第七十五話 セレンの【鍵】。
「ふざけんなよ、セレン……」
俺はもう一度、静かに言った。セレンの怯えたような息遣いが響いてきていた。
「消えなきゃならないとか、そんな運命があるわけないだろ!
もしそんな禁呪とかいうのが本当なら、俺がぶっこわしてやる!」
返事はない。だがセレンの息づかいで、俺の言葉が届いているのはわかった。
「言ったはずだ! セレンを縛る禁呪なんかまやかしだって!
セレンは水の民だ。青の鎧に選ばれた水の民なんだ!
まやかしの禁呪に縛られた、なりそこないの人間なんかじゃない!」
セレンの呼吸が早くなり、時折甘い声が混じり始めていた。俺の声に言霊が乗り始めていた。
――それでも、私は人間になりたかった――
セレンの息づかいに乗せて、彼女の心が伝わってきた。
――水の民は私を、弱い女を閉じ込める――
――私の自由を奪う――
――私の自由は、あの世界にはない――
――あの世界は、私の、敵――
――水の民は、私の敵――
――私から自由を奪う、敵――
――だから、私は捨てる。水の民である事を――
――どんな代償を払ってもいい。命でさえも――
――自由を得るためなら、水の民である事を捨てられるなら――
――命でさえも――
そうか。セレンは水の民でいる事そのものが苦痛だったんだ。
俺はそれに気がつくと同時に、その想いの強さに慄然とした。だが、その想いはセレンを縛り、危険な方向に向かわせようとしているように思えてならなかった。
水中銃から発射されたロープ付きのモリが、ガイオウを掠めた。マスク野郎達が再び近づいてきていたのだ。三組がお互い距離を取り、三方向から俺達を狙っている。これじゃ一気にかかられたらどうしようもないぞ。
「自由は大事だ。俺もそう思う」
俺は油断なくマスク野郎達を見回しながら言った。
「俺だって暗いところに閉じ込められたら気が狂うかも知れない。セレンが自由を求めるのは正しいと思う」
そう。だから俺はセレンを自由にしてやりたいんだ。だからニミュエにそう宣言したのだ。だが。
「でも、水の民は敵じゃない。そこだけはセレン、君が間違ってる!」
俺の声が強くなった。青の鎧を捉えようと発射されたモリを払いのけた。
そう。ニミュエ達水の民の掟は、セレン達の自由を奪うためのものではないんだ。彼女達を危険な目にあわせないため、戦いに巻き込まれないようにするためのものなんだ。
でも確かにそれは、セレン達の自由を奪う事になる。だが、万が一にもセレン達を命の危険にさらす事が出来ないという気持ちは、ニミュエ達の強い責任感なんだろう。
いい加減に自由を与える事で、命を失わせる事は出来ない。その分、ニミュエ達は自分の命を賭すことにこれっぽっちのためらいもなかったじゃないか。
「そう。水の民は敵じゃない。自分の命を犠牲にしてセレンの命を守ろうとしている水の民が、敵であるもんか!」
マスク野郎達三組の連携が、ガイオウを圧倒し始めていた。ロープが巻きついて捕獲される事態だけはなんとか回避しているが、モリはガイオウや青の鎧にヒットし始めている。
「水の民は、セレンが安全なところから逃げ出したと思ってる。自分達がセレンの自由を奪っている事は忘れて。それはいけない事だと俺も思う。
だけど、セレンだって水の民に自由を奪われていると思ってるだけなんじゃないか? 守られているって事は忘れて」
ガイオウの左腕にロープが巻きついた。くそ、うっとうしい!
