表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深海の星空  作者: ふあ
邂逅
22/63

それぞれの物語 2

 その頃、少女はまだ、小学校の二年生だった。


 山道を登るバスが、一般のワゴン車と接触した事故は、当時のニュースでは長い期間取りざたされ、世間が認める話題となった。

 カーブの多い山道を、安全性にきちんと配慮したバスが上っていくのに、対向車線から法定時速を二倍以上越えたワゴン車が無鉄砲に飛び込んだのだ。


 ワゴン車に乗っていた七人は全て大学生で、免許のない、未成年の運転者も漏れなく酒に酔っていた。酒気を帯びた若者に、降り出した雨に濡れた路面で、器用にカーブを曲がりきる芸当などできるはずがない。アスファルトにはブレーキの跡すら残さず、車は正面から、バスの横腹に激突した。


「そのバスで死んじゃったのね、お父さんと、前に座ってた人、合わせて三人。死なずにすんだ重傷者はもっといたけど、二十四人中三人だって。死ぬ確率、十二点五パーセント。ぶつかった方は、奇跡だってね、運転してた奴しか死ななかったんだ。七人中一人、約十四パーセント。割合狂ってない? なんでさ、犯人と殆ど確率が変わんないの。どうやっても、悪いのはそいつらなのにさ」


 未成年という高尚な免罪符をいくら翳そうとも、飲酒、無免許、スピード違反、あらゆる道交法を無視した若者の所行は、世間を賑わす大きな要因となった。だが、誰が裁きを下そうとも、ハンドルを握っていた人間だけは、あらゆる人々の憎しみや怒りを浴びる前に、無責任に消えていったのだ。


「周りも、頭から血が出たり、肋骨が折れて飛び出してたり、ぐったりして動かなかったり。そんな人がたくさんいたよ」

「でも、父親が、守ってくれたんだよね」

「そう。私を抱きしめてさ、信じられない判断力だよね。すごかったよ、潰れた車に、身体も潰されて、ガラスの破片がさ、体中刺さりまくってんの。でもね、生きてたんだ、その直ぐ後は」

 少女は時折、忘れたい事故を懸命に思い出す。

「抱きしめてる腕が温かくて、心臓の音が、耳じゃなくて、身体からね、聞こえてきた」


 止まらない時間の流れに、川面を流れる木の葉のように、遠ざかって消えてしまいそうな記憶を、少女は追いかける。忘れたい記憶に囲まれる、忘れたくない存在を、かすれていくあの日の父親の鼓動を、全身で懸命に思い出すことを、何度でも繰り返している。それでも、時が経てばいつか全てが跡形もなく消えてしまうという恐怖は、いつだって傍にある。


「山道だったし、雨も降ってたから、救急車、中々来なくって。そのまま、別々に運ばれて。その間に、お父さん、死んだんだ。知らない間に」

 体中に包帯を巻いた少女が目を覚ますと、真っ赤に目を腫らした母親に抱きしめられた。これまで見たことのない量の涙を流し、号泣する母の腕の中で、誰かが言ったのを聞いた。


「目が覚めて良かったね」

 だが、何が良かったのか、少女にはさっぱり分からなかった。目など、二度と覚めてしまわない方が、ずっと良かったのに。


「私がさ、我が儘言って、途中でお父さんと席替わったんだ。エアコンが寒いとか、そんなこと言って。だから……窓際に座ってたの、ほんとは、私だったのに。まだ小さかったしさ、代わりになれなくっても、本当なら、私も一緒に逝くべきだったのにね」


 少女の懺悔と未練を静かに聞いていた少年は、小さく口を開いた。

「あなたは、大丈夫だったの」

「肘掛けでさ、思いっきり頭打って。骨折れたし血も出たし、内耳って習ったでしょ、あの中までぐっしゃぐしゃでさ。手術したんだけど、これ以上はーだって。でもまあ、それですんだかな」

 折れた骨がくっつき、流血が止まっても、弱ってしまった左耳の聴覚が完全に回復することはない。中途半端な障害だけが、少女の身体には残ってしまった。


「けれど、きっと、その狂った確率を、あなたの父親は、命がけで調整してくれたんだよ。その時席を替わっていなければ、あなたもろとも、確率は逆転してしまってたんだ」

 彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ、彼はひとつひとつ言葉を選び、丁寧に紡ぐ。

「どうしても、父親は、あなたを助けたくて、助けたんだ。自分の命より、守りたかったんだ。だからあなたは、席を替わるべきだった。死んじゃだめだ、あなたは、生きるべき人なんだよ」


 重すぎる言葉に、懸命で全力の励まし。やはり彼は、少女が思ったとおりだった。仕方ないね、なんて笑うはずなどなく、誰にも聞かされたことのない台詞に、少女が微笑んで応えると、それを見て、ようやっと嬉しそうに笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