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第6話 血の記憶と、覚醒の夜——ソナーレ王家の末裔

幕間 カルセラの夜

 波の音が、遠くから届いていた。

 野営地の焚き火が落ち着いた頃、ウィークが全員を集めた。

 カイが焚き火の前に座っていた。二本の剣を傍らに置き、じっと炎を見つめている。その横顔は年齢より大人びて見えたが、炎に揺れる目の中に、どこか子供のような何かが残っていた。

 ラベルはカイの隣に座った。

 ドノヴァンは少し離れた場所で腕を組んでいた。

「カイ。一族のことを、聞かせてくれるか」

 ウィークが静かに問うた。

 カイはすぐには答えなかった。炎を見たまま、少し間を置いた。

「……どこまで知りたい」

「全部だ」

 カイはもう一度、間を置いた。

 それから——炎を見たまま、ゆっくりと話し始めた。

一 百年前の王族


「俺の一族の名は——ソナーレという」


 カイの声は低く、抑揚がなかった。まるで何度も反芻してきた話を、ただ口にしているような——そういう話し方だった。


「シーファス大陸に、かつて小さな王国があった。ソナーレ王国。

百年前——帝国に呑み込まれるまでは」


「帝国が滅ぼしたのか」ドノヴァンが静かに問う。

「正確には——消した」カイは言葉を選んだ。

「戦争じゃない。記録を消した。歴史から、地図から、人々の記憶から——ソナーレという名前を、全部削った」


「なぜ」


「一族が持つ力が、帝国にとって都合が悪かったからだ」

 カイは台座から取り出した剣を手に取った。その紋章——三つの星を囲む円、その下の波を模した線——を、指先でなぞった。


「この紋章は、ソナーレ王家の紋だ。三つの星は精霊を表し、円は調和を、波は——音を表している」

「音?」ラベルが思わず声を上げた。


 カイがラベルを見た。

「そうだ。ソナーレ王家は——音の力を持っていた」


 焚き火が、大きく爆ぜた。


「音系の創造魔法と呼ばれる固有の能力だ。

音を媒体として精霊とシンクロし、魔力を発動する——そういう力だった。

特に魔力楽器と組み合わせることで、その力は飛躍的に増幅される」


「魔力楽器……」ウィークが小さく繰り返した。


「ソナーレ王家の者が楽器を奏でれば——精霊が集まった。歌えば——精霊が応えた。その力があれば、ダンジョンの精霊を安定させることも、精霊を通じて自然を制御することも、理論上は可能だったとされている」


「それが、帝国には都合が悪かった」ウィークが言った。


「帝国は精霊を資源として扱う。管理し、採掘し、兵器に転用する。


しかし——精霊が特定の血族に従うなら、帝国の支配体制が根本から崩れる」カイは静かに続けた。


「だから消した。王家を滅ぼし、一族の血を根絶やしにし、記録を消した」


「しかし血は残った」ウィークが言った。


「俺の家系が生き残った。ただの流れ者として、名前も変えて、百年間逃げ続けた」カイの声に、微かな何かが混じった。「父が言っていた。俺たちの血には、まだソナーレの力が眠っているかもしれないと。


でも俺には——音系の魔法は発現していない」


「剣の才能はある」ドノヴァンが言った。


「剣しかない」カイは静かに言った。


「音楽は——弾けない。歌えない。精霊が集まってくることもない。俺はソナーレの末裔として、失格なのかもしれない」


 沈黙が落ちた。


 焚き火が、また一つ爆ぜた。



二 ラベルの反応

「カイ」

 ラベルは静かに言った。

「その……ソナーレの人たちが歌ってた歌って、どんな歌?」


 カイが、また目を細めた。

「一族の祈りの歌がある。代々、母から子へ口伝で受け継がれてきた歌だ」


「どんな——旋律?」


「知ってどうする」


「教えてくれ」ラベルは真剣な目でカイを見た。

「お願いだ」


 カイはしばらくラベルを見ていた。


 それから——静かに、口を開いた。

 音にならない程度の、かすかな旋律。歌というより、呟きに近い。しかし——

 ラベルの全身が、硬直した。


(知ってる)

(——知ってる!)

