第18話 式典の夜——創音王国、真の誕生
幕間 帰り道 シルベルトを出て、十日。 帰り道は——来た道を戻るだけのはずだった。
しかし、同じ道が違って見えた。
シルベルトの北風が、
ラエールの音楽の都が、
ソラスの光と影が、
ファフニールの竜の山脈が、
ミミールの霧が、
レプラカンの港が、
アルメアの百年前の誓いが——全部が、今は違って見えた。
行きに見た時とは、違う目で見えた。
「なんか——全部が、繋がってる気がする」ラベルは荷台から景色を眺めながら言った。
「何が?」セシルが隣で聞いた。
「七つの国が。七つのダンジョンが。七つの試練が——全部、一本の旋律みたいだ」ラベルは言った。「最初の音があって、次の音があって、最後まで続いた。途切れなかった」
「建国の楽曲「創音」と——同じだな」カイが静かに言った。
「そうだ」ラベルは頷いた。
「全部が——一つの楽曲だった」
「詩的な解釈だ」ドノヴァンが言った。
「そういう感じがしたんだ」ラベルは言った。
「批判するな」
「批判していない。褒めている」「ドノヴァンさんが褒めてる」
「珍しくないぞ、最近は」ウィークが御者台から静かに言った。
「もうすぐ——見えてくる」「創音王国が?」
「そうだ」丘を越えた。その先に——かつてソナーレ王国の跡地だった場所が広がっていた。
しかし、もう灰色ではなかった。草が生え、精霊の光が揺れ、空気が穏やかで——生きていた。
「変わった」ラベルは言った。
「封印を解いてから、精霊が戻り続けている」ウィークは言った。
「七つの試練を通じて、各地の精霊との繋がりが生まれた。それが、ここにも伝わっている」
「七つの試練が——ここまで届いていたのか」
「全て繋がっている」ウィークは静かに言った。
「お前の言葉は正しかった」
一 創音王国への帰還
創音王国の跡地に戻った時——人が来ていた。
キャラバンが見えた瞬間、その人々が動いた。
「誰だ?」ラベルが言った。
「七カ国からの使節だ」ウィークは義眼で確認した。
「全員が——式典のために来ている」
「式典を——知ってたの?」
「書が、各国への通達を送っていた」ウィークは静かに言った。
「七つの試練が完了した時、自動的に各国へ通知が届く仕組みだ」
「そういう機能があったのか……」
「書は万能だ」
馬車を降りると——コメット辺境伯が来ていた。
「お帰り、ラベル」コメットは言った。その顔に、安堵と喜びが混じっていた。
「コメット辺境伯——来てくれたんですか」
「パレスノアから一番乗りだ」コメットは笑った。
「それから——あの人も来ている」
「あの人?」
コメットが視線を向けた先に——テレーズが立っていた。
大きな杯を持って。朝だというのに。
「遅い」テレーズは言った。
「もっと早く帰ってこい」
「テレーズさん!」ラベルは思わず駆け寄った。
「うるさい。走るな」テレーズは言った。しかしその目が——ラベルを見た瞬間に、柔らかくなった。
「……全部越えたか」
「全部越えました」
「そうか」テレーズは杯を一口飲んだ。
「式典で弾くんだろう。聴いてやる」
「テレーズさんの前で弾くのか……」ラベルは少し緊張した。
「今更緊張するな。私に怒鳴られながら弾いた二日間に比べれば、何でもない」
「それはそうだ」
テレーズはルーナを見た。
「ルーナ——久しぶりだ」
「テレーズ。また会えた」ルーナは穏やかに言った。
「息子が来てくれたか」
「来てくれた」
「そうか」テレーズは言った。「——よかった」
二 七カ国の集まり
翌日までに、全ての使節が揃った。
アルメアのカリン女王。レプラカンのガルヴィス王。ミミールのエルドゥ王の使節。
ファフニールのヴァルド王。ソラスのエイラン。ラエールのファルナ女王。
シルベルトのゼイン王の使節。
そしてコメット辺境伯。テレーズ。
アルダからの密書も届いていた——式典を見届けることはできないが、創音王国を心から祝うという内容と共に。
「これだけの人が——集まった」ラベルはその光景を見ていた。
「七つの試練を越えた証だ」ウィークは言った。
「各国が創音王国を認めた。だから——ここに来た」
「俺が建国宣言をした日——ここには俺たちだけだった」ラベルは言った。
