93.もうこうなったら
目の前がぼんやりと霞む。古びたちゃぶ台と染みだらけの天井が視界に入った。
ここは、俺の住んでいたアパートだ。違和感よりも、それを当然と思う気持ちの方が強かった。
聞きなれたチャイムが鳴る。返事を待たずにガチャンと重い金属の扉の開く音がした。
「シンタ兄さん、ご飯ですよ」
有名コンビニの7マークの入った袋を提げた妹がアパートの玄関から入ってきた。
こっちは何も言っていないのに勝手知ったる様子で台所に立つと、ヤカンで湯を沸かしながら電子レンジで何かを温めている。
何を買ってきたのか気になって台所に行こうとするが、どういうわけか体が動かない。
じっと妹の動きを眺めていると、ものの数分でお盆を持ってやってきた。
「コンビニの冷凍チャーハンの上から、インスタントのフカヒレ風中華スープをぶっかけました」
中華風ねこまんまか。
「スープチャーハンです」
そう言われるとそんな感じがしないでもない。
レンゲを手に取りスープに浸ったチャーハンを口に運ぶ。最近のコンビニチャーハンはレンジで温めてもパラっとしていて具も多い。
そこに玉子の漂うスープに米粒に絡みあい、とろみのあるスープと共にスルスルと口に入ってくる。
ややあっさりとしたチャーハンから鶏がらスープの中に溶け出すオイスターソースの風味。
干し貝柱から戻したという汁がスープに更なる旨みを与え、鼻腔の奥へと豊かな芳香を届ける。
「料理が上手くなったな」
「こんなもの料理に入りませんよ」
妹が怪訝な顔をするが、変わり種のゼリーを作ろうとして乳酸菌飲料を鍋で煮詰めて乳酸菌全滅ゼリーを作ったのは記憶のなかでもそう古いことではない。
ちょっとセンスが悪いだけで味覚は正常なのだから、きっと一人で練習していたのだろう。
ふっと気を抜いて目を閉じると、ガチャンという重い金属製の扉が閉まる音がした。
妹が部屋を出て行ったのかと思い目を開けると、玄関に安田君が立っていた。
全身を駆け抜ける怖気と訪れるであろう修羅場に身をこわばらせようとしたが、力が入らずに見ていることしかできない。
必死に視線を動かして妹を探してみるが、部屋のどこにも見つけることはできなかった。
妹は誰か来たからといって逃げたり隠れたりするような性格ではないので、もしかすると俺が目を閉じた瞬間に寝てしまっていて、その間に部屋を出て行ったのかもしれない。
それから入れ違いに安田君が来たのであれば喧嘩になることもないだろう。
背筋に体温が戻ってくるのを感じながら部屋に上がってくる安田君を見れば、スーパーのビニール袋を手に下げていた。
「シンタ。ご飯だよ」
◆
テキパキと台所で飯の支度をする安田君の手付きは料理に手慣れているようにも見えるが、包丁を使っている様子がないのも少し気になる。
何かをフライパンで炒めているようだが、それも数分でピーピー鳴る炊飯器の音とともに大皿に乗った野菜炒めを運んできた。
「ハイデイ風バクダン炒めだよ」
妙に赤い野菜炒めがやってきた。
「材料はスーパーで売ってる200円くらいの切ってある野菜ミックスと、スーパーで売ってる200円くらいの切ってある豚バラ肉と、
200円くらいの国産キムチと、あとクックルドゥドゥの香味ペーストの赤いやつ」
ピリピリと漂う唐辛子の辛味の中に混ざるごま油と豚肉の香りが否が応でもにも食欲を高める。
「それから白飯がたくさん!」
でかした。
茶碗にこんもりと盛られた白飯を2つ並べて安田君と食卓に着く。
頂きます、というと同時に橋を野菜炒めに伸ばしてグワシと掴み、おもむろに口に放り込む。
ごま油でコーティングされたモヤシが口内を蹂躙し、後から唐辛子の辛味が傷口を抉るようにジクジクと攻め立てる。
それを中和するように白飯を摘んで口に入れると、優しい暖かさと僅かな甘みが口の中を治療するように広がった。
再び野菜炒めを取り噛み締めると、豚肉の旨みがじわりと舌の上に滴り落ちる。
モヤシとキャベツのシャキシャキとした食感に心を躍らせ、キムチの辛味にノックアウトされそうになるのを白飯のふっくらとした声援によって耐え凌ぐ。たまらん。
「随分、手の込んだ料理を作るようになったんだな」
「こんなの適当だよ?」