「それだ」ラベルの声が、震えていた。

「それ——俺の、母さんが歌ってた歌だ」


 カイが、息をのんだ。

 ウィークが、書物に手を当てた。

 ドノヴァンが、炎を見たまま、ゆっくりと目を閉じた。



三 ウィークの告白

「ウィーク」

 カイがウィークを見た。鋭い目が、今夜初めて動揺を帯びていた。

「お前は知っていたか。ラベルがソナーレの血を引いていることを」


 焚き火の向こうで、ウィークは静かに答えた。


「確信はなかった。しかし——可能性は、最初から考えていた」


「最初から」ラベルが繰り返した。「いつから?」


「お前と出会った時から」


 ラベルは黙っていた。


「ラベル」ウィークは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「お前の母親のことを、私は直接知らない。ただ——お前を見つけた時の状況が、いくつかの可能性を示していた」


「どんな状況だったの」


「お前がいた場所は——帝国の支配地域の境界だった。

廃村の中に、一人でいた。年は——六歳か七歳頃だったと思う」


「覚えてない」ラベルは静かに言った。

「その頃の記憶が、ほとんどない」


「覚えていないのは、おそらく自然なことではない」ウィークは続けた。


「何らかの衝撃があって——記憶が遮断されている可能性がある」


「何かが、あったということ?」


「お前の母親に、何かがあった」ウィークは直接的に言った。

「それがお前の記憶を閉じた。そしてお前は一人で、廃村にいた」


 ラベルは焚き火を見ていた。


 表情が、読めなかった。

「師匠は——母さんのことを調べたことがある?」


「ある。しかし、痕跡が少なかった」ウィークは答えた。


「帝国の支配地域では、ソナーレに関わる記録は全て消されている。人を探すことも——難しかった」


「でも何かわかったことはある?」


 ウィークは少し間を置いた。

「お前の母親は——音楽家だったという話が、一つだけ残っていた。流れの楽師として、各地を旅していた女性だ。名前は——ルーナ」


 ラベルの呼吸が、一瞬止まった。

「ルーナ……」


「知っているか」


「——名前だけ」ラベルの声が、かすれた。

「俺の、お母さんの名前だ」


 誰も何も言わなかった。



四 消えた母

「ルーナは」ウィークは静かに続けた。


「おそらくソナーレの血を引く最後の世代の一人だった。そしてお前を——各地を旅しながら育てていた」


「なんで旅してたの」


「逃げていたのだろう」

 その言葉が、夜の空気に溶けた。


「帝国から?」


「そうだ。ソナーレの血を持つ者は——帝国にとって、今でも排除すべき存在だ。ルーナはお前を守るために逃げ続けた。そして——」


「そして」

「お前が一人になった」


 ラベルは何も言わなかった。


 炎が揺れた。


ラベルの目が、赤くなっていた。しかし——泣かなかった。唇を結んで、ただ炎を見ていた。


 カイが、静かに言った。

「俺の父も——帝国に追われていた。五年前に、ここへ来て戻らなかった」


 ラベルがカイを見た。


「俺たちは」カイは続けた。

「同じものに、親を奪われた」

 二人は、しばらく互いを見ていた。


 言葉はなかった。


 しかしそれだけで——何かが、繋がった気がした。



五 聖ラジエルの書が示すもの

「ウィーク」

 ドノヴァンが口を開いた。静かな、しかし確かめるような声だった。


「書は——何を言ってる」


 ウィークは胸元から聖ラジエルの書を取り出した。

今夜、ダンジョンから戻って以来、書は断続的に光を放っていた。


 ウィークがページを開く。

「ソナーレ王家の記録が——登録された」ウィークは言った。

「カイの一族の歴史、音系創造魔法の詳細、そして——」


 ウィークがラベルを見た。


「ラベル・ソナーレ。ソナーレ王家直系最後の末裔。音系創造魔法の継承者候補——そう、記されている」


 ラベルが固まった。

「俺の——名前が?」


「正確には、お前の本当の名前だ」ウィークは言った。

「ラベルというのは——ルーナがお前につけた、旅の中での名前だ。帝国の追跡を逃れるための」


「じゃあ俺の本当の名前は——」


「ラベル・ソナーレだ」ウィークは静かに言った。

