第三十八話 絶……。
たまげる【魂消る】 [下一自]非常に驚く。びっくりする。
端的に言うとこんな感じだった。辞書ってすごい。
窓の外の顔をもろに見た俺は、まさにその、魂が消えると書くくらいびっくりした。
恐ろしい顔だった。顔はどす黒く、溶けて流れてどこが鼻でどこが口だかもわからない。
べろっとめくれた皮膚の奥から白いものがのぞき、まだら模様になっていた。
二つの目は青く燃えている。燐光に見えたのは、この目だった。
「うぉああああああああ成仏してくれナンマイダナンミョーホーレンゲーキョーアーメンラーメンハラギャーテーオンキャラキャラソワカアナターハーカミヲーシンジマースカーキューキューニョーリツリョーメリークリスマースホーッホッホッホーッ」
とにかく神様仏様がらみっぽいありがたそうな雰囲気のフレーズを思いつく限り吐き散らしてみた。いやもうね、錯乱している自覚あります。ええ。
その中のどのフレーズが功を奏したのかは謎だったが、化け物は窓から少し離れた。単にドン引きしただけかも知れないけど。
サヤとシェリーは完全にパニックになっていた。サヤはぎゅっと目をつぶって、力いっぱい俺にしがみつき、呪文のように何度も俺の名前を繰り返しつぶやいている。
シェリーの方は深刻だった。ひきつけを起こしたように全身が痙攣し、呼吸が早い。過呼吸を起こしているようだ。目の焦点も合っていなかった。これはただ事ではない。
「シェリー! しっかりしろ!」
俺の声が届いていないのか、シェリーの目は虚ろになっていた。何かにとり憑かれてしまっているようだ。
外の化け物は警戒するようにこちらをうかがっていた。くそ、こいつを追っ払わない事には何もできねえ。
「……サヤ、シェリーの様子がおかしい。力、借りるぞ!」
俺はサヤの手を取って、窓の方に向けさせた。
「ふぇ? か、カイ様……何を……?」
「窓の外に壁を作ってあいつを追っ払うんだ。サヤ、窓の外に意識を集中して」
サヤは一瞬にして真っ赤な顔になり、目だけできょろきょろとあたりを見回した。だが、それしか方法はないと思ったのか、覚悟を決めた目で俺を見つめてこっくりとうなずいた。
「いくよ、サヤ。……ズー・シュー・カラ・ベールフェムト……」
密着しているサヤの耳元。自然、俺の詠唱はささやき声になる。俺の言霊がサヤの心の穴に入って行くにつれて、サヤの身体がビクンとふるえ、火照っていくのがわかる。可愛い耳までもう真っ赤だ。
「現れよ! 護りの炎! 炎の障壁!」
「ん……っ、んぅぅうううう……っ!」
サヤの身体が大きく痙攣し、窓の外に大きな炎の壁が出現した。
炎の壁の向こうから、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。炎が消えた時、もう化け物の気配は消えていた。
サヤは俺にしがみついたまま、膝をがくがくさせていた。力が入らないらしい。脚に力が入らない分、腕でしっかり俺にしがみついていた。
「シェリー、化け物は追い払った。もう大丈夫だよ」
しかし、シェリーはまだとり憑かれたように痙攣を続けていた。身体も冷たくなっている。
俺はそっとサヤをその場に座らせて、シェリーに向き直った。真っ青な顔で何かをつぶやき続けていて、目の焦点は合っていない。化け物が去ったのに、まだとり憑かれたままなのか。
「シェリー、聞こえるか、シェリー!」
俺はシェリーの肩をつかんで揺さぶった。
「カイ様、シェライア、どうしちゃったんですか……?」
サヤも心配そうだ。
「何かにとり憑かれているのかも知れない。大丈夫、俺が何とかする」
俺は簡単にそう答えると、シェリーの頬を両手で挟むように撫でた。少しでも温めてやろうと思ったのだ。