安田君が不思議そうな顔をするが、前にすき焼きを作ろうとして濃縮の割り下を原液のまま使い、高級な牛肉を切らずにそのまま鍋に突っ込んだことを忘れてはいない。
今までが杜撰だっただけで、少しは気を使って料理することを覚えたのだろう。
満足感に目を閉じると、ガチャンという金属の扉が閉まる音がした。
慌てて目を開けると、今度は安田君の姿がなくなり入れ替わるようにイサナが玄関に立っている。
「シンタさん、ご飯ですよ」
◆
例によってビニール袋を下げたイサナは台所に立つと、これも慣れている様子で何かを作り出す。
ガスコンロを普通に使っているのだが不思議と変だとは思わない。
「ご飯の残ってるの、使ってもいいですか」
「別に構わない」と答えてから気づいたが、イサナはセーラー服を着ている。
どういう訳だ。そういえば、そもそも何故イサナが俺の部屋にいるんだ。あれは学校の制服なのか。
俺はいつ日本に戻ってきたんだ。イサナが一緒に日本にいるのは何でだ。
「鶏白湯雑炊です」
小さい鍋に入っている米粒はコトコトと音を立てて踊っていた。
とりあえず食べてから考えよう。
レンゲを鍋に突っ込んで掬い上げると、白い米の中に紅白の具材が埋もれていた。
「お水と一人分の使い切りの鶏白湯の鍋の素と、冷凍のエビとイカを入れて、残り物のご飯と一緒に煮立たせました。
あとはササミをほぐし入れて最後に卵でとじてあります」
ほわほわと揺れる湯気の中から鳥ガラの香りが漂ってくる。
一人用の小さい鍋からレンゲで掬いとり、それをハフハフ言いながら口に入れた。
ほろほろと流れるように舌の上を滑る米粒に混ざって、格子状に切れ込みの入ったイカが落ちてくる。
くにくにとした食感を楽しみズゾゾゾと続きを流し込む。
エビのプリプリとした歯ごたえとササミの柔らかい肉を噛みしめ、最後の一粒まで食べ尽くす。
鍋の底にこびりついた焦げた部分まで飲みこんだところで、玄関の扉のガチャンという音がした。
「シンタ、飯だ」
◆
兄がいる。
勝手に部屋に入ってきてお湯を沸かして、電子レンジを使って何かを作っていた。
「市販の麺つゆに削り節を入れて、解凍した冷凍の蕎麦を入れた」
それだけじゃない。これでもかと赤い粉末が山になって乗っている。
「最後に七味を親の敵のようにぶち込んである。七味そばだ」
ふわんと香る七味の辛さに削り節の柔らかさが混じり、曇天に走る稲光のような刺激が口内を駆けあがり目玉から飛び出していく。
舌先がビリビリと痺れるが、それよりも次の蕎麦を手繰り寄せたくなり麺を啜りこむ。
シンプルな味付けに彩りを加えた七味が飽きもせずに口内を苛めるが、それが嫌でない。
どんぶりを傾け、麺と共に七味の浮かぶ汁を飲み込む。
甘味のある汁の後で通り抜ける辛味は癖になりそうな刺激だ。
一滴残さずに食べ終え、手に持ったどんぶりを目の前にいる兄の頭に叩きつけた。
ガチャンと音を立てて陶器のどんぶりが割れ、破片が飛び散る。
「誰だお前」
美味そうだったので蕎麦は食べたが、あの兄が自分で料理なんてするはずがない。
人を部屋に呼びつけて金を出し「何か作れ」と言いだすのが正解だ。
兄と同じ顔と声をしているが中身は全然違う。全くの他人だ。
同じ顔で料理なんてされるから気持ち悪かった。
頭頂部をどんぶりで叩かれた兄の姿が段々とぼやけ始める。
目をこすって見るがぼやけるのは止まらず、部屋全体が水ににじむ絵の具のように溶けだし、透明になっていく。
全ての色が無くなったところで、カッと眼が開いた。
◆
柔らかいウォーターベッドのような感触の上で寝ていた事に気付き身体をおこしてみると、イサナや妹、安田君も横になって近くで眠っているのが見える。
ぼんやりと薄暗い空間だが、かろうじて周囲の様子が見える程度には明かりがあるようだ。
周囲から潮の香りがすることを考えると海の近くであることには違いないようだが、浜辺の景色を見て以降の記憶がない。
とりあえず横に寝ている皆を起こして動き出すことをから始めた方が良いだろう。
「イサナ、起きろ」
「シンタさん……」
「何か変だ、よく分からないところにいるぞ」
「そんなところ……舐めたら……あっ」
