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第3話 ブランガ攻略——精霊の息吹と鋼の閃光

幕間 精霊林の朝

 朝露が、葉の先に光っていた。

 精霊林の入口付近に張られた野営地。夜明けの空気は昨日より湿り気を帯びていて、深い緑の匂いが肺の奥まで満ちてくる。

 ラベルは天幕の外で、地面に座って膝を抱えていた。

 眠れたのか眠れなかったのか、よくわからない夜だった。今日からブランガに入る。B級ダンジョン——推奨ランクはB以上。ラベルには何もない。覚醒もしていない。スキルも武器もない。護身用の短刀が一本あるだけだ。

(足手まといになる)

(足手まといにならないために——何ができる?)


「起きていたのか」


 ウィークが天幕から出てきた。ルー・クシャスラの白い外装が、朝の光を受けて微かに輝いている。


「眠れなかった」ラベルは正直に言った。


「緊張しているか?」


「少し」


「それでいい」ウィークは隣に腰を下ろした。

「緊張は、注意力を高める。ただし、恐怖に変わる前に行動することだ」


「行動って……俺は戦えないのに」


「戦うことだけが行動ではない」ウィークは言った。

「気づくことも、行動だ。伝えることも、行動だ。今日のお前にできる行動を、今日やれ。それだけでいい」

(気づくことも、行動——)

 ラベルはその言葉を、胸の中にしまった。


「行くぞ」ウィークは立ち上がった。

「ドノヴァンを起こしてこい」


「わかった」

 ラベルは立ち上がり、歩き始めた。

 ブランガが、待っている。


一 ダンジョン入口

 太陽が中天を過ぎた頃、一行はブランガの入口に立った。

 巨大な樹の根と根の間に、口が開いている。縦に長く、横に広い——馬車が一台、余裕を持って通れるほどの大きさだ。その奥から、潮風とも違う湿った空気が吹き出している。波の音ではなく、水の流れる音が、深いところから聞こえてくる。