「それが今、こんなに」
「一つずつ積み重ねた結果だ」ウィークは静かに言った。
「師匠が——来てくれたから、始まった」
「私は——書が示した場所に行っただけだ」
「その答えは、もう慣れた」ラベルは笑った。
「でも——今日くらいは、師匠に来てくれてありがとうって言わせてほしい」
「……好きにしろ」
「ありがとう、師匠」
ウィークは何も言わなかった。
しかしその白金の瞳が——この旅の中で最も、温かくなった気がした。
三 破邪白眉斎への変容
式典の前夜。
ウィークが全員を集めた。
「今夜——アーティファクトボディが、次の段階に移行する」ウィークは静かに言った。
「サン・アポロニウスから——第3段階へ」ラベルは言った。
「そうだ。レベルが百五十を超えた。移行のタイミングを、今夜に選んだ」
「なぜ今夜?」ドノヴァンが問う。
「式典の前夜に移行することで——龍使いとして、式典を迎えたい」ウィークは言った。
「式典は——創音王国の本当の始まりだ。その始まりに、龍使いとして立ちたい」
「師匠らしい理由だ」ラベルは言った。
「そうか?」
「うん。合理的に見えて——感情的だ。師匠がいつもそういう選択をする」
「……そうかもしれない」
ウィークは天を仰いだ。
「移行には——少し時間がかかる。その間、傍にいてくれるか」
「もちろんだ」ドノヴァンが即座に言った。
「当然だ」カイが続けた。
「います」セシルが四人を代表して言った。
「ここにいる」ルーナが静かに言った。
「……ありがとう」
ウィークが目を閉じた。
サン・アポロニウスの金色の外装が——光を帯び始めた。
静かな光だった。爆発的ではなく、じわじわと広がる光。朝日が地平線から昇るように、少しずつ、確実に増していく。
ラベルはノエルを取り出した。
「弾いていいか?」ラベルはウィークに聞いた。
ウィークは目を閉じたまま、微かに頷いた。
ラベルは弾き始めた。
特別な旋律ではなかった。建国の楽曲「創音」の、第一節から。静かに、穏やかに。
カルテットが声を重ねた。
ルーナの楽器「ルーナ」が、応えた。
音楽の中で——変容が始まった。
金色の外装が、変わっていく。
サン・アポロニウスの洗練された金色が、より深い色へ——白と金が混じり合い、古びた紙のような、しかし圧倒的な存在感を持つ色へ。
外装の形が変わった。
機工士の精巧な機械が、陣法士の優雅な装飾が——より、根源的な何かへと変容していく。
龍の紋様が——外装の表面に現れた。
一本の龍が、外装を這うように走り、やがて全身を覆った。
アーティファクトボディ:龍使い”破邪白眉斎。”
「……変容、完了だ」ウィークは目を開いた。
その声が——変わっていた。
深くなっていた。より、根源的な何かを含んだ声。
「師匠……」ラベルは言った。
「変わったか」
「変わった。でも——師匠は師匠だ」
「そうだ」ウィークは右手を上げた。龍の紋様が、その手に集まった。
「龍使いとしての力が——展開できる」
「今から——八峰の守護龍結界を張るの?」
「式典の後だ」ウィークは言った。「今夜は——ただ、傍にいる」
「そうか」ラベルは弾くのを止めた。「師匠、新しい外装——かっこいいよ」
「……ありがとう」
「師匠が素直にお礼を言った」ドノヴァンが言った。
「何かおかしいか」ウィークは答えた。
「おかしくない。珍しい」
「……今夜くらいは、許容する」
四 式典の朝
翌朝——空が、澄んでいた。
秋の空。高く、青く、雲がない。
創音王国の跡地——精霊が戻ったこの大地に、朝の光が降りていた。
「今日だ」ラベルは目を覚まして、まず空を見た。
「今日だ」ルーナが隣で言った。
「眠れた?」
「少し」ルーナは言った。
「あなたは?」
「思ったより眠れた」ラベルは言った。
「昨夜の師匠の変容を見て——静かな気持ちになったから」
「静かな気持ち?」
「焦っていないというか——やるべきことが、見えているから」ラベルは言った。
「建国の楽曲を弾く。それだけだ。他のことは、弾いている間に決まる」
「音楽師らしい考え方になったわね」ルーナは穏やかに言った。
「母さんに言われると——嬉しい」
「事実だ」
七カ国の使節が、集まった。
