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第5話 波音のダンジョンと、失われた紋章——カイとの出会い

幕間 海が見えた日

 道が、砂まじりになり始めた頃——ラベルは匂いで気づいた。

 潮の匂いだ。

 南の国の生暖かい風とは違う、もっと遠くから来るような、広い空間の匂い。ラベルには嗅いだことのない匂いだったのに、なぜかそれが海のものだとすぐにわかった。

「師匠、海が近い?」

「カルセラまであと半日だ」ウィークが御者台から答えた。「海岸線に出れば、見える」

 それから一時間後。

 荷馬車が丘の頂点に差しかかった瞬間——

「——!」

 ラベルは言葉を失った。

 どこまでも、青が続いていた。

 空の青と、海の青。境界線が薄く、どちらがどちらかわからなくなるほど。白い波頭が、規則的に岸に打ち寄せていた。光が水面で弾けて、目が痛くなるほどまぶしい。

「大きい……」

 呟いた言葉では、到底足りなかった。

「生まれて初めて見るか」ウィークが言った。

「うん」

「海は——世界が広いことを教えてくれる」ウィークは続けた。「どれだけ旅をしても、まだ先がある。そういうものだ」

(世界が広い——)

(師匠は、どこまで知っているんだろう)

(この広い世界を、師匠はどこまで見てきたんだろう)