「よし、着いたな」ウィークが全員を見た。

「ラベル、ドノヴァン。まずこのダンジョンの目的を確認する」


「聞きます」


「承知」


「目的は三つだ」ウィークは指を立てた。

「一つ、必要な素材の調達。各種精霊石、断層鉱、レア食材を含む。二つ、精霊のカタログ化。書の達成度を上げる。三つ——」ウィークは少し間を置いた。

「帝国の偵察部隊が来ている可能性がある。その対処だ」


「また来てるのか」ドノヴァンが言った。


「ブランガは帝国が目をつけているダンジョンだ。前回の七人は囮か先行部隊だった可能性がある。今回はより本格的な部隊が来ているかもしれない」


「準備がいいな、帝国も」


「だから私たちが先に動く」ウィークは言った。

「可及的速やかに最短で動く。適宜指示を出す」


「わかった」


「承知」

 一行は入口に向かった。


「ラベル」ウィークが歩きながら言った。


「うん?」

「今日の役割を言う。精霊の気配を感じたら、すぐに私に伝えること。カタログ化は精霊が近くにいる状態で行う必要がある。お前は精霊に感応しやすいはずだ」


「俺が? なんで?」


「覚醒前の者でも、精霊への感応性を持つ場合がある。お前がどの程度か——今日確かめる」


ウィークは義眼でラベルを見た。「緊張するな。感じたことをそのまま言えばいい」


「……やってみる」

 ブランガの口の中に、踏み込んだ。



二 第一層:緑の迷宮

 中は——思った以上に、広かった。

 天然の洞窟が続いている。壁は海水で削られたわけではなく、植物の根が岩を押し広げて作られた空間だ。足元を薄い水が流れ、踏むたびに波紋が広がった。

 天井が高い。そして——光っている。

 天井の岩に、無数の発光体が張りついていた。貝のような形。生き物なのか鉱石なのかわからない。その青白い光が、空間全体をゆらゆらと照らしている。


「——綺麗だ」

 思わずラベルが呟いた。


「海蛍石だ」ウィークが言った。

「生きている鉱石——精霊の影響を受けて発光する。後で採取する」

 歩き始めてすぐに、ドノヴァンが足を止めた。


「魔物の気配がある。前方三十メートル」


「私のセンサーにも入った」ウィークが言った。

「甲殻系の小型魔物——蟹に似た形のものが数体。攻撃性は低い」


「俺がやるか?」


「いや、ラベル」


「え?」


「お前がやれ」

 ラベルは固まった。


「俺が——? 武器は短刀しかないけど」


「短刀で十分だ。あの大きさなら」ウィークは続けた。

「ただし、無理はするな。来ると感じたら退け。私とドノヴァンが後ろにいる」


「……わかった」

 ラベルは短刀を抜いた。手が少し震えていた。

 前方の暗がりから、音が来た。


カカカカカ——


 蟹に似た形をした魔物が、三体、現れた。甲羅の直径は三十センチほど。ハサミが小さく、足が多い。確かに、あまり強そうには見えない。

(でも——本物の魔物だ)

(倒したことなんか、一度もない)

 魔物の一体が、ラベルに向かって走ってきた。

 ラベルは——飛び退かなかった。

 踏み込んだ。

 短刀を振り下ろした。刃が甲羅に当たって弾かれた。しかし魔物は怯んで向きを変え——その瞬間、柔らかい腹部が見えた。

(そこだ)

 もう一度、今度は下から角度を変えて突いた。

 短刀が、腹部に入った。

 魔物が消えた。

カタログ化完了——甲殻魔物・小型。

 ウィークの書物が、後ろで光った。


「……やった」ラベルは自分の手を見た。震えが止まっていた。


「次の二体は?」ウィークが後ろから言った。


「やる」


 残りの二体を、ラベルは同じやり方で倒した。

 戦闘というより、作業に近かった。しかし——終わった後、体の中に何かが満ちてくる感覚があった。


「よくやった」ドノヴァンが横から言った。


「ありがとう——でも、弱い魔物だっただけで」


「最初はそれでいい」ドノヴァンは言った。

「俺だって最初は同じ大きさの魔物に追いかけられて逃げ回った」


「ドノヴァンさんが?」


「俺だって最初から強かったわけじゃない。全員、最初は弱い」


三 精霊との初遭遇

 第一層を進んで十分後。

 ラベルは、壁の一点に目を向けた。

(なんか——いる)

 発光する苔に混じって、何かが揺れている。発光体とは違うリズムで、光が脈打っている。丸い、柔らかい光。攻撃的な雰囲気はない。ただそこに——在る。


「師匠」


「感じたか」


 ウィークが既に見ていた。


「……あそこ、なんか違う。光り方が、苔と違う」


「よく気づいた」ウィークは静かに歩み寄った。

「精霊だ。岩の割れ目の中に入り込んでいる——風精霊の初級個体だ」


「小さい……」


「精霊は——怖がらせると逃げる」ウィークは書物を取り出した。

「私が近づいて登録する。お前はそのまま動くな」


 ウィークが一歩、割れ目に近づいた。

 光の粒が——揺れた。警戒しているのか。


 ウィークは動かなかった。

 ただ、静かに、そこに立っていた。

数秒が経った。

 光の粒が、ゆっくりと落ち着いた。そして書物の方へ——す、と吸い込まれていった。

カタログ化完了——風精霊・初級。


「登録完了だ」


「……あっさりしてる」ラベルが言った。


「精霊は基本的に友好的だ。強引に戦う必要はない」ウィークは書物を閉じた。

「むしろ刺激しないことが、このダンジョンの攻略において最重要事項だ」


「刺激したら?」


「全層の精霊が覚醒して一斉に敵対化する」


「それは……困る」


「非常に困る」


 ドノヴァンが苔の壁を眺めながら言った。

「師匠、あの精霊と次の精霊を同時登録するのは難しいか?」


「試みる。ラベル——精霊の気配を感じたら、声を出さずに私の袖を引け」


「わかった」


(これが——俺の役割か)

(気づくことが、行動だ)

 ラベルは集中した。歩きながら、壁を見ながら、空気の揺れを感じながら。

 二分後——また、感じた。

 壁の向こう側から、今度はもっと深い場所から、何かが脈打っている。

 ラベルはウィークの袖を、静かに引いた。


四 第二層:火精霊の回廊

 第一層の最奥、大きな石扉を越えると——第二層の空気が来た。

 熱い。

 第一層の湿った緑の空気が消え、乾いた高温の風が吹き抜けてくる。壁が赤みを帯びた岩石に変わり、所々から炎が噴き出している。溶岩が細い川のように、床の亀裂を流れていた。


