第12話 第二の試練——A級ダンジョン「レノス」と、帝国の刃
幕間 道中の練習
アルメアを出て、二日。
ラベルは楽譜と格闘していた。
第三節——カリンからもらった楽譜の最初の部分。音符の配置を目で追い、ノエルで確かめ、また楽譜に戻る。その繰り返し。
「難しい……」
「どこが?」セシルが隣に座って覗き込んだ。
「ここの転調」ラベルは楽譜の一点を指した。
「急に音域が変わるのに、旋律が途切れちゃいけない。どうやって繋ぐのかが——」
「ここは声で言うと、地声から裏声に移る感覚に似ています」セシルは言った。
「弦で言えば——」
「移弦だな」ロクが低音で言った。
「一拍前から次の弦に触れておく。そうすれば音が途切れない」
「一拍前から?」
「やってみろ」
ラベルはやってみた。
最初は失敗した。二度目も失敗した。
三度目——繋がった。
「——できた!」
「そうだ」ロクは短く言った。
「どうしてわかったんだ?」ラベルはロクに聞いた。ロクは普段あまり話さない。
「低音は——繋ぎが命だ。途切れた低音は、全体を壊す」ロクは言った。
「だから繋ぎ方には、一番うるさい」
「ロクさんが一番うるさい、か」エラが笑った。
「うるさくない」ロクは静かに言った。
「厳格なだけだ」
「同じことだよ」エラが続ける。
「違う」
ティアが静かに言った。
「ロクの厳格さが、私たちの声の土台になっている。うるさいのとは、違う」
ロクは何も言わなかった。しかし——その耳が、少し赤くなっていた。
「ティア、たまにそういうこと言うよな」エラが笑った。
「……事実だから」
ラベルはその会話を聞きながら、もう一度第三節を弾いた。
繋がった。今度は、一度で。
(少しずつ、体に入ってきてる)
一 レプラカン王国への道
アルメアからレプラカン王国までの道程は、四日だった。
地形が変わっていく。アルメアの穏やかな丘陵から、岩の多い荒野へ。空気が乾いて、風が強くなる。
道中、ウィークが未来予見を使い始めたのは——三日目の昼だった。
「止まれ」
突然の指示に、全員が動きを止めた。
「師匠?」ラベルが聞く。
「この先の分岐路——右に進めば予定通りの道だ。しかし右には、十五分後に帝国の巡回部隊が通過する」ウィークは静かに言った。
「左に迂回すれば、二時間遠回りになるが、接触を避けられる」
「帝国の部隊が——こんな場所に?」カイが周囲を見た。
「レプラカン王国への主要道に、帝国の影響が及び始めている。予見によれば——それは偵察ではない」
「目的は?」ドノヴァンが問う。
「私たちだ」ウィークは答えた。
「アルメアでの動きが、帝国に伝わった。そして——帝国枢密院が直接、対応部隊を動かしている」
「枢密院が直接?」セシルが静かに言った。「それは——」
「ザザントやレヴィアタンの偵察部隊とは、次元が違う相手だということだ」
全員が黙った。
「左に迂回する」ウィークは歩き始めた。
「今は戦う必要がない局面なら——戦わないことが最善だ」
「師匠が逃げを選ぶか」ドノヴァンが静かに言った。驚きではなく、確認するような口調で。
「逃げではない。時機の選択だ」
一行は左の道を取った。
________________________________________
しかし——四日目の朝。
野営地の周囲に、気配があった。
ラベルが目を覚ました時、ウィークは既に立っていた。
「師匠——」
「静かに」
ウィークの白金の義眼が、暗闇を走った。
(三十人以上。全員が高レベル。統率が取れている——これは精鋭だ)
ウィークは全員を素早く起こした。
「囲まれている」静かに、しかし全員に届く声で言った。
「三十二人。全員レベル六十以上。帝国枢密院直属の特務部隊だ」
「逃げられるか?」カイが二本の剣に手を当てた。
「包囲が完成している。突破するなら——戦闘になる」
「戦えばいい」ドノヴァンが五指を開いた。
「待て」ウィークは言った。
「この部隊の中に——一人、別格がいる」
「別格?」
「レベル九十五。帝国枢密院の実行部隊長——黒鎧のヴォルガだ。書に名前が記されている」
