第9話 峻厳の絶壁——コプラス攻略と、転生の光
幕間 夜明けの絶壁
夜が明ける前に、ラベルは目が覚めた。
理由はわからない。ただ——目が開いた。
天幕を出ると、空がまだ暗かった。星が残っていた。しかし東の端が、ほんのわずかだけ、灰色に変わり始めていた。
絶壁が、暗闇の中に聳えていた。
昼間に見た時は、その大きさに圧倒された。しかし夜明け前に見ると——違って見えた。
(大きいことは大きい。でも——怖くない)
(これを超えなければならない理由が、ある)
ラベルはノエルを取り出した。
音を出さずに、ただ弦に触れた。
ノエルが——温かかった。
(行こう。中に何があっても、俺たちなら越えられる)
「早起きだな」
後ろからカイの声がした。いつの間に起きていたのか、剣の手入れをしながら立っていた。
「眠れなかったわけじゃない。ただ——目が覚めた」
「俺もだ」カイは絶壁を見た。「でかいな」
「でかい」
「父さんも——こういうダンジョンを何度も越えてきたんだろうな」
「カイの父さんは、強かったの?」
「俺より強かった」カイは短く言った。「俺が今の水準に達するまで、五年かかった。父さんは三年でそこを越えていたと聞いた」
「すごいな」
「だから——負けたくない」カイは剣の手入れを続けながら言った。「父さんを超えないと、探しに行く資格がない気がして」
「資格って——」ラベルは少し考えた。「俺は資格より、会いたいからで十分だと思うけど」
「単純だな」
「単純な方が強い気がする」ラベルは言った。「師匠も、行動の理由がいつもシンプルだ。複雑に考えると、迷う」
カイはしばらく黙っていた。
「……そうかもしれない」やがて言った。
夜明けの光が、少しずつ絶壁を照らし始めた。
巨大な岩の壁が、橙色に染まっていく。
「行こう」ラベルは立ち上がった。「起こしに行かないと、ドノヴァンさんが朝ご飯食べ損ねる」
「それは問題だな」カイは珍しく、口元を緩ませた。
一 コプラスの入口
太陽が昇り切った頃、一行はコプラスのダンジョン入口に立った。
絶壁の根元に、大きな口が開いていた。縦に伸びた裂け目——高さだけで十メートルはある。その奥から、冷たい空気が吹き出してきた。外の熱気とは全く異質な、地の底から来るような冷たさだ。
「よし、着いたな」ウィークが全員を見た。
「確認する。このダンジョンの目的は二つだ。
一つ、必要な素材の調達。
二つ——ダンジョンボス攻略後のリセットを阻害し、
ダンジョンマスターを倒す。このダンジョンを消滅させることだ」
「消滅させる?」カイが眉を上げた。
「帝国にコプラスを使わせない。それが最優先だ」ウィークは続けた。
「可及的速やかに最短で動く。適宜指示を出す」
「わかった」
「承知」
「了解です」
「ラベル——お前の役割を言う」ウィークはラベルを見た。
「なに?」
「三十一層から先、空間の性質が変わる。精霊との接触が必要になる場面が来る。
その時——お前の音楽が、道を開く」
「三十一層から先に、何があるの?」
「入ればわかる」ウィークは裂け目に向かった。「行くぞ」
ラベルはノエルを背負い直した。
(消滅させる——そういうこともあるのか)
(コプラスが消えれば、帝国はここを拠点にできない。それが目的だ)
(でも——何かを消す。それは、どこか寂しい気もする)
裂け目に踏み込んだ。
二 第一層から第三十層
コプラスはほぼ全て、洞窟内にあった。
ウィークのサーチアイがダンジョン内部の構造を既に把握していた。まるで蟻の巣のように張り巡らされた通路を、無駄な動きなく最短で進む。
第一層から第五層——リザードマン、ストーンリザード、ブラックバット。
第六層から第十層——リザードウォリアー、アイアンリザード、ブラッディバット。
第十一層から二十層——リザードコマンド、クリスタルリザード、ヘルバット。
第二十一層から三十層——リザードジェネラル、アダマンタインリザード、アビスバット。
上階に進むにつれ、魔物のレベルが上がっていく。しかし一行は怯まなかった。
ウィークのレールガンとデッドロック・フラッシュが道を開く。ドノヴァンの五指が空中を舞い、複合魔法が複数の敵を同時に無力化する。カイの二本の剣が流れるように敵を捌く。
