92.あなたを追っている
迷宮へと足を踏み入れると湿り気のある風が奥から流れてくるのを感じた。
地面は土がむき出しで所々に雑草が生えており、壁もただ土をくり抜いた程度というだ。
こういう洞窟っぽい雰囲気の場所に入るのは久しぶりだ。シータと一緒に薬草を探しに行ったとき以来かもしれない。
安田君は珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡していたが、変わらない景色にすぐに飽きたようで雑談をし始めた。
「シンタって嫌いな食べ物ある?」
「特にないな」
「じゃあ好きな食べ物は?」
「美味いもの」
何が面白いのか人の好みを把握するような質問を繰り返す。女性は占いが好きだというし、そういう一環なのかもしれない。
食べ物に関する質問ばかりだが、最後まで答えたらニヤリと笑った安田君が「あなたの前世はボトルキャップです」などと言いださないとも限らない。
あまり熱心になりすぎない程度に適当に答えながら歩いていると、不意に一緒に歩くイサナの足が止まった。
顔を見ると緊張しているのだとわかる。迷宮内でそんな事態になるのは数多くない。
安田君は未だ気づかずに話しかけているが、イサナの視線の先を追えば巨大な鳥が姿を現わすのを確認できた、
「じゃあさ、シンタが今一番食べたいものは?」
イサナに合図を出し、足元にジャンプ台となる風の球を作り出してもらう。
それを思い切り踏みつけ、その反動を全身に受けながら鳥へと目掛けて空中に身を躍らせた。
「ザンギ!」
姿を現したばかりの巨鳥は鳴き声すらあげる間も無く光に包まれ、皿に乗った唐揚げへと身を変える。
じゅわぁと揚げたての音を立てるモモ肉が胃液の分泌を誘発させ、胃袋から催促する音が漏れた。
「でっかい唐揚げですね」
妹が皿を覗き込んで横から手をのばし、皿に乗っていたザンギを一つ手に取った。
揚げたてで熱いだろうと思うのだが、妹は平然とそれを素手で持ったまま口を開けてかぶりつく。
大きすぎて口に入り切らないので半分ほどを頬張る形となるが、もしゃもしゃと口を動かして飲み込んだ。
「脂っこいのは食べないと言っていたじゃないですか何を聞いていたんですか」
ならば何故食べた。
妹が理不尽な感想を述べると、残った半分を口に入れてから皿を持ってイサナと安田君に差し出した。
「これ食べていいの?」
「イサナさんのおまけですよ」
「い、いえ、私は今は揚げ物はちょっと」
何故か偉そうな妹と、慌てて手を振っているイサナを見比べてから安田君が「いただきます」と皿に手を伸ばす。
はふはふと息継ぎをしながら食べている安田君に背を向け、 妹が「次はさっぱりしたものですよ」と言いながら皿を差し出してきた。
「わかった」
前にトカゲに乗った時にちょっと酔っていたし、鳥でも少し乗り物酔いをしているのかもしれない。
妹や安田君のように豪胆すぎるくらいでなければザンギを受け付けにくいようだ。普段であれば揚げ物も気にせず食べているのだが、体が疲れて胃も弱っているのだろう。
妹の差し出す皿を受け取って、その上に乗るザンギを手に取り口の中に入れる。
揚げたての衣がパリパリと音を立てて割れると、中からジューシィな肉汁が溢れ出てきた。口内を焦がすように灼熱の汁が、その旨味を迸る熱量と共に撒き散らす。
ムチムチとしたモモ肉は肉汁を搾り取られた後であっても、その魅力を失わずにじっくりと舌をねぶる。
下味に付けられた生姜とニンニクの刺激が後から強烈な印象となってやってきて鼻へと抜けた。後に残るニンニクの香りと食欲を増進させ、どこか苦味を残す生姜がそれを引き締める。
相反するような相互効果をもたらす香辛料だが、得られる結果は食欲を否応なく刺激するものだ。
間髪入れずに次のザンギを手に取ってむしゃぶりつくと、再び襲い来る鶏肉の暴力を無抵抗で受け入れる。
その後、安田君がもうひとつだけ食べて残りを俺がもらった。