「それほどの相手か」カイが静かに言った。
「私が対処する。しかし——」ウィークは珍しく、言葉を止めた。
その次の言葉を、ラベルは生涯忘れなかった。
「ラベル——今すぐ逃げろ」
________________________________________
二 生涯初めての言葉
全員が、硬直した。
ウィークが「逃げろ」と言った。
今まで一度もなかった言葉が、今夜初めて出た。
「師匠」ラベルは言った。「俺だけ逃げるのか?」
「お前が最優先だ」ウィークは答えた。
「創音王国の核は——お前とノエルだ。お前が捕らえられれば、全てが終わる」
「でも——」
「聞け、ラベル」ウィークの声が、普段より僅かに低くなった。
「未来予見が示している。今夜ここでヴォルガと全力で戦えば——勝つ。しかし消耗する。次の戦いで、
お前を守れなくなる可能性がある」
「次の戦い?」
「ヴォルガは——囮だ」
「囮、だと?」カイが言った。
「本命は別にいる。私の予見では——この先のレプラカン王国の道中に、より危険な何かが待ってい
る。そのためにヴォルガを今使ったのは——こちらの消耗を狙ってのことだ」
「なるほど」ドノヴァンが低く言った。
「帝国の戦略が、一段上がってきたな」
「ラベル——カイと共に離脱しろ。私とドノヴァンとカルテットがここで時間を作る」
「師匠まで危険に——」
「私はサン・アポロニウスだ」ウィークは静かに言った。
「パッシブスキルに守られ、十二の鬼神を持ち、レールガンとデッドロック・フラッシュがある。ヴォル
ガ相手でも、時間を作ることはできる」
「……」
「ラベル」ウィークの声が、少しだけ——柔らかくなった。
「お前が逃げることが、正解だ。私の予見が、そう示している」
ラベルは拳を握った。
「絶対に——合流する場所は?」
「レプラカン王国の国境、東の関所だ。二日以内に必ず行く」
「約束だ」
「約束する」
ラベルは——走った。
________________________________________
三 ヴォルガとの対峙
ラベルとカイが離脱した後。
包囲が動いた。
三十二人が、一斉に踏み込んできた。全員が黒の鎧——帝国枢密院直属の証だ。
そしてその中央に——一人、別格の存在がいた。
黒鎧のヴォルガ。
身長は二メートルを超える。全身を漆黒の重鎧で覆い、しかしその動きは重さを感じさせない。顔の半分を鉄仮面で隠し、露出した目が——冷たく、しかし知性的に光っていた。
「久しぶりだな、機工士」ヴォルガは言った。低い声だった。「いや——今は陣法士か」
「知っているか」ウィークは静かに答えた。
「枢密院の情報網を舐めるな」ヴォルガは一歩前に出た。
「サン・アポロニウスへの変容は把握している。魔方陣と鬼神の召喚——面白い職だ」
「試してみるか」
「そのつもりで来た」
ヴォルガが動いた。
速い。レベル九十五の純粋な身体能力——それがまず、ウィークに向かって走った。
「八時の陣——トゥキファト召喚」
魔方陣が展開された。「八」の古代文字が光り、計画の鬼神トゥキファトが現れた。
その瞬間——ドノヴァン、セシル、エラ、ロク、ティアの全員の頭の中に、共有された戦略が流れ込ん
だ。誰が、どこで、何をするか——完全に統一された。
「いくぞ」ドノヴァンが五指を開いた。
五種同時展開——炎、雷、風、重力、土精霊。
倍化した魔法が、三十二人の半数を一瞬で無力化した。
カルテットの四声が重なった。ボイスプレイが戦場の空気を変え、帝国兵の動きを鈍らせる。
しかしヴォルガは——止まらなかった。
ドノヴァンの魔法をその巨体で受けながら、それでも動き続ける。重力縛りが足元に展開されても——膝をついてから、力技で立ち上がった。
「強い……!」ドノヴァンが舌打ちした。
「それがレベル九十五だ」ウィークは言った。
ウィークはヴォルガの前に出た。
サン・アポロニウスの金色の外装が光る。
「ナノ・ワールド——第二段階展開」
空間が歪んだ。ウィークの認識の中に収まっていく。
ヴォルガが剣を振った。
刃がウィークの外装に触れ——弾き返された。
「物理無効か」ヴォルガは言った。「しかし——」