そしてラベルがノエルを奏でると——精霊が応え、魔物の動きを鈍らせた。
(カイが言ってた通りだ)
(俺の音楽が、戦力になってる)
二十九層を抜けた時、ウィークが書物を確認した。
「素材調達——完了。風晶石、断層鉱、洞窟蝙蝠の翼膜、アダマンタインの欠片——全て確保した」
「次が三十一層か」ドノヴァンが額の汗を拭った。
「ここまでは順調だ」
「ここまでは、だ」ウィークは言った。
「三十一層から——別物だ」
三 変質した空間
三十一層に足を踏み入れた瞬間——空気が変わった。
「……気が付いたかラベル。この階から波動が変わった」ウィークが言った。
「うん」ラベルは周囲を見回した。
「さっきまでのところよりも、なんだか落ち着いているというか……」
ラベルのノエルが——微かに反応していた。弦の光が、普段より温かい色合いになっている。
洞窟の壁に、緑が増えてきた。
最初は苔だったものが、やがて草になり、低木になり——
気づけば、前方に巨大な森林が広がっていた。
「うわあ、急にこんな大森林みたいな場所になるなんて!」ラベルが目を丸くした。
「サーチアイで確認していたが、かなり広い森林地帯だ」ウィークは続けた。
「しかし事前入手した地図上では、ここはまだ洞窟地帯のはずだったが……」
言い終えた直後。
「——何か来る! 気をつけろ!」
ウィークの警告と同時に、森の中から何かが伸びてきた。
スパスパーン——
カイが華麗に二本の剣で捌いた。
「……植物系魔物の触手か」カイは切り落とした蔓を見た。
深い深い緑色の、うねうねと蠢く蔓が床に転がっていた。
「本体がこちらに向かってくる」ウィークが言った。
「ラベル、ドノヴァン——本体が見えたら私の後ろに回れ」
「うん」
「承知」
次の瞬間、森の奥から数体の巨大な影が現れた。
三メートルを超える太いツタを巻き付けたような木の怪物——トレントだ。
「ナノ・ワールド——フィールド・ゼロ」ーーーウィークが静かに唱えた。
絶対領域が展開された瞬間——数体のトレントが、音もなく消えた。
カタログ化完了。
ウィークの脳内にメッセージが流れた。
「よし、これでまた埋められた」ウィークは書物を確認した。
「しかし——ダンジョンが変質しているのはなぜだろう。これはうれしい誤算かもしれない。新種を確保し放題の予感がする」
ウィークの目が、珍しく輝いた。
「師匠が楽しそうだ」ラベルがドノヴァンに小声で言った。
「珍しいな」ドノヴァンが同じく小声で返した。
「聞こえているぞ」ウィークが言った。
「……」
ウィークはドノヴァンを見た。
「ドノヴァン——ドリアードがいるかもしれないな」
「いや師匠」ドノヴァンは即座に答えた。
「いるかもではなく、間違いなく存在する。何故なら——まわり精霊達が非常に活性化しているのが何よりの証拠だ」
「そうか。ではまずドリアードを先に確保しよう」
「精霊たち——ドリアードのところへ、案内してくれ」
ドノヴァンの指先から、光の粒が溢れ出した。精霊たちが強い光を放ち、まるで道標のように、森の中を先導し始めた。
四 精霊の案内
精霊に導かれてしばらく進んだ時、一つの光が大きな木の幹の周りをくるくると回り始めた。
「どうやら——シルファが最初に見つけたようだ」ドノヴァンが言った。
「シルファ?」ラベルが聞く。
「シルファは風と聖光の精霊だ」
「ドノヴァン、呼び出せそうか?」ウィークが問う。
「やってみよう」
ドノヴァンの右手の人差し指と中指の爪が、スペリングネイルとして光り始めた。
二本の指が、それぞれ異なる軌跡を描く。
風属性の魔法スペルと、聖属性の魔法スペルが同時に紡ぎ出される。
ホーリー・シルフィールド。
たった二本の指で織り成す、高レベルの複合魔法。
シルファに向けてバフが掛けられた瞬間——精霊はさらに強い光を纏った。
シルファが、木の幹に向かってふっと息を吹きかけた。
「キャーッ! ちょっと眩しいわよ! うまくだませたと思ったのにぃ~!」
木だと思っていたものが急に震えだし、形が崩れ、小さくなった。
現れたのは——少女だった。