 ラベルはその問いを口にしなかった。

 代わりに——海をずっと、見ていた。

一 カルセラの街

 港湾都市カルセラは、石造りの建物が港に向かって段々と降りる形で作られた街だった。

 賑やかだ。しかし——エルシナの賑わいとは質が違う。商人が多い。兵士のような体格の者も目につく。言語が複数混じり合い、どこか張り詰めた活気がある。


「帝国の商人が多いな」ウィークが言った。


「見た目でわかるの?」


「服装と荷物の作りが、帝国式だ。それから——」ウィークの義眼が動いた。

「港の東側の区画は、実質的に帝国が管理している。税関の担当者の顔が、帝国の訓練を受けた者と同じ動き方をしている」


「そこまで読めるの……」


「経験だ」

 ヴェルナへの使いは、昼過ぎに済んだ。

 ヴェルナは白髪の穏やかな老人で、コメットからの密書を受け取った後、カルセラの情報をいくつか提供してくれた。


「帝国がこの港を押さえようとしているのは確かです。ただし——今すぐではない。もう少し時間がかかる」ヴェルナは言った。

「その間に、あなた方が動いてくれれば——状況は変わるかもしれない」


「動く先は、決まっています」ウィークは答えた。

「ザザントです」


「あの海岸ダンジョンか」ヴェルナは少し考えた顔をした。

「あそこは——特別な場所だと聞いています。深部に何かがあると。しかし誰も確かめていない」


「確かめに行きます」


「気をつけてください。カルセラの港には、帝国の目があります」



二 岬への道

 カルセラを出て、海沿いの道を東に進んだ。

 岬の突端——そこにザザントの入口があると、書物が示していた。

 道が岩場になっていく。海が近くなる。波の音が大きくなる。岩礁に打ちつける白波の向こうに、岬の突端が見えてきた。


 その岩陰に——人影があった。


 小さい。


 ラベルと、さほど変わらない背丈。しかし岩に背をもたせかけて、膝を立てて座っているその姿は、どこか大人びていた。

 短く刈り込んだ黒髪。褪せた旅装束。腰に、一本の剣。

 人影は三人に気づいて顔を上げた。

 年は——十五か十六か。日に焼けた、角張った顔。目が鋭い。しかしその鋭さの奥に、何か疲れたものが漂っていた。


「……なんだ、お前ら」


 警戒した声だった。


「旅の者だ」ウィークが静かに答えた。

「ダンジョンを目指している」


「ザザントか?」


「そうだ」

 少年は三人をじろりと見た。ウィークの機工士然とした外套、ドノヴァン——昨日再召喚された——の日焼けした腕と光る爪、そしてラベルの——まだあどけない顔。


「子供が二人いるな」


「俺は子供じゃない」ラベルが言い返した。


「俺もだ」少年は立ち上がった。腰の剣が、光を受けて鈍く光る。

「ザザントに入るつもりなら、忠告しておく。中は思ってるより荒れてる。入口の二層まではいい。三層から先は——別物だ」


「入ったことがあるのか?」ドノヴァンが問う。


「三日前に入って、三層で引き返した」少年はぶっきらぼうに言った。

「俺一人では無理だと判断した。それだけだ」


「一人でB級ダンジョンに入ったのか」ウィークが言った。

「レベルは?」


「三十二」


 ドノヴァンが低く口笛を吹いた。

「その年で三十二か。たいしたもんだ」


「十分じゃなかったけどな」少年は剣の柄を握り直した。

「——俺も入る。一緒に行かせてくれ」


「理由は?」ウィークが問う。


「三層の先に用がある」


「何の用だ」

 少年は一瞬、何かを堪えるような顔をした。


「探し物だ」

 それ以上は言わなかった。


 ウィークはしばらく少年を見ていた。義眼が、静かに情報を処理している。

「名前は」


「カイ」


「カイ」ウィークは頷いた。

「いいだろう。ただし私の指示に従うこと——それが条件だ」


「……わかった」

 カイは短く答え、三人と並んだ。



三 失われた紋章

 その時だった。

 カイが腰の剣を少し動かした瞬間、剣の柄の部分が光を受けた。

 ラベルの目が、そこで止まった。

(あの紋章——)

 剣の柄頭に刻まれた、小さな紋章。

 三つの星を囲む円。その下に、波を模した線。

(どこかで、見た気がする)

(いや——見たことはない。記憶にない。でも——)

胸の奥の、深いところが——ざわりと動いた。


「ラベル、どうした」

 ドノヴァンが声をかけた。


「……なんでもない」

 ラベルは視線を外した。

 しかし、胸の中のざわめきは、消えなかった。



四 ザザントへ

 岬の突端、巨大な岩壁に——裂け目があった。

 縦に長く、人が二人並んで通れるほどの幅。その奥から、潮風とは違う湿った空気が吹き出している。波の音に混じって、何か別の音が——水の流れる音が、深いところから聞こえてくる。


「ここだ」ウィークが言った。

「ザザント」

 ドノヴァンが右手の指をゆっくりと動かした。爪が微かに光る。


「中の魔力反応は?」


「複合的だ」ウィークの義眼が、裂け目の奥を見通そうとする。

「水と風が主だが——第三層以降は異なる波長が混じっている。書が反応している」

(書が反応している——何かがある)