式典の場所は——建国宣言をした場所の中心だった。石柱が崩れた場所。封印が砕けた場所。精霊が戻ってきた場所。
その中心に、ラベルが立った。
周囲に——全員が集まっていた。
カリン女王、ガルヴィス王、エルドゥ王の使節、ヴァルド王、エイラン、ファルナ女王、
ゼイン王の使節。
コメット辺境伯、テレーズ。
ドノヴァン、カイ、セシルたちカルテット、ルーナ、ウィーク。
そして——精霊たちが。
無数の光の粒が、この場に集まっていた。風精霊、水精霊、土精霊、火精霊、光精霊、影精霊、
音精霊、霧精霊——これまでの旅で出会った全ての精霊が、この場に在った。
「……来てくれてる」ラベルは精霊の光を見た。
「ラベルが呼んだわけではない」ウィークは静かに言った。
「精霊が——来たいから、来た」
「選んで来た、か」
「そうだ」
遠くから——竜の影が見えた。
フレイムが、空を飛んでいた。
ファフニールから——式典を祝うために来てくれていた。
「フレイムが来てる……!」ラベルは空を見た。
「縛らない形での支援だ」ウィークは言った。
「フレイムが選んで来た」
その時——北から、風が来た。
強く、しかし温かい、北風精霊の風。
シルベルトの北風精霊が——式典を祝うように、風を送ってきた。
「ミミールの霧精霊も——感じる」ラベルは感じた。
「遠くから、来てくれてる」
「全ての精霊が——この場に集まることは、できない」ウィークは言った。
「しかし——この場の音楽を、霧精霊が大陸全土に運ぶ。全ての精霊に、届く」
「大陸全土に——届く」
「そうだ。今日の音楽は——世界に届く」
五 建国の楽曲「創音」
ラベルはノエルを構えた。
全員が、静かになった。
風が吹いた。
ラベルは目を閉じた。
(何を思いながら弾こう。技術のことを考えるのは、やめよう。ヴァッソさんが言っていた。音楽を在らせること——届けようとするのではなく、ただ在らせる)
(今ここにある全てのために。
今ここにいる全員のために。
この場にいる精霊たちのために。
遠くのフレイムのために。
ミミールの霧精霊のために。
シルベルトの北風精霊のために。
アルダのために。
ヴァッソのために。)
(師匠——聴いてくれるか)
弦を、鳴らした。
第一節——
廃村から始まった旋律。
何もなかった少年が、名前だけを持って在った頃の音。
その音から——全てが始まった。
第二節——
師匠に会った日の音。
馬車の御者台に白い外套の人物が座っていた、あの朝。
「ついてくるか」という言葉と共に始まった旅の音。
第三節——
カリンからもらった旋律。
百年間守られていた音楽が——アルメアの大書庫の奥で、ソナーレを待っていた音。
カリンが立ち上がった。
目を閉じて、静かに聴いていた。その目から——涙が、一筋落ちた。
第四節——
カイと並んで歩いた日の音。
剣と音楽が——最初に重なった夜の旋律。
カイは前を向いたまま聴いていた。
その手が——腰の二本の剣の柄に、静かに触れた。
第五節——
テレーズが教えてくれた誠実さの音。
「誠実な音楽と、不誠実な音楽」——その言葉が旋律になった。
テレーズは杯を持ったまま、空を見ていた。
その目が——潤んでいた。
第六節——
霧精霊の古老が教えてくれた旋律。
百年間眠っていた古老が、やっと来たと言って目を覚ました、あの瞬間の音。
ミミールの霧が——大陸の遠くから、この旋律を受け取って広がっていった。
第七節——
フレイムと共鳴した時の音。
千年生きた竜が、目を閉じて音楽を聴いた瞬間の、静寂と音が混じり合った音。
空から——フレイムの声が、応えた。
グォォォン——
竜の歌が、式典の空に重なった。
カルテットが声を重ねた。
ルーナの楽器「ルーナ」が応えた。
——そして、最終節。
最終節——
ルーナと一緒に初めて弾いた、始まりの旋律。
母が子供の頃に歌ってくれた歌の、根っこにある音。
百年間消えなかった、ソナーレの始まりの旋律。
ルーナが——楽器「ルーナ」で、一緒に弾き始めた。
二つのハーディ・ガーディが——重なった。
深緑のノエルと、淡い金色のルーナが、式典の空に一つの旋律を描いた。
旋律が——満ちた。
精霊たちが一斉に応えた。
フレイムの竜歌が重なった。
カルテットの四声が支えた。
ドノヴァンの精霊たちが光を増した。