「ソナーレ王家の、最後の血だ」


 焚き火が、また大きく爆ぜた。


ラベルは動かなかった。

 目を閉じた。

 何かを、整理しているのか。受け入れようとしているのか。


 どれでも、あったかもしれない。


「書にはさらに」ウィークが続けた。

「音系創造魔法の発現条件が記されている」


「何が必要なんだ」ドノヴァンが問う。


「魔力楽器との共鳴だ」ウィークは答えた。

「ソナーレの血を持つ者が、魔力楽器に触れ——それを通じて精霊とシンクロした時、能力が目覚める」


「魔力楽器……」ラベルが目を開けた。

「そんなもの、持ってない」


「持っていない」ウィークは頷いた。

「今は」

 その言葉の含みを、ラベルは聞き逃さなかった。


「師匠——何か知ってる?」


「ザザントの台座に——剣と共に、もう一つ何かが置かれているはずだったと、書が示している」


「台座には剣しかなかった」カイが言った。


「そうだ」ウィークは頷いた。

「しかし——封印の間に入った時、ラベルが精霊に反応した瞬間、書が一つの場所を示した」


「どこだ」


「ザザントの最深部——第四層だ」


 全員が、顔を上げた。


「第四層?」ドノヴァンが言った。

「三層までしか確認していない」


「ラベルが精霊とシンクロしたことで、隠された層への道が開いたと——書は示している」


ラベルはゆっくりと言った。

「つまり——もう一度、ザザントに入れということ?」


「明日だ」ウィークは書物を閉じた。

「今夜は休め。お前の中で、多くのことが動いている——それだけで、十分すぎるほど消耗する」



六 夜の旋律

 ドノヴァンが先に天幕に入り、カイも荷台の隅に横になった。

 ラベルだけが、焚き火の前に残っていた。

 ウィークも動かなかった。ルー・クシャスラを纏ったまま、傍らに座っている。


「師匠」


「なんだ」


「俺が——ソナーレの末裔だとしたら。音系の魔法が目覚めたら——何ができるの?」


「精霊を呼べる。精霊と話せる。精霊を通じて世界に働きかけることができる」ウィークは答えた。

「しかし——力の大きさより、力の使い方が重要だ」


「使い方?」


「ソナーレ王家は、精霊を支配するために音楽を使わなかった」ウィークは続けた。

「精霊と共に在るために、音楽を使った。その違いが——帝国とソナーレの、根本的な違いだ」

「帝国は精霊を支配する。ソナーレは精霊と共に在る」


「そうだ」


「……俺には、どちらができる?」


「それを決めるのは、お前だ」ウィークは静かに言った。

「血が決めるのではない。お前自身が選ぶ」

(お前自身が選ぶ——)


ラベルはその言葉を、しばらく胸の中で転がした。

「師匠」


「なんだ」

「俺——怖くないといったら嘘になる」


「そうだろう」


「でも——覚醒したい。ソナーレの力を——ちゃんと使いたい。帝国に消された音楽を、取り戻したい」ラベルの目が、炎を反射した。静かな、しかし揺るぎない光があった。


「なぜ、取り戻したい?」


「母さんが守ろうとしたものだから」ラベルは言った。

「母さんは逃げながら、それでも歌を歌い続けた。俺に伝えようとしてた。

それが何かを——俺は今夜、少しわかった気がする」


「何だと思う?」


「音楽は——消えないってことだ」ラベルは静かに言った。

「帝国が記録を消しても、建物を壊しても、人を殺しても——音楽だけは消せなかった。だってカイの口から、さっきも旋律が出てきた。俺の記憶の中にも、ずっとあった。精霊たちも、覚えていた」


「そうだ」ウィークは静かに言った。


「音楽は消えない。だから——俺が弾かなければならない」



七 焚き火と二人の後継者

 その夜、荷台の端でカイは眠れずにいた。

 二本の剣を傍らに置いて、台座から取り出した剣を見ていた。

(父が来た。剣を持ちに来た。しかし——戻らなかった)

(父は、この先に何があるかを知っていたのか)

(ラベルが来るまで、ノエルは開かなかった。だとすれば——父がここへ来た理由は、剣だけではなかったのかもしれない)


 遠くで、ラベルとウィークの声がした。


 聞こえない程度の声だったが——ラベルが「音楽は消えない」と言ったことだけは、なぜか耳に届いた。


(音楽は消えない——)


(父も、それを知っていたのだろうか)

