95.あなたのことを
「何かさ、呪文とか詠唱とか無いのかな?」
順調に手持ちの食料を増やしながら迷宮を奥へと進んでいると、ふいに安田君がそんなことを言い出した。
さっきまでぶっかけうどんを食べていたので、それを食べ終えて手持無沙汰になったのかもしれない。
イサナが魔法を使う際に、アニメや漫画のように魔法を使うときに何か唱えてはどうか、ということらしい。
「別に意味はないんだけどさ、景気づけに」
「私は何か話しながらだと、逆に集中できないですね」
イサナが困ったように笑いながら答える。
魔法使いに言わせると、魔法を使う際の呪文は非合理的なものらしい。
「シンタ兄さんは食べ物の名前を叫びながら殴るなんてギャグみたいな魔法なんですから、呪文の前置きでも入れて荘厳な感じを出した方がいいかもしれませんね」
安田君の振ってきた話に妹が乗っかってくると、今度は呪文肯定派の二人にイサナが尋ねた。
「呪文というのは、例えばどんなのですか?」
安田君が少しだけ考えてから、何かを思いついたようにして口を開く。
「I am the bone of my rice, Seaweed is my skin, and It's so delicious.」
おにぎりだ。
「アンリミテッドおにぎりワークス!!」
おにぎりの工場だ。
「基本的に画数の多い漢字交じりか、外国語にするとカッコよく聞こえますね」
「ドイツ語がおすすめだね」
クスクスと笑っている安田君の横で妹が人差し指を立ててもっともらしく言うと、安田君も笑いながらそれに応える。
妙に息が合うところを見ると、二人は実は仲が良いのではないかと思えてくる。
「それで、シンタは何かないの」
大学の第二外国語で履修しているので、フランス語なら多少は分かる。
「じゃあ、それでよろしく」
よろしくと言われても困る。
「なあ、さっきから何なんだ?」
話についていけないルードがイサナに質問してきた。
呪文という概念が存在しないなら、今の会話もまるで意味不明だったろう。
「いや、どうして迷宮内でそんなに笑っていられるか分からない」
心底不可解そうに眉根を寄せながらルードがため息交じりに呟く。
さっきから魔獣も出ないし、ただ歩いているのも退屈だったので雑談交じりになっているのだが、どうにもそれが良くないらしい。
「出てこないから、じゃなくて出てきたらどうするのか。を常に考えながら行動するのが、迷宮の中の常識じゃないのか」
「イサナさんがいれば、魔獣の場所わかりますし」
妹がこともなげに言うと、今度はルードが泣きそうな顔になる。
「それが分かんねぇんだよ」
さっきは「魔法使いは便利だな」と言っていたのに、よくよく考えてみたら不条理だと思ったらしい。
目で見るよりも一瞬先に分かるだけならまだしも、魔獣に気づかれるより先に発見できるのは聞いたことがないそうだ。
モカさんがイサナはそういうのが得意だと言っていたし、個人差があるのだろう。
「あんたらと一緒にいると冒険者としてダメになりそうな気がする」
遠い目をしながらルードが言うと同時に、イサナ立ち止まってが杖を構えた。
「魔獣です、この先にいます」
全員が足を止めて通路の先を見つめると、ビチャビチャと音を立てながら泥水の塊がゆっくりと現れた。
遠目にはスライムのようにも見えるが、粘性が無くどこか人型をしているように見える。
「マッドマンです。近づくと取り込まれて溺れます」
「泥田坊だ!」
イサナが魔獣の説明をしている傍で安田君が叫んだ。
「田んぼ返さなきゃ。あれ、底の抜けた柄杓だっけ?」
慌てているような口調ではあるが、口元は笑っているので楽しんでいるだけだと思う。
ズリズリと近づくマッドマンであるが、その動きは遅い。
今の話では近距離での攻撃をするようだし、俺の出番だろう。
右手を握りしめ、杖を構えたイサナより前に出ながら、フランス語の授業で聞いた内容を頭の中から記憶を引っ張り出して口に出す。
「Noir comme le diable, chaud comme l'enfer」
マッドマンに向かって走り出す。
どこからか見えているのか、それとも音なのか振動なのか分からないが、こちらに反応したようで体を大きく投網のように広げる。
逃げ場は無く、全身を包みこもうとその身体を覆いかぶさろうとしてくる。
「pur comme un ange, doux comme l'amour 」
ちょうど真下、布のように広がったマッドマンの中心地点で、上から降ってくる泥水に向かって手のひらを振り上げた。
「コーヒー!!」
10畳はありそうな大きさまで広がった液体が光へと変わりながら、吸い込まれるように手元へと収束する。