全身を薄い緑色の艶やかな葉で包んだような姿。背中に昆虫のような羽を持つ。手足は細く、目が大きく、今は驚きと怒りが混じった表情をしていた。
ウィークのサーチアイが情報を表示した。
神樹と緑丹のドリアード ユニークタイプ 固有名:ユグノー
「ふむ——ユグノーというのか」ウィークは静かに言った。
「完全な聖属性ではなく、ハイブリッドタイプか」
「いきなり何よ! ど、どうして私の名前を知っているの!?」
「それはいずれわかる」ウィークはユグノーをじっと見つめた。
「単刀直入にいう——どうだ、我々に協力する気はないか?」
「うっ——体が動かない! 何この得体のしれない重圧感は!」
その横からドノヴァンが落ち着いた口調で、硬直しているユグノーに対し、
「わが精霊シルファとの相性が良さだな、俺からもお願いしたい——どうだシルファとリンクしないか?」
「いきなりそういわれてもお母さまの許しがないとそういうことはできないの!」
「ほう——お母さまがいるのか」ウィークは言った。
「なあユグノー、案内してもらえないか?」
「他種族をお母さまのところに案内することは絶対禁止だけど……精霊とも友達のあなたたちなら……」とユグノーはつぶやいた。
「今このダンジョンがなぜ変化しているかも知りたいしな。是非頼む」
「でも私が案内できるのは入口までよ。その先はお母さま次第だから……」
「今はそれで構わない。では先を進もう」
五 ドリアードたち
ユグノーの案内で森の奥へ進む途中、ドノヴァンが放っていた精霊たちが戻ってきた。それぞれがドノヴァンに何かを告げていた。
「師匠、どうやら他にもユグノーのようなドリアードがいるようだ」
「ではついでに行こう、ユグノーがいるし仲間じゃないのか」
「多分そうよ……」とユグノーはポツリと言った。
次々と発見されたのは——闇属性を持つノヴェラ、地属性を持つベナト、水属性を持つジルだった。
「あなたたちも見つかってしまったのね」ユグノーが言った。
「私たちどうなるの?」ノヴェラが不安そうに聞く。
「……」ベナトは黙って、じっとウィーク一行を見ていた。
「お母さまのところへ行くの?」ジルが続けた。
一行は森に施された幾重もの結界をくぐりながら、さらに先へと進んだ。
「なるほど——これだけ結界が張り巡らされていれば、私のサーチアイも正確に視覚化できないわけだ」ウィークは心の中で呟いた。
「ここが入口よ」ノヴェラが突然立ち止まった。
その場所は地図上では三十五層相当の辺りだった。
「うわあ、あんな巨大な木は見たことがない!」ラベルが目を丸くした。
「これは——神樹ユグドラシルか」ドノヴァンが静かに言った。
「どうやらそのようだ」ウィークが頷いた。
巨大な木はダンジョンの上層を突き抜けて伸びていた。幹の直径が数十メートル。根が大地を覆い、枝がダンジョンの天井を突き抜けて、さらに上へと伸びている。その存在だけで、空間の質が変わっていた。
——あなた方ですか。子供たちが言っていたのは。ここに何の用があって来たのですか?
突然、ウィークたちの頭の中に直接話しかけてきた。
六 神樹との対話
「もともとはこのダンジョンを攻略することでしたが、状況を把握するためにも——神樹がなぜこの場所に?」ウィークが静かに答えた。
それは私たちの居場所が邪悪な存在によって奪われ、住める場所がここしかないからです。
神樹は語った。
ラベルは耳を傾けながら——感じていた。
(悲しい声だ)
(どこかで力ずくに追い出されて、ここに逃げ込んできた)
神樹の話が続いた。
要約するとこうだ。アビス帝国によって元々の場所を奪われた。
住みやすい土地を探して辿り着いた場所がコプラスダンジョンの三十一層から最上階。結界を張り、縄
張りとした。
短期間のうちに巨大になったのは、モンスターとダンジョンボスを養分にして、ボス攻略とリポップを
繰り返してきたからだという。
「どうだ、我々と協力し合わないか?」ウィークは言った。
「元々の住んでいた場所を奪ったやつらは我々の敵でもある。ここへ来た理由も、
敵を攻略するための一貫だ。協力する気があるなら元の場所を我々が取り戻そう」
……あなた方の目的は何ですか?