「火精霊の層だ」ウィークが言った。

「ここは少し異なる。火精霊は気性が荒い——刺激しないことは同じだが、こちらの魔力に過剰に反応する」


「魔力を抑えろってことか」ドノヴァンが右手の指をちらりと見た。「スペリングネイルは?」


「最小限に留めてくれ。発動する際は必ず一声かけること」


「了解」

 ラベルだけが額の汗を拭い続けた。ウィークはルー・クシャスラのおかげで熱さを感じない。ドノヴァンは長年の経験から、既に呼吸を調整していた。


「ラベル、水を」


「あ、うん——」


 ウィークが差し出した水筒を受け取りながら、ラベルは壁の一点に目を向けた。

 炎の中に、何かがいる。

 揺らめく炎とは異なるリズムで、光が脈打っている。丸い、柔らかい光。しかし今度は——大きい。先ほどの風精霊より、ずっと。


「……師匠、あそこ」


「見えている」ウィークが書物を開いた。

「火精霊だ。しかも——」義眼が細くなった。「上位個体だ。登録できれば、書の情報密度が上がる」


「近づいていいの?」


「私が一人で行く」

 ウィークが一歩、炎の近くに踏み出した。

 火精霊の光が——一瞬揺らいだ。

 ウィークは動かなかった。

 ただ、静かに、そこに立っていた。熱気の中で。炎の中で。

 十秒。

 二十秒。

 火精霊の光が、ゆっくりと落ち着いた。

そして書物の中に——吸い込まれた。

カタログ化完了——火精霊・上位。


「相変わらず、動物の慣らし方が上手いな」ドノヴァンが小声で言った。


「精霊は動物じゃない」ウィークが小声で返した。


「どっちでもいいけど」


 第二層の最深部で、ウィークは書物を確認した。ページが更新されていた。

火精霊石・上位個体の結晶——採取可能。アーティファクト生成素材。

「採取ポイントが記録された」ウィークは言った。

「帰りに寄る」


五 第三層:水精霊の領域

 石扉を抜けた瞬間——世界が変わった。

 広い。

 巨大な地下空洞だった。天井は見えないほど高く、中央には深い湖が広がっている。その水面が、青白い光を放っていた。まるで月明かりを閉じ込めたような、幻想的な輝き。


「……綺麗だ」

 またラベルが呟いた。


「お前はそればかり言うな」ドノヴァンが笑った。


「綺麗なものは綺麗だから仕方ない」


「まあそうだ」


「水精霊の巣だ」ウィークが静かに言った。

「上位個体が複数いる。そして——」

 彼の義眼が、湖の向こう岸を捉えた。


「精霊蜥蜴の群れも、いる」

 湖の周囲を、影が走っている。ざっと十数体——全身を青い鱗に覆われた、人の背丈ほどの蜥蜴たちが、陣形を組んで動いていた。


「強いの?」ラベルが聞く。


「個体としては大したことはない」ドノヴァンが腕を組んだ。

「群れると話が変わる。あいつら、水精霊と共生関係にある。精霊が覚醒すると、蜥蜴も強化される」


「つまり」ウィークが言った。

「先に精霊のカタログ化を済ませる。精霊を刺激せずに登録できれば——蜥蜴は単なる素材だ」


「できなかったら?」


「全部まとめて相手をする」


「どっちがいい?」


「前者に決まっている」

 三人は湖岸を迂回するルートを選んだ。ウィークが先頭で、精霊の動向を義眼で追いながら歩く。蜥蜴たちはまだ気づいていない。

 湖面に近づくにつれ、水精霊の存在が濃くなってくる。

ラベルは——感じた。

(水の揺らめきの中に、透明な光の粒が漂っている)

(攻撃的ではない。ただ——巨大だ。さっきの火精霊より、ずっと)

 袖を引こうとした。

 しかしその前に——ラベルの後頭部に、鋭い感覚が走った。

(背後——!)