ヴォルガの剣が、魔術光を纏った。
「魔術付与した斬撃は?」
刃が、外装に食い込んだ。
わずか——しかし、確かに。
「ほう」ウィークは静かに言った。
「魔術付与の斬撃が物理無効を一部突破するか。
それを知っているということは——帝国はサン・アポロニウスの詳細を、ある程度把握しているな」
「そのために特別な準備をしてきた」ヴォルガは言った。「あなたを止めるために」
「では——これはどうだ」
ウィークの右腕からデッドロック・フラッシュが放たれた。
無数の超微細起爆装置が、ヴォルガの鎧の隙間を狙う。
ヴォルガは——後退した。
「!」
「鎧の隙間を把握しているか?」ウィークは問うた。
「……させるか」ヴォルガは手のひらで自分の鎧の表面を撫でた。瞬間、鎧全体に魔術の膜が張られた。「起爆装置をその場で無効化する術式だ」
「用意がいい」
「枢密院は本気だ、ウィーク殿」ヴォルガは言った。「今夜、あなたを止める」
「今夜は止まれない理由がある」
「少年と、ソナーレの楽器か」
「それだけではない」ウィークは静かに言った。
「——十一時の陣。ゾファス召喚」
――――魔方陣が、今度は違う光を放った。――――
「十一」の古代文字——五芒星の形を持つその鬼神が、現れた。
五芒星形の鬼神ゾファス。
その姿は五本の光の柱が星形を描く形だった。純粋な破壊の意思のみを持つ鬼神——その頂点から、五
種の破壊魔法が同時に放たれた。
「ッ——!」
さすがのヴォルガが、大きく後退した。鎧に亀裂が入り、片膝をついた。
「……強い」ヴォルガは膝をつきながら、しかし諦めていない目でウィークを見た。
「今夜はここまでにしよう」ウィークは言った。
「お前は囮だ。私もそれを知っている。これ以上続けることに——どちらにも意味がない」
ヴォルガは黙っていた。
「帝国枢密院に伝えろ」ウィークは続けた。
「創音王国は——止まらない」
ヴォルガはゆっくりと立ち上がった。
「……次に会う時は、私も準備を整える」
「それが楽しみだ」
ヴォルガは残った部下を連れ、闇の中に消えた。
________________________________________
四 合流
二日後、レプラカン王国の東の関所。
ラベルとカイが待っていた。
ラベルは関所の外、大きな岩の上に座って、ノエルを弾いていた。拙い旋律だが、道中ずっと練習して
いた。
カイは傍らで、剣の手入れをしていた。
「来た」
カイが先に気づいた。
道の向こうから、ウィークたちが歩いてきた。全員が無事——疲れてはいるが、傷は軽い。
ラベルは岩から飛び降り、走った。
「師匠!」
「遅くなった」ウィークは静かに言った。
「無事でよかった」
「当然だ」
「ヴォルガとの戦いは?」
「時間を作ることはできた。次の機会に備えて引いてもらった」
「引いてもらった?」ラベルが聞き返した。
「向こうも——今夜は本命ではないことを知っていた。だから私が退路を示したら、受け入れた」ウィークは言った。
「ヴォルガは優秀な敵だ。無駄な消耗をしない」
「優秀な敵か」ドノヴァンが疲れた顔で言った。
「もう少し間抜けな敵の方が、楽でいいんだがな」
「そうはいかない」
ラベルはウィークを見た。
「師匠が——逃げろって言ったの、初めてだった」
「そうか」
「なんか……心配した」
「心配か」ウィークは少し間を置いた。「それは——私への信頼が足りないということか」
「違う」ラベルは即座に言った。「師匠が心配したから、俺も心配した」
ウィークは答えなかった。
しかし——白金の義眼が、僅かに柔らかくなった。
「行くぞ」ウィークは歩き始めた。「レプラカン王国の王都は、関所から一日だ」
________________________________________
五 レプラカン王国
レプラカン王国は——商業の国だった。
関所を越えた途端に、空気が変わった。人の往来が多い。言語が混ざり合う。道の両脇に露店が並び、活気がある。
アルメアの静かな疲れとは全く違う——しかし、その活気の裏に、何か緊張感が滲んでいた。
