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第16話 第六の試練——A級ダンジョン「ライラックス」と、音楽の決闘

幕間 ソラスからラエールへ

 ソラスを出て、四日。

 ルーナが旅に加わってから、野営地の夜が変わった。

 焚き火を囲む人数が一人増えただけで——空気が違う。ルーナが時折、低く歌う。意識的に歌っているのではなく、作業をしながら、あるいは星を見ながら——ただ、声が出ている。

 ラベルはその声を聴くたびに、懐かしくて胸が痛くなった。しかしもう——逃げなかった。

「母さんって、普段から歌ってるんだ」ラベルはある夜、ルーナに言った。


「昔からそうだ」ルーナは焚き火を見ながら言った。

「意識すると止まる。意識しなければ出てくる」


「俺も最近、そういう感じになってきた」ラベルは言った。

「ノエルを弾こうと思って弾くんじゃなくて——気づいたら弾いてる、みたいな時がある」


「それが——音楽が体に入ったということだ」


「テレーズさんが言ってたことと同じだ」

「テレーズに習ったのか」ルーナは少し驚いた顔をした。

「あの人も変わらないな。まだ怒鳴っているか?」


「ものすごく怒鳴っていた」


「それが普通だ」ルーナは穏やかに笑った。

「しかし——あの人が怒鳴る相手は、期待している相手だけだ。無関心な相手には、怒鳴らない」


「だから俺が怒鳴られたのか」


「そうだ。期待されたんだよ」

ドノヴァンが遠くから言った。

「俺はボロクソに言われて三日で追い出された」

「それは無関心だったからか、怒りすぎたからか——どっちだろうな」ラベルが言った。

「どっちでもいい。あの人の弟子じゃなかったということだ」ドノヴァンは肩を竦めた。


「ドノヴァンさんの本当の師匠は——ウィークだしな」


「それはそうだ」ドノヴァンは認めた。

カイが静かに型の練習をしていた。第十七型——渡り鳥。その動きが、日に日に洗練されていった。


ルーナが型を見ていた。

「あの型——シルバ殿の面影がある」ルーナは静かに言った。

「そうか?」ラベルが聞いた。

「動き方の癖が、似ている。息子は父親の動きを受け継ぐものだ」

カイは型を止めなかった。しかし——その動きが、少し変わった気がした。


より、丁寧に。より、大切に。

一 ラエール王国・音楽の都フィーラ

 ラエール王国に入った瞬間——音楽が来た。

 遠くから。どこかの建物から。路地から。

 複数の音楽が、混じり合って届いてくる。


「音楽の国だ」エラが目を輝かせた。


「ラエールは音楽を国是としている」ウィークが言った。

「法律、外交、教育——全ての基盤に音楽の哲学がある。子供は歩けるようになる前に楽器に触れる、という文化だ」


「全員が音楽家なのか?」ドノヴァンが言った。


「全員が音楽を学ぶ。プロになるかどうかは別として」


「それって——いい国だな」ラベルは言った。


「ラエールは百年前、ソナーレに最も影響を受けた国でもある」ウィークは続けた。

「ソナーレの音楽師が、ラエールに移り住んで音楽を伝えたという記録がある。だからラエールの音楽には、ソナーレの影響が残っている」


「ソナーレの音楽が——ラエールに生きている?」


「断片的にだが。百年かけて変容しながら、残っている」


「それは——聴いてみたい」ラベルは言った。


「聴ける機会がある」ウィークは静かに言った。「試練の中で」


 都フィーラは——美しかった。

 音楽の都と言うに相応しい。広場に音楽師がいる。通りに楽器店が並ぶ。子供たちが楽器を持って走っている。


「さすがに——テンション上がるな」エラが言った。


「私も」ラベルは正直に言った。

「ここの人たちは全員、音楽が好きなんだろうな」


「好きというより——空気のような存在だろう」セシルが言った。

「普段は意識しない。でも、なければ生きられない」


「音楽が空気——か」ラベルは言った。「俺もそうなりたい」