光が収まると手のひらの上には銀色のトレイとコーヒーポット、カップが乗っていた。
落とさないように胸の高さまで引き寄せ、歩きながらイサナのところまで戻る。
「それが一番わけわかんねえ」
ルードが何か言っているが、今はコーヒーの方が大事だ。
コーヒーポットからカップへと注ぐと、煙る香りが鼻孔へと入り込んだ。
ローストされた豆から抽出された、ふわりと漂う湯気の中には複雑に混じり合った香味が密集しており、僅かに甘味が浮かんでいるのが分かる。
カップに口をつけ傾けると、舌の上には瑠璃のごとき滑らかさの熱い液体が流し込まれた。
さっぱりとして軽い風味であるが、口に含めばじわり、と苦みが喉の奥へと染み込む。
そこから喉を通り胃の腑へと落ちる熱い液体を感じると、その刹那に脳裏には煌が駆け抜けた。
「うまい……」
思わず息を吐きだしながら、染み入るように呟く。
その様子を見ていたイサナがカップを手に取って「私にもください」と差し出してきた。
苦いのに大丈夫かとポットからコーヒーを注ぐと、妹がトレイの上をのぞき込んでくる。
「砂糖もミルクもないんですね」
出てきたのはコーヒーと入れ物だけだった。あるいはホワイトスライムのような魔獣がいればミルクになったかもしれない。
そんなことを考えながらコーヒーの香りを楽しんでいると、イサナの「うぇぇ」という声が聞こえた。
「苦いじゃないですかぁ」
渋い顔をしてカップを片手に恨みがましい視線をぶつけてくる。
むしろ真っ黒な液体で苦そうなのに、なぜ飲もうと思ったのかが不思議だ。
「だって、シンタさんが甘いって言ったじゃないですか」
そんな記憶はない、と思ったがマッドマンが広がる直前にフランス語で確かに言っていた。
doux comme l'amour
イサナはそれを聞き、内容を理解していたということだ。フランス語なのに。
どういうことなのか考えあぐねて妹を見ると、同じことを考えていたようで軽く頷いてから口を開いた。
「そもそも日本語が通じることがおかしいんですよ」
指を立てて説明を始めた妹を注視する。
「異世界語とでも言うべき言語体系があるはずなのに、日本語で何の問題もなく意思疎通ができているのなら、例えそれがフランス語だろうとグロンギ語だろうと通じて当たり前でしょう」
最初こそ日本語が通じることに驚いたものだが、そこから違和感なく会話ができてしまっていたので気にしていなかった。
「流石にハナモゲラ語は無理でしょうが、それ以外であれば自動で翻訳される魔法があると考えるべきです」
そんな魔法が存在して、いつの間にか翻訳しているのだとしたら確かに説明はつく。
魔獣の一部は自我をもっていて、何か声を発している場合もあるようだが、その場合は翻訳されないのだろうか。謎が多い。
「後で戻ったら季節王に聞いてみましょう」
イサナがまとめたところで再び前進を再開する。
◆
冒険者ギルド『黒い巨人』 調査第2班長 ミル・トボル 調査日誌より抜粋
・調査8日目
現在の階層は7階。
班員は空腹なれど士気高し。
水、食料の補給なし。食料が尽きる。
本日遭遇した魔獣を以下に記す……
・調査9日目
現在の階層は7階。
班員、空腹のあまり歩み遅くなる者あるが、士気高く魔獣との戦闘に支障なし。
水、食料の補給なし。水が尽きる。
本日遭遇した魔獣を以下に記す……
・調査10日目
現在の階層は8階。
班員、空腹に耐えかね、魔獣に喰いかかるもの有り。しかし、口の中にて消滅し何も残らぬとのこと。
水、食料の補給なし。
本日遭遇した魔獣を以下に記す……
・調査11日目
現在の階層は8階。
班員、喉の渇きを訴え苔のついた土を食むが、すぐに吐き出し気を失う。
水、食料の補給なし。
本日遭遇した魔獣を以下に記す……
恐らく本日の記述にて最期となる。
皆、文句の一つもこぼさず、獅子奮迅の心構えにて本日まで邁進するも、班長の無能が故に迷宮内にて散ることになる。
責められるは私一人のみであり、途中で助けることの叶わなかったルードも含め、彼らの一人たりとも臆病者は存在しなかった。
彼らは全員が勇者だった。彼らは『黒い巨人』の名誉であり、胸を張って誇れる人員だった。誠に申し訳ないと思う。
未だ全員に息はあるが、それも時間の問題だろう。
死の足音が聞こえる……
◆
「誰か倒れてますよ」
妹の指さす先には、人が倒れているように見えた。
一人ではなく5、6人の男達が迷宮内の地面に倒れ込んでピクリともしない。
「ミル班長!」
今まで最後尾を歩いていたルードが大声で叫びながら倒れた人たちに走り寄る。
どうやら一緒に入ってきたギルドメンバー達らしい。
「頼む、水を!」
