64.町の人から森にトレントが出ると聞いた直後、既にトカゲ車は町を出ていた。
冒険者ギルド”黒い巨人” 元・補給部隊 ロマーメの日記より抜粋
--------
俺は運が良い。
故郷では大きい身体のせいでデクノボーと言われていたけれど、そのおかげでギルドの人の目に止まって”黒い巨人”なんて大手冒険者ギルドに入ることが出来た。
きっと俺には他の人には無い”何か”があるに違いない。
--------
ギルドに入ってから1年が経った。
今度、初めて魔獣の討伐遠征に荷物持ちとして着いて行けると聞いたので興奮して眠れない。
俺もいよいよ前線配置だ。
今はまだ補給部隊だけど、今に前線部隊で戦えるようになるだろう。
運が回ってきたのだと思って、帰りに冒険者ギルドTCを買ったらDRの”赤い飛竜”のトーガが当たった。
同じDRなら”白い一角獣”のシータちゃんが良かったけどな。
--------
討伐遠征初日、今のところ順調に進んでいる。
今回は王都から5日くらい行ったところにある小さい町が目的地らしい。
その町の近くの森にある可変迷宮から魔獣が溢れて出てきれいるのを退治するのが依頼内容だ。
何でも通常のトレントの他に普段見ないような大きい個体もいるって話で、ギルド内ランクNo.8のガルバさんが隊長として指揮をとるらしい。
冒険者ギルドTCではガルバさんのカードはGRだ。
ガルバさんの戦いが間近で見られるなんて、やっぱり俺は運が良い。
--------
今日、ついに会敵した。
間近で初めて見る魔獣は恐ろしかった。漏らさなかったのを褒めて貰いたい。
トレントと言われて「動く木」を何となく想像していたけど、俺の想像力を遥かに超える凶悪な存在だった。
根っこが地面の上を這いまわり、太い枝を振りまわして黒い全身鎧で武装した前線部隊の先輩達を軽々と叩き飛ばしてしまう。
俺よりもずっと強い先輩達は何度も立ちあがってトレントを抑え込んでいたけれど、いつか俺にもあんな仕事が務まるのだろうか。不安になってきた。
抑え込んだところで、隙を突いてガルバさんがトレントを叩き斬った。やっぱりTCのレアに入るような人は格好いい。
--------
森に入って3日が経った。最悪なことにガルバさんが昨日の戦いで腕の骨を折ったらしい。
何よりも最悪なのは、それが逃げ遅れた俺を助けるために負った傷だということだ。申し訳なさ過ぎて居た堪れない。
先輩達だけじゃ抑えるのに精いっぱいで、攻撃役の要のガルバさんの腕が使えないと決め手に欠けるようだ。
今日は魔獣に遭遇しなかったから良いけど、明日は会うかもしれない。最初に聞いていた特別大きいトレントにだけは会わないことを祈ろう。
ああ嫌だ。討伐遠征になんか来るんじゃなかった。王都に帰りたい。
--------
俺は死ぬかもしれない。
誰かこの日記をみつけたら故郷の母に届けて欲しい。
ロマーメの物と言って”黒い巨人”に届けて貰えれば伝わると思う。
--------
今日も生きている。少し落ち着いたので、これまでの経緯を書ける限り書く。
負傷したガルバさんに代わって、先輩たちが獅子奮迅の働きを見せてトレントを退治していたが、突如現れた巨大なトレントによって部隊はバラバラに蹴散らされた。
もうあれは勝つとか負けるとか、そういう話のできる存在じゃない。デカすぎる。
見たことは無いけど、おとぎ話に聞くドラゴンにだって負けないくらいの大きさだった。
もう取るものも取らずに逃げるしかなかった。
全身鎧の先輩たちが紙切れを吹き飛ばすみたいに、普通のトレントの幹みたいに太い枝で叩かれて飛んで行くのが見えた。
俺はここで死ぬんだと思った。
無我夢中で走って、何とか逃げ切れたと思った時には森の中で道に迷っていた。
--------
やっぱり俺は運が良いのかもしれない。
森の中で先輩達と合流できた。俺が見た飛んで行った先輩もいた。木が緩衝材になって怪我はしたものの大したことは無いらしい。
このまま町まで戻れれば流石にトレントも追いかけてこないだろう。
--------
何が起きたのか分からない。
--------
何かを書く気分にならない。
--------
荷物をまとめた。明日、故郷に帰る。
--------
実家に帰ってきた。
--------
今までのことを整理するつもりで日記を書く。
いつから書いていないのかと見返してみたら、森から逃げ帰った時からろくに書いていなかった。
あの日、先輩達と合流した翌日にはガルバさんとも合流することができた。