「もうそうなってるんじゃないか」ドノヴァンが言った。

「お前が弾かない日は——なんか物足りない気がするから」


「それは褒めてるのか?」


「褒めてる」ドノヴァンはあっさり言った。


二 ファルナ女王

 王宮への謁見。

ファルナ女王。

 年齢は四十代。茶色の髪を緩やかにまとめ、動きやすい衣を纏っている。目が明るく、声に音楽的な響きがある。

 謁見室に入った瞬間——ファルナは立ち上がって、拍手した。


「来てくれた! ラベル・ソナーレ!」


ラベルは少し面食らった。


「は、はい。来ました」


「ノエルを持っているな! 本物か! 弾いてみてくれ! 今すぐ!」


「……今すぐですか」


「今すぐだ!」


ウィークが静かに言った。「弾いていい」


ラベルはノエルを取り出して、一節弾いた。


ファルナが——目を閉じた。


部屋の空気が変わった。


ファルナがゆっくりと目を開けた。


「……百年ぶりだ」ファルナは静かに言った。

「私はその音を聴いたことがない。しかし——知っている。楽譜に残っていた。音の理論書に残っていた。ラエールの音楽の根っこに残っていた。そしてついに——本物が来た」


「ラエールに——ソナーレの音楽が残っていたんですね」


「根っこに残っている。枝や葉は変わったが、根は変わらなかった」ファルナは言った。

「さあ——試練の話をしよう。ラエール王国として、創音王国に相応しい試練を課す」


「承知しています。A級ダンジョン「ライラックス」の攻略ですね」


「それだけではない」ファルナは言った。

「ラエールは音楽の国だ。音楽で試させてもらいたい」


「音楽の試練——ということですか?」


「ダンジョン攻略の中で——音楽の決闘がある」ファルナは続けた。

「ライラックスの深部に、私が指定した音楽師がいる。その音楽師と——音楽で向き合ってほしい」


「音楽師との決闘……」


「勝負ではない」ファルナは言い直した。

「向き合うことだ。その違いは大きい」


「違いは——何ですか?」


「勝負には勝者と敗者が必要だ。向き合いには——それは必要ない。ただ、音楽が交わることが必要だ」ファルナは言った。

「その音楽師は——長い間、誰とも音楽を交わしていない。だから私は、あなたに向き合ってほしい」


「その音楽師は——誰ですか?」


ファルナの表情が、少し変わった。


「ヴァッソという男だ」


三 ヴァッソのこと

「ヴァッソは——かつて、ラエール最高の音楽師だった」

ファルナは静かに語り始めた。

「ラエールの音楽は、精霊と共鳴することで完成する。精霊との接続が深い音楽師ほど、より豊かな音楽を生み出せる。ヴァッソは——精霊との接続が、ラエール史上最も深い音楽師だった」


「だったか——今は違うのですか?」


「八年前、帝国がラエールに介入してきた」ファルナは続けた。

「音楽師を国家の道具として利用しようとした。ヴァッソは——その標的になった。精霊との接続が深いということは、精霊石採掘の効率化に使えると、帝国は判断した」


「精霊石採掘に——音楽師を使う?」


「精霊を呼び出し、その場に留めておく役割だ」ファルナは言った。

「ヴァッソは拒んだ。しかし——帝国の圧力は強く、最終的にヴァッソは二年間、帝国の施設に連れ去られた」


「二年間……」ラベルは黙って聴いていた。


「二年間、ヴァッソは精霊石採掘に使われた。精霊を呼び、精霊が来たところで採掘される——その繰り返しを、毎日やらされた」


「精霊が——苦しむのを、見続けた」ラベルは言った。


「そうだ」ファルナは頷いた。

「そして二年後、ヴァッソは帝国から逃げ帰ってきた。しかし——帰ってきた時、ヴァッソの音楽が変わっていた」


「どう変わったのですか?」


「精霊が来なくなった」ファルナは静かに言った。

「二年間、精霊を道具として扱う現場にいた。自分の意志ではなかったが——ヴァッソの音楽に、精霊が来なくなった。精霊がヴァッソを拒んでいるのではない。ヴァッソ自身が——精霊を呼べなくなった」