皿の上が空になってから再び迷宮の中を歩き始める。イサナだけ何も食べていない状態なので、手っ取り早く何かさっぱりしたものを手に入れたいところだ。
何も魔獣と出会わないまま迷宮の中を進み続ける。ひとつフロアを下るとむき出しの土だった景色から変わり、小川のせせらぎが聞こえる森の中のような空間になった。
迷宮内での変化に慣れていない安田君が「なにこれ」と驚きの声を上げる。
朝露をまとったように濡れている草を踏みしめながら歩いていくと、皮の流れる音もほど近いとことでイサナが反応した。
「この先に何かいます」
今度はすぐに姿を見せないので、慎重に足を進めて通路の角の木から先を覗いてみる。
そこにいたのは、全身が緑色の、甲羅を背負った猿のような魔獣だった。
「タートルエイプです」
イサナが神妙な顔で名前を教えてくれるが、これは日本人なら誰もが同じものを想像してしまうだろう。
「うわ、河童だ」
「河童ですね」
河童だった。
群れなのか数体が川の中に手を突っ込んで魚を取ろうとしているように見える。
全員で様子を伺っていたことで気づかれたのか、河童の中の一体がこちらに水かきのついた指を向けて騒ぎ始めた。
それにつられて他の河童も「ぎゃっぎゃっぎゃ」と鳥のようなカエルのような声を出して騒ぎ出す。
「こっちにきますよ」
川の中に手を突っ込んでいた河童が、そのまま手に魚を持ってこちらに向かって走り寄ってきた。
プレゼントを持てきてくれるようには見えないので、きっと敵意があるのだろう。
「こんなことならフルーツを持った敵から身を守る方法をちゃんと全部見ておくんだった!」
「あんなもの全部見ても役に立ちませんよ」
妹と安田君が相変わらず意味のわかないことを言い合い、イサナが二人を守るように杖を構える。
河童は三人で固まっているイサナたちを狙わずに俺に標的を定めたようで、手に持った魚を大きく振り上げて棍棒のように叩きつけてきた。
魚は川の中にいたことから淡水魚だと思われるが、どこか鮭を想像させるフォルムをしている。
先ほどまで泳いでいたらしく、ピチピチと身を震わせるたびに跳ねる姿はエネルギッシュだ。
その姿に見とれてしまい回避が間に合わなかった。河童の膂力で胴体を生魚で叩かれる。
想像以上の威力なった生魚アタックは俺の身体を地面から浮かせ、数メートル後方にある樹木へと体を叩き飛ばした。
背中を強かに打ちつけて呼吸が苦しくなる。追撃をするように眼前へ影が落ち、懐から突き上げるようなボディブローが叩き込まれた
「このど阿呆が!」
妹だった。
負傷していたのかわからないが治療目的だったと思いたい。腹に激痛が走る。
何とか息を吐き出して、河童のいたところを見ると、イサナが魔法で作り出した火球で牽制しているところだった。
今度こそは魚に見とれないように、河童目掛けて一直線に走り出す。
先ほど俺を殴り飛ばした河童は、相変わらず魚を持ったまま俺が飛び込んでくるのに合わせて大きく魚を振り上げた。
「今です!」
イサナが叫ぶと同時に河童の胴体目掛けて火球が飛んでくる。
体制の崩れたタイミングを見逃さず、動けない河童に目掛けて拳を振り下ろした。
「スクロール!」
カッ、と河童の体が光に包まれ手のひら大の大きさまで縮小してから消える。
後に1枚の紙片が残されているが、書かれているのは見なくても大体想像がつく。
河童に振り上げられたままだった魚は宙に浮いたままピチピチと跳ね、そのまま地面に落ちるかと思ったところで別の緑色の手につかまされた。
「他の河童か」
一番最初に襲ってきたやつがリーダーかと思っていたので、それがやられれば逃げるかもしれないと思っていたがすぐに別の河童が前に出てきた。
同時には襲ってこないのかと他の河童を見てみるが、なぜか後方で遠巻きに見ているだけだ。
一体ずつ出てくるのであれば大して危険はない。イサナが再び火球を作り出し河童の注意を引いたところで同じように拳を叩きつける。
「スクロール!」
河童は紙片へと姿を変え、魚がまた空中へと放り出された。
