第8話 帰路と密書、そして新たな影——アルダ・フォン・ソナーレからの接触
幕間 練習の日々
パレスノアを出て三日。
ラベルは毎日、弾いていた。
朝起きた瞬間から。馬車の揺れの中でも。夜、焚き火が落ち着いた後も。
テレーズが言った通りだった。
弾けば弾くほど、ノエルが変わる。正確には、ノエルがラベルを覚えていく。最初は弦を押さえる位置が少しずれただけで音が外れていたのが、今は少しくらいずれても、ノエルが——待っていてくれる感覚がある。
(ノエルが、俺に慣れてきてる)
(俺も、ノエルに慣れてきてる)
「また弾いてるのか」
カイが荷台の端から言った。
「うん」
「毎日よく飽きないな」
「飽きる暇がない」ラベルは弦を押さえながら答えた。
「弾くたびに、何かが変わる気がするから」
「何が変わる?」
「音が——少しずつ、自分のものになってきてる気がする」ラベルは言った。
「最初はノエルの音を出してた。今は俺の音を、ノエルが出してくれてる感じ」
カイはしばらく黙っていた。
「それは」カイは静かに言った。「剣と同じだな」
「剣も?」
「最初は剣の動きに俺が合わせていた。今は俺の動きに剣が合う」
「剣と音楽——似てるんだ」
「道具が体の延長になる、ということだろう」
ラベルは少し考えた。
「道具が体の延長になった時——何かが変わった?」
「怖くなくなった」カイは短く言った。
「剣が怖かったの?」
「剣じゃない。剣を使う自分が怖かった」カイは空を見た。
「でも——剣が体の一部になった時、怖さが消えた。剣を使う自分と、素の自分が、同じになったから」
(剣を使う自分と、素の自分が同じになった——)
(それは——ノエルを弾く自分と、素の自分が同じになることか)
(そうなったら、俺は怖くなくなるのか)
「もう少しだな」ドノヴァンが横から言った。
「えっ、聞いてたの?」
「聞こえてた」ドノヴァンは肩を竦めた。
「お前はもう少しで——ノエルを弾く自分と、素の自分が同じになる。そうなった時、精霊の呼び方が今とは全く変わるだろう」
「どう変わる?」
「呼ぶんじゃなく、来る」ドノヴァンは言った。
「お前が音楽を奏でているだけで、精霊が自然に集まる。呼び出す努力が、いらなくなる」
「そんなになれるのかな」
「なれる」ドノヴァンは断言した。
「お前は——もう、そこまで来てる」
一 カルセラへの道
四日目の夕方、一行はカルセラの郊外に差しかかった。
ウィークが御者台で、静かに目を閉じていた。
「師匠?」ラベルが声をかけた。
「未来予見だ」ウィークは目を閉じたまま言った。「この先に——確認すべき気配がある」
「気配って、帝国の部隊?」
「違う」ウィークは目を開けた。「しかし——帝国と関わりのある者だ。接触を求めてきている」
「接触を求めてきてる?」カイが問う。
「ウィークに向けた、特定の信号だ」ウィークは義眼で前方を見た。「書が反応している」
書物を取り出した。ページが開いていた。
接触者——確認。ソナーレの血を引く者。帝国内部からの使者。
「ソナーレの血を引く者が——帝国の内部に?」ラベルは言った。
「その可能性は、以前から考えていた」ウィークは書物を閉じた。
「ただ、こちらから接触する手段がなかった。相手から来てくれた——好機だ」
「危険はないか?」ドノヴァンが問う。
「罠の可能性はある。しかし——」ウィークは静かに言った。
「書がソナーレの血反応を示している。帝国がそこまで精密な偽装ができるとは考えにくい」
「どこにいる?」
「カルセラの港の近く。古い石造りの建物の中だ」
カルセラの街に入り、馬車を預けた。
港から三本奥に入った路地の、古い石造りの建物。表に看板はない。ただ、扉の隅に小さな印が刻まれていた。
ラベルがその印を見た瞬間——胸の中で何かが動いた。
(この印——)
「師匠」
「見えている」ウィークは静かに言った。
「ソナーレの紋章だ」カイが静かに言った。
三つの星を囲む円。その下の、波を模した線。
「ここだな」ウィークが扉を叩いた。
返事の代わりに——錠の外れる音がして、扉が内側から開いた。
二 アルダ・フォン・ソナーレ
中は薄暗かった。
窓に厚い布が掛かり、外の光を遮っている。蝋燭が数本灯り、その揺れる光が室内を照らしていた。
古い家具。積まれた書物。壁に掛かった地図——シーファス大陸全土が描かれ、いくつかの場所に印がつけられていた。