「なぜ?」


「自分を許せないから」ファルナは言った。

「精霊を傷つける現場にいた自分を——ヴァッソは許せない。その罪悪感が、音楽を閉じている」

ラベルは黙っていた。


「ヴァッソは今、ライラックスの深部に一人でいる」ファルナは続けた。

「精霊から離れたくて、深部の、精霊がいない場所に。そしてそこで——一人で弾き続けている。誰にも聴かせない音楽を」


「誰にも聴かせない音楽……」


「六年間、一人で弾き続けている」ファルナは言った。

「私は何度もヴァッソに会いに行った。しかし——ヴァッソは誰とも音楽を交わさない。向き合わない」


「なぜ俺に——向き合ってほしいのですか?」


「あなたの音楽は——精霊に選ばせる」ファルナは静かに言った。

「縛らない。強制しない。ただ音楽を届けて、精霊が来るかどうかは精霊に任せる。その在り方が——ヴァッソに届くかもしれないと、思っている」


「届くかどうかは、わかりません」ラベルは言った。


「わかっている」ファルナは頷いた。

「しかし——試してほしい。それがラエールの試練だ。ダンジョン攻略と、ヴァッソとの対峙——両方が、試練だ」


四 ライラックスへ

 翌朝、一行はライラックスへ向かった。

 道中、ルーナがラベルの隣を歩いた。


「ヴァッソのこと——考えているの?」ルーナが言った。


「うん」ラベルは答えた。

「自分を許せないから、音楽が閉じてる——それって、俺にもわかる気がして」


「わかるか?」


「音楽が怖かった時期があった。母さんを思い出すから——音楽に触れたくなかった。それは——自分を守るために、閉じていたんだと思う」


「そうだな」


「ヴァッソの場合は——閉じる理由が、もっと重い」ラベルは言った。

「精霊を傷つけた、という罪悪感。それを抱えながら、六年間弾き続けている。誰にも聴かせない音楽を」


「誰にも聴かせないのに、弾き続けている」ルーナは静かに言った。

「それは——音楽を捨てられないということだ」


「音楽を捨てられない。でも、誰かに届けられない」


「その人に——どんな音楽を届けるつもりだ?」

ラベルは考えた。


「わからない」ラベルは正直に言った。

「でも——テレーズさんが言っていたことを信じる。感じたことを、そのまま音にする。それしかできない」


「それで十分だ」ルーナは言った。


「届くかどうかは——わからないけど」


「届かなくてもいい」ルーナは静かに言った。


「届けようとすることが——大事だ。精霊はそれを感じる。音楽とは、届けようとする意志だから」


五 ライラックスの内部

 ライラックスのダンジョンは——音楽的なダンジョンだった。

 壁に、音の振動が刻まれていた。まるで楽譜のような紋様が、岩壁に走っている。


「音精霊の痕跡だ」ウィークは言った。

「ライラックスは音精霊の巣だ。精霊が長年住み着くことで、壁に旋律が刻まれた」


「音楽の迷宮か」ドノヴァンが言った。


「音精霊は——音楽に反応する」ウィークは続けた。

「正しい旋律を奏でれば、道が開く。誤った旋律では、迷う」


「正しい旋律って——何が正しいの?」ラベルが聞く。


「誠実な音楽だ」ウィークは静かに言った。

「技術的な正確さではなく——精霊に届く音かどうかだ」


「また誠実さか」ドノヴァンが言った。


「そうだ。ラエールのダンジョンだからこそ——その基準が最も鋭い」


ラベルはノエルを構えた。


弾き始めた。


壁の紋様が——光った。


道が開いた。


「進める」ウィークは言った。


「正しい旋律だったか?」ラベルが聞いた。


「お前の音楽が——正しかった」ウィークは答えた。


 第一層から第五層は、音精霊が道案内をしてくれた。

 ラベルが弾くと精霊が現れ、進む方向を示す。ラベルの旋律に合わせて、精霊が光の筋を作って引っ張ってくれる。


「これは——楽しい攻略だな」エラが言った。


「精霊が一緒に来てくれている」セシルが言った。


「苦しんでいる精霊ではなく——自由な精霊が、案内してくれている」


「ソーンと同じだ」ラベルは言った。

「苦しんでいない精霊は——こんなに穏やかで、こんなに友好的だ」


「帝国が来ていないから——この状態でいられる」カイが言った。


「そうだな」


第六層で——帝国の小規模な部隊と遭遇した。


しかし今回は、以前より数が少なかった。


「情報が漏れているか、あるいは——帝国の優先度が下がっている」ウィークは言った。

「レノスでの敗退、ドランでの失敗——帝国の戦力がいくつかの地点に分散している可能性がある」


「帝国が疲弊してきている?」ドノヴァンが言った。


「断言はできない。しかし——我々が動き続けることで、帝国の対処が追いつかなくなっている部分がある」


「それが——攻め続ける理由だな」カイが言った。


「そうだ」


六 第八層:ヴァッソの部屋

 第八層——ライラックスの奥深く。

精霊の気配が、薄くなっていた。


「精霊が少ない」ラベルは感じた。


「ヴァッソが選んだ場所だ」ウィークは言った。

「精霊から離れることができる、唯一の場所だと——書が示している」

廊下の奥に、扉があった。


古い木の扉。隙間から——音が漏れていた。


ラベルは立ち止まった。


(聴こえる——音楽だ)