「帝国の版図を、少しずつ削ること」
……そして、この子たちを——守ってもらえますか
「約束しよう」ウィークは即答した。
では——ダンジョンマスターの場所を教えましょう。
七 ダンジョンマスター討伐
神樹が示した場所は、最上階——第五十層だった。
コプラスの頂点。絶壁の最上部に相当する場所。
そこに、それはいた。
アビス・ドラゴン。
全長三十メートル。鱗が黒く、目が赤く、その口から漏れ出す息が空気を腐食させる。帝国の魔術によって改造された、ダンジョンボスを超えた存在——ダンジョンマスター。
「これが——最終目標か」ドノヴァンが五指を開いた。
「全力でいく」ウィークが言った。
「ラベル——音で支援を」カイが剣を抜いた。
「わかった」
ラベルはノエルを構えた。
戦闘が始まった。
ドラゴンの咆哮が空間を揺らす。黒い炎が四人に向かって迸る。
カイが両剣で弾きながら側面へ回り込む。
ドノヴァンの五指が五種同時展開——炎、雷、風、重力、土精霊の召喚が、ドラゴンの動きを制限する。
ウィークのレールガンが、ドラゴンの鱗の隙間を正確に貫く。
そしてラベルが奏でるノエルの旋律に合わせて——精霊たちが応えた。
ユグノーが聖光で仲間を守る。
ジルが水の障壁を展開する。
ノヴェラが闇の霧でドラゴンの視界を奪う。
ベナトが地面を揺らしてドラゴンの足元を崩す。
(四人と四体のドリアードが——一つの旋律のように動いている)
長い戦闘だった。
何度もドラゴンの攻撃が一行を脅かした。
カイが吹き飛ばされ、
ドノヴァンの魔法がかき消され、
ウィークの外装にひびが走った。
それでも——止まらなかった。
「ラベル——全力で」ウィークが言った。
「わかった」
ラベルは深く息を吸った。
(全部乗せる。怒りも、悲しみも、母さんへの想いも、全部)
ノエルの弦が、今まで以上に強く光った。
声が、重なった。
旋律が——炸裂した。
精霊たちが一斉に実体化し、ドラゴンを包囲した。四属性の精霊の力が、ラベルの音楽を通じて増幅され——ドラゴンに収束した。
ドォォォン。
ダンジョンマスターが、崩れ落ちた。
静寂。
全員が、その場に倒れ込んだ。
八 神樹の移動
ダンジョンマスターが消えた後、ウィークは神樹との約束を果たした。
「神樹の移動先は、コプラスの南側、シーラ王国の山間部の谷だ」ウィークは書物を確認した。
「人の手が入っていない、精霊が豊富な地域だ」
……信じましょう。あなた方の音が、嘘をついていない。
神樹の移動は——ラベルの音楽によって行われた。
ソナーレの音系創造魔法が、精霊たちを通じて神樹に届いた。大地の精霊が根を解き、風の精霊が神樹を支え、水の精霊が枯れないよう守りながら——巨大な神樹が、静かに移動を始めた。
ユグノーたちが後に続いた。
ドノヴァンのシルファが、道を照らした。
神樹が安全な谷に根を下ろした後——
「では——仕上げだ」ウィークは言った。
九 コプラスの消滅
ウィークの機構が起動した。
「ナノ・ワールド——展開。コプラス全域認識完了」
白金の義眼が、静かに光った。
「スキルβ崩壊——第二段階。精密展開」
コプラスダンジョンの全域に——静かに、しかし確実に、崩壊が適用された。
地鳴りがした。絶壁の遥か上の方から、岩が崩れる音が聞こえた。
そしてコプラスダンジョンは——帝国が到着した時には、ただの岩山になっていた。ダンジョンとしての機能を、完全に失って。
十 転生の光
コプラスの外に出た頃、夕陽が傾いていた。
全員が疲れ切っていた。しかし——やりきった感覚があった。
「師匠」ラベルが言った。
「書はどうなってる?」
ウィークは書物を確認した。
ページが、今まで見たことのない光り方をしていた。
「聖ラジエルの書初級——達成度」ウィークは静かに読んだ。
「百パーセント。コンプリート」
次の瞬間——ウィークの全身に、光が走った。
外装の内側から。ルー・クシャスラの全ての機構が、同時に反応した。
「……来たか」ウィークは静かに言った。
「師匠?」ラベルが声をかけた。