「ウィークさん!」

 ラベルが叫んだ瞬間、湖の対岸から光が走った。

 魔術式の銃弾——帝国式の、赤い閃光が、三人のいる岸辺を薙ぎ払うように降り注いだ。


六 帝国の牙、再び


「散開!」


 ウィークの声と同時に三人が飛び退いた。魔術弾が石畳を砕き、火花が散る。

 対岸から姿を現したのは——十二人。

 前回の七人より多い。そして全員の鎧が、より重い。先頭に立つのは、肩に赤い徽章をつけた女——隊長格だ。長い黒髪を束ね、鋭い目がウィークを捉えている。


「ルー・クシャスラの機工士——ここで見つけるとは」


 女の声は低く、落ち着いていた。

「この場所で貴様らを仕止めれば、帝国への手土産になる」


「手土産、か」ウィークは外套を払った。

「随分と物騒な挨拶だ」


「ラベル!」ドノヴァンが叫んだ。


「岩陰に——動くな!」


「わかった!」

 ラベルは湖岸の大岩の陰に飛び込んだ。

(また——隠れるしかできない)

(でも——師匠は、気づくことが行動だと言った)

(俺が叫んで、最初の銃撃を知らせた。それが——今日の俺の行動だった)

 そう思いながら、ラベルは岩の陰から戦いを見た。


七 鋼の閃光

 次の瞬間——戦闘が始まった。



ズドォン——!


 ウィークの外套が翻り、両腕の内側から銃身が二本、滑り出した。精巧な機械の腕の先に据えられたそれが、迷いなく二点を同時に狙う。レールガンの閃光が二本、対岸の兵士二人を吹き飛ばした。


「物理無効の機工士だ! 魔術で——!」


「遅い」

 ウィークは既に動いていた。機械の脚部が地面を蹴り、人間の速度を超えた突進。飛んできた魔術弾が外装に当たり——弾かれる。

 火花。衝撃。しかしウィークは揺れもしない。

物理攻撃無効化。

 全ての干渉を外装で完結させる。


「このッ——!」

 隊長の女が長剣を抜いた。魔術強化の刃が、ウィークの首を狙う。

 ガキン。

 外装の首部分で受けた。火花が散る。刃が——通らない。


「無駄だ」ウィークは静かに言った。

「この外装に、お前の剣は届かない」


「ならば——!」


 女の目が鋭くなった。一歩退いて、銃口を向ける。今度は通常弾ではない——魔術エネルギーを凝縮した、貫通型の特殊弾。


 それが火を噴こうとした瞬間——

 ドノヴァンの右手が、空中を滑った。


八 五指の嵐、再び

 五本の指が、それぞれ異なる軌跡を描く。

 親指が弧を引く——炎召喚の紋様。

 人差し指が直線を走る——雷落としの紋様。

 中指が渦を巻く——風の檻の紋様。

 薬指が格子を刻む——重力縛りの紋様。

 小指が、点を打つ——土精霊召喚の紋様。

 五つが同時に、空中に金色の光の軌跡として浮かび上がった。


            「スペリングネイル——五指同時展開」


世界が、書き換わった。

 帝国兵の右翼に炎の壁が立ち上がり退路を断つ。左翼に雷柱が落ち、二人が吹き飛ぶ。中央の四人が風の檻に縫い止められ、動けなくなる。足元に重力の格子が展開し、踏み込もうとした兵士が膝をつく。

 そして——天井から、拳大の岩塊が無数に降ってきた。


「ぐッ——!」


「なんだこれは——!」


「同時展開が——!」

悲鳴と怒号が入り混じる。

 しかしドノヴァンは止まらなかった。

 右手の指を重ねる。炎の紋様の上に——雷の紋様を重ねた。



 ゴォォォン——!!



 炎が雷を飲み込んだ瞬間、熱量が倍加した。壁だったものが、爆発的な閃光の柱へと変貌する。石壁にひびが走り、粉塵が舞い上がる。


 さらに——風の紋様に、重力の紋様を重ねた。


 ドォン——!!