(ヴァッソが弾いている)


 その音楽は——複雑だった。技術的に高度だと、素人のラベルにもわかった。旋律が幾重にも重なり、和音が深く、表現が豊かだ。


 しかし——どこか、閉じていた。


(外に出ようとしていない音楽だ)


(誰かに届けようとしていない。ただ——内側に溜め込んでいる)


「ラベル」カイが静かに言った。


「うん」


「一人で行け」


「え?」


「その方がいい気がする」カイは言った。

「複数人で行けば、ヴァッソが閉じる」


「カイの言う通りだ」ウィークが言った。

「一人で、扉を叩け」


「……わかった」


ルーナがラベルの背中に、手を当てた。


何も言わなかった。


ただ——手の温かさだけがあった。


ラベルは扉に向かった。


七 ヴァッソ

 扉を叩いた。

 音楽が——止まった。


                沈黙。


「誰だ」低い声。


「ラベル・ソナーレという者です。少し——話せますか?」


               




                長い沈黙。






「入れ」


扉を開けた。


部屋は薄暗かった。蝋燭が一本。壁に楽器が立てかけてある。床に座った男がいた。


ヴァッソ。

 年齢は四十がらみ。髭が伸び、目が——疲れていた。しかし指先だけが、異様に鋭かった。音楽師の指先だ。


「ノエルを持っているか」ヴァッソは言った。感情のない声だった。


「持っています」


「……本物か」


「はい」


ヴァッソは目を閉じた。


「ファルナに言われてきたのか」


「そうです。しかし——ファルナ女王に言われたからだけではない。あなたの音楽を、さっき聴いた。扉の外から」


「盗み聴きしたのか」


「扉の隙間から漏れていました。止めようとしても、届いてしまった」


ヴァッソは何も言わなかった。


「一つだけ——聞いていいですか」ラベルは言った。


「なんだ」


「誰にも聴かせない音楽を、六年間弾き続けている。なぜですか?」


ヴァッソは目を開けた。その目が——ラベルを見た。


「音楽が——やめられないからだ」


「やめられないのに、誰にも聴かせない」


「そうだ」


「なぜ聴かせないんですか?」


「聴かせられる資格がない」ヴァッソは静かに言った。


「資格?」


「精霊を傷つけた。精霊が苦しむ現場で、毎日音楽を使った。その音楽で呼ばれた精霊が、苦しんだ。それを六年間覚えている。覚えている間は——他人に聴かせる音楽を弾く資格がない」