何の夢を見ているのか妙に息を荒くし始めたので、少し強めにチョップをしたら目を覚ました。
「うひゃあ」
「目が覚めたか」
「あとちょっとだったのに……」
イサナは何事かをぶつぶつと呟いているが、現在の状況とは関係なさそうなので聞こえないことにする。
続けて安田君の体を揺すって呼びかけた。
「起きろ」
「ん〜あと少し〜」
「寝ぼけるな、起きろ」
「じゃあ、次お化け屋敷……最後に観覧車がいい……」
何の夢か分からないが、もじもじと体を動かし始めたので、ちょっと強めにデコピンをしたら勢い良く跳ね起きた。
「あいたー」
「なんか変だ」
「折角……してたのに……」
安田君も何事かをつぶやき続けているが、これもイサナと同様に聞こえないことにする。
次に起こす妹が無事に起きてくれるかを祈ることに集中したい。
「ミヅキ、頼む起きてくれ」
「どうして起こし方が丁寧なんですか」
イサナが不満げに横から聞いてきたが、そんなのは危険だからに決まっている。
「他の皆は起きてるぞ」
「……げむ……ぎる」
「寝てるのはミヅキだけだぞ」
「がん……ごー……」
「このままだと仲間外れだぞ」
「ぐふぉ……?」
本当に眠っているのか某かの呪詛を唱えながら両手を体の前で組み合わせ始めたので、体を揺さぶって目を覚まさせた。
ぼんやりとした顔でこちらを見つめていたが、イサナを見つけるなりにこりと笑う。
「お泊まり会でしたね」
「違います」
ようやっと立ち上がった妹が周囲を見渡して「ここはどこでしょう」と疑問の声を上げた。
イサナに魔法で火球を作ってもらい、高く上げてもらうと辺りの様子がうっすらと浮かび上がった。
ドーム状の高い天井が見える。他には何も無い。
天井の端は床と一体化するように、なだらかな曲線を描いて地面に続いている。
その端までは明かりが届かずにどうなっているのか見えないが、扉や出入り口があるような人工物にも見えない。
「私達は海にいましたよね」
「いたな」
「いたね」
「いました」
全員の記憶は海の場面で止まっているらしい。
どうやってこのドームに入ったかの記憶が無い。
「イサナ、こういうのも可変迷宮なのか」
「いえ……こういうのは聞いたことがないです」
イサナも知らないとなると、これはもう分からない。素直に出口を探した方が良いのだろう。
足元はグニグニとした柔らかい素材で出来ていて、少し歩きづらいがドームの中を進む。
ドームの隅まで歩いてみると、天井がそのまま床にぶつかって壁となっていた。
そこから壁沿いに反対側まで行ってみたが、同様に壁が続いているだけで外に出る場所は見つからない。
「これはつまり、密室ですね」
妹が言うと今から一人づつ殺されて行くようなフレーズに聞こえてくる。
何が面白いのか妹と安田君は「秘密の出入り口が」とか「目の錯覚で実は隠し部屋が」とか言いながらドームの中をうろうろと歩き回っている。
見ているだけでは出られそうにないので、二人にならってイサナと歩き回ってみるがやはりどこにも出入り口らしきものは無さそうだ。
「うわ、うわぁ!」
突然、安田君の叫び声があがったので急いで集まると地面に膝まづいた安田君が地面の中に腕を突っ込んでいた。
「何があったんだ」
「これ、これみて」
ぬぷっと、柔らかい地面から腕を抜いた安田君の手には、乳白色に輝く髑髏が掴まれていた。
人の頭の大きさそのままだが、虹色に光を反射しているので普通の骨ではなさそうだ。
「わー、工芸品ですか。綺麗ですね」
「何か光ってるのが見えたからさ」
「これは、伝説のクリスタルスカル……!」
妹が髑髏を受け取って光に当てるように高く掲げた。多分、意味はない。
それに輝いているがクリスタルには見えない。どちらかというと宝石でも真珠っぽい色だ。
「これは真珠……? まさか……」
イサナが急に何かに気づいたように天井を見上げ、周囲をしきりに見渡し始める。
「何か分かったのか」
「ええ……多分、いえ恐らく間違いないです」
イサナは複雑な表情を浮かべながら、地面に杖を突き立ててブニブニと感触を確かめた。
「巨大な貝の魔獣の……中です」
どういうことだ。
「私達、食べられちゃったみたいです」
ぎこちなく笑ってみせたが、あまり笑える状況ではなかった。