森から出るように移動すれば同じ方向に集まってくるのは当たり前だろう、と先輩に笑われた。今思えば確かにその通りだ。
皆と合流できたことで落ち込んでいた気分も持ち直して、このまま町まで戻れるんだろうと楽観的に考えていた。
森の中にいた巨大なトレントは明らかに異常だ。
きっとこれはギルド長案件になるだろうと思った。俺がTCで当てた”赤い飛竜”のトーガにも指名依頼が行くかもしれない。
それくらいの重大な案件に関わったのだと、この時はまだ誇らしい気分があった。
俺は”何か”を持った人間だから、初めての遠征でこんなことに巻き込まれるのだとうぬぼれていた。
皆と合流して2日ほど歩いただろうか、木の実や草を食べながらそれでも森の出口を目指して皆で歩いていた。ここまで魔獣には会わなかった。きっと最後まで会わないだろうと信じて疑っていなかった。
でも、そんなにうまい話は無かった。
あと1日、今日を乗り越えれば森を出られるという時に、トレントと出会ってしまった。
それも通常のトレントの他に、あの巨大な個体もいた。もう逃げることすら考えられなかった。
あれが絶望というのだろう。
足が震えてまるで言うことを聞かなかった。心臓がやたらと早く動いていた。立っていられたのは奇跡だった。
誰も何もしゃべらなかった。皆、ここで終わるのが分かっていたのだと思う。
後はトレントの太い枝で叩き潰されるのを待つだけだと観念して目を閉じたが、その時に誰かが戦っている音が聞こえた。
援軍だ。そう思って目を見開くと、俺達とトレントを挟んで反対側に誰かが居るのが見えた。
そんなに大勢じゃない、せいぜい3,4人だ。それでもトレント相手に優勢なのか盛り上がっている声が俺のところまで聞こえてきた。
俺達と対峙していたトレントは、背後からやってきた援軍によって簡単に数を減らしていった。
援軍の中でも特異だったのが素手で戦う女だった。トレントを殴るたびにピカピカ光っていたのを見ると何かしらの魔法を使っていたのだと思う。
何よりも奇妙だったのは女の掛け声だった。どこの国の言葉なのか、殴るたびに「ばーむくーへー!」と喜びの混じった声で叫びながら戦っていた。今でもあれが何だったのか分からない。
人間離れした動きでトレントを消し去った女が、最後に巨大なトレントに向かい合った。その時には、女がニヤニヤと笑みを浮かべているのに気づいていた。
ぞっとした。あの巨大な個体を前にして笑えるような人間がいるとは思わなかった。
結局、俺達の見ている前であっけなく巨大なトレントは消え去って、援軍だと思っていた女達は薬を置いたかと思うと、トカゲの引く車に乗って森の中を駆け抜けて行ってしまった。
幻覚でも見せられたのではないかと思ったけど先輩たち全員が見たので間違いは無いはずだ。
女達は町の人が止めるのも聞かずに無理に森の中に入ったらしい。心配して様子を見にやってきた町の人に俺達が発見されて、そのまま無事に保護された。
それから”黒い巨人”の迎えに運ばれて王都へと戻った。依頼は片付いたのに無力感しか残らない。
動けるようになるのと同時にギルドを辞めることを伝えに行った。今回、一緒に森に行った先輩達の中でも何人か辞める人がいるそうだ。
俺は”何か”を持っているなんて思っていたけれど、思い違いも良い所だった。俺には何もない。
大人しく故郷に帰って小さい畑を耕しながら嫁でも探すつもりだ。幸い身体は鍛えているから昔のようにデクノボーと呼ばれることは無いだろう。
本当に”持つ人”というのは、あの時トレントを殴り散らしていた女のような人間なんだと思う。巨大な個体を前に笑みを浮かべられるような、巨大なトレント以上に異常な人間。どこか人として踏み外した場所に立っている人間だ。
思えば助けて貰ったのにお礼も言って無い。顔は可愛かった気がするから、せめて名前くらい聞けばよかったと今になって思う。
◆
巨大なトレントを見た時には顔がにやけるのが止められなかった。
殴りかかってくる巨大な木の枝に向かって拳を振るうと同時にケーキの名前を叫ぶ。
3階建ての建物と同じくらいのデカさだったトレントが光に包まれて消失した。その場に残っているのは1枚の皿だけだった。
皿の上に乗せられた太い木の枝にも見えるそれは、そのまま薪という名前がついているケーキだ。
ロールケーキをチョコレートや生クリームでコーティングし、木の幹に見えるように波線をいれたりしてあるブッシュ・ド・ノエルと呼ばれるものだ。