「自分を罰しているんですか?」


「罰ではない」ヴァッソは言った。

「事実だ。私の音楽で——精霊が苦しんだ。それは変わらない事実だ」


ラベルは黙って聴いていた。

「精霊は今——来るんですか?」ラベルは聞いた。


「来ない」


「弾いていても?」


「弾いても来ない。私が来るなと思っているから——来ない」


「来るなと思っているから、来ない——」ラベルは繰り返した。


「そうだ」


「それは——精霊を遠ざけているということじゃないですか?」


ヴァッソが、ラベルを見た。


「……どういう意味だ」


「精霊に選ばせていない」ラベルは言った。

「来るなと思っていれば——精霊は来ない。でも——それは、精霊があなたを拒んでいるのではなく、あなたが精霊を拒んでいる」


「私が精霊を拒んでいる……」


「精霊は——もしかしたら、あなたに来たいかもしれない。でも、あなたが来るなと思っているから——来られない」

ラベルは続けた。

「精霊に選ばせていない。あなたが決めている」


ヴァッソは黙っていた。


八 旋律と旋律

「弾いてもいいですか?」ラベルは言った。


ヴァッソは何も言わなかった。拒否でも、許可でもない沈黙。


ラベルは弾き始めた。


技術は、ヴァッソより遥かに劣る。旋律はシンプルで、和音も薄い。


しかし——精霊が、来た。


この部屋には精霊が少なかった。しかしラベルが弾いた瞬間——遠くから光の粒が流れ込んできた。


ヴァッソの目が、その光を見た。


「……なぜ来る」ヴァッソは呟いた。


「精霊に選ばせているから」ラベルは弾きながら言った。

「来るかどうかは、精霊が決める。俺は——ただ、弾く」


「それだけか」


「それだけです」ラベルは続けた。

「俺の音楽は、まだ下手くそです。技術だけならヴァッソさんの方が遥かに上だと思う。でも——精霊が来るのは、俺が精霊に選ばせているから」


「私が——精霊を遠ざけているから、来ない」ヴァッソは静かに言った。


「あなたの音楽を聴いた。扉の外から」ラベルは言った。

「あれだけの音楽を弾ける人が——精霊を遠ざけている。それが——もったいない、と思った」


「もったいない?」


「あの音楽が精霊に届いたら——どれだけのことが起きるか。それを想像したら」ラベルは弾きながら言った。

「俺では届けられないものが、ヴァッソさんの音楽にはある気がした」


ヴァッソは動かなかった。


しかし——手が、楽器に触れた。


まだ弾かない。しかし——触れた。


「精霊は——私を許すのか」ヴァッソは静かに言った。


「わからない」ラベルは正直に言った。

「俺には——精霊の気持ちはわからない。でも——精霊に選ばせれば、精霊が答えを出す。それを——俺たちが決めることじゃない」


「精霊に——委ねる、ということか」


「そうです」




                  長い沈黙。


ラベルは弾き続けた。


ヴァッソの指が——弦を押さえた。


一音。


たった一音が、薄暗い部屋に流れた。


精霊が——動いた。


光の粒が、ヴァッソの方へ向かった。


ヴァッソの目が、大きくなった。


「……来た」


「来ましたね」ラベルは言った。


「六年ぶりに——精霊が来た」ヴァッソは震える声で言った。


「来るなと思わなかったから——来たんじゃないですか?」


ヴァッソは、もう一音、弾いた。


精霊が増えた。


また一音。


また増えた。


ヴァッソの音楽が——開き始めた。


九 二つの音楽

 ヴァッソが弾き始めた。

 最初は静かだった。六年間誰にも聴かせなかった音楽が、少しずつ外に出てくる。扉が、少しずつ開く。

ラベルは——合わせようとしなかった。


自分の旋律を弾き続けた。


二つの音楽が、同じ空間に在った。


合っているわけではなかった。しかし——どちらかがどちらかを消すこともなかった。


精霊たちが——二つの音楽の間を動いた。


ヴァッソの音楽に触れた精霊が——光を増した。

(精霊が、ヴァッソの音楽を受け入れている)

(六年間拒まれ続けた精霊が——今、戻ってきている)


ヴァッソの指が、速くなった。


感情が、音楽に戻ってきた。


六年間、閉じ込められていたものが——少しずつ溢れ始めた。


それは、悲しみだった。


罪悪感と、後悔と、それでも音楽を愛し続けてきた六年間と——全てが混じった、複雑な悲しみ。


精霊たちが——その音楽に、応えた。


攻撃的ではなかった。


ただ——寄り添った。

(精霊は、ヴァッソを拒んでいなかった)

(ヴァッソが精霊を遠ざけていただけで、精霊はずっと——待っていた)