 カイは剣の紋章を指でなぞった。

 三つの星を囲む円。その下の、波を模した線。

 同じ紋章が、ラベルの心の中にある。


(俺には音楽の才能はない。でも——剣がある)

(剣で守れるものがあるなら——俺は剣を握る)


 カイは目を閉じた。

 眠れる気はしなかった。

 しかし——焚き火の温かさが、少しだけ心地よかった。



八 翌朝の約束

 夜明けと共に、全員が起き出した。

 朝食を食べながら、ウィークが確認した。


「全員——ザザントへ行く。第四層への道を開く」


「俺も行く」カイは即座に言った。


「わかっている」


「俺もだ」ドノヴァンが言った。

「召喚が切れる前に終わらせよう」


「ラベル——準備は?」


「できてる」ラベルは答えた。

「師匠、一つだけ聞いていい?」


「なんだ」


「第四層に——魔力楽器があるとしたら。それは俺のもの、ということ?」


「書が示すのは——ソナーレ王家の魔力楽器が、ザザントの最深部に封印されているということだ」ウィークは言った。

「それがお前のものかどうかは——お前が実際に触れてみなければわからない」


「でも——触れたらわかる?」


「わかる」ウィークは静かに言った。

「お前が本当に継承者なら、楽器が応える」


「応えなかったら?」


「その時は、その時に考える」


ラベルは頷いた。

「じゃあ——行こう」



九 第四層の扉

 ザザントに再び踏み込んだ一行は、第三層の封印の間を再び訪れた。

 台座が——今日は違う光を放っていた。

 昨日と同じ台座。しかし——ラベルが近づいた瞬間、光の質が変わった。温かみが増した。まるで、待っていたかのように。


「開く」ウィークが言った。

「ラベルが来たことで、第四層への条件が満たされた」


 空間の奥——壁が、ゆっくりと動いた。石が滑り、隠されていた通路が現れる。


「あった」ドノヴァンが呟いた。

 通路の奥、広い部屋がある。その中心に——もう一つの台座があった。


 しかしこの台座には、剣は置かれていなかった。


 置かれていたのは——楽器だった。



十 深緑のノエル

 眠っていた。

 百年間、封印の中で——ただ、待っていた。

 それは楽器だった。

 全長およそ六十センチ。木製の胴体に、弦が張られている。胴体の側面には回転する木製の車輪があ 

 り、それが弦を擦って音を出す構造だ。

            

         ーーーーー ハーディ・ガーディ  ーーーーー


——ラベルはその名前を知らなかったが、見た瞬間に、それが「弾くもの」だとわかった。


 木の色が——深い緑だった。


 翡翠のような、苔のような、海の深いところのような——言葉では言い表せない深みのある緑。

 その表面に、細かな紋様が刻まれていた。精霊の文様だ。ソナーレの紋章と同じ星と波の模様が、楽器 

 全体を覆うように走っていた。


 そして——弦が、光を帯びていた。


 魔力の光だ。静かに、脈打つように、弦の一本一本が青白く輝いている。


「これは——」カイが息をのんだ。


「ユニーク魔力楽器」ウィークが書物を開いた。


 書のページが、強く光る。

「深緑のノエル——ソナーレ王家に伝わる固有の楽器。音系創造魔法の媒体として、王家と共に百年前に封印された」


「百年間、ここで眠ってたの?」ラベルが呟いた。


「ラベル・ソナーレが現れるまで——待っていたのだろう」

ラベルは台座の前に立った。


 深緑のノエルを見る。

 近い。手を伸ばせば、触れられる。

 でも——触れる前から、わかった。


 この楽器が、ラベルを呼んでいる。

 弦の光が——ラベルの方へ、僅かに傾いた。まるで、磁石が鉄を引き寄せるように。


「取っていいの?」ラベルはウィークに問うた。


「それはお前に与えられたものだ」

 ラベルは手を伸ばした。

 指先が——弦に触れた。



十一 魂の共鳴

 その瞬間。

 世界が、止まった。

 正確には止まっていないが——ラベルの感覚の中で、全てが静止した。

 音が消えた。洞窟の水の音も、仲間の気配も、波の残響も——全部が遠のいて、ラベルは一人、何もない場所に立っていた。


 暗くはなかった。


 深い緑の光の中にいた。


 そして——声が聞こえた。

 言葉ではない。音だ。旋律だ。しかしそれは確かに、語りかけていた。


(——やっと来たね)