クリスマスと言えば、高校生の頃に安田君にクリスマスの予定を聞かれたので忙しいと答えたところ、酷く狼狽されたことがある。
「え、なんで? バイトとかしてたっけ?」
「いや、バイトじゃない」
「あっそうか。家族で過ごす的な」
「家族とも過ごさない」
「じゃ、じゃあ、誰と一緒にいるのさ!? そんな人がいるなんて話聞いてないんだけど!?」
掴みかからんばかりの勢いで聞かれた。
別に隠すことでもないので、素直に25日になった瞬間から値引きされるクリスマスケーキを買いに行くのだと告げた。コンビニで売っているようなケーキは高くて余り売れないので、深夜からどんどん値引きされていくのだ。
早朝の直前くらいになると半額で売られているので、同じ目的を持った他の飢えた狼に獲られる前に手に入れる必要がある。買う人が余りいない、ビジネス街のコンビニが狙い目だ。
そう言ったところ、満面の笑みで「死ねばいいのに」と言われた。あんなに笑顔の安田君を見たのは後にも先にもあの時だけだった。
そんなことを思い出しながらフォークを手に取りケーキへと突き刺す。
スッと刺さるフォークを手前へと引き寄せ、切り取ったケーキを乗せて口の中に入れた。
チョコレートでコーティングされたケーキのスポンジが、まるでそれ自体がクリームであるかのようにふんわりと舌の上で溶ける。
しっとりと冷やされた生地がホロホロとほどけるのを楽しみながらチョコレートソースの香りが口いっぱいに広がるのを感じていると、最後にブランデーの芳香が鼻先をかすめて口の中から消失した。
後に残るチョコレートの苦味が、甘くとろけそうなケーキの甘みを引き締めて整えている。
もう一度、ケーキを切って口の中へ運び込むと、先ほどとは違う甘みが展開された。それはクリーミーでまったりとした滑らかな甘さ。しゅわしゅわと弾ける生クリームが新鮮なミルクの香りを口内から生み出す。
ミルキーなクリームとチョコレートとの相性が最高以上の組み合わせとなって味覚を刺激すると、自然と口角が上がってきてしまう。
その顔を見たのか、妹が苦々しげに言う。
「ケーキを食べて笑ってる姿が可愛らしいのがムカつきますね」
「店の看板に使いたくなる笑顔だな」
「シンタさん、男の人の前でケーキ食べたらダメですよ」
そう言っている三人とも自然と笑顔になっているじゃないか。美味いは正義だ。
またフォークを伸ばして、今度は乗せられたイチゴをひとつ刺して食べてみる。
チョコレートのあとに食べるイチゴは甘みを感じなくて酸っぱいだけなのだが、パウダーシュガーに覆われたイチゴは口に入れた瞬間、蒸発するようにパウダーシュガーが溶けてなくなる、その下から出てくるのはシナモンの香りだ。
特徴的なその香りは口の中に残っていたチョコレートとクリームの甘さを吹き飛ばし、口内にさっぱりとした清涼感をもたらした。そして訪れるイチゴの時間。
赤く濡れそぼったイチゴは、嫌味にならない程度の酸っぱさを振りまきながら次第に咀嚼され、その中に潜ませた果汁をこれでもかと口内へと撒き散らす。甘酸っぱいイチゴに、キュッ口の中が引き締められた。ジューシーな果実感は決してケーキに負けることなく胸をときめかせてくれる。
イチゴの小さな粒も残さないように飲み込んで、三度ケーキへと手を伸ばす。
クリームを多く含んだケーキの中心部、そこを大きく切り取って一度に口に含むとチョコレートとクリームの合わさった贅沢な香り鼻腔へと通り抜ける。
舌先を攻め立てるチョコレートの濃厚な甘みを感じながら、喉の奥では生クリームの奔放な甘みが自由に広がり、口の中が幸せでたまらない。
そして歯茎へと伝わるカリッとした歯ごたえ。ヘーゼルナッツだ。香ばしい風味とともに訪れる僅かな一瞬にだけ、心が弾む。
柔らかいスポンジととろけるクリーム、湧き上がるようなチョコレートに潜ませた確かな歯ごたえは、夜空へ浮かぶ星のように小さくとも輝いている。
「はぁ……美味しいですね」
「長く生きているがこんなのは初めて食べた」
「まあまあでしたね」
満足げな顔をした3人を見ながら外を見ると、どうやらいつの間にか森は抜けていたようだ。追いかけてくる人影も見えない。
今までが山の上のほうだったのか道の先は大きく下り坂になり、遠くの景色までよく見渡せた。
「向こうに見えるのが目的の砂漠ですか?」
「地図どおりなら恐らくそうだな。ここから砂漠まで7日、さらに砂漠の中を7日程度進むらしい」
この先の道のりは暑くなりそうだ。




