第六十四話 彼女の名は……。
「……っ!!」
いきなり抵抗する力が消えた事に、彼女は驚愕と狼狽の息を漏らした。慌てて短剣を引く。短剣は、その切っ先がちくりと俺の胸を刺しただけで引っ込んだ。
賭けは俺の勝ちだった。
やはり、彼女は俺を殺す気などなかったのだ。
彼女はまた俺と距離をとって座り、声を上げずに泣いていた。時折メガネを上げて涙を拭いている。
この子は一体どうしたんだろう。
落ち着いて考えると、謎な事だらけだった。なんでこんなに俺を付けねらってきていたのか。命を狙おうとするのか。そのくせ助けてくれるのか。そして、あの痛々しい脚の傷。
そう言えば彼女は今まで一言も喋っていない。もし喋ることができないのだとしたら、声を出すことができないのだとしたら、音楽を文化の中心に据えている水の民としては辛い思いをしていたんじゃないのか。
それからもう一つ、この超巨乳。どうやら水の民はリアルに「貧乳はステータス」という社会であるらしい。だとしたら、彼女もシェリーと同じような悩みを抱えているんじゃないか。
全てが想像に過ぎなかった。彼女からはまだ名前すら聞き出せていないのだ。真実なんかわかるわけがなかった。
あ、そうだ。筆談!
俺はふと思い出した。長老の手紙を、俺も総帥ゼットも読むことができた。なら、文字でのコミュニケーションなら取れるはずだろ?
俺は【R-DL】でメモ帳とペンを出そうとスマホを取り出した。画面を開くと、直前に表示させていた、青の宝玉をロードした画面がそのままになっていた。
そうだ。あの宝玉も海の中に落としたんだ。鎧よりももっと絶望的に見つけづらいぞ。
俺は一つ深いため息を付いた。彼女が少し心配そうな顔で俺を見た。こんな優しい子が、本気じゃないとは言えなんで俺を殺そうとしたんだろうなぁ。
「あぁ、いや、さっき海に投げ出された時、大事なものを海に落としたんだ。これくらいの大きさの、青い玉なんだけど」
さすがにそんな小さなものを、広い海底で探してくれなんて言えないよな。
そう思っていると、彼女はスカートの中からごそごそと何かを取り出した。
「え? ……あ!」
彼女が差し出したのは、海に落とした青の宝玉だった。
そしてその宝玉は、まばゆいばかりに光を放っていた。
そうか。彼女はマスク野郎どもが襲撃してきた時、近くにいたんだ。だから俺が溺れ死ぬ前に助けることができたし、宝玉も回収できたんだろう。
俺の脳裏に、サヤとシェリーの腕の中に宝玉が飛び込んでいった時のことが思い出された。彼女が宝玉に選ばれているのなら、宝玉の方から彼女に飛び込んでいったに違いない。
宝玉が反応していたのはティティじゃなくて彼女だったんだ。
ならばなおさら彼女の協力は不可欠だ。俺は彼女の手を握り締めた。
「お願いだ。俺達に協力して欲しい。連れ去られた仲間を助けたいんだ。でも、俺にはどうすることも出来ないし、どうしたらいいのかもわからない……。君の力が必要なんだ!」
俺の真剣な思いが言霊となって、声に乗り始めていたらしい。彼女は身体をビクンと震わせて、頬を紅潮させた。
こんな美人系が恥らう姿と言うのはギャップ萌えが激しすぎる。そもそも丸メガネでハイレベルなギャップ萌え要素満載なのだからなおさらだ。
彼女は恥らいながらもコクンとうなずいた。いやこれ、ここだけ見たら完全に「一線を越える」事を受け入れてくれた感じに見えるんだけど。
なんてバカな事を考えている暇はなかった。俺はさっき出したメモ帳とペンを彼女に渡した。
「ありがとう。せめて名前だけでも教えて欲しい。その後、これからどうするか考えよう」
彼女はまたコクンとうなずくと、メモ帳にさらりと何かを書いて俺に返した。やっと彼女の名前がわかるわけだ。俺は少しわくわくしながらメモ帳に目を落とした。
『申し遅れてしまい、大変申し訳ありません。私の名前はセレンと申します。
今後の事でございますが、多分お連れ様達は、聖地くじら神殿に連れ去られたものと拝察いたします。
理由としましては、あなたが海に落とされた後、襲撃者達がそう話していたからでございまして、まず間違いのないところかと存じます。
ただ、現状では聖地くじら神殿へ向かう方法がございません。
何か楽器でもあれば……と思うのですが』
そうか、彼女はセレンと言うのか。ってか長っ! あの「さらりと何かを書いて」という表現をした短い時間にこれだけの内容を書いていたのか。速記者か。いや、しかしこれは崩した速記用の文字ではない。
多分俺が目を通すのにかかった時間より遥かに短い時間で書き上げられたその文章は、これからの行動の指針となるべき情報を備えていた。
行く場所がわかるのなら、【R-DL】で潜水艇を出す事も可能だ。よし、展望が開けてきたぞ。
「ありがとう、セレン。……え?」
俺がセレンにお礼を言おうと振り向くと、彼女は俺に、青い宝玉を差し出していた。そうか。俺に返そうというのか。
「いや、これはもう君のものだ。この宝玉を、こんな風に輝かせることができる人を探していたんだよ」
俺は彼女の手をそっと押し返した。彼女は一瞬、信じられないという顔をしたが、笑顔になってその玉を胸に抱きしめた。いいなぁ宝玉。俺もあんな風に抱きしめられたい。
俺がまた不適切な願望を頭に描いた時、彼女の胸に抱かれた青の宝玉が強烈な光を放った。
光が収まった時、宝玉は形を変えていた。そうだ。アイビー・ウィップやカグツチ・カノンのように彼女の武器に……あれ?
青く彩られたそれは、武器の形状ではなかった。ええとこっちの世界では「琵琶」と呼ばれている、小型のハープのような楽器だ。
「……!!」
彼女は声にならない叫びのような息を発し、愛おしげに青い琵琶を抱きしめた。そして、はっと気付いてメモ帳にさらっと何かを書いた。
『こんな大切なものをいただき、本当にありがとうございます。
大事に使わせていただきます。
また、この楽器が手に入った事で、私もあなたに協力する事ができます。
少々お待ちください』
相変わらず書くの速い。俺だったら「さらっと何かを書いた」くらいの表現だと、カタカナ二文字くらいが限度だ。
いやそれにしても、これで俺に協力できるってどういうことだ?
俺が混乱していると、彼女は青い琵琶を構えて、澄んだ音を奏で始めた。
あー……。心が透き通っていく。満たされてゆく。穢れた煩悩が浄化され……。
あれ? いや、ドキドキはするんだけど。おっぱいに目を奪われるんだけど。煩悩は解消されないんだけど。
うむむ、穢れた煩悩が浄化され、澄みきった清流のような煩悩になったと言うことか? うーん、我ながら意味不明。
さらにメロディが優しく何かに語り掛けるような響きを強めていった。いつまでも聞いていられるその音色……。
その時、突然地面が大きく揺れ、浮島だったグランデ・トルチュがゆっくりと海に沈み始めた。
次回予告ぅ!
ティティですっ!
セレンっていう人は、お手紙を書くのがめっちゃ早い人でした。
でも、彼女が琵琶を演奏し始めたら、聖地グランデ・トルチュが沈み始めたのです!
さぁ、どうなる次回!
次回、Take It All! 第六十五話
「密室? の二人。」へ急げ!
私が捕まってる間に、鎧の操者決まっちゃったんだぁ。ちぇー。