しかし魚はそのまま河童に掴まれ、三度河童の武器として俺たちに向けられた。
これは明らかにおかしい。
「あ……サモンフィッシュです。多分」
イサナが思い出したようにつぶやく。
「知っているんですかイサナさん」
「名前だけ本で見たことがあります。他の魔獣を操るって」
姿を知らないのであれば分からなくても無理はないだろうが、まさか魚の姿をした魔獣がいるとは思わなかった。
「さっきシンタ、ちょっと操られそうになってなかった?」
そんなことはない。ちょっと見惚れただけだ。
しかし、魚が操っているのだとわかられば難しいことはない。
魚を振り上げてきた河童に向かって腰だめに拳を構え、今度は河童にではなく叩きつけられる魚に向かって一撃を繰り出した。
「スクロール!」
河童に握られた魚だけが光に包まれて1枚の紙に変わる。
間髪おかずに今度は河童に向かって拳を突き出し「スクロール」と唱えた。
都合、三体の河童と魚を一匹スクロールに変えたところで残りの河童が逃げ出す。魚の能力で逃げられないように縛られていたのかもしれない。
地面に落ちているスクロールを拾って中に書かれているレシピを確認してみると、予想通りカッパ巻きだった。
「魚のは何だったんですか?」
魚のスクロールは河童巻きではないだろう。それも拾って中を見てみる。
「サーモンの握りだな」
どちらも寿司だった。
もしかすると、このフロアにいる魔獣は寿司になる可能性を秘めているのかもしれない。
「そんなに都合の良い話があるわけないでしょう」
妹が呆れた調子で言ってくるが、是非とも寿司属性モンスターの存在を信じたいところだ。
「野菜がいいです」というイサナに河童巻きのスクロールを一つ使って寿司を出して、少し休憩時間を取る。
川の中に魚がいれば、サーモン握りのスクロールを増やしてやろうと思ったが、もう皮の中には何もいないようだった。
構造が変わる可変迷宮の中で流れている川ならば、もしかしていけるんじゃないかと思って「回転寿司」と言いながら川を叩いてみたりしたが残念ながらなんの反応もない。
イサナが食べ終わるのを待ってから再び歩き出すと、程なく下の階層へと続くだろう階段が現れた。
「もう少し、この階層にいてもいいんじゃないか」
「下ったほうが魔獣が増えますよ?」
寿司ネタが惜しいが別の料理も気になるので、後ろ髪を引かれながらも階段を下る。
小川のせせらぎが聞こえる森の中フロアを抜けると、次に待っていたのはさざ波の音と砂浜だった。
「うみだー!」
突如、安田君が飛び上がりながら叫びだす。
何事かと振り返って見てみるが、安田君は海を見つめて「言ってみたかっただけ」と答えた。
前々から理解不能な行動が多かったが、改めて近くにいるとその意味の分からなさを実感する。
突然抱きついてきたりするので多少慣れているが、あまり気にしないようにしよう。
「シンタさん、きます」
イサナが周囲を警戒しながら警告してきた。
あたりは一面砂浜で何かが近づいているのであればすぐ分かりそうだが、目に見える範囲では何かがいるようには見えない。
そうなると、あとは海の中からサハギンでも出てくるのかと注意を向けていると、妹が地面を睨みながら言った。
「砂の中です」
風に揺れているだけのように見えた砂浜が不自然に揺れ始め、その下から赤い甲殻が薄っすらと見え始めた
「マッドクラブで」
「スクロール!!」
イサナが名前を教えてくれるのと同時に拳を叩き込んだ。砂に埋もれたままの魔獣が眩く光り、ぼふんと空気が抜ける音と共に砂が一気に崩れ落ちた。
幸い、そこまで巨大な陥没でも無かったので、少し体制を崩した程度で済んだ。陥没した砂場の中央に砂に埋もれたままの紙を見つけたので、拾い上げて中を見てみる。
「カニですか」
「蟹だな」
蟹の握りだった。
海のような場所ともなればネタは豊富に取りそろえてあるに違いない。
先ほどのフロアに続いて、まだまだ期待しても良さそうだ。