「カイ」ウィークが振り返った。

「三層で引き返した時、何を見た」


 カイは少し間を置いた。


「光だ」


「光?」


「水の中に、光があった。動いてた。生き物じゃないと思う。でも——意思があるような動き方だった」カイは岩壁を見た。「そこから先に、俺の探し物がある気がした」


「根拠は」


「勘だ」


 ドノヴァンが苦笑した。

「勘か。嫌いじゃないな」


「ではいこう」ウィークが先頭に立った。

「第一層——進む」

 四人が、ザザントの口の中に踏み込んだ。



五 第一層:潮の回廊

 中は——思った以上に、広かった。

 天然の洞窟が続いている。壁は海水で削られた滑らかな岩石で、所々に貝殻や珊瑚の欠片が埋まっている。足元を薄い水が流れ、踏むたびに波紋が広がった。

 天井が高い。そして——光っている。

 天井の岩に、無数の発光体が張りついていた。貝のような形。その青白い光が、洞窟全体をゆらゆらと照らしている。


「綺麗だ……」ラベルが上を見上げた。


「海蛍石だ」ウィークが言った。

「ブランガの発光体に似ているが——こちらは水属性の精霊の影響を受けている。光の質が違う」


「確かに、色が違う」ラベルは見比べた。

「ブランガのはもう少し緑っぽかった。こっちは青い」


「よく気づいた」


「マッピングしている」ウィークは進みながら言った。

「ついてきてくれれば迷わない」


「便利な目だ」カイが静かに言った。


「そうだな」


 第一層は、概ね穏やかだった。

 出てくる魔物は小型の甲殻系——蟹に似た形の魔物が、数体ずつ群れをなして現れる。

 カイが剣を抜いた。

 その剣筋が——ラベルの目を引いた。

(速い。無駄がない。ただ速いだけじゃなく、剣の軌跡が——水が形を変えながら流れるように、相手の動きに合わせて変化する)


「面白い剣だな」ドノヴァンが横で言った。低い声で、ラベルだけに聞こえるように。

「流派がある。でも——どこの流派かが、わからない」


「見たことがないの?」


「俺が知ってる流派じゃない」ドノヴァンは眉を寄せた。

「珍しい」

 ラベルはカイの腰の剣を、また見た。

 戦いの最中、剣が光を受けて——柄頭の紋章が、また一瞬、見えた。

三つの星を囲む円。その下の、波を模した線。

(どこで、見た。いや——見てない。でも、知ってる)


「ラベル、前を見ろ」カイが言った。


「あ、うん」



六 第二層:珊瑚の迷宮

 第二層は、色彩の世界だった。

 壁一面に珊瑚が群生している。赤、橙、紫、白——無数の色が入り混じり、発光する海蛍石の光を受けて揺らめいている。天井から珊瑚の枝が垂れ下がり、迂回しながら進まなければならない箇所もある。


「迷宮だな、これは」カイが言った。


「マッピングしている。ついてきてくれれば迷わない」ウィークは答えた。


「便利な目だ」


「さっきも同じことを言っていたな」


「二度言いたくなるほど便利ということだ」

ウィークは何も言わなかった。

 第二層の魔物は、より大型だった。人の腰ほどの高さがある軟体系の魔物——触手を持ち、水を噴き出して攻撃してくる。

ドノヴァンの五指が踊り、二重重ねの魔法が敵を一掃した。

 進みながら——ラベルは珊瑚の壁に手を触れた。


 冷たい。滑らか。


 そして——指先を伝って、何かが流れ込んでくるような気がした。

(なんだろう、これ)

(精霊の気配、というのだろうか。でも——ブランガで感じたものより、もっと直接的だ)

(まるで、珊瑚そのものが、何かを語りかけてくるような——)


「ラベル」

 ウィークが振り返っていた。義眼が、ラベルの手元を見ていた。


「その珊瑚、どう感じる」


「え?」


「感覚的でいい。何かを感じるか?」

 ラベルは少し考えて答えた。


「……温かいような、冷たいような。なんか——話しかけてくる感じがする。石なのに」

 ウィークは書物を開いた。

 ページが——光った。

カタログ化完了——珊瑚精霊・初期接触。ラベルを媒介として登録。


「え、俺が媒介?」


「精霊がお前に反応した」ウィークは書物を閉じた。

「素質がある。覚醒前でも、精霊への感応性は現れる場合がある」


「そうなの?」


「滅多にいない」カイが静かに言った。しかしその目が——少しだけ、変わった気がした。

「精霊感応は、珍しい」


「珍しいの?」


「ああ」



七 第三層:水精霊の領域

 第三層への扉は、水の中にあった。

 文字通り——足元の水が深くなり、膝まで浸かったところで、水面の下に巨大な石扉が見えた。


「水中を通るのか」カイが言った。


「呼吸補助が必要だ」ウィークが外套の内側から小さな機械を取り出した。

「これを口元に当てれば、一定時間空気を供給できる。私の分は必要ない」


「俺も問題ない」ドノヴァンが言った。スペリングネイルで、薄い風の膜を自分の周囲に展開した。

「これで空気を確保できる」


「じゃあ俺とラベルが機械を使う」カイが言って、ウィークから二つ受け取った。

 水の中に、潜る。

 ラベルは生まれて初めて水に潜った。


 世界が、変わった。


 音が消えた。

 

 正確には、水中の音だけになった。自分の鼓動、水の流れ、遠くから伝わる何かの振動——

 それだけが、全てだった。

 青白い光が、下から照らしている。石扉が見える。その向こうが——第三層だ。

 扉に触れると、抵抗なく開いた。

 

通り抜けた先に、ラベルは息をのんだ。

 (広い——!)