そして部屋の奥に、人が座っていた。
老人だ——と、最初は思った。
しかし近づくにつれ、印象が変わった。
白髪だが、顔の皺は少ない。背筋が伸びていて、座っているのに威圧感がある。目が——深い。まるで百年分の時間が、その瞳に沈んでいるような。
年齢が、わからない。
その人物は立ち上がり、ラベルを見た。
その瞬間——目が、潤んだ。
「……ノエルが」女性は静かに言った。声は低く、落ち着いていたが、微かに震えていた。「本当に戻ってきた」
「アルダ・フォン・ソナーレか」ウィークが言った。
「そうです」女性は視線をウィークに移した。
「ウィーク殿——書の持ち主。噂は聞いていました」それからまたラベルへ。
「そしてあなたが——ルーナの子」
ラベルは動けなかった。
「母を——知っているんですか」
「知っています」アルダは静かに頷いた。「ルーナは——私の、遠い縁者です」
三 百年の話
全員が席につき、アルダが話し始めた。
蝋燭の光の中で、その声は静かに、しかし確かに響いた。
「百年前——ソナーレ王国が帝国に滅ぼされた時、生き残った者は三つの流れに分かれました」
「三つ?」ラベルが聞く。
「一つは地下に潜り、血を隠して生き続けた流れ。カイの一族がそれです」アルダはカイを見た。「もう一つは——帝国の中に入り込んだ流れ。私がそれです」
「帝国の中に?」ドノヴァンが眉をひそめた。
「名前を変え、素性を隠し、帝国の組織に入り込んだ。表向きは帝国の人間として生きながら——内側でソナーレの記録を守り、血を繋いできた」
「それが情報機関だったということか」ウィークが言った。
「そうです。帝国の内部にいるからこそ、情報が取れる。そして——いずれ来るはずのソナーレの覚醒を、知ることができる」
「三つ目の流れは?」ラベルが問う。
アルダは少し間を置いた。
「逃げ続けた流れです。一か所に留まらず、各地を旅しながら血を守った——それがルーナの流れです」
「母さんが……」
「ルーナは音系創造魔法の素質が高かった」アルダは続けた。「しかし彼女は力を使わずに生きることを選んだ。目立てば帝国に見つかる。だからノエルには触れても——覚醒させなかった」
「ノエルに触れたって言ったんですか、母さんが」ラベルは静かに言った。
「ザザントに行ったのですか」アルダが少し驚いた顔をした。
「はい。ノエルはそこにありました」
「ルーナは——あなたが生まれる前にザザントへ行った。ノエルに触れ、言いました。まだ時じゃない。子が来るまで待っていてくれ、と」
ラベルの目が、熱くなった。
「母さんは——俺のために」
「ルーナはあなたを産む前から——あなたのために動いていた」アルダはラベルを見た。「そしてあなたが覚醒した音が——私にまで届いた。ザザントからここまで」
「音が届いた?」
「ソナーレの音系創造魔法が発動する時——血を引く者には感じ取れる。波のように」アルダは自分の胸に手を当てた。「百年ぶりに——あの音が戻ってきた」
部屋が静まり返った。
蝋燭が、静かに揺れた。
「アルダ」ウィークが言った。「母親——ルーナのことを、詳しく教えてほしい」
アルダはラベルを見た。
「聞く準備は、できていますか」
「はい」ラベルは答えた。声が、少し震えていたが——目は、真っ直ぐだった。
四 ルーナの最後
「ルーナが帝国に見つかったのは——あなたが五歳の頃です」
アルダの声は、穏やかだった。しかし言葉の重さは、穏やかではなかった。
「帝国の追跡部隊が、ルーナの音の痕跡を辿った。彼女は必死に逃げた。あなたを連れて——各地を転々と」
「それは——覚えてる。ぼんやりと」ラベルは静かに言った。「ずっと走ってた気がする。夜中に、真っ暗な中を」
「ルーナは最終的に——あなただけを逃がすことを選んだ」
「逃がした?」
「自分が囮になった」アルダは続けた。「あなたを廃村の安全な場所に隠して——自分が音を使って帝国を引き付けた。わざと、ソナーレの歌を歌って」
ラベルは、息が止まった。
「わざと——歌ったの?」
「帝国を引き付けるために。あなたから遠ざけるために」
(だから俺は一人で廃村にいた——)
(母さんは、俺を守るために——)
「ルーナはその後——どうなりましたか」ウィークが静かに問うた。ラベルの代わりに。