 檻に捕らわれていた四人が、急激に増大した重力と圧縮された風圧に叩きつけられた。石畳が陥没する。悲鳴が上がる。


「二重重ねだけでこの威力か……!」岩陰からラベルが呟く。


「そっちは自重してる」ドノヴァンが振り返らずに答えた。

「場所をわきまえろって師匠に言われてるからな」



九 デッドロック・フラッシュ

 残る帝国兵は隊長を含め四人。

 彼らはまだ諦めていなかった。


「全員——湖に誘き出せ! 水精霊を覚醒させれば——!」

 隊長が叫んだ。

 水精霊が覚醒すれば、精霊蜥蜴も強化される。この空間全体が敵に回る——その混乱に乗じて逃げるか、精霊の力を利用するか。


「させない」

 ウィークの声は、静かだった。


 右腕を持ち上げた。外套の袖が捲れ、機械の腕が露出する。

その表面——細かなパネルが展開し、内側から何かが這い出てきた。


 小さい。


 極めて、小さい。


 虫のような形をした、金属の粒。一つ、二つ——いや、数えられない。無数の極小の機械が、ウィークの腕から流れ出るように空中に放たれた。音もなく散らばっていく。床を這い、壁を走り、空中を漂い——帝国兵四人の全身に、気づかれぬまま取り付いていく。


「……なんだ?」

 隊長が腕を見た。何かが触れた気がした。しかし何も見えない。


「機工士のスキルか? でもこんな——」



              「デッドロック・フラッシュ」

 

ウィークが静かに言った。



                 フラッシュ。


 帝国兵四人の全身で、同時に光が弾けた。


 爆発ではない。正確には——超微細昆虫型起爆装置の、同時多点起爆だ。一つ一つは小さい。しかし、鎧の継ぎ目、関節部、銃の薬室——全ての弱点に正確に配置された無数の極小爆装置が、同時に火を噴いた。

 鎧が内側から弾け飛ぶ。銃が使用不能になる。関節が焼き切られ、自由を奪われる。


「ぐあッ——!」

「腕が——!」

「動けない——!」

 四人が、ほぼ同時に倒れた。


 死んではいない。しかし、戦闘継続は不可能だ。


                  完全な——無力化。


十 静寂の後に

 ダンジョン内が、静寂に包まれた。

 水精霊は覚醒しなかった。精霊蜥蜴は動かなかった。

(精霊を刺激しないまま——全員を無力化した)

(これが、師匠の戦い方だ)

 ラベルは岩陰から出てきた。


「……全員、やった、の?」


「戦闘不能だ。死んではいない」ウィークは静かに答えた。


「デッドロック・フラッシュって——あの虫みたいなやつ?」


「超微細昆虫型起爆装置だ。相手に気づかれる前に配置できれば、数の有利を無効化できる」


「どのくらい小さいの?」


「肉眼では見えない」


 ラベルは絶句した。


 ドノヴァンが近づいてきて、ウィークの肩を軽く叩いた。

「相変わらずえげつない師匠だ」


「褒め言葉として受け取っておく」


「褒めてるよ」ドノヴァンは苦笑した。

「——さて、精霊のカタログ化はどうする?」


「続ける」ウィークは書物を取り出した。

「水精霊はまだ覚醒していない。今がいい機会だ」


十一 水精霊との対峙

 帝国兵を湖岸の柱に縛り付けた後、三人は作業を再開した。

 ウィークが湖岸に立ち、書物を開く。

 水精霊が——透明な光の揺らめきが——ゆっくりと近づいてくる。刺激されていない。戦闘の余波も、この一帯には届いていなかった。

カタログ化完了——水精霊・上位。

 その光が書物に吸い込まれた瞬間、精霊蜥蜴たちがするすると湖に潜った。まるで、主が満足したことを察したかのように。


「なんだあいつら、戦わないのか」ドノヴァンが言った。


「精霊が安定していれば、蜥蜴は攻撃しない」ウィークが答えた。

「彼らは精霊の番人だ。精霊が脅かされていないなら、戦う理由がない」


「……なるほど」ラベルは湖面を見つめた。

「ダンジョンって——思ってたより、生きてるんだな」


「そうだ」ウィークは静かに言った。

「ダンジョンは、ただの迷宮ではない。精霊が息づく場所だ。

その精霊と——どう向き合うかが、攻略の本質だ」

(精霊と向き合う)

(戦うだけが攻略じゃない——)