「この国は帝国と通商条約を結んでいる」ウィークが道を歩きながら言った。
「表向きは中立だが——帝国の商品と商人がこの国に大量に流入している」
「難しい立場の国だな」カイが言った。
「それがレプラカン王国の試練の性格にも関係する」ウィークは続けた。
「単純なダンジョン攻略だけでは——承認は得られないかもしれない」
「どういうこと?」ラベルが聞く。
「レプラカン王は——賢い人間だ。創音王国を承認することによる得失を、精密に計算する。承認することで帝国との関係が悪化するリスクと、承認することで得られる利益——両方を見る」
「利益って、何?」
「創音王国が正式に成立すれば——ソナーレ王国の後継として、精霊との独自のパイプを持つ国になる。精霊石の安定供給、ダンジョンの管理、精霊技術の共有——商業国家のレプラカンにとって、それは大きな価値がある」
「俺の音楽が——外交の切り札になる」ラベルは静かに言った。
「テレーズが言ったことを覚えているか」ウィークは言った。
「音楽が、外交の言語になると」
「覚えてる」
「レプラカンでは——それが文字通り試される」
________________________________________
六 本命の正体
王都への道中。
ウィークが突然、足を止めた。
「来た」
「敵か?」カイが即座に剣に手を当てた。
「違う」ウィークは前を向いたまま言った。
「——ヴォルガが囮だと言った。本命が何かを、ここまで来て確認できた」
「何が本命なんだ」ドノヴァンが問う。
「帝国枢密院が直接動かした、別の部隊がいる」ウィークは言った。
「ヴォルガの役割は私たちを消耗させることだった。しかし——本命の目的は、消耗させることではな
い」
「何が目的だ」カイが低く言った。
「ラベルを誘き出すことだ」
全員が、ラベルを見た。
「俺を?」
「ソナーレの覚醒者を捕捉する——それが枢密院の本命の指示だ」ウィークは続けた。
「殺すのではない。捕らえる。研究するために」
「……帝国は、俺の力を研究したいのか」
「ソナーレの音系創造魔法を——帝国の技術に組み込もうとしている。百年前も同じことを考えた」ウィークは言った。
「ルーナが追われた理由も、同じだ」
ラベルは拳を握った。
「だから——母さんは」
「生きていれば——同じ目的で拘束されている可能性が高い」
しばらく沈黙が続いた。
「その本命の部隊は——今どこにいる?」カイが問う。
「レプラカン王国の王都の中だ」ウィークは答えた。
「王都に先回りして、待ち構えている」
「王都に入れば——」
「戦闘になる可能性がある。しかし——回避しながら動くことはできる」ウィークは書物を開いた。
「六時の陣——ハータンの出番だ」
「財宝を隠す鬼神——存在を完全に隠蔽する鬼神か」ドノヴァンが言った。
「そうだ。王都に入る時——ラベルをハータンで隠す。存在そのものを隠蔽すれば、探知を無効化できる」
「俺が見えなくなる?」ラベルが聞く。
「見えなくなるだけでなく——魔力の痕跡も、音の残響も、精霊の反応も、全て隠される」
「ノエルも?」
「ノエルも含めて」
「それなら——入れる」
「ただし」ウィークは言った。
「ハータンで隠されている間、ラベルは一人でも動ける必要がある。私たちから離れた場合——自分で判
断しなければならない場面が来るかもしれない」
「わかった」ラベルは頷いた。
「カイ——ラベルの傍を離れるな」
「最初からそのつもりだ」カイは短く言った。
________________________________________
七 王都の影
王都レプラカンに入った。
ウィークが六時の陣を展開した瞬間、ラベルとカイは——存在を消した。
見た目が消えるのではない。全ての感覚から、消える。視覚、魔力感知、精霊の反応——全てが、ハータンによって遮断された。
「不思議な感じだ」ラベルは小声で言った。
「声は聞こえるぞ」カイが答えた。
「隠蔽の外には届かないようだが、俺たちの間では普通に話せる」
「師匠たちとは?」
「隠蔽の外にいる。別行動だ」