「行方が、わかっていません」アルダは言った。「私の情報網でも——それ以降の消息が掴めていない。死んだとも、生きているとも——確認できていない」
ラベルは動かなかった。
長い沈黙。
「生きてる可能性は?」ラベルが、静かに聞いた。
「帝国が生かして捕らえる理由は——あります」アルダは答えた。「ソナーレの音系創造魔法を持つ者を、研究目的で拘束するという事例が過去にありました」
「つまり——」
「確認はできていない。しかし——諦める理由もない」
ラベルは拳を、静かに握った。
「探す」
それだけだった。
カイが隣で、静かに頷いた。
五 アルダの情報
「私がお伝えしたかったことは、もう一つあります」アルダは続けた。
「何でしょう」ウィークが問う。
「帝国の内部で——大きな動きが始まっています」アルダは壁の地図に近づいた。
「ザザントの敗北、レヴィアタンの消滅——それらを受けて、帝国上層部が動き始めた」
「アザトース長官が?」
「彼だけではありません。その上——帝国の最高意思決定機関、枢密院が直接関与し始めた」
アルダは地図の一点を指した。
「そして帝国は今、新たな目標を定めています」
「どこだ」ウィークが義眼を向ける。
「コプラスです」
全員が、顔を上げた。
「コプラス——峻厳の絶壁ダンジョン」ウィークが言った。
「帝国はあの地形に目をつけました。コプラスを制圧し、左右に連なる山脈を要塞として利用すれば——シーファス大陸北部への制圧拠点になる」アルダは続けた。
「既に調査部隊が向かっているという情報があります」
「先を越されるか」ドノヴァンが低く言った。
「急ぐ必要があります」アルダはウィークを見た。「ウィーク殿——あなたの書が示しているはずです。
コプラスは——ただのダンジョンではない」
「書に記述が?」ウィークは胸元に手を当てた。
「まだ開示されていなければ——コプラスに近づけばわかるでしょう」
ウィークは書物を開いた。
ページが、強く光った。
コプラス——干渉地域。先人未踏。神樹の隠れ処。
ダンジョン消滅の条件:ダンジョンマスターの討伐。
到達による書の更新:初級コンプリート条件、充足。
「初級コンプリートの条件——充足」ウィークは静かに言った。
「書がコプラスを示している」アルダが頷いた。「行くべき場所は、決まっています」
「アルダ」ラベルが言った。「あなたはどうするんですか」
「私は帝国の内部に残ります」アルダは静かに言った。
「外から戦う人間と、内から崩す人間——両方が必要です」
「危険では?」
「百年間、危険の中にいました」アルダは微かに笑った。「慣れています」
ラベルはアルダを見た。
この人も——百年間、何かを守り続けてきた。ソナーレの記録を。血の繋がりを。
そしていつかソナーレの音が戻る日を。
「一つ、お願いしていいですか」ラベルは言った。
「なんでしょう」
「母さんの消息を——引き続き探してほしい」
「もちろんです」アルダは頷いた。「それが——私の使命の一つでもある」
六 別れ際のアルダの言葉
立ち去る前に、アルダはラベルに近づいた。
その手が、ラベルの頬に触れた。
「ルーナの顔に——似ていますよ」
ラベルは何も言えなかった。
アルダは静かに手を引いた。
「行きなさい、ラベル・ソナーレ。あなたの音が——世界を変える日が来る。私はそれを信じています」
ラベルは頷いた。
「アルダさん」
「なんですか」
「帝国の内部は——危険なはずです。それでも残るのは」ラベルは言った。「俺たちを信じているから、ですよね」
「そうです」アルダは静かに言った。「百年間信じ続けた。もう少し、信じることはできます」
「……ありがとうございます」
「礼はいりません」アルダは微かに笑った。「音楽を——続けなさい。それが、私への最大の恩返しだから」
七 コプラスへ
カルセラを出た翌日から、道は険しくなった。
街道が消え、獣道になり、やがてそれすら消えた。
一行の前に現れたのは——壁だった。
山ではない。壁だ。
垂直に切り立った岩の絶壁が、視界の端から端まで続いている。上端は霞の中に消えており、どこまで続くのかが見えない。左右には、そこから分岐するように山脈が北北西と北北東へと連なっていた。
「ここが——コプラスだ」ウィークが言った。
「うわあ」ラベルは上を見上げた。「ものすごい絶壁だ……こんな高いのは見たことない。上の方は霞んで見えないよ」