十二 完全攻略

 素材の採取は、その後に行われた。

 第二層に戻り、火精霊石の結晶を採掘する。

第一層で、土精霊が落とした鉱石を拾う。ドノヴァンのスペリングネイルが採掘補助の紋様を描き、効率を上げた。

 ラベルも荷物持ちとして動き回り、汗をかきながら素材を袋に詰め込んだ。


「これって全部、師匠の書物の材料になるの?」


「一部はアーティファクト生成に。一部はカタログに。一部は素材として保管する」ウィークは採掘を続けながら答えた。


「使えないものは一つもない」


「ぜんぶ使えるのか。すごい」


「それが書の機能だ。カタログ化された素材は、最適な使い道が自動的に記録される」


「便利すぎる」


「創造神からの贈り物だからな」ドノヴァンが横から言った。


「ドノヴァンさんも、書のこと知ってたの?」


「付き合いが長いからな」ドノヴァンは肩を竦めた。

「詳しくは知らないが——あの書が師匠にとって特別なものだとは、ずっとわかってた」


 数時間後——三人がブランガの出口に立った時、ウィークは書物を開いた。

 ページが、温かい光を放っている。


「聖ラジエルの書初級——達成度、五十パーセント」

 その言葉が静かに響いた。

 風精霊、土精霊、火精霊、水精霊——四種の精霊のカタログ化完了。各種素材の登録と採取。アーティファクト生成に必要な材料の確保。

 全て、揃った。


「……五十パーセントか」ドノヴァンが空を見上げた。

夕暮れが近い。「次は何が解放される?」


「中級の素材合成が一部開放される」ウィークは書物を閉じた。

「そして——次の目標が記された」


「どこだ?」

 ウィークはラベルを見た。


 ラベルは汗まみれで、髪が顔に張りついていて、袋を両手に提げてへとへとの顔をしていた。しかし目だけは——生きていた。


「ラベル」


「……なに」


「今日のお前は、よく動いた。背後からの接近を、二度、先に察知した」


「それだけだけど」ラベルは苦笑した。

「戦えてないし」


「気づくことが、まず最初の力だ」ウィークは静かに言った。

「覚醒はまだ先かもしれない。だが——今日のお前は、確かに一歩進んだ」

(師匠に——褒められた)

 ラベルは照れ隠しのように袋を持ち直して言った。


「……次の目標、どこなの」


「それはキャラバンに戻ってから話す」ウィークは歩き始めた。


「まずは報告だ——コメット辺境伯が待っている」

 ドノヴァンがラベルの隣に並んで歩きながら、小声で言った。


「師匠に褒められたな」


「……別に」


「珍しいことだぞ、あの人が人を褒めるのは」

 ラベルは返事をしなかった。


 しかし——その耳が、少し赤くなっていた。


幕末 宴の後

 夜、ダンジョンを出た後、ウィークは焚き火の傍らで書物を開いた。

 五十パーセント。

 その数字が、静かにページに刻まれている。

 次の目標が、記されていた。

ウィークはページを閉じ、周囲を見た。

 ドノヴァンは少し離れた場所で、暗闇に向かって静かに右手を動かしていた。空中に金色の光の紋様がいくつも浮かんでは消える。練習だ——十七年かけて、まだ続けている。

 ラベルは焚き火を前に、膝を抱えて眠り込んでいた。疲れているのに、表情が穏やかだった。何かを乗り越えたような顔で。


(まだ芽は出ていない)


(でも——根は、確かに育っている)


 風が吹いた。精霊林の葉が揺れた。

カタログ化完了——この日のこと、この夜のこと。

 それは書物には記されない種類の記憶だったが。


 ウィークは、覚えていた。


第3話 了

次話予告

 第4話「辺境伯の密書と、覚醒の予兆——エルシナの吟遊詩人」

 ブランガ攻略の報告を終えた一行は、次なる目的地へ向かう。

 その道中、ラメント王国の王都エルシナで——

 ラベルは広場の吟遊詩人の音楽を聴いて、胸が痛くなる。

 音楽が怖かった。聴くたびに、思い出しそうになる何かがあった。

 その正体が——ラベルの過去と、深く繋がっていた。

 そしてコメット辺境伯の元に、新たな密書が届く。

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