扉の外で、カルテットが声を重ね始めた。


ウィークが感知して、合図を送っていた。


四つの声が、扉越しに届いた。


ヴァッソの音楽が——それを聴いて、また変わった。


一人の音楽が、複数の声に包まれた瞬間——何かが溶けた。


ヴァッソの目から、涙が流れた。


十 ヴァッソの言葉

 音楽が収まった時。


ヴァッソは両手を膝に置いて、俯いていた。


「六年間——何をしていたんだろう」ヴァッソは静かに言った。


「音楽を守っていたんじゃないですか?」ラベルは言った。


「守る?」


「精霊のことを、六年間覚えていた。忘れなかった。それは——精霊を大切に思っていたからだと思う」ラベルは言った。

「自分を罰したくて覚えていたんじゃなくて——精霊のことが、本当に大事だったから、忘れられなかった」


「……そういう解釈もできるのか」ヴァッソは言った。


「俺の解釈が正しいかどうかはわからない」ラベルは言った。

「でも——精霊は、今日あなたの音楽に来た。それが答えじゃないかと思う」


「精霊が——許した、ということか」


「精霊に選ばせた結果、精霊が来た。それだけです。許す許さないは——俺には判断できない」


ヴァッソはしばらく黙っていた。


「ラベル・ソナーレ」


「はい」


「あなたは——下手くそだ」


「……それは知ってます」


「しかし」ヴァッソは続けた。

「下手くそなのに——音楽が届く。その理由が、今日わかった」


「どういう理由ですか?」


「あなたは——音楽を届けようとしていない。音楽を——ただ、在らせている」ヴァッソは言った。

「届けようとすれば、相手が受け取るかどうかを意識する。在らせることは——相手に委ねる。精霊に選ばせることと、同じだ」


「……俺は意識していなかったけど」


「意識していないから、できている」ヴァッソは言った。

「意識した瞬間に——なくなる。あなたは大事なものを、意識せずに持っている。それを——失わないようにしろ」


「……ありがとうございます」


「礼を言うのは私の方だ」ヴァッソは立ち上がった。

「六年間閉じていた扉が——開いた。それが、あなたのおかげだ」


十一 採掘装置の破壊


 ヴァッソが、一行に加わった。


「ライラックスの深部に——帝国の装置がある」ヴァッソは言った。

「六年間、その装置のせいで、精霊が苦しんでいるのを見てきた。しかし——一人では壊せなかった」


「今日、壊せる」ラベルは言った。


「そうだな」


第十層——装置のある場所。


今回の装置は——音楽を無効化する構造だった。音精霊の旋律を阻害し、精霊を弱体化させるための機構が備わっていた。


「音楽を無効化する装置か」ドノヴァンは言った。

「帝国もやることが複雑になってきた」


「対策が、精密になっている」ウィークは言った。

「ラエールのダンジョンに設置するために、音楽対策が施された装置を作ってきた」


「破壊方法は?」


「物理的な破壊では、装置が起爆する可能性がある」ウィークは義眼で分析した。

「音楽的な崩壊——旋律で装置の内部構造を共鳴させ、崩壊させる必要がある」


「音楽で壊すのか」ラベルが言った。


「そうだ。そのためには——複数の旋律が必要だ。単一の旋律では、装置の全波長に対応できない」


ヴァッソが前に出た。


「私が低音域を担う。深い旋律で装置の基底を崩す」


「ラベルが——」ウィークは言った。


「中音域と高音域を担います」ラベルは言った。

「カルテットと一緒に」


「私も」ルーナが言った。

「影の旋律で——装置の死角を突く」


「四方向からの旋律で、装置全体を崩壊させる」ウィークは言った。

「完璧だ」


ヴァッソが弾いた。


ルーナが弾いた。


ラベルが弾いた。


カルテットが声を重ねた。


四方向から旋律が来た瞬間——装置の内部が、共鳴で揺れた。

               

ガガガン——!!