ウィークが——破邪白眉斎の外装に刻まれた龍の紋様が輝く中、静かに、しかし確かに、その場に立っ
ていた。
音楽が——世界に満ちた。
ミミールの霧精霊が受け取り、大陸全土に運んだ。
アルメアで。レプラカンで。ミミールで。ファフニールで。ソラスで。ラエールで。シルベルトで。
精霊たちが——応えた。
百年間消えていたソナーレの音楽が——今日、大陸全土に響いた。
六 式典の終わりに
建国の楽曲「創音」が——静かに、終わった。
最後の音が、空気に溶けていった。
誰も、すぐには動かなかった。
音楽の余韻が——その場にいた全員の中に、まだ残っていた。
最初に動いたのは——カリン女王だった。
「……アルメア王国として——창音王国の真の誕生を、祝福します」
カリンの声が、静かに響いた。
それに続いて、各国の代表が声を上げた。
「レプラカン王国——祝福します」
「ミミール王国——祝福します」
「ファフニール王国——祝福します」
「ソラス王国——祝福します」
「ラエール王国——祝福します」
「シルベルト王国——祝福します」
「コメット辺境伯——祝福します。この日を、ずっと信じていた」
テレーズが最後に言った。
「——合格だ」
ラベルは笑った。
「テレーズさんの合格が——一番重い気がする」
「当然だ。私が一番厳しいから」テレーズは言った。しかし——その目が、確かに笑っていた。
七 各国の王との言葉
式典の後、ラベルは各国の代表と言葉を交わした。
「ラベル殿」カリンは言った。
「今日の音楽を——ずっと覚えている。百年前の誓いを果たせた日の音楽として」
「カリン女王の百年間が——俺の音楽に込められています。これからも」
「ファフニールとして——フレイムが祝ってくれた式典は、千年の歴史の中でも初めてだ」ヴァルドは言った。
「フレイムは——自分で選んで来てくれた」ラベルは言った。
「それが嬉しかった」
「縛らない竜契で結んで——あの竜の歌が聴けた。それだけで、十分だ」ヴァルドは言った。
「エイラン様」ラベルはエイランに向き直った。
「ルーナを——三年間匿ってくれて、ありがとうございました」
「礼はいらない」エイランは言った。
「ルーナがいてくれたから、ソラスも力をもらっていた」
「ファルナ女王——ヴァッソさんのことを、ありがとうございました」ラベルは言った。
「ヴァッソから手紙が来た」ファルナは言った。
「式典に出ることはできないが——ラエールで音楽を続ける。精霊と向き合い続けると」
「よかった」ラベルは言った。
「そして——セレスティアル・フィルが結成される時は、呼んでほしいと書いてあった」
「必ず呼びます」
八 ウィークへ
全ての言葉が終わった後、夕暮れが来た。
空が橙に染まっていた。
ラベルはウィークの傍に行った。
「師匠」
「なんだ」
「今日の式典——どうだった?」
「完璧だった」ウィークは静かに言った。
「師匠が完璧って言うのは——珍しい」
「事実だ。完璧だった」ウィークは繰り返した。
「俺は——まだまだうまくないのに」
「技術的な完璧さではない」ウィークは言った。
「あの音楽は——この場にいた全員に届いた。精霊に届いた。大陸に届いた。それが——完璧だ」
「師匠の定義の完璧か」ラベルは笑った。
「私の定義が、正しい定義だ」
「そうだな」ラベルは夕暮れを見た。
「師匠——次は、八峰の守護龍結界を張る。龍使いの仕事が始まる」
「そうだ」
「俺は——音楽を続ける。式典が終わっても、変わらず」
「当然だ」
「帝国が来るまで——できることを全部やる」ラベルは言った。
「師匠と一緒に」
「一緒に——やる」ウィークは静かに言った。
空が、深い橙から紫へと変わっていった。
星が、一つ現れた。
「師匠」ラベルは言った。
「なんだ」
「式典が終わって——何か、感じることはあった?」
ウィークはしばらく空を見ていた。
「愛した世界を、今日改めて確認した」ウィークは静かに言った。
「この世界を——愛している。その確認ができた。それが——今日の、私にとっての式典だった」
「愛してるって——師匠が言うのは珍しい」
「この世界に来てから、学んだ言葉だ」ウィークは言った。
「この世界に来なければ、知らなかった言葉だ」