「レベルが——百に到達した」
その言葉と同時に——光が爆発した。
ルー・クシャスラの外装が、光の中で形を変えていく。バラバラに分解されるのではなく——*進化していく。*機械の部品が組み直され、魔術回路が書き換えられ、新たな形が生まれていく。
光が収まった時。
そこにいたのは——変わったウィークだった。
外装の色が、白から金へ。機械仕掛けの部分が洗練され、より薄く、より精巧になっている。義眼の光が、青から白金へと変わった。
アーティファクトボディ:サン・アポロニウス。
「……サン・アポロニウス」ウィークは自分の手を見た。
「レベル百から百四十九まで——新たな段階だ」
「かっこいい……」ラベルが目を丸くした。
「以前と何が変わった?」カイが静かに言った。
「全てだ」ウィークは答えた。
「機構の精度、魔力の処理速度、センサーの範囲——全てが、一段階上に移行した」
「職は?」ラベルが聞く。
「機工士から——陣法士へ」ウィークは静かに言った。
「陣法士……?」
「陣法士って——なに?」
「時間と空間と言語を扱う職だ」ウィークは右手を上げた。
金色の外装の上に、僅かに光の文様が浮かぶ。
「ルー・クシャスラの段階では、物理的な干渉が中心だった。
サン・アポロニウスでは——認識そのものに干渉できる」
「認識に干渉?」
「三つのパッシブスキルが常時発動している」ウィークは指を立てた。
「一つ——全言語習得。この世界に存在するあらゆる言語、古語、精霊語、消滅した言語も含めて、全て理解し話せる」
「全言語!?」ラベルが目を丸くした。
「二つ——思考感知。近接した者の思考の表層を、一定範囲内で感知できる。意図的な欺瞞を察知するのに使う」
「師匠が……俺の考えてることを読んでる?」ラベルが少し引いた顔をした。
「表層だけだ。深く読もうとすれば、相手に気づかれる」ウィークは淡々と言った。
「安心しろ——お前の考えを読むつもりはない」
「そういう問題なのか……」ドノヴァンが苦笑した。
「三つ——未来予見。確率的な未来を、断片的に感知できる。全てが見えるわけではなく、あくまで可能性の把握だ」
「未来が見える!?」ラベルがさらに驚いた。
「見える、というより——感じる、という方が正確だ。この道を進めば何かが起きる。この選択は危険だ——そういった感知だ。確定的ではない」
「師匠がいつも先手を取るのは——それのせいか」カイが静かに言った。
「一因だ」ウィークは頷いた。
「アクティブスキルは?」ドノヴァンが問う。
「これが——陣法士の本領だ」ウィークは右手を大きく動かした。
その手の動きに合わせて——金色の光の線が、空中に現れた。円形に広がり、内部に複雑な文様が走る。中心から外側へ、時計の文字盤のように、数字が刻まれていく。
一時。二時。三時——十二時。
「時刻陣」ウィークは静かに言った。
「一から十二時の、十二種類の魔方陣を展開できる。それぞれの時刻が、異なる性質を持つ」
「どういう意味?」ラベルが陣を見ながら聞いた。
「各時刻に対応する鬼神が存在する」ウィークは続けた。
「陣を展開し、呼びかけることで、対応する鬼神を召喚できる——それが陣法士の力だ」
「鬼神……」
「十二体いる」ウィークは指を折りながら言った。
「一時のパブス——医神。回復と治癒を司る。」
「二時のラベゼリン——成功の神。計画の成就を後押しする。」
「三時のエレイヌス——偶像破壊の神。既存の秩序や構造を壊す力を持つ」
「壊す神……」ラベルが少し驚いた。
「壊すことが、時に必要だ」ウィークは続けた。
「四時のアクラハイル——娯楽の神。場の空気を変え、相手の警戒を解く。」
「五時のタクリタン——召喚魔術の神。他の精霊や使い魔の召喚を強化する」
「六時のハータン——財宝隠蔽の神。物や情報を、特定の者以外から隠す。」
「七時のサブルス——滋養の神。体力と魔力の回復を補助する。」
「八時のトゥキファト——計画の神。戦略的な布陣と作戦展開を強化する」
「師匠が戦術を立てるのが速いのが——八時の陣で更に速くなるのか」カイが言った。