「邪魔をすんな! 今大事な話をしてんだよ!」
俺はガイオウのパワーでロープをぐいっと引いた。こうなったら引き寄せてぶん殴ってやる。
だが直前にロープは根元から切り離され、ガイオウの左腕がむなしく水を掻く。その隙に右手と首にロープがかかった。
「お互いに嫌なところばかりを見てるんだ。お互いに逆を見ればいいのに。
セレンはみんなに守られてる事に感謝できるし、ニミュエ達だって自由を奪われているセレン達の事を思いやれるようになる。
セレンの自由は俺が守る。だけど、水の民を敵だと思うのは違うよ、セレン。
水の民である事を捨てる必要なんか、ないんだ!」
セレンの吐息に甘い声が混じる。俺の言霊が、セレンの心の鍵に入っていこうとしていた。
彼女の息づかいの裏に隠れていた、セレンの記憶が流れ込んできた。
セレンは夢見がちな少女だった。大人になれば行く事が出来るという海の上の世界。太陽の光。大人達から聞くその広い世界に憧れ、いつも思いを馳せていた。
14歳になった頃、セレンは絶望を知った。
その時すでに女性らしいふくらみを持つ身体に成長していたセレンは、自分が一生この海底から出る事は許されないと教えられたのだ。
その絶望は、彼女の心に大きな穴を空けた。
彼女は自分の部屋に閉じこもり、人と会うことをしなくなった。
それから三年が過ぎ、セレンはますます女性らしい体つきに成長していた。
その頃の彼女は『流れだまりの丘』の散歩を日課にしていた。ここには海流の影響で、様々な物が沈んでくる。彼女は、かつて地上にあったものを眺めながら、妄想の中で地上を旅するのだ。
そこで彼女は、運命を変えることになる古文書と出合った。
水の民を人間に変える禁呪。そしてその秘術を使う、永遠の命を持つ高位魔法使い。
セレンは、水の民の世界から脱走した。
高位魔法使いは数百年ぶりの来客を快く迎え入れた。そして、セレンに禁呪を使う事を承諾してくれた。
ただ、セレンは大きな代価と、禁呪による副作用を受け入れなければならなかった。
禁呪の代価は、声だった。
水の民にとって、歌はもっとも大切なものである。声を失うという事は、命を失う事に近い。一生涯歌う事ができなくなるのは、水の民にとって、死ぬ事とそう変わりはなかった。
だがセレンの決意は変わらなかった。水の民である事を捨てる自分にとって、声などどうでもいい。むしろ声を捨てる事で、水の民である事を捨てる事になるのだ、とセレンは考えていた。
セレンは禁呪で生成された禁断の飲み薬を、迷わず飲み干した。
セレンに迷いはなかった。自由を得て彼の元へ行けるのなら、何も怖くなかった。
……あれ? ちょっとおかしいぞ?
セレンの記憶に流されそうになりながら、俺の頭にふと疑問がよぎった。
……彼って、誰?
この記憶上では、セレンが高位魔法使いを訪ねるまでの間に海上へ出た気配はない。そこだけ記憶がはしょられてる?
それから、声を代価に支払った割には、結構声出してるよなぁ。
やっぱりセレンは騙されてるんじゃないか。
俺はほとんど確信していた。セレンは声を代償に水の民である事を捨てたと思い込んでいるようだけど、これ、確実に騙されてるだろ。
「セレン! やっぱり君は騙されているんだ! 君は水の民のままなんだよ! だから、声だって出せる。歌だって歌えるんだ!」
青の鎧がビクッと動いた。俺の言霊が、セレンの鍵穴にゆっくりと入っていくのがわかる。
「セレン! 君の声を聞かせてくれ! そうすれば、君は心から自由になれるはずだ!」
セレンの息づかいが高まっていく。それはもうほとんど甘く切ない喘ぎだ。
「俺がセレンを自由にしてやる! だから、もっと声を聞かせてくれ!
セレン……! 君の声が聞きたいんだ! これからもずっと!」
俺の言霊がセレンの鍵穴の最深部まで貫いた。青の鎧が強烈に輝きを放った。
「ぁう……っ……ぅうぅん……ぁ、ぁぁあぁああああっ!」
セレンはもう堪え切れず、苦悶にも似た艶かしい声を盛大に響かせた。
次回予告。
クジラ神殿の攻防もいよいよクライマックス!
俺とセレンを、強烈な光が包む。
その時、俺達は……!
次回、Take It All! 第七十六話
「掛け持ち確定。」
まぁ……そうなるよね。やっぱり。