 ブランガの第三層とは比べ物にならない、巨大な地下空洞。天井は遥か高く、そこから光の柱が何本も降りている。

 

その光の柱の中に——何かがいた。

 

透明で、形が定まらない。人のような輪郭を持つが、次の瞬間には魚のように、次には波のように、常に揺らいでいる。


「古老の水精霊だ」ウィークが言った。

「ブランガで登録したものより——遥かに古い個体」


「話しかけられる?」ラベルが聞く。


「精霊は言語では話さない。感応する——お前がさっき珊瑚で感じたものに近い」

ラベルは光の柱の前に出た。


 精霊が——揺らいだ。ラベルを見ている。いや、見るというより——感じている。

(なんか、怖くない)

 ラベルは一歩、踏み出した。

 その瞬間——精霊が動いた。ゆっくりと、ラベルの方へ近づいてくる。

 昨日とは違い、今日は——何かを促しているような動きだった。


「動くな、ラベル」ウィークが言った。

「受け入れてくれ。拒絶しないことが大事だ」


 ラベルは動かなかった。

 光の粒が、触れた。

 冷たくない。熱くもない。ただ——懐かしかった。

 それは音楽だった。

 音ではなく、感覚として——エルシナの広場で聴いた旋律が、ラベルの胸の中に流れ込んできた。

 いや、違う。それは旋律に似た何かだ。

 母親が歌ってくれた、あの歌の——根っこにある何かと、同じ場所から来ている。


(これが、精霊の——)


 目の奥が熱くなった。ラベルは堪えた。

 光の粒が、書物の方へ流れた。

カタログ化完了——深海水精霊・古老個体。


「ザザントの水精霊——完全登録」ウィークが静かに言った。

「そして——」

 書物のページが、強く光った。


           「聖ラジエルの書初級——達成度、七十パーセント」



八 封印の間

 精霊が道を開いた。

 空間の奥——壁がゆっくりと動き、隠されていた通路が現れた。石が滑り、その先に広い部屋がある。

 

カイが息をのんだ。

「これが——」

 部屋の中央に——台座があった。そして台座の上に、一本の剣が置かれていた。

 カイの腰の剣と——同じ紋章が、台座に刻まれていた。

三つの星を囲む円。その下の、波を模した線。


「これが探し物か」ドノヴァンが言った。

「ああ」カイは台座に近づいた。足が、少し震えていた。

「父が言ってた。ここに——先祖の剣があると」


「先祖の剣?」


「俺の一族の、始まりの剣だ」カイは台座の前に立った。

「俺の父は——この剣を取りに来て、戻らなかった」

 沈黙が落ちた。


「いつのことだ」ウィークが静かに聞いた。


「五年前だ」カイは剣を見たまま答えた。

「俺が十一の時。父はこのダンジョンに入ったまま、戻ってこなかった。——だから俺が来た」


「一人で?」


「他に誰がいる」

 ラベルは黙って聞いていた。

 カイが台座に手を伸ばした。

 その瞬間——台座の紋章が光った。封印の光だ。しかし弾き返す動きはない。むしろ——迎え入れるような光だった。

 カイの手が剣の柄を握った。静かに、持ち上げた。

 剣が、光の中に浮かんだ。

 その光が収まった後——カイはしばらく、その剣を見つめていた。目を、細めて。


「……重い」


「先祖の重みだ」ドノヴァンが低く言った。


 カイは頷いた。



九 ラベルの直感

 その時、ラベルはカイの持つ二本の剣を見比べた。

 腰の剣と、台座の剣。どちらにも同じ紋章。

三つの星を囲む円。その下の、波を模した線。

(同じ、紋章——)