「補助として使う場合がある」ウィークは答えた。
「九時のリスヌク——農業の神。土地の豊かさ、精霊との親和性を高める。精霊が住む環境の安定に使える」
「十時は?」ラベルが続きを促した。
「十時のマスト——幻影の神。視覚、聴覚、嗅覚——あらゆる感覚への幻影を作り出す。変装や隠蔽に使える」
「それ、普通にすごく便利じゃないか」ドノヴァンが言った。
「場面による」ウィークは答えた。
「十一時のゾファス——五芒星の神。攻撃特化の陣だ。五点の魔術的収束点を展開し、対象を多方向から同時攻撃する」
「それが——一番わかりやすい攻撃手段か」カイが言った。
「そうだ。そして十二時のハハブ——宮廷食卓の神。これが最も特殊だ」
「宮廷食卓……?」ラベルが首を傾けた。
「場を対話の場とする力だ」ウィークは静かに言った。
「この陣が展開されると——その場にいる者全員から、打算と防御の意識が一時的に薄れる。正直な言葉が出やすくなる。交渉や外交において、最も重要な陣だ」
「外交の切り札か」ドノヴァンが言った。
「そうだ。戦いで解決できないことを、言葉で解決する時に使う」
「全部で十二体……」ラベルはその数を頭に入れようとした。「全部を一度に使えるの?」
「同時に複数の陣を展開することはできる。しかし——全十二時を同時展開することはない。消耗が大きすぎる。状況に応じて選択する」
「わかった」ラベルは頷いた。「師匠、さらに強くなった」
「必要だから、強くなった」ウィークは静かに言った。
「それだけだ」
そして書物が——再び光った。
中級への移行が、始まっていた。
聖ラジエルの書・初級——コンプリート。
中級へのアップグレードを開始します。
書物が宙に浮いた。ページが次々とめくれ、新しい文字が記されていく。光が溢れ、やがて書物が元の形に戻った時——その厚みが、倍になっていた。
「聖ラジエルの書・中級」ウィークは新しい書を手にした。
「初級の全情報を継承し、アイテム合成、素材カタログ、精霊接続——全ての範囲が拡張された」
「どのくらい拡張されたの?」ラベルが聞く。
「初級では見えていなかったものが——見える」ウィークは言った。
十一 ギフト召喚
「そして——これが記されている」ウィークはページを開いた。
レベル百達成——ギフト召喚・第二英雄。
「第二の英雄」ドノヴァンが言った。「俺が第一なら——次はどんな人間が来る?」
ウィークは右手を上げた。
光が集まる。ドノヴァンが召喚された時とは違う——もっと複合的な、複数の色が混じった光。
「ギフト召喚——」
光が、爆発した。
そして——*声が聞こえた。*
一つじゃない。
四つ。
四つの声が、重なっていた。旋律ではない。ただ——それは間違いなく、音楽だった。声だけで作られた、圧倒的な音楽。
「何だ、この声は……」カイが思わず剣を構えた。
光の中から、姿が現れた。
四人だった。
年齢はバラバラ。男女混合。しかし全員が——今の今まで、何かに驚いた顔をしていた。
「えっ」「うわ」「また来たの」「場所が変わってる」
四人が口々に言いながら周囲を見回した。
その内の一人——背が高く、落ち着いた目をした人物が、ウィークを見た。
「……ウィーク殿。久しぶりです」
「カルテット」ウィークは静かに言った。「来てくれたか」
勇者カルテット。
四人それぞれが、ウィークに向かって軽く頭を下げた。
「ご紹介を」ウィークは一行に向けた。「彼らは——アカペラの使い手たちだ」
「アカペラ?」ラベルが聞く。
「楽器を使わない。声だけで魔法を構成する——ボイスプレイの固有スキルを持つ者たちだ」
四人の内の一人が、ラベルを見た。そしてラベルのノエルを見た。その目が、少し大きくなった。
「——深緑のノエル」その人物が言った。「本当に出てきたんですね」
「知ってるんですか?」ラベルが驚く。
「ソナーレの楽器は——私たちの歌と相性がいい」その人物は言った。「いずれ、一緒に鳴らせると思っていました」
「ボイスプレイとノエルが——組み合わさると?」ラベルが聞く。