「さしずめ自然の要塞だな」ドノヴァンが腕を組んだ。
「ははは」ウィークが珍しく声に出して笑った。「ダンジョン自体はB級だが、この自然の地形が攻略をさらに困難にすることから、実質A級相当と言われている」
「大丈夫かな……」ラベルは呟いた。
「普通の冒険者なら難しいだろうな」ウィークは言った。「まあ、ダンジョン内部はサーチアイで既に把握している。今日は体を休めて準備をしておこう。明日の朝に出発だ」
カイが絶壁を見上げたまま言った。
「帝国の調査部隊は?」
「まだ来ていない」ウィークは義眼で周囲を確認した。「ただし——時間はない。早ければ三日後には到達するだろう」
「なら急ぐ必要があるな」
「そうだ。最短で動く」
八 前夜
コプラスの麓に野営地を張った夜。
ラベルは焚き火の前で、ノエルを弾いていた。
今夜は一人で弾いていた。カイも、ドノヴァンも、少し離れたところに座っている。
(明日——コプラスに入る)
(これが終われば、聖ラジエルの書初級がコンプリートになる)
(師匠のレベルも上がる。何かが変わる)
ラベルは弦を鳴らした。
旋律が、夜の空気に広がった。
精霊たちが——来た。
この数日で、変わっていた。ラベルが弾くと、精霊が自然に集まってくる。呼ぼうとしなくても、意識しなくても。
(ドノヴァンさんが言ってた。呼ぶんじゃなく、来る——そうなってきた)
「師匠」ラベルは弾きながら言った。
「なんだ」ウィークが書物から目を上げた。
「コプラスを攻略した後——何が変わるの?」
「書が初級コンプリートになる。中級に移行する」ウィークは答えた。
「私のレベルが百に達した時——アーティファクトボディが次の段階に移行する」
「ルー・クシャスラが変わる?」
「そうだ」
「どんな風に変わるの?」
「それは——なった時に話す」
「また、なった時に」ラベルは苦笑した。「師匠はいつもそれだ」
「答えを先に言うと、驚きが減る」
「驚きって——大事なの?」
「驚いた時、人は最も大きく変わる」ウィークは静かに言った。「驚きを大切にしろ」
(驚きを大切にする——)
ラベルは旋律を続けながら、考えた。
(これまでの旅で、驚いたことがたくさんあった)
(師匠がアーティファクトボディを纏っていること。ドノヴァンさんの五指。ザザントで自分が精霊に感応したこと。ノエルとの共鳴。アルダの存在。コプラスの絶壁——)
(全部が、驚きだった。全部が、俺を変えた)
「ラベル」カイが遠くから言った。
「なに?」
「明日は——しっかり弾け」
「コプラスでも弾くのか?」
「お前の音楽が——精霊を落ち着かせるなら、ダンジョン内でも役に立つだろう」カイは淡々と言った。「俺が剣を使う場面を、減らせるかもしれない」
「俺の音楽が、戦力になるのか」
「なるかもしれない、と言った」
ラベルは少し笑った。
「やってみる」
ドノヴァンが遠くから言った。
「俺からも言っておく」
「なに?」
「コプラスは複雑なダンジョンだ。三十層以上ある。長丁場になる」ドノヴァンは言った。「集中力を切らすな。あそこで精霊が乱れたら、魔物も一斉に動く。お前の音楽が鍵になる場面があるかもしれない」
「プレッシャーだな……」
「本番前にプレッシャーを感じるのは正常だ」ドノヴァンは言った。「ただし、弾く瞬間には消える。技術が体に入っていれば、プレッシャーは消える」
「技術が体に入っていれば」ラベルは繰り返した。「まだそこまで行ってないかも」
「行ってる」ドノヴァンは断言した。
「お前は気づいていないだけだ。精霊が自然に来るようになったのを——お前は当たり前のことだと思い始めているだろう」
「……そうかも」
「それが——技術が体に入った証拠だ」
ラベルはノエルを見た。
弦の光が、静かに脈打っている。
(俺とノエルが——少し、深くなった)
(テレーズさんが言ってた通りだ)
九 夜の対話
焚き火が落ち着いた頃、ウィークとラベルだけが残っていた。
「師匠」
「なんだ」
「一つ、聞いていいか」
「なんでも」
「師匠は——俺に、最終的に何をしてほしいの?」
ウィークは少し間を置いた。
「何をしてほしい、というのは?」
「書の記述——音を持つ者と共に歩め。彼の歌は、閉じた扉を開く。この扉って——何のこと?」
「今の書には、まだ全部は記されていない」ウィークは言った。「しかし——少しだけ、話せることがある」