 ラベルの中で、何かが動いた。

 それは記憶ではなかった。感覚でもなかった。

 もっと深い、何か——まるで自分の血の中に刻まれているような、そういう知識が。


(この紋章を、俺は知っている。どこかで——ずっと前から——)


「師匠」

 ラベルは気づくとウィークに声をかけていた。


「なんだ」


「あの紋章——」ラベルは台座を指差した。

「どこかで見たことがある、気がする」


「気がする、か」


「記憶にはない。でも——知ってる。なんで知ってるのか、わからないけど」

 ウィークは書物を開いた。

 しかし——ページは何も示さなかった。


「今の書には、まだ記されていない」ウィークは静かに言った。

「だが」

 彼はラベルを見た。


「お前が知っているなら——それはお前の中に、答えがある」


「俺の中に」


「覚醒とは、持って生まれたものが形を持つことだ」ウィークは言った。

「お前の中には、まだお前自身が知らない何かがある」


「まだわからない……」


「わからなくていい。今は」

(今は——)

(でも、いつか——)

 ラベルは台座の紋章を見た。


三つの星を囲む円。その下の、波を模した線。


 胸の中で、何かが——また、動いた。

 今度は、はっきりと。

 痛くない。怖くもない。

 ただ——目覚めようとしている何かが、ラベルの内側で、確かに動いていた。



十 帝国の影、再び

 封印の間から出た時——ウィークの義眼が、素早く動いた。


「来た」

 低い声。

 ドノヴァンの右手が、即座に構えを取る。


「帝国か?」


「ああ。第三層の入口を塞がれている。八人——前回より錬度が高い」


「俺も戦う」カイが二本の剣を構えた。


「無理はするな」ウィークが言った。

「ラベルと後方を——」


「俺が守る」カイが言い切った。

「ラベルは俺が守る。お前たちは前を頼む」


 ウィークはカイを一秒見て。

「頼む」


 それだけ言って、前に出た。


 戦闘が始まった。


 ウィークのレールガンが閃光を放つ。ドノヴァンの五指が空中を舞い、複合魔法が複数の敵を同時に無力化する。

 しかし帝国兵も、今回は違った。魔術式の盾を展開している。ウィークの砲撃を、ある程度吸収できる構造だ。


「訓練を積んでるな」ドノヴァンが舌打ちした。

「前回の報告が届いてる」


「デッドロック・フラッシュが使えない?」ラベルが後方から聞く。


「盾の展開中は——極小装置が弾かれる」ウィークが答えた。

「盾を解除させる必要がある」


「じゃあ——」

 ラベルは前を見た。


 床を——薄い水が流れていた。ザザントは水のダンジョンだ。どこにでも、水がある。

(水は電気を通す)


「ドノヴァンさん!」ラベルが叫んだ。

「水に雷の紋様を! 床の水に!」


 一瞬の間。

「——なるほど」ドノヴァンが言った。

 人差し指が、床を指した。雷の紋様が、床の水面に描かれる。


                  ドォォォン——!!