「シェリー、しっかりしろ。戻って来い、シェリー!」
頬をこすりながら何度も呼びかける。が、一向にシェリーに反応はない。
「シェリー、俺だ。俺がそばにいる! ほら、俺を見ろよ、シェリー!」
俺の声に言霊が乗り始めていた。だが、シェリーの心は固く縮こまっていて、中に入っていけない。
俺はシェリーの目を見つめた。シェリーの心の色は恐怖と罪悪感で黒く変色していた。これでは心の鍵穴の場所がわからない。俺は入り口を探るようにシェリーに声をかけた。
「シェリー、聞こえるか? 返事をしてくれ! 俺の目を見てくれ、シェリー!」
シェリーの定まらない視線が、一瞬、俺の視線と絡み合った。
「おにい……ちゃ……ん」
「そうだ、俺はここにいる。もう怖くないよ、シェリー」
言霊がシェリーの心の穴に入りかけているのがわかった。シェリーの身体がビクッと震えた。固くなった心の穴は思ったよりもきつい。
「怖く……ない……」
頬に少し赤みがさしてきていた。
「そうだ、もう大丈夫だ。化け物はもう追い払ったから、シェリーは安心していいんだよ」
「おにいちゃん……。もう、怖く……ない……」
過呼吸と痙攣は治まって来ていたが、虚ろな表情は変わらなかった。まだとり憑かれたままなのか。
「そう、もう怖くないから、安心していいんだよ」
俺の言霊がシェリーの心に入って行こうとしていた。
「んぅっ……!」
シェリーの身体が震えた。が……。
「ごめんなさい、ごめんなさいおにいちゃん……」
そうつぶやくシェリーの目は虚ろなままだった。心はさらに固く、俺の言霊の侵入に抗っている。どうしたって言うんだ一体……?
「ごめんなさいおにいちゃん、ごめんなさい……」
シェリーは、何を謝っているんだ? シェリーの心は、何故俺を拒んでいるんだ……?
謝り続けるシェリー。もし本当に何かにとり憑かれているんだとしたら。
力づくでもその【何か】を追い出してやる。シェリーの心に俺の声を届かせてやる。
声に言霊を乗せる感覚はもうだいぶ掴めて来ている。俺はすーっと息を吸った。
「馬鹿野郎!」
俺は怒鳴った。言霊が、固く締め付ける心の穴をぐいっと押し広げて入る感覚があった。シェリーの身体が、跳ねるように震えた。甘い吐息が漏れる。
「化けもんは俺だって苦手だけど、だからって俺の苦手なもんを全部シェリーが受け持つ必要はないだろ! みんなが得意な事でみんなを助けりゃあいい。全員が苦手なら、力を合わせりゃいい!」
きつい締め付けに抗うように、ゆっくりと確実に、俺の言霊はシェリーの心に入り込んでいった。シェリーの身体が熱くなって、息が弾んでいる。虚ろだった目をぎゅうっとつぶって、シェリーは何かを堪えるかのように体を震わせていた。
「でも……でも……はぅ……っ……」
「でもじゃない! みんなが出来る事をやればいいんだ。俺だって、サヤだって、シェリーと一緒にいたいんだ。だから……」
俺は一旦言葉を切った。シェリーの心に憑りついた物の怪からシェリーを奪い返し、物の怪を追い払うには、言霊を最大限に乗せなきゃならない。
俺はもう一度息を吸った。そして、シェリーの身体を抱きしめて叫んだ。
「戻って来いシェリー。おにいちゃんはここにいる!」
俺の言霊がシェリーの心を押し広げて奥まで到達した感覚があった。
その瞬間、シェリーは閉じていた目を開いて、すがるような目で俺を見ながら、堪えきれない切ない吐息を漏らし、身体を反らせた。
次回予告。
シェライアだ。
おにいちゃんのおかげで、恐怖は去った。
しかし、私もサヤも、一人で眠る勇気はなかった。
私達が取った選択は……。
次回、Take It All! 第三十九話
「狂おしい添い寝。」お楽しみに!
安心したら眠くなっちゃった……おやすみぃ……