「俺から——学んだのか?」ラベルは聞いた。
「お前から、ドノヴァンから、カイから、精霊たちから、フレイムから、テレーズから、ルーナから、
七カ国の王たちから——この世界にいる全てから、学んだ」
「俺たちが師匠に——愛することを教えたのか」
「そうだ」
「それって——すごいことだ」ラベルは言った。
「宇宙の根源力に、愛することを教えた」
「大袈裟だ」
「大袈裟じゃない」ラベルは言った。
「师匠が愛することを学んでくれて——俺は嬉しい」
ウィークは何も言わなかった。
しかし——破邪白眉斎の龍の紋様が、夕暮れの光の中で、静かに輝いた気がした。
九 夜の焚き火
式典の夜。
七カ国の代表たちが、思い思いの場所で夜を過ごしていた。
一行は——建国宣言をした場所の中心で、焚き火を囲んでいた。
「今夜は——このまま、ここにいよう」ラベルは言った。
「賛成だ」ドノヴァンが言った。
「同意する」カイが短く言った。
「私たちも」セシルが四人を代表して言った。
「一緒にいる」ルーナが言った。
ウィークは書物を開いていたが——やがてそれを閉じた。
全員が、焚き火を見ていた。
しばらく沈黙が続いた後——ロクが言った。
「腹が減った」
――—————全員が笑った。――—————
「ロクさんが——カルテットで一番最初に笑いを取った」エラが言った。
「笑いを取ろうとしていない」ロクは低音で言った。「事実だ」
「セシルさんが言ってた話と同じだ」ラベルは笑いながら言った。
「久しぶりに会った時——ロクさんが「腹が減った」って言って、四人がまたひとつになれたって」
「……あれも事実だった」ロクは言った。
「腹が減ったという言葉が、縁起物になったな」ドノヴァンが言った。
「縁起物でも何でもない」ロクは言ったが——その口元が、かすかに緩んでいた。
「飯を作ろう」カイが立ち上がった。
「今夜は俺が作る」
「カイが作るのか?」ラベルが驚いた。
「旅の間に覚えた」カイは言った。
「うまくはないが——食える」
「カイの料理を食べたことがなかった」ラベルは言った。
「今日が最初だ」カイは言った。
「今日みたいな日に最初を食べられるのは——いいことだな」ラベルは言った。
「そういうことだ」カイは短く言った。
夕食が終わり、焚き火が落ち着いた頃。
ラベルはノエルを弾き始めた。
特別な旋律ではなかった。即興だった。今この瞬間に感じていることを——そのまま音にした。
精霊が来た。
焚き火の周りに、光の粒が集まってきた。
「……来てくれてる」ラベルは弾きながら言った。
「式典の後だから——精霊たちも、まだここにいたいのかもしれない」セシルが言った。
「精霊も——ここが好きなのか」ラベルは言った。
「あなたが音楽を弾く場所が——精霊たちにとって、居心地のいい場所だ」ルーナは言った。
「それがソナーレの力の、本質だと思う」
「居心地のいい場所を作る力——か」ラベルは弾きながら言った。
「精霊を縛るのではなく——いたくなる場所を作る。それが——ソナーレが百年間守ろうとしてきた
ものだ」
ウィークが静かに言った。
「その場所が——今夜、ここにある」
「師匠が言うと——重い」ラベルは笑った。
「重くていい。事実だから」
旋律が続いた。
精霊たちが踊った。
フレイムが——遠くの空で、光を放った。
式典の夜が——静かに更けていった。
十 翌朝の出発
翌朝。
七カ国の使節たちが、それぞれ帰路についた。
カリン女王が最後に言った。
「ラベル殿——帝国が動く時が来るだろう。その時——アルメアも、動く準備ができている」
「ありがとうございます」
「百年前の誓いを——今度こそ、守り通す」カリンは言った。
ヴァルド王が言った。
「フレイムは——空から見守っている。必要な時は呼べ。縛らない形で、応える」
「はい。ありがとうございます」
エイランが言った。
「ソラスの光と影が——あなたを支える。どちらか一方ではなく、両方が」
ファルナが言った。
「ラエールの音楽が——あなたと共にある。ヴァッソの音楽も、いつか届く」
ゼイン王の使節が言った。
「ゼイン王からの言葉を伝えます。見届けた。次は——完成させなさい、と」
「見届けた、か」ラベルは言った。