 水を伝って電撃が広がった。帝国兵全員の足元を、同時に電撃が走る。


「ぐっ——!」

「足が——!」


 盾の展開が、乱れた。


 ウィークが右腕を持ち上げた。パネルが開く。超微細起爆装置が、空中に放たれた。盾が乱れた隙間を縫って、音もなく帝国兵全員に取り付く。



             「デッドロック・フラッシュ」


 フラッシュ。

 六人が、同時に崩れ落ちた。


 沈黙。

「……勝った」ラベルが呟いた。


「お前のおかげだ」ドノヴァンが振り返った。

「水に雷——よく気づいたな」


「ブランガで雷の紋様を見てたから」


「状況に応じて応用した」ドノヴァンは頷いた。


「それができるのは、ただ見てるだけじゃない証拠だ」

 ウィークがラベルを見た。


 何も言わなかった。

 しかし——その義眼が、わずかに柔らかくなった気がした。


 カイが、静かに言った。

「お前が叫ばなければ——長引いていた」


「俺は——叫んだだけだけど」


「叫ぶのが、正しい判断だった」カイは短く言った。



十一 波音の帰り道

 ザザントを出た頃、空は夕暮れに染まっていた。

 橙の光が海面を照らし、波が金色に輝いている。四人は岩道を戻りながら、誰も多くを喋らなかった。

 カイは二本の剣を腰に差して、前を向いて歩いていた。


 ラベルがその隣に並んだ。


「カイ」


「なんだ」


「その剣の紋章——俺、どこかで見たことある気がする。さっきも言ったけど」

 カイが足を止めた。

 振り返る。その目が、少し鋭くなった。


「……どこで」

「わからない」ラベルは正直に言った。

「記憶にはない。でも知ってる感じがする。不思議なんだけど」


 カイはしばらくラベルを見ていた。

「この紋章は」カイはゆっくりと言った。

「俺の一族のものだ。シーファス大陸の、古い一族——表の歴史書には載っていない」


「表の歴史書には載っていない?」


「帝国が消した」カイは静かに言った。

「俺の一族は、百年前に帝国に滅ぼされた。だから記録が——残っていない」


「……百年前に、帝国に」

(百年前。帝国が消した。一族の記録——)


(それは——ウィークが言っていた「ソナーレ」と、関係がある?)

「でも」カイは続けた。

「血は残る。俺がいる。そしてその剣がある」

 波の音が、二人の間を満たした。


「カイ」ラベルは言った。

「お父さんのこと——見つけたいよな」


「見つける」カイは短く言った。


「俺も——一緒に探す」

 カイは、ラベルをしばらく見た。


「俺はお前に頼んでいない」


「頼まれなくても探す」ラベルは言った。


「……生意気なやつだ」


「師匠にそう言われたことはない」


「言われたことがないだけで、そうだということだ」

 ラベルは少し笑った。


十二 夜の野営地

 岩道を戻り、カルセラ郊外の野営地に着いた頃、完全に日が暮れていた。

 焚き火を囲んで、四人が座っていた。


ウィークが静かに言った。

「カイ——今夜、キャラバンに同行しないか。話したいことがある」


「……なんの話だ」


「お前の一族と、ラベルの間に何かある。それを知った方が、お前にとっても意味があるかもしれない」


「俺の一族のことを知ってるのか」


「少しだけ」ウィークは静かに言った。

「そして——聖ラジエルの書が、今日初めてその紋章に反応した」


 カイは空を見た。

「……わかった」短い答えだった。

「パレスノアまでは同行する。その先は、そこで決める」


「それで十分だ」

 焚き火が、静かに燃えていた。

 遠くで、波の音が続いていた。

 ラベルは火を見ながら、胸の中にある感覚を確かめた。

(この紋章を知っている。どこかで——ずっと前から)

(俺の血の中に、まだ俺が知らない何かがある)

(師匠が言った——覚醒とは、持って生まれたものが形を持つことだ)

(その形が——見え始めている気がする)


 ラベルはノエルもタクトも持っていない。まだ覚醒前で、スキルも力も何もない。

 しかし——胸の中の炎が、じりじりと大きくなっていた。

(これが——覚醒の予兆、というものか)


第5話 了

次話予告

 第6話「血の記憶と、覚醒の夜——ソナーレ王家の末裔」

 カイが語る一族の歴史——百年前に帝国に滅ぼされた「ソナーレ王国」。

 音楽で精霊を操り、世界と繋がっていたその王国が、なぜ消えたのか。

 そしてラベルは気づく——あの紋章を、自分がなぜ知っているのかを。

 「俺も——ソナーレの血を引いている?」

 覚醒の夜が、いよいよ近づいてくる。

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