(甘草を禁じれば、甘草で治療できた病は別の方法に頼るしかなくなる。別の方法は薬務局が認可した高価な薬草。流通を握っている人間が儲かる構造)


「エリカ殿。甘草の件は私の方で調べる。ゲルハルトを取り調べれば、繋がりが出てくるだろう」


「お願いします」


侯爵が立ち上がった。


「それと——」


「はい」


「貴殿の追放処分の件だ。ヴェルナーが貴殿の処方を無視した結果、息子が悪化した。追放の根拠となった『禁忌薬草の独断使用』も、薬務局の不正が絡んでいるのであれば、処分自体の正当性が揺らぐ」


「……はい」


「追放の撤回と、宮廷医師としての復帰を、正式に手続きする。異論はあるか」


(復帰。宮廷医師への)


「……ありがたいお言葉です」


「言葉ではない。手続きだ。必要な書類は用意させる」


侯爵が部屋を出た。


一人になった。


椅子に座ったまま、窓の外を見た。宮廷の中庭。三年間歩いた場所。


(戻れる。ここに。宮廷医師として)


***


レナートの病室に向かった。


扉を叩いた。


「はい」


開けた。


レナートがベッドに起き上がっていた。半年前より顔色がいい。ハインツの毒が止まったわけではないが、日によって量が違ったのだろう。投与されない日が身体を回復させていた。


「エリカ先生」


声が弾けた。半身を起こして、こちらに身を乗り出した。


「レナート。起き上がれるようになったのね」


「先生の薬のおかげです。——あと、毎日書いてたから。先生が読んでくれると思うと、ちゃんとしなきゃって」


「ちゃんとしてた。あの記録のおかげで、大事なことが分かりました」


「分かったんですか? 何が」


「あなたの薬に、余計なものを入れていた人間がいました。もう止めさせました」


レナートの表情が変わった。驚き。それから——怒りではなかった。


「ハインツさんですか」


「分かってた?」


「分かってたっていうか……先生が名前を書けって言ったから、名前を書きました。それで、そういうことかなって」


(この子は——聡い。自分では分析できなくても、情報を正確に渡せば答えが出ることを理解している)


「先生。僕の記録、役に立ちましたか」


「あなたの記録がなければ、特定できませんでした」


レナートが笑った。嬉しそうに。


診察をした。脈を取った。腹に触れた。以前よりずっと良い。


注視した。


【体内——鉛の蓄積。微量】

【肝臓——炎症軽減】


(大丈夫だ。蓄積量は深刻ではない。投与を止めれば、時間はかかるが排出される)


「薬を調整します。鉛を排出しやすくするものを加えます。一ヶ月もあれば身体から抜けるはず」


「先生が作ってくれるんですか」


「今日の分は私が作る。手順は書き残す」


「また行っちゃうんですか」


声が少し落ちた。


「……まだ分かりません」


嘘だった。ブライテンに帰るつもりでいる。でも今ここで言うことではない。


「先生」


「何」


「あの——手紙、書いてよかったです。毎日」


「うん。助かった」


「先生が遠くにいても、手紙があれば繋がってるって思えました」


(この子は——)


「これからも書いていいですか。先生がどこにいても」


「いつでも」


レナートが笑った。安心した顔。二十にもならない子の顔だ。


薬を調合して、渡した。手が触れた。レナートの頬が赤くなった。


(また。あの反応。心拍が上がって、顔に血が集まる——前世の知識でも説明がつかなかったやつ。前と同じだ)


首を傾げたまま、病室を出た。

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