一行は二手に分かれた。ウィーク、ドノヴァン、カルテットが表を歩き、帝国の本命部隊の注意を引き付ける。ラベルとカイが、隠蔽状態で王宮への別ルートを進む。
王都の中は——確かに、帝国の気配が濃かった。
商人に紛れた戦士の体格の男。屋根の上に見張りのような人影。路地の角に立つ、目付きの鋭い女。
「帝国の工作員が、王都の中に既に入り込んでいる」カイが低く言った。
「師匠が言ってたことだ」
「しかし——」カイは周囲を見た。
「これは王都の内部に、かなり深く浸透している。レプラカン王国の内部まで、帝国に渗透されているということだ」
「試練が——複雑になりそうだ」
「それが狙いかもしれない。ダンジョン攻略より、この国の政治的な複雑さの方が、より難しい試練になる」
________________________________________
王宮の近くまで来た時。
ラベルは——足を止めた。
「どうした」カイが言った。
「……精霊の気配がする」ラベルは目を細めた。
「でも——おかしい。レプラカンは内陸の国なのに、水精霊の気配がする。しかも、苦しんでいる感じがする」
「苦しんでいる?」
「ドランの核心精霊と——似てる。あの、帝国に傷つけられた感じ」
カイは周囲を見た。
「王宮の地下に——何かあるのかもしれない」
「行ってみる」
「王宮の中にか?」
「ハータンで隠蔽されてる今なら——入れるかもしれない」
「師匠に連絡を」カイは言った。
「ハータンの外に声を出したら、隠蔽が破れる」ラベルは答えた。
「俺が判断するって、言っただろ」
「……師匠が心配するぞ」
「後で謝る」
________________________________________
八 王宮の地下
王宮の裏口から入った。
守衛がいたが——ハータンの隠蔽は完璧だった。存在を感じさせないまま、廊下を進む。
精霊の気配が、強くなっていく。
地下への階段を見つけた。降りていくと——空気が変わった。
冷たい。湿っている。そして——重い。
帝国の封印の匂いだ。ソナーレ跡地で感じたものと、同じ種類の重さ。
「地下室か」カイが周囲を見た。
その部屋の中央に——檻があった。
魔術式で作られた光の檻。その中に、何かが閉じ込められている。
水の塊——精霊だった。しかし、その光が——弱い。荒れていない。ただ、弱っていた。まるで、長い間閉じ込められ、消耗しきっているような。
「精霊が——閉じ込められている」ラベルは呟いた。
「帝国がやったのか」カイが言った。
「おそらく」ラベルは檻に近づいた。
「レプラカン王国の精霊を——帝国が捕らえて、この国の精霊流を弱体化させていたのかもしれない」
「それで——ダンジョン「レノス」が不安定になった?」
「あり得る」
精霊が——ラベルに反応した。
弱い光が、ラベルの方を向いた。
(助けて)
言葉ではない。感覚として——そう伝わってきた。
「解放する」ラベルはノエルを構えた。
「ハータンが破れるぞ」カイが言った。
「わかってる。でも——放っておけない」
ラベルは弦を鳴らした。
隠蔽が破れた。
しかし——それよりも先に。
「——いたぞ!ソナーレの覚醒者だ!」
地下室の入口から、声がした。
________________________________________
九 レノスへの道
地下室に、帝国の本命部隊が踏み込んできた。
十人。全員が精鋭——しかし今回は、ヴォルガはいない。
「カイ!」
「わかってる!」
カイの二本の剣が、瞬く間に動いた。流水のような剣筋が、十人の侵入を同時に捌く。一人、二人と無
力化していく。
その隙に——ラベルは旋律を続けた。
弱った精霊に、音楽を届ける。ドランでやったことと同じだ。苦しんでいる精霊に、共感を届ける。
檻が——ひびを入れ始めた。
「ラベル!急げ!」カイが叫んだ。
部隊の残り五人が、ラベルに向かってくる。カイが全員を抑えきれない。
「——聞こえるか、ラベル!」
突然、ドノヴァンの声が地下室に響いた。階段を駆け降りてくる足音。
ドノヴァンが飛び込んできた。五指が開く。
「二重重ね——!」
ドォォォン——!!