装置が——音楽的に崩壊した。


爆発ではなく、溶けるように。旋律に解かれて、分解した。


音精霊たちが——解放された。


カタログ化完了——音精霊・上位。ライラックス特有種。


十二 ファルナへの報告

 翌日、ファルナへの報告。


「ヴァッソが——戻ってきたか」ファルナは静かに言った。ヴァッソを見ながら。


「戻ってきた、というより——扉が開いた、という感じです」ヴァッソは言った。

「まだ完全ではない。しかし——開いた」


「それで十分だ」ファルナは言った。

「六年間待った甲斐があった」


「ファルナ様——六年間、待ってくれていたのか」


「ヴァッソが帰ってきた日から、ずっと」ファルナは言った。

「音楽師が音楽を取り戻す瞬間を——見届けたかった。それが今日だった」


ヴァッソは頭を下げた。


ファルナはラベルを見た。


「ラベル・ソナーレ——ありがとう。私が六年間できなかったことを、今日一日でやってのけた」


「ヴァッソさんが——自分で扉を開いたんです。俺はただ、傍にいた」


「傍にいることが——時に最も大事だ」ファルナは静かに言った。


         「ラエール王国として、創音王国を正式に承認する」


書物が光を放った。


第六の試練、クリア。ラエール王国、創音王国の承認。

「残り一つ——シルベルト」ラベルは静かに言った。


十三 ヴァッソとの別れ

 ラエールを出る前日の夜。


ヴァッソがラベルを訪ねてきた。


「旅に——加わることはできないか」ヴァッソは言った。


「え?」ラベルが驚いた。


「音楽師として——役に立てることがあれば」


「ヴァッソさんが来てくれれば、心強い。でも——」ラベルは少し考えた。

「ここでやるべきことがあるんじゃないですか?」


「ここで?」


「ラエールには——ソナーレの音楽の根っこが残っている。ファルナ女王が言っていた。それを——もう一度、育てる人が必要だと思う。ヴァッソさんの音楽で」


ヴァッソは黙っていた。


「精霊が戻ってきた音楽師が、ラエールにいる。それが——ここで必要なことかもしれない」ラベルは続けた。

「旅が終わったら——セレスティアル・フィルという楽団を作りたい。世界楽団だ。その時には——ぜひ加わってほしい」


「世界楽団……」


「ハフト・ハーンが終わった後——俺はそれを作る。各国の音楽師と精霊と、全部を繋いで。その時、ヴァッソさんの音楽が必要だ」


「……わかった」ヴァッソは静かに言った。

「その時まで——ラエールで音楽を続ける。精霊と、もう一度向き合う」


「待っています」ラベルは言った。


「一つ——言っておこう」ヴァッソは言った。


「なんですか?」


「あなたの音楽は——まだ始まったばかりだ」ヴァッソは言った。

「しかし核心は、既に本物だ。その核心を——絶対に失うな。技術は後から追いつく。しかし核心は——技術で作れない」


「テレーズさんも似たようなことを言っていた」


「あの人も——同じものを見ていたということだ」ヴァッソは言った。

「あなたの音楽の核心を、同時代の二人の音楽師が認めた。それを——誇りに思っていい」


ラベルは頷いた。


「ヴァッソさんの音楽が——精霊に届いた瞬間を、俺は忘れません」ラベルは言った。

「あれが——俺が目指す音楽の、一つの形だと思った」


「お互い——成長しよう」ヴァッソは手を差し出した。


ラベルはその手を、握り返した。


十四 旅の夜に

 ラエールを出た夜。

全員が焚き火の前に座っていた。


「残り一つ——シルベルト」ラベルは空を見た。


「S級ダンジョン「シンタックス」だ」ウィークは静かに言った。

「これまでとは——格が違う」


「師匠が話すこと、というのも——シルベルトで?」


「そうだ」ウィークは言った。

「シルベルトに着いてから、全てを話す」

(その時に話す——師匠がそう言った時は、必ず重要なことだ)


ルーナがウィークを見た。


二人の目が、一瞬合った。

(母さんは——師匠が何を話すか、知っているのかもしれない)


ラベルはその視線に気づいた。しかし——今夜は、聞かなかった。


「師匠」ラベルは言った。


「なんだ」


「今日のヴァッソさんのこと——思い出した言葉がある。フレイムが言っていた言葉だ」


「なんだ?」


「縛ればその瞬間から、選択の自由が消える——って。ヴァッソさんは自分で自分を縛っていた。罪悪感で。それを——精霊に選ばせることで、解いた」


「そうだな」


「師匠も——何かに縛られてるものがあるか?」ラベルは静かに聞いた。

ウィークは少し間を置いた。


「ある」


「なんに?」


「それが——シルベルトで話すことだ」ウィークは静かに言った。


「……わかった」ラベルは言った。「シルベルトで聞く」


               焚き火が、静かに燃えていた。


ルーナが、楽器「ルーナ」を静かに弾き始めた。


ラベルがノエルで応えた。


夜の空気に、二つのハーディ・ガーディが重なった。

残り一つ——シルベルト。

そして師匠が、全てを話す日が来る。


第16話 了

次話予告

 第17話「第七の試練——S級ダンジョン「シンタックス」と、根源への問い」

 最後の試練——シルベルト王国。

 老王ゼインが待っていた。

 「龍使いが覚醒した時から、この日が来ることは知っていた」

 S級ダンジョン「シンタックス」——存在の根源に触れる場所。

 そしてウィークが、全てを話す。

 別次元宇宙から来た根源力。

 創造神との約束。

 そして——帰らなければならない理由。

 旅の果てに、ラベルは何を奏でるのか。

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