「老王は——あなたのことを信じています。それだけ、伝えてほしいとのことです」
「わかりました。伝わりました」
コメット辺境伯が言った。
「パレスノアは——最後まで、補給拠点として開放している。何でも言ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
「テレーズも——残っていくか?」コメットがテレーズに向けた。
「……少しの間だけ」テレーズは言った。
「ラベルの音楽が、まだ弱い部分がある。その間だけ、残る」
「テレーズさん——!」ラベルが声を上げた。
「うるさい。弱い部分があると言ったんだ。それを直してから帰る。文句あるか?」
「ないです」ラベルは言った。「……ありがとうございます」
「礼はいらない。私がそうしたいからだ」テレーズは言った。杯を持ち上げた。
「さあ、全員帰った後——練習だ。式典が終わっても、音楽は終わらない」
「はい」
十一 次の準備
使節たちが去った後、一行だけが残った。
ウィークが書物を開いた。
「帝国の動きを確認する」ウィークは言った。
「全面侵攻まで——書が示す期間は、二ヶ月から三ヶ月だ。その間に——やるべきことが、三つある」
「三つ?」ラベルが言った。
「一つ——八峰の守護龍結界の展開。龍使いとして、これが最優先だ」ウィークは言った。
「二つ——セレスティアル・フィルの結成準備。各国の伝承楽器との接続を確立する」
「三つ目は?」
「創音王国の内側を、守る準備だ」ウィークは続けた。
「精霊が戻ってきた。しかし——帝国が来た時、精霊が巻き込まれないようにする必要がある」
「精霊を守る準備……」ラベルは言った。
「そのために——音楽が必要だ。創音王国の内側に、音楽で守護の場を作る。精霊が安心していられる
場所を」
「俺の音楽で——精霊の避難場所を作る、ということか」
「そうだ」ウィークは言った。
「帝国との戦いは——力と力のぶつかり合いではなく、音楽と力のぶつかり合いになる。私たちは音楽
で戦う。帝国は力で来る。その時——精霊たちが音楽の側にいれば、我々が優位になる」
「精霊が味方になる」カイが言った。
「味方というより——精霊が、本来在るべき場所にいる。それが、我々の戦いの根拠になる」
「わかった」ラベルはノエルを見た。
「全部——やる。師匠と一緒に」
「そうだ」ウィークは書物を閉じた。
十二 ラベルの誓い
その夜。
ラベルは一人、創音王国の中心に立っていた。
空を見上げた。
星が多かった。
(式典が終わった。建国の楽曲を——全部弾いた。母さんが帰ってきた。七カ国が認めてくれた。精霊
が戻ってきた)
(しかし——まだ終わっていない)
(帝国が来る。師匠との別れが来る。そして——その先に、創音王国の本当の未来がある)
ラベルはノエルを構えた。
誰もいない夜に——一人で弾いた。
建国の楽曲「創音」を——また、全節。
今日の式典で弾いた旋律と——同じで、違う。
式典の時は、全員のために弾いた。
今夜は——自分のために弾いた。
(俺はなぜ、音楽を続けるのか)
(シンタックスで問われたことの答えを——もう一度、確かめるように)
旋律が流れた。
精霊が——来た。
今夜も、自然に、誰も呼ばずに。
(音楽は消えない。精霊は応える。師匠が帰っても——証が残る。母さんが傍にいる。カイが剣を振
る。みんながいる)
(だから——続ける。音楽を)
(それが——俺の誓いだ)
旋律が終わった。
最後の音が、夜の空気に溶けた。
精霊たちが、静かに揺れた。
遠くで——フレイムの影が、星の間を飛んでいた。
ウィークが、少し離れた場所から見ていた。
(この旋律が続く限り——私も、ここにいる)
(たとえ形が消えても、証を通じて)
(音楽は消えない。私も——消えない)
第18話 了
第19話「八峰の守護龍——絶対不可侵の三角形」
龍使い・破邪白眉斎として——ウィークの本格的な仕事が始まった。
創音王国の北、先人未踏の封域。
八つの峰に、守護龍の結界を張る。
サーガラ、マナシ、ウハツラ、タクシャカ、ヴァスキ、ナンダ、サナンダ、アナンダ——
八峰の守護龍が、ラベルの音楽に応えて目覚める。
縛らない。選ばせる。
それが龍使いの誓いだ。