残り五人が、同時に吹き飛んだ。
「遅かったな」カイが言った。
「ハータンが破れた瞬間に気づいた」ドノヴァンは息を整えながら言った。
「師匠は外で抑えてる。早くしろ」
「あと少しだ」ラベルは旋律を続けた。
檻が——砕けた。
精霊が解放された。弱っていた光が、少しずつ輝きを取り戻していく。
「ありがとう」ラベルは精霊に言った。
精霊が——ラベルの周囲を一度巡って、上へと飛んでいった。
カタログ化完了——水精霊・拘束個体・解放。
ウィークの書物が、地上で光ったはずだった。
「行くぞ」ドノヴァンが言った。
「師匠が待ってる」
________________________________________
地上に出ると。
ウィークが、本命部隊の残りを既に無力化していた。
全員が意識を失って倒れている。サン・アポロニウスの金色の外装が、夕陽を受けて輝いていた。
「ハータンを破ったのか」ウィークはラベルを見た。
「破った。精霊が苦しんでいたから」
「理由は?」
「理由はそれだけで十分だと思った」
ウィークはしばらくラベルを見た。
「——そうだな」
それだけだった。
しかし、その言葉の重さを、ラベルは感じた。
「地下の精霊を——解放した」ラベルは続けた。
「帝国がレプラカン王国の精霊を拘束していた。それがレノスの不安定化の原因かもしれない」
「書が更新されている」ウィークは書物を見た。
「精霊の解放によりレノスの精霊バランスが一部回復——ダンジョン攻略の条件が、整いつつある」
「ではあとは——ダンジョンを攻略するだけか」
「その前に——レプラカン王に会う必要がある」ウィークは言った。
「今起きたことを伝えた上で——会談をする。帝国がこの国の精霊を拘束していたという事実を、王は知
らないかもしれない」
「知ったら——怒るだろうな」カイが静かに言った。
「それが——この国の王を動かす可能性がある」ウィークは言った。
「十二時の陣——ハハブの出番ではないが、まずは真実を届けることだ」
________________________________________
十 レプラカン王との会談
王宮の玉座の間。
レプラカン王——ガルヴィスは、四十代半ばの精悍な顔つきの男だった。商業国家の王らしく、目が鋭く、物事を素早く計算する知性が滲んでいた。
ウィークが事実を告げた。地下の精霊の拘束、帝国の工作員の浸透、精霊の解放——全てを、簡潔に。
ガルヴィスは——動じなかった。
しばらく黙って、それから言った。
「……知っていた。一部は」
「知っていたか」ウィークは静かに言った。
「帝国との通商条約を結んだ代償だ」ガルヴィスは苦く言った。
「条約の裏に、精霊の「管理権」を帝国が持つという秘密条項があった。私の父の代に結ばれた条約だ」
「それを——」
「私は破棄したかった。しかし帝国は、条約破棄の代償として経済封鎖を示唆した。この国は商業で生きている。経済封鎖は——死を意味する」
「だから——黙認していたのか」カイが言った。
「黙認、ではない」ガルヴィスの目が、鋭くなった。
「待っていた。帝国に対抗できる力が現れるのを」
全員が、ガルヴィスを見た。
「創音王国の建国宣言——届いた」ガルヴィスは続けた。
「ソナーレの血が戻ったという情報も。私がハフト・ハーンの第二の試練を申し出たのは——試すためだけではない」
「では何のために」ラベルが問う。
「あなたが本物かどうかを——確かめたかった」ガルヴィスはラベルを見た。
「王都に入った時の行動を、私は見ていた。地下の精霊を解放した——帝国の工作員が目の前にいても、精霊を見捨てなかった」
「見捨てられなかっただけです」
「それが——答えだ」ガルヴィスは立ち上がった。
「利益計算なら、あの場で精霊を見捨てて隠蔽を維持すべきだった。しかしあなたはそうしなかった。そ
れがソナーレの王だ」
ラベルは何も言えなかった。
「第二の試練——レノスの攻略を、共同で行いたい」ガルヴィスは言った。
「我が国の精鋭部隊を加える。そしてレノスの安定化の後——帝国との秘密条項を、正式に破棄する」
「帝国の報復は?」ウィークが問う。
「その時は——創音王国が支えてくれるという前提で、だ」ガルヴィスはラベルを見た。