 ラベルは動けなかった。


(長かった。でも——ちゃんと来てくれた)


「誰?」ラベルは聞いた。


(私はノエル。ずっと、ここで待っていた)


「百年間?」

(百年——でも私には長くなかった。眠っていたから。ただ、夢を見ていた)


「どんな夢?」

(君のお母さんの歌の夢。彼女の声が、時々届いていた——遠くから)


ラベルの胸が、痛くなった。


「母さんを知ってるの?」

(知っている。ルーナは——私に触れたことがある。でも彼女は、「まだ時じゃない」と言って、封印を解かなかった)


「なんで」


(君を産む前のことだから。君がいない世界で、私を目覚めさせるわけにはいかないと言っていた)


 ラベルは目を閉じた。


(母さんは——俺のために、ここに来て、そして去っていったのか)

(そして私はまた眠った。今度こそ、君が来るまで)


「俺で——いいの?」ラベルは聞いた。

「俺、まだ覚醒もしてなかったし、力の使い方も何もわからない。ちゃんと使えるかわからない」


(君でいい)


 はっきりとした声だった。

(君の歌が昨夜届いた時——わかった。君の声は、ソナーレの全ての先祖の声を持っている。下手でも、 

 震えていても、それは本物だった)


「昨夜——俺、歌ってないけど」


(心の中で、歌っていた。唇だけで。声にならなくても——届いていた)

(それが、私を目覚めさせた)


ラベルは深呼吸した。


「じゃあ——一緒にいてくれる?」


(それが、私の存在理由だから)

               

              深緑の光が——爆発した。



十二 覚醒

 洞窟全体が、揺れた。

 ウィークが書物を構え、ドノヴァンが五指を開き、カイが剣の柄を握った。

 しかし——敵意のある揺れではなかった。


 光だ。


 ラベルを中心に、深緑の光が放射状に広がっていく。洞窟の壁を、天井を、床を——全てを深緑に染めながら、光が波のように広がった。


 そして精霊が、集まってきた。


 水精霊。風精霊。古老の個体も、小さな個体も——光に引き寄せられるように、洞窟の全方位から集まってくる。無数の光の粒が、ラベルの周囲に渦を巻いた。


「覚醒が——始まった」ウィークが書物を見ながら言った。


「師匠、大丈夫か?」ドノヴァンが問う。


「問題ない。ただ——規模が、想定より大きい」


ラベルの中で、何かが——溢れていた。

 堰を切ったように。長い間押さえられていたものが、今この瞬間に全部解き放たれるように。

 痛くはなかった。

 むしろ——ずっとこうだったような気がした。

 ラベルは深緑のノエルを抱えた。

 楽器が——体温を持った。まるで生き物のように、ラベルの腕の中で温かくなった。

 弦の光が増し、木製の胴体の紋様が浮かび上がる。


ラベルは回転盤に手を当てた。


 回す。

 最初の音が——鳴った。


 普通の音ではなかった。


楽器から出た音が、空気を振動させ、魔力を帯びて——精霊たちに届いた。

精霊たちが応えた。光の粒が旋律に合わせて動き、色を変え、渦を描く。


 音と精霊が——シンクロしていた。


(歌って)


 ノエルの声が、聞こえた。

(楽器と、一緒に)

ラベルは口を開いた。



十三 旋律と声と、精霊の嵐


 ノエルが奏でる。ラベルが歌う。


 それは最初、小さな音だった。震える弦の音と、まだ定まらない声。

しかし——精霊が応えるたびに、音が豊かになった。精霊の力が旋律に乗り、魔力が声に混じり、それがまた精霊を呼ぶ。


 循環していた。


 音が精霊を呼び、精霊が音を強め、強まった音がさらに精霊を呼ぶ——その循環が、加速していく。


「……すごいな」ドノヴァンが目を見開いていた。


 洞窟が、緑の光で満ちていた。壁の珊瑚が共鳴して揺れ、水面が旋律に合わせて波紋を描き、天井から落ちる水滴が音符のように宙に浮いて踊っていた。


カイは動けなかった。

(この歌——)

(父が哼っていた旋律。記憶の底に埋もれていたはずのそれが、今はっきりと、目の前で鳴り響いていた)

(ソナーレの歌だ)