倒れている男の一人を抱き起し、イサナを見ながら頼みこんできた。
イサナも杖を振ることでそれに応えて、空中に人数分の水の球を作りだす。
「おぉ、み、ず……」
倒れていた男達は水の匂いに口を開き、あるいは手を伸ばして口の中に水を入れて飲み始める。
この様子を見るに、水が切れて全滅寸前だったようだ。間に合ってよかった。
「荷物持ってないけど、この人達も手ぶらで来たのかな?」
安田君の疑問の声に、男達の周囲を見てみるが確かに何も持っていないようだ。
ルードが荷物持ちをしていたと言っていたので、大半は失われたのかもしれない。
「手間を掛けさせて悪い」
聞き慣れない声がした方を見ると、ルードが上半身を抱き起こした顔色の良くない男性が意識を取り戻したようだ。
床の上に体を横たえているが、髭を伸ばして背の高い中年男性で、服の上からでも鍛えた筋肉の太さが分かる。
「ミル班長、良かった……」
ルードが涙をこぼしている。慕われている人だったようだ。
「ルードか……まさかお前が迎えに来てくれるとはな」
穏やかな顔でルードをみつめる班長は、何かを悟っているかのような態度で、どこか様子がおかしいようにも見える。
「さあ、行こうか。死後の世界とやらに」
やはり勘違いしている。
「ミル班長、死んでませんよ。助かったんです」
ルードが身体を揺って訴えると、班長の顔に段々と表情が戻ってくるのが分かった。
「助かった……のか」
「そうです!」
「ルード……死んで………?」
「死んでません!」
水を飲んで復活したのか、班長の他にも倒れていた人達が身体を起こし始める。
「ルード……夢か?」
「助かったのか……」
「そうか、ここが死後の……」
「……腹が減った」
班長同様、混乱している人もいるようだがルードが説明しているので、そのうち理解するだろう。
無事に合流できたのであれば、腹を空かせているようだし何か食べさせた方がいい。
いきなり脂コッテリだと身体を壊すから軽いもので。
「ゼリーのスクロールを」
出してくれ、と言おうとしたところで通路の奥に向かってイサナが杖を構えた。
「何か、きますよ」
遠くにガシャン、という重い金属音が聞こえる。その等間隔で響く音で、先にいるものがが歩いているのだと分かった。
鎧を着た他の冒険者が単身でいるのであれば良いが、イサナが反応しているので恐らく違うだろう。
「多分、リビングアーマーだと思います」
中身が空っぽの鎧だけが歩き回る魔獣らしい。
イサナの言葉に、横たわっていたルードの仲間たちが立ちあがり始めた。
「あんた達は下がっていてくれ」
「荒事は俺達の方が得意そうだからな」
「さっきの水の分は、ちゃんと時間を稼ぐさ」
まだ足元がフラフラしてると言うのに、強がりを言って前に出ようとしている。
全員が万全でないのは確かだが、それでも自分達がやるのだという強い意志が感じられた。
「馬鹿を言うんじゃありません、そんなヘロヘロになって」
妹が呆れながら指摘すると班長が胸を張り、にこやかに笑い顔を作る。
顔色は悪いままだが、頼りがいを感じる笑顔だった。
「ベストコンディションだ」
「寝てなさい」
その男前な態度に全く揺らぐことなく、妹の右腕が班長の鳩尾に突きささる。
班長の身体がくの字に曲がり、そのまま地面に再び倒れ伏した。
「ミル班長!?」
「何て事を!」
起き上がる頃には妹の魔法で体調も良くなっていると思うが、事情を知らなければ病人に鞭打つ鬼に見えるだろう。
知っていても鬼に見えるのだから間違いない。
鬼が……妹がこちらを見て、魔獣の方向に視線を送った。
「シンタ兄さん、何か消化の良い物にしてください」
「わかった」
そうは言っても、鎧を着たオークだったりすると料理が肉になってしまうのは避けられないのだが。
そこは運次第だ。
「きました、これは……」
イサナが言葉に詰まる。
目に見える所になって現れたのは、全身が金色に輝く全身鎧だった。
そして、巨大な一枚の盾を全面に掲げながらこちらに近づいてきている。
「盾だけ……大盾のリビングアーマー、かな」
安田君の言う通り剣は持っていないようだ。本当に盾だけを持った鎧が歩いている。
「我々に任せるんだ、君達はすぐに逃げて」
「こっちも武器は無いが、なぁに丁度いいさ」
残ったギルドメンバーが口々に強がりを言って前に出ようとするが、今度はルードが割って入ってきた。
「大丈夫だから休んでな」
どこか諦めを感じる雰囲気だったが、何かを感じたのか他の人達も黙って見守ることにしたようだ。
「それで、何にするんですか?」
妹と安田君がこちらを見てくる。イサナだけは杖を構えたままだ。
見つめる先の、その金色の大盾は。
「フレンチトーストだな」