「支えます」ラベルは即座に言った。
「まだ国として何もないけど——それでも、約束します」
「即答か」ガルヴィスは少し笑った。「計算が速い」
「計算してない」ラベルは言った。「当然のことだと思ったから」
「ソナーレの王は——やはり計算しないのか」ガルヴィスは笑いを収めた。しかしその目は——温かくなっていた。
「いいだろう。共にレノスを攻略しよう」
________________________________________
十一 A級ダンジョン「レノス」
翌朝。
レプラカン王国の精鋭部隊十二人を加えた混合チームで、レノスに向かった。
レノスは王都から半日の距離にある、水と風が入り混じった洞窟型ダンジョンだった。
帝国による精霊拘束の影響で、内部の精霊バランスが崩れている。ドランとは違う種類の不安定さ——精霊が弱っているのではなく、怒っていた。
「拘束されていた精霊の影響が、レノス全体の精霊に伝播している」ウィークが言った。
「怒りが暴走ではなく——敵意になっている。人間全般を敵と見なしている状態だ」
「どうすれば?」ラベルが聞く。
「帝国の精霊ではなく、ラベルがソナーレであることを——精霊に伝える必要がある」
「音楽で」
「そうだ。しかしドランより難しい。相手は苦しんでいるのではなく——怒っている。共感よりも、誠実さが要求される」
「誠実さ——テレーズが言ってた言葉だ」ラベルは言った。
「誤魔化すな、そのまま出せ——」
「その通りだ」
レノスの中は——最初から戦場だった。
精霊に呼応した魔物が、一斉に敵意を向けてくる。レプラカンの精鋭部隊が前衛で対応する。ウィークとドノヴァンが要所を抑える。カルテットが場の空気を制御する。
その中で——ラベルは歌った。
誤魔化さなかった。
怒りに対して、謝罪だけを届けるのではなかった。帝国がしたことへの怒りを——ラベル自身も感じて
いた。
その怒りを、そのまま音にした。
精霊が——反応した。
(この人間は、嘘をついていない)
(同じものに、怒っている)
敵意が——少しずつ、解けていった。
「効いてる」ドノヴァンが言った。
「誠実な音楽だ」セシルが静かに言った。
「感情を隠さない——それが精霊に届いている」
最深部の核心精霊は——水と風の複合型だった。
ドランより大きく、より怒りが深かった。
ラベルは全力で旋律を奏でた。カルテットが四声を重ねた。
サン・アポロニウスの五時の陣——タクリタンが召喚され、精霊召喚の全てが増幅された。
核心精霊が——ゆっくりと、静まっていった。
カタログ化完了——核心精霊・水風複合型・怒り解放。
「レノス——安定化完了」
________________________________________
十二 第二の承認
王都に戻った夜。
ガルヴィスが宴を開いた。
小さな宴だったが——今度は、ウィークが十二時の陣を展開した。
「十二時の陣——ハハブ召喚」
宴の席に、見えない何かが満ちた。
宮廷の食卓の鬼神ハハブ——その影響が、場に広がった途端、空気が変わった。
緊張が解けた。計算が消えた。人々が、本音で話し始めた。
ガルヴィスが笑い始めた。重臣たちが声を上げた。レプラカンの兵士たちが、ラベルたちと肩を並べて
飲んだ。
「これが——ハハブの力か」ラベルは呟いた。
「人の心の、本来の姿を引き出す」ウィークは言った。
「計算ではなく、感情で繋がる——それがハハブだ」
「テーブルが最後に来る——師匠が言ってたことだ」
「そうだ」
宴の最後に。
ガルヴィスが正式に言った。
「第二の試練——レプラカン王国として、創音王国の建国を承認する」
(残り五つ。一つずつだ)
________________________________________
第12話 了
次話予告
第13話「第三の試練——A級ダンジョン「ミザレ」と、霧の記録」
ミミール王国——霧の国。 七百年の記録を保管する老王エルドゥが待っていた。
「ソナーレの記録も、ここに残っている」
A級ダンジョン「ミザレ」は霧に覆われた迷宮。 そこに眠る霧精霊は——記憶を持つ精霊だった。 そしてカイは、ミミール王国の記録の中に—— 父の名前を見つけた。