カイの目が、熱くなった。


「聖ラジエルの書初級——達成度、八十五パーセント」ウィークは静かに呟いた。

そして——ページの中に、新しい記述が現れた。


           ラベル・ソナーレ——固有スキル発現。


【音系創造魔法:ソナーレ・カンタータ】

魔力楽器ノエルとの共鳴を通じ、精霊とのシンクロ状態を形成。

音と声の複合魔力により、精霊召喚・精霊強化・魔力創造・空間共鳴が可能。

覚醒段階:初期発現。成長余地:無限。


「無限、か」ウィークは書物を閉じた。

(まだ始まったばかりだ)



十四 嵐の終わり

 旋律が、静かに収まっていった。

 ラベルの声が細くなり、精霊の踊りが緩やかになり——最後の音が、洞窟の空気に溶けた。

 沈黙。

深緑のノエルの弦の光が、ゆっくりと落ち着いていく。

 脈打つような輝きが、穏やかな灯火のような光に変わった。


 精霊たちが——霧散した。しかし消えたのではない。ラベルには感じ取れた。彼らはまだ、そこにいる。ただ、見えない場所に退いただけだ。


 ラベルはノエルを抱えたまま、その場に立っていた。

 全身が、温かかった。


「ラベル」

 ウィークが近づいてきた。


「大丈夫か」


「……うん」

 声が、少し掠れていた。歌い続けたせいだ。


「覚醒した」ウィークは静かに言った。「確認できたか」


「なんか——全然違う」ラベルは自分の手を見た。「さっきまでと、自分が全然違う感じがする」


「何が違う?」


「なんか——遠くまで感じる。精霊の気配が。

さっきまでは触れないとわからなかったのに、今は——洞窟の外まで、なんとなく感じる気がする」


「感応域が広がった。覚醒の効果だ」ウィークは頷いた。

「使い方は、これから覚えていく。焦るな」


「うん」


ドノヴァンが歩み寄ってきた。

「なかなかやるな、小僧」


「ラベルだ」


「知ってる」ドノヴァンは頭を掻いた。「——眉毛はなくなってないか?」


「なくなってない」


「よし。合格だ」


ラベルは笑った。



十五 カイの言葉

 それからラベルはカイを見た。

 カイは少し離れた場所に立っていたまま、動いていなかった。

ラベルを見ていた。その目に、複雑な感情が混じっていた。


「カイ」ラベルは歩み寄った。「その顔——」


「なんでもない」カイは静かに言った。


「なんでもない顔じゃない」


カイは少し黙った。

「……俺には、鳴らせなかった」


「え?」


「俺もソナーレの血を引いている。でも——音楽の才能はない」カイは台座から取り出した剣を見た。「剣しかない。精霊は集まらない。歌っても——何も起きない」


「それは——」


「悔しいとか、羨ましいとかじゃない」カイは続けた。

「ただ——お前の歌を聴いていたら、父さんのことを思い出した。父さんも、ああいう声をしてたかもしれないと思って」


ラベルは何も言えなかった。


「父さんはここで、何をしようとしてたんだろうな」カイは天井を見た。

「剣を取りに来た。でも——それだけじゃなかったかもしれない。ノエルのことも、知ってたかもしれな い」


「カイの父さんが来た時」ラベルはゆっくりと言った。

「俺がまだいなかったから——ノエルは開かなかった」


「そうだな」


「でも——カイが鍵を取ってきた。剣を持って来た。その剣がなかったら、俺はここに来られなかったかもしれない」


カイがラベルを見た。


「お父さんが俺たちのために残してくれたのかもしれない——その剣」ラベルは言った。

「カイの剣と俺のノエルで、一緒に揃った。そういうことじゃないかな」


沈黙。


 カイは——目を細めた。


「……買いかぶりすぎだ」


「そうかな」


「そうだ」カイは短く言った。しかしその口元が、ほんの少しだけ——緩んだ。



十六 ウィークの言葉、もう一度

 第四層から出た後、洞窟を抜け、岬の岩道を戻る頃、昼の光が眩しかった。


 海が光っていた。


 風が、ラベルの髪を揺らした。


「ラベル」ウィークがラベルの隣に並んで歩いた。


「なに」


「伝えると言っていたことを、今話す」


ラベルは足を止めた。ウィークも止まった。


「お前を旅に連れている理由だ」ウィークはゆっくりと言った。

「私が最初にお前を見つけた時——書が反応した」


「書が?」