「試してみますか?」
カルテットの四人が、一歩前に出た。
声が、静かに重なり始めた。楽器はない。伴奏もない。ただ——四つの声が、それぞれの音域で、それぞれの役割で、重なっていく。
ラベルはノエルを構えた。
カルテットの声の旋律を、耳で聴いた。
(合わせられる——)
弾き始めた。
四つの声とノエルの音が——溶け合った。
精霊が集まってきた。ユグノーたちが、目を閉じて聴いていた。ドノヴァンの精霊たちが、光を増した。カイの手が、剣の柄からそっと離れた。
ダンジョンの外の空間が——音楽で満たされた。
「……これは」ドノヴァンが呟いた。
「スペリングネイルと音系創造魔法が重なった時以上のものが来るかもしれない」
「そうだな」ウィークは静かに言った。
音楽が、止まった。
しばらく誰も何も言わなかった。
「ラベル」カルテットのその人物が言った。
「あなたの音は——まだ始まったばかりですが、もう核心を持っている」
「核心?」
「音楽の技術は、後からついてくる」その人物は穏やかに笑った。
「あなたが持っているものは——技術では作れないものです」
十二 夜の野営地
コプラスから離れた野営地。
焚き火を囲んで、九人が座っていた。
ウィーク、ラベル、ドノヴァン、カイ——そして、カルテットの四人。
「改めて自己紹介を」カルテットのリーダー格の人物が言った。
「私はセシル。このグループのまとめ役、ということになっています」
「なっている、というのは?」ラベルが聞く。
「誰も決めていないのですが、なぜかそうなりました」セシルは穏やかに笑った。
「それから私はエラ」小柄な女性が手を上げた。「高音域担当です」
「俺はロク」短く刈り込んだ頭の男が言った。「低音です」
「私はティア」最後の一人、静かな目をした若い女性が言った。「声の色を変えるのが得意です」
「ボイスプレイというスキルは——どんな魔法が使えるの?」ラベルが聞く。
「声で魔術式を構成します」セシルが答えた。
「楽器がある場合——ラベルさんのノエルのような——との組み合わせで、精霊との接続をより深くできます」
「三重構成も——理論上は可能ですよね?」ラベルがドノヴァンを見た。
「スペリングネイルと、ボイスプレイと、ソナーレの音系創造魔法——三つが同時に稼働した場合の相乗効果は」セシルは静かに言った。
「私にも、正確には予測できません」
「楽しみだな」ドノヴァンがニヤリとした。
「楽しみというより——恐ろしい気もします」セシルは言った。
「同意する」ウィークが言った。
ラベルは焚き火を見ていた。
(カルテットが来た。ノエルがある。書が中級に進んだ。ウィークがサン・アポロニウスになった)
(全部が——一段上がった)
(でも帝国は、まだそこにいる)
「師匠」ラベルが言った。
「なんだ」
「次は——どこへ向かうの?」
ウィークは中級の書を開いた。
「書が示している」ウィークは静かに読んだ。
「ソナーレ王国跡地——帝国が封印した場所に、扉がある」
ラベルの手が、ノエルを強く握った。
「ソナーレ王国の——跡地」
「そうだ」ウィークは書物を閉じた。
「お前の一族の始まりの場所——そして、帝国が最も隠したがっている場所だ」
焚き火が、静かに燃えていた。
遠くで、神樹の移動した谷から——風が吹いてきた。
その風の中に、かすかに——旋律が混じっていた気がした。
まるで神樹が、見送っているように。
ラベルはノエルを構えた。
その旋律に——応えるように、静かに弦を鳴らした。
カルテットの四人が、目を閉じた。
声が、重なった。
夜の空に、音楽が流れた。
第9話 了
次話予告
第10話「封印の地——ソナーレ王国の残影と、創音王の誕生」
帝国が百年間封じ続けたソナーレ王国の跡地へ——
精霊が消えた荒れ地。刻まれた封印の紋様。
しかしラベルの音楽が封印に触れた時、大地が答えた。
封印が解かれ、精霊が戻ってきた時——
歌神の声が、ラベルに届く。
「建国宣言をせよ。ハフト・ハーンに挑め——」
創音王国が、産声を上げる。