「聞かせて」
「この世界では、精霊と人間の関係が——百年前から、歪んでいる」ウィークは静かに言った。
「帝国が精霊を資源として扱い、強制的に採掘し、力を奪い続けた。その結果、精霊と人間の間にあった本来の繋がりが、失われつつある」
「繋がりが失われる——それはどういう意味?」
「精霊が人間を拒絶するようになる。精霊の力が必要な術が使えなくなる。精霊が住む場所が荒廃する——そういうことだ」ウィークは続けた。「その流れを——止める必要がある」
「それが、師匠のやるべきことか?」
「そうだ。しかし——私一人では、止められない」
(師匠一人では、止められない——)
「俺の音楽が——必要なのか」ラベルは静かに言った。
「そうだ」ウィークは頷いた。「精霊と人間が再び繋がるためには——精霊が応える音楽が必要だ。
ソナーレの音系創造魔法——それが、閉じた扉を開く鍵だ」
「閉じた扉、というのは」
「精霊と人間の間にある、断絶だ」ウィークは言った。
「それを開けるのは——力ではない。音楽だけが、精霊と人間の両方に届くことができる」
(精霊と人間を繋ぐ音楽——)
(それが、俺に求められていること)
「師匠」ラベルは言った。「怖くないといったら嘘になる。そんな大きなことを、俺にできるのかって」
「できる」ウィークは即答した。
「根拠は?」
「今夜、精霊が自然に集まってきた」ウィークは焚き火の周囲を指した。光の粒が、今も揺れている。「呼ばなくても、来た。それが根拠だ」
「……それだけで?」
「それだけで十分だ」ウィークは静かに言った。
「精霊は嘘をつかない。精霊が来るということは——お前の音楽が、本物だということだ」
ラベルは精霊の光を見た。
(本物——)
(俺の音楽が、本物)
「師匠」
「なんだ」
「ありがとう」
「何のことだ」
「廃村で拾ってくれたこと。ここまで連れてきてくれたこと。全部」
ウィークは少し間を置いた。
「拾ったのは私ではなく、書だ」ウィークは答えた。
「私はただ、書が示した場所に行っただけだ」
「じゃあ——書を作った人に、ありがとうって言えばいいの?」
「機会があれば」
「書を通じて伝わるかもしれない」ラベルはノエルを一度鳴らした。「こんな感じで」
(音楽が——伝える)
「……そうだな」ウィークは静かに言った。
「伝わるかもしれない」
ラベルは弦を鳴らした。夜の空気に旋律が広がった。
精霊たちが、また揺れた。
(明日——コプラスに入る)
(そして次の段階へ進む)
(怖くない。師匠がいる。ドノヴァンさんがいる。カイがいる。ノエルがいる。精霊たちがいる)
音楽が、夜の空気に満ちた。
十 夜明け前の静寂
深夜、全員が眠った後。
ウィークは一人、書物に向かっていた。
アルダから得た情報を、書物の端に記している。帝国の動向。コプラスへの調査部隊。枢密院の動き。
そして——ルーナの消息について。
(ルーナは、生きているかもしれない)
(しかし場所がわからない)
(帝国に捕らえられているとすれば——いずれ、そちらへも向かわなければならない)
(しかし今は——コプラスが先だ)
ウィークは書物を閉じた。
ラベルが眠っているのを確認した。穏やかな顔だった。
(お前は——知らないうちに、大きな使命を担い始めている)
(でも——重さより先に、音楽への喜びがある。それが、お前の強さだ)
絶壁が、夜の空に聳えていた。
明日、あの中に入る。
ウィークは義眼で絶壁の構造を改めて確認した。サーチアイが内部の構造を映し出す。蟻の巣のように張り巡らされた通路。三十層以上の深さ。そして——三十一層から先の、異常な空間。
(神樹がいる。帝国に居場所を奪われた、大きな存在が)
(あれは、戦って倒すものではない)
(ラベルの音楽が——必要になる)
風が吹いた。
絶壁が、夜の闇に静かに聳えていた。
(明日——始まる)
第8話 了
次話予告
第9話「峻厳の絶壁——コプラス攻略と、転生の光」
いよいよB級ダンジョン「コプラス」への突入。
三十層を超える巨大ダンジョンに、帝国の調査部隊が迫る中——
三十一層で、空間が一変する。
そこに広がっていたのは、洞窟ではなく、大森林だった。
そして現れる、神樹ユグドラシルと、その子供たち。
コプラス攻略の後——ウィークのレベルが百に達する。
アーティファクトボディが、次の段階へ。