「聖ラジエルの書は、創造神から与えられた万能の指針だ。しかしその書に——最初のページに——一つの記述があった」


「なんて?」


ウィークは書物を開いた。

最初のページ。ラベルはそこに書かれた文字を、今日初めて読むことができた。覚醒したからかもしれない。

——音を持つ者と共に歩め。彼の歌は、閉じた扉を開く。


「俺のことが——最初から、書に?」


「記されていた」ウィークは頷いた。

「お前を見つける前から。だから廃村で一人でいたお前を見た時——迷わなかった」


「師匠は——俺が覚醒するって、知ってたの?」


「知っていた。ただ——いつ、どのような形で——それは、わからなかった」ウィークは言った。

「そしてお前の力が、どれほどのものかも」


「どれほど、って」


「書の記述には続きがある」

 ウィークはページを示した。

——彼の歌が極まる時、封じられた道が開かれる。


「封じられた道」ラベルは繰り返した。

「どういう意味?」


「今はまだわからない」ウィークは書物を閉じた。

「達成度が上がれば——記述が増える。それまでは、進むしかない」


ラベルは海を見た。


 水平線の向こうに、何があるのかわからない。母親が最後にいた場所も、帝国の中枢も——まだ遠い。


「師匠」


「なんだ」


「俺の歌が——扉を開くなら」ラベルはノエルを抱え直した。

「たくさん練習しないと」


「そういうことになる」


「まだヘたくそだし」


「今日できたことが、一週間前にはできなかった」ウィークは静かに言った。

「一週間後には、今日できないことができる。それが成長だ」


「……師匠が珍しく励ましてる」


「事実を言っているだけだ」


「励ましに聞こえた」


ウィークは何も言わなかった。

 しかし——その口元が、微かに——緩んだ気がした。


幕末 旅の続き

 夜の野営地。

 焚き火を囲んで、四人が座っていた。

 カイが、静かに言った。

「ラベル。お前に聞いていいか」


「なんでも」


「今日覚醒して——何か変わったか。自分の中で」

ラベルは少し考えた。

「怖くなくなった気がする」


「何が怖かったんだ」


「音楽が」ラベルは答えた。「聴くたびに、思い出しそうになるものがあった。母さんのことが。それが怖かった。でも——ノエルが来てから、怖くなくなった気がする」


「なぜ?」


「怖かったのは——音楽が大切だったからだ。大切なものに触れることが怖かった」ラベルはノエルを見た。「でもノエルと共鳴した時に——わかった。大切なものに触れなければ、それは消えていく。触れ続けることが、守ることだって」


カイは黙って聞いていた。


「カイも——父さんへの記憶を、持ち続けてる」ラベルは続けた。「それが消えていないのは、カイが触れ続けているからじゃないかな。剣を握ることで、旅を続けることで」


「……剣が、俺の音楽だということか」


「そういうことかもしれない」

カイはしばらく、焚き火を見ていた。

「——ついてやる」カイはゆっくりと言った。

「パレスノアまでは、と言ったが——その先も」


「本当に?」


「お前が一つのことを言ったからだ」


「何?」


「一人より、遠くまで行ける——と言ったな」


「言った」ラベルは少し笑った。「やっとわかってきた気がする、その意味が」


「俺も——少しわかってきた」カイは静かに言った。


 焚き火が、静かに燃えていた。


 ドノヴァンが腕を組んで空を見ていた。


 ウィークは書物を開いたまま、何かを静かに記していた。


ラベル・ソナーレ——覚醒完了。音系創造魔法:ソナーレ・カンタータ、初期発現。

聖ラジエルの書初級——八十五パーセント。


次の段階へ——進む。


第6話 了

次話予告

 第7話「共鳴——ラベル・ソナーレ、覚醒」

 ザザントを出た翌日。

 ラベルは初めて、一人でノエルを弾く。

 まだ技術は拙い。音もまとまらない。

 しかし——弦が鳴るたびに、精霊が集まってくる。

 そしてある夜——カルテットと呼ばれる四人組が、召喚された。

 声だけで魔法を構成する「ボイスプレイ」の使い手たち。

 彼らの声とノエルが重なった時——

 ラベルは初めて、自分の音楽の可能性を感じた。